第28話 夜の作業、日々の営み ――異常事態 VS 睡眠――
「生物に乗り移る際にも条件があるのか?」
夜、自分の島の洞窟の中に自身で作った空間魔法による部屋・・・、から更に魔道具<百間の扉>によって作成された別の空間に移動したネージュはその日にあった泥土粘菌とシムとの対決についての資料を作っていた。この場所は、有り体に言って秘密の部屋だ。
「スライムに乗り移るのに何故手間取ったのか・・・」
<百間の扉>の所有者のみが部屋の出入りを管理することができ、たとえ竜の長老だろうと勝手に中に入ってくることはできない・・・まあそもそも長老がネージュを訪ねてきたことなんてないから無用の心配だが。
「レベルが高いもの、種族的にランクが高いもの、精神構造が複雑強固とされるもの、まあ意志が強いものか・・・精神レベルが一定以上に高いものに抵抗を受けて乗り移るのが失敗する。これは【憑依】系統のスキルに似ている。だが粘菌の精神レベルはゴブリンより低い・・・。たとえ巨大化してスライム自体のレベルが上がっていてもまだ最低レベルの精神構造、乗り移るのは簡単なはず」
ブツブツと独り言を言いながらネージュは人間の姿のまま腕を組んで長椅子に座っていた。
彼女の周りには何枚かの紙が宙に浮いており、時折わずかに金色に光った箇所にネージュの言葉がひとりでに書き込まれる。
「実際最後のほうは簡単に乗り移れていた・・・。初めに乗っ取れなかったのは『魂の場所が分からなかった』から、か」
ネージュはシムから質問を聞いた時のことを思い出して眉を顰めた。
シムの言う「魂の場所」という表現は正確ではない。シムが干渉するのは魂ではなく精神の方だ。【憑依】系統のスキル、またはそれに類する魔法の類でも【魂】、魂魄体を扱うようなものは存在しない。干渉するのは精神体の方。もっともそれを教える気はないのでこれはしょうがない。
問題は精神体に場所も何もないということだ。それは全身にくまなくいきわたっているはずで、つまり身体の一部であるならどこにだってある。「場所が分からない」という状態が分からない。仮にシムが精神体ではなく魂魄体に干渉しようとした場合も同じだ、探す余地など発生しないはずなのだ。
「結局はまだこの世界の法則に従っていない、ということなのか?」
ネージュは天井を仰ぐとフゥ・・・、とため息をつき、自分の左に浮いている紙に視線を移す。
名前:なし
種族:汚泥粘菌
レベル:58
クラス:<湖底主>
固有スキル:《巨大化》
これが直接マッドスライムから読み取った簡略情報。
名前:■■■■■■■■■■■■――
種族:■■■■■■■■■■■■――
レベル:■■■■■■■■■■■――
ギフト:■■■■■■■■■■■――
固有クラス:■■■■■■■■■――
クラス:■■■■■■■■■■■――
固有能力:■■■■■■■■■■――
能力:■■■■■■■■■■■■――
固有スキル:■■■■■■■■■――
スキル:■■■■■■■■■■■――
そしてこれがシムが入った状態のスライムから読み取ろうとした情報の結果だ。スライムのみならずシムが入っているとすべてこの状態になる。長老の《鑑定》でも同じような結果になったらしいから私のスキルレベルが足りないということではないだろう。
「話を聞いている限りではレベルは上昇する、魔力による干渉を受けることも確認済み、なら【階層踏破】ができるはずだ」
ネージュはそばの机からティーカップをとると中の紅茶を一口飲む。口の中に入ってくる暖かい液体を味わいながら長老に教えられたことを思い出す。
「・・・確か、存在がまだ小さいから許容されてしまっている、だったか。【階層踏破】するほどに大きくなればこのままの状態を許容できなくなり、【階層踏破】ができればそれを契機に完全に馴染む。できなかったとしてもレベルを上げていけばいずれ同様に許容できなくなり馴染む・・・か。」
確信は持てないが、と言っていたがあの長老の言うことならば可能性は高いはずだ。だからこそ最近は毎日下の森に降りては生態系をギリギリ破壊しないようにシムのレベル上げを行っている。しかしシムのレベルはこちらから観測できないし、どうやらシム自身も分からないようだ。故にあと道のりがどれほどなのかが分からない。もしかしたらレベルアップ自体も正常には行われていないのかもしれない。それでも上昇していることは明らかであるし、正確な実験のためにはどうしてもこちらから観測できる状態になってもらいたいので、結局進めるしかないのだが。
「レベルが上がっても大丈夫なだけの対策も出来ているしね」
ネージュが軽くてを振ると目の前の空間が歪んでこの秘密部屋の外の自室の様子が映し出される。そこにはパンダに入ったまま熟睡しているシム=ミストが映し出されていた。身体から陽炎のように立ち上る紫色の霧がユラユラと揺らめいているのが見える。
――そして彼を中央に据えて発動している魔法陣の様子も。
鈍い銀色の光の線がネージュの部屋を所狭しと埋め尽くし、緻密な紋様はどこか不気味に瞬いている。壁、天井、床だけでなく空中にさえも立体的な魔法陣が複数浮き、そのすべてが複雑な各機能を十全に果たしていた。更に目を凝らせば部屋だけではなく、中央のシムの身体にも銀の筋が這っていることに気付くだろう。身体から立ち上る紫のオーラも同様に彩られている。ネージュはその筋の数と太さが数日前より格段に増していることを知っている。まるで銀の糸でふんだんに装飾されているかのようなパンダは、しかしまったく気づく様子を見せず昏々と眠り続ける。静かな風景。
銀色の光がどこか幻想的な、それでいて何か致命的に間違っているような光景だった。しかしネージュは特に何の感慨を覚えることもなく、ついでにミストラルの方も見ると何の異常もないことを確認する。
「もうすぐ・・・もうすぐ終わる。それまでは気を抜かないように気を付けないと」
手を振って両者の部屋の映像を消すと、ネージュは机から別の書類を手元に取り寄せる。書類には『精神体掌握と歪曲によるシム=ミスト本人格への影響を最小限に抑える為の代理人格『役』の生成方法研究』と、長いタイトルが記載されていた。
「あとは、これについても進める時か。最近は考えることが多くて楽しいねまったく。しかし、朝シムが起きるときには隣で寝てなくてはいけないからな。時間にも注意しなくては・・・」
今晩も、ネージュの実験は順調に進んでいく。
★★★
「ふぁ・・・ごちそうさまでした。ネージュ、今日は何を?」
朝、朝食を食べ終えるとネージュに今日の実験の予定を聞く。と言ってもこの2週間はほぼ毎日下の森に狩りをしに行っているので今日も多分そうだろう。そして取ってきた獲物は帰ってきてから食べるのだ。別にネージュも僕も毎日食事をする必要はないのだが、気分である。僕は三食取るが、ネージュはその時の気分で付き合ってくれたりくれなかったりだ。昨日は湖でとれた魚数匹とスライムを食べた(なおネージュは魚だけだった)。今日の朝食もその余りである。調理をせずにボリボリと生で食うが、お腹が壊れたりしないことは経験済みだ。
『この近くの森は大体めぼしい獲物を狩りつくしてしまったから、今日はちょっと遠出してみようと思う』
「昨日みたいに苦戦しないようなところだといいんだけどね」
昨日の地面モドキとの対決はそれまでの狩りに比べて苦労した。
『最後の方は割と簡単にいったじゃないか』
「それでも今までと比べると結構きつかったような・・・」
僕は昨日の地面モドキとの最終決戦を思い出す。湖の上の魔法陣からちょっとずつ地面モドキを千切っては乗っ取り、千切っては乗っ取りを繰り返していた僕だったが、そこそこの時間をかけて三分の一ほどを乗っ取った頃だろうか、なんと地面モドキが逃げ出してしまった。湖底の場所を移動し始めたのだ。底の方に溜まっているような形だったからちょっとずつ千切れたものが、コップからぶちまけた水のように平べったくなって逃げだしたのだ。当然掴みにくくなってしまったし、細い窪みなどに入られると取り出すのがめんどくさくなってしまった。
しょうがないので結局僕が直接潜ってダイレクトに乗っ取ることになった。スライムを乗っ取るコツがその頃には掴めていたので確かに割と簡単に片付いたが。・・・結局一番手間取ったのは最初だったな。
「もっと霧の状態で動けるようにしないとだなあ。パンダが心地よくて素で活動する感覚を忘れがちだ」
最終的には地面モドキを全て乗っ取ることに成功し、晴れて湖の主を釣り上げ・・・とは言えないが狩ることができた。ちなみにその後に早速新しい身体を使って何匹か湖の魚を捕っていたら途中であの爽快感を感じた。どうやらまたレベルが上がったらしい。ネージュからレベルの事を教えられ、言われるがままに狩りを続けてきた中で何回かあの感覚があったので回数を数えているが以前のものも含めるとこれで6回目だ。ネージュが言うにはレベルアップをしていくといずれ【階層踏破】といってなんか進化(?)みたいなことができるらしいが、今のところは何の変化もない。ただレベルアップすると一気に霧が濃く、多くなるので成長はしているのだろう。【階層踏破】が厳密に何なのかは知らないが、それができるようになれば助かるとネージュが言っていたのでとにかく早くできるようにならなくては。
『じゃあ、行こうか』
「了解」
ネージュと一緒に洞窟から出て、島の端から飛び降りる。雲をいくつか突き抜けるとネージュは既にドラゴンの姿に戻っていた。ガシリとネージュの前足が僕を掴む。ネージュの巨大なネージュはそのまま羽ばたけるが僕は身体を一旦作り直して鳥の形にでもしない限りこの身体を持っていくことができない。はじめ、身体を変形させて飛べるようになった時からしばらくはネージュと並んで飛んでいたがいちいち身体を変形させるのが面倒なのでもう最近は手っ取り早くネージュに掴んでもらって移動している。絵面は完全にドラゴンに捕まってしまった獲物だが、自力で飛ばなくていいし安定感抜群なので見た目に反して快適である。そしてそのままいつものように眼下の景色をしばらく眺める。
『あそこだな、あの開けた場所に一本生えている木の下だ。オーガの集落が見えるか?』
20分も飛んだだろうか、ネージュが前方の空中に魔法陣を作るとその上にふわりと降りながら人型になって下を指さす。僕は指さされたほうを見るが、下方の森のどこを指しているのか全く分からない。視力が足りない。パンダの眼球に霧を集めてもう一度よく目を凝らすと辛うじて一本の巨木の下に人工物らしき建物が見え隠れしているのが見えてきた。
「あそこか。じゃあいつも通りに行ってくる。取ってくるのは一番強い獲物だけで」
『ああ、全部持って帰るのは手間だからね。いつも通り一体だけ。別の集落の場所が分かったらそっちにも行くかどうか相談してからそこらのもので適当に昼食にしようか』
「わかった。じゃあ、お願い」
言いながら僕は魔法陣から飛び降りる。恐ろしいほどの高さからの飛び降り。だがもう慣れてしまったこの手順に、呼吸は少しも乱れていない。
『《白水ノ凶砲》』
ネージュからの返答は僕を打ち下ろす水流でなされた。
天から降る水流の勢いに乗って落下を加速させ、紫の尾を引く小さな流星。遠目から観測することさえ困難なその物体は、しかしながらその小ささからは想像もできないほどの轟音を立ててオーガの集落に墜落した。
★★★
「さて、と。今ので獲物が警戒態勢に入ったな。一部は避難し始めたかもか・・・」
降り注ぐ小さな土砂とネージュの魔法の残滓である細かい水滴、もうもうと立ち込める土煙の中で現状を確認してみる。
運悪く落下地点付近にいて爆散した一匹のオーガの死体から靄のように見える魂を回収すると記憶を覗いて獲物の取りうるこれからの行動を予測する。ド派手な登場の仕方をしたので集落全体が既に警戒態勢に入っていると考えてもいいだろう。オーガ、オーク、ゴブリン、コボルトなど集落を築いてある程度社会性を持つ獲物は多少の差はあれど強力な外敵が出現した場合の対処が決まっていることが多い。死んだオーガの記憶によればこの集団も緊急時の対応は決まっているので早ければもう既に逃がされ始めている者たちがいるかもしれない。
スゥゥ・・・と深く息を吸って、吐く。
自分の周囲にオーガたちが集まっているのを感じる、ここから先はスピード勝負だ。一匹も逃さないように、優先順位をつけ効率的に作業をこなしていかなくてはいけない。初めから霧だけでヒッソリと集落に侵入すれば楽な作業だが、これはハンデだ。
ネージュが僕に課した制限はこれだけではない。今回はこの登場の仕方(初めに注意を集めるだけでいい、ネージュに魔法を使ってもらったのは僕の希望だ)の他にも分裂禁止、乗っ取り禁止、初めに狩った一体以外の記憶の参照禁止、霧での直接の攻撃禁止、その他にもいくつか細かい制限が設けられている。何のための実験かは知らないがその時々の制限を破ったり時間内に目標を達成できなかった場合は僕の負けだ。別に罰ゲームとかはないが10回勝ったらご褒美があるらしく、なにが貰えるのか色々と想像するだけでやる気十分です。
「昨日の地面モドキで9回目・・・、今回は制限ありだけど前にも似たようなことを何回かやっているからなんとかなるか・・・なっと!!」
――バキバキッ
目の前に突き出された大剣の切っ先を握り砕く。その断片を撒くように散らすと血しぶきが上がった。目安としてはおおよそ半時間。さっさと終わらせてご褒美もらおう――。
――そしていくばくかの時が過ぎ、夕刻。
木々の影が濃くなり、夜のとばりが落ちる頃。朝日が照らしたその村は、影も形も残ってはいなかった。風通しの良くなった空間を一陣の風が吹き抜ける。軒並み破壊されかつての家々はただの残骸となり果てて地面に落ちている。辛うじて原形を残しているものは村の中心に生えていた大樹、しかしながらそれも根元から荒々しくへし折られ地面に打ち捨てられていた。何者かに襲われたであろうその一帯には奇妙なことに一つも死体はなく、どころか一滴の血さえも落ちていなかったが、見る者に村人が生存したとは思わせないだろう。抜け殻のようになったその場所にあるのは静寂と風に舞う土埃のみ。全てを見ていた木々と草々が風に吹かれて微かに揺れる―――。




