特訓開始
●特訓開始
夏のこの場所は、蝉の鳴き声が凄まじい。疲れないのかと心配になるくらい、鳴いている。ぼくは、その鳴き声に負けないよう、少し声を大きくする。
「おおー、ここへ来たのっていつ以来だろう」
ぼくらは入園料を払い、中へ進む。そこには、新宿であることを忘れてしまうくらい、静かで緑の光景が広がっている。ここは元々、皇室の庭園として造られたが、戦後に国民公園となった場所らしい。入園料を払えば、誰でも入れる。
「でも、なんで新宿御苑に?」
ざわめく木々を見ながら、微笑んでる神奈さんに聞く。
「ここなら、あまり人目も気にせず、いろいろとできるからね」
確かに周囲を見渡しても、ほとんど人はいない。まあ、都内に住む人間なら、わざわざお金を払ってまで、新宿御苑に行こうとは思わないだろう。そして、地方に住む人間は、どうせ東京に行くのなら、もっと別の良い観光地に行こうと考えるだろう。そんなわけで、誰でも入れるが、新宿御苑が人で溢れることはあまりない。
蝉の声を聞きながら、神奈さんと肩を並べて歩く。他人から見れば、デート中のカップルに見えるのだろうか。なんて思春期男子にありがちな妄想をする。高校生カップルがデートで新宿御苑だなんて、渋すぎる気がするが。
閉園間近ということもあって、本当に人がいない。なのでぼくは気兼ねなく、疑問に思っていたことを訊ねてみた。
「さっきの話なんだけどさ。遥か昔の地球にいた神が、時を超えて人間を乗っ取り、現代で目覚めようとしてるんだよね」
自分で言っているのになんだが、とてもチープな話に聞こえる。だが、これは現実に起こっていることらしい。
「その目覚めようとしてる神の数は、どれくらいかってのは、わからないのかな」
この新宿御苑に来るまでには、多くの人とすれ違った。だが、神と半覚醒者のどちらにも遭遇しなかった。
「当然、私も詳しい数まではわからない。だけど、きっと人間と比較すれば、その数はかなり少ないんじゃないかな。神からすれば、全員が確実に現代まで、魂を引き継げたわけではないはずだし」
さらに言えば、逆に人間に乗っ取られた神もいるわけで。ぼくが想像していた以上に、神の数は少ないのかもしれない。
「いやー、それならちょっとだけ安心したかな」
「安心するには、まだ早いよ。対個人差で、神の方が圧倒的に優位なわけだからね」と神奈さんが、脅かしてくる。
「それなんだけどさ。どうして神は、もっとこう大胆に、人間を攻撃してこないんだろう?」
「確かに神が先手に出て、人間を襲えば、百人でも千人でも軽く殺せるだろうね」
神奈さんは表情一つ変えずに、恐ろしいことを言う。首切り男が大鎌で、次々と人を惨殺していく姿が、容易に想像できる。そんな想像を打ち消すように、ぼくは反論する。
「神には、想造能力っていう人間が持つどんな武器より、強力なものがある。それはわかる。けどさ、所詮は人間の身体なんでしょ?そんな簡単に人間が負けるかな」
神奈さんは、ぼくを指さし「それが今の神田君の質問の答えだと思う」と言った。
あ、そうか。自己解決してしまった。元々の神の身体がどうだったかは知らないが、今は人間の身体なのだ。神にいくら強力な能力があろうと、当たりさえすれば、銃弾一発で十分死に至るだろう。それがわかっているから、神は大胆な行動をとらないのか。
「あれ?でもそう考えると、首切り男ってかなり大胆に動き回ってるような気がする」
「神側にとっても、首切り男はイレギュラーな存在なのかもしれない。神も現時点では、目立ちたくないだろうからね。・・・よし、ここでいいかな」
そう言って、神奈さんが立ち止まった。そこは、広大な芝が広がり、あちこちに樹木が生えている。イギリス風景式庭園と呼ばれる場所だ。
「それで神奈さん、ここで何をす・・・」ぼくは、言いかけて口をつぐむ。神奈さんが目の前で、槍を握っていたからだ。首切り男のときにも、こんなことあったような。
「それじゃ、いくよ」と神奈さんが、槍をこちらに向ける。ぼくは、理解ができず「は?」と阿呆面を晒すことしかできない。
いきなり神奈さんが、槍を突き出してきた。ぼくは咄嗟のことに、両手を顔の前に、目を瞑ることしかできない。
両手の隙間から、薄目を開けて覗くと、槍は目の前で止まっていた。
神奈さんは、悪びれた様子もなく「あ、驚いた?」と、首を傾げた。
「いや、驚きますよ!いきなり何ですか!」思わず敬語になってしまうレベルで驚いた。
「あはは、ごめんごめん。そんなに怒らないで。殺す気はなかったからさ」
殺す気はないって・・・。この人は、マイペースというかなんというか。
ぼくはため息をつく。すると神奈さんが、ぼくの腰辺りを指さしているのに気付いた。そこには、いつの間にか腕が想造されていた。
「あれ、どうして?」
「今、神田君が両手で、自分を守ろうとしたのと同じだよ。神田君は、本能的に自分を守ろうと、その腕を想造したんだ」
ぼくは自分で造り出した腕を、ペタペタと触る。相変わらず、無機質で冷たい。
「でも今この腕って、ぼくのこと守ってなかったような」
確かに想造されはしたが、腰のところでふわふわと浮いていただけな気がする。
「うん。守れてなかったね」
「ダメじゃん!」ぼくは声を高くせずにはいられない。
「まあまあ。私の攻撃の方が、神田君の防御よりも速かったってことだよ」
「なんか攻撃とか防御って、スポーツやゲームとかでしか使わないから、変な感じがします」
「これからはその変な感じが、日常的なことになるよ。とにかく、神田君はできるだけ速く、かつ正確に想造能力を使えるようになることが重要だね」
そう言って神奈さんは、準備運動を始める。
「具体的に何をすればいいの?」
「まずは何度も想造することだね。イメージしやすいものを考えておくといいよ」
言われた通りに、腕を造っては消す、を繰り返す。
「イメージしやすいもの?」
そう聞くと、神奈さんは再び槍を想造した。また攻撃してくるのかと、ぼくは身構えるが、さすがに二度目はなかった。
「私の場合は、この槍かな。これが一番早く、正確に想造することができる。そういうものをひとつ、決めておいた方がいいよ」
今度は神奈さんが、槍を造っては消す、を繰り返した。
「おそらく神田君は、まず頭の中で腕をイメージして、それを現実に造り出した後、その腕を動かす。という手順でやっていると思うけれど、このやり方だと、いざというときに遅すぎて対応できない。だから、これらを一括で済ませられるようなものを、考えておくべきだよ」
いざというとき、がどんなときかは言われなくてもわかった。首切り男と神奈さんの戦いを見た限り、確かにぼくの想造の仕方では、遅すぎるだろう。
「イメージしやすいものかぁ。あ、じゃ、とりあえずこんなんでどうかな?」
ぼくが想造したものは、日本刀だ。特に意味はなく、本当になんとなく想造したのだが、神奈さんに好評価をもらえた。
「日本刀、かな。うん。いいと思うよ。単純な形で想造しやすいし」
「でも、これ、ちゃんと切れるのかな」とぼくは少し不安になる。
一応、日本刀を想造したが、ぼくは実際に日本刀を見たことも触れたこともない。家にある木刀をモデルに、想造しただけなのだ。つまり、日本刀というよりは、木刀を想造したようなものだ。しかも、黒板に刀の絵をチョークで書いたようなものが想造される。こんなもので、命を懸けた戦いに挑むのは、誰だって不安になるだろう。
「ちょいと試し切り!」とぼくは走り出し、冗談半分で近くの木に切りかかった。あきらかによろしくない行為だが、「どうせこんな刀じゃ切ることなんて、できないだろう」と高をくくり、気軽にやってしまった。「あ、やめた方が・・・」と、後ろから神奈さんの声が聞こえたが、もう勢いを止めることはできなかった。
スパッと綺麗な音とともに、枝が地面に落ちる。思わず「ええええ!」とぼくは叫ぶ。それなりに太い枝を狙ったにもかかわらず、あっさりと切れてしまった。
「あ、もしかしてこの木って、豆腐とかでできてたのかな」
ぼくは罪悪感から、現実逃避する。が、神奈さんに「そんなわけないでしょ」と現実に連れ戻された。
「まぎれもなく、神田君が想造した日本刀の力だよ」
「こんなんでも、しっかりと切れちゃうんだね」ぼくは、おそるおそる日本刀を眺める。
この日本刀が、物を切ることができるとわかった今、さっきまでとは別の不安がぼくを覆っていた。この刀は、命を懸けた戦いに挑むための武器としては、別段悪くはないだろう。だが、ぼくはこれを人に向けて、振り下ろすことができるだろうか。
正確に言えば、首切り男は人ではなく、神という別の生き物らしい。それでも見た目は、人間なのだ。切りつける度胸が、ぼくにあるとは思えない。
そこで神奈さんが「まあ、日本刀である必要はないからさ」と声を掛けてきた。
「身の丈に合ったものがいいよ。心構えがなければ、どんなに強い武器を持ってても、意味がないからね」
なんだかぼくの不安を全部見抜かれたようで、恥ずかしかったが、彼女の言う通りだ。
「情けないけど、その通りです。そんなわけで、別の物にします」ぼくは言いながら、新たなものを想造した。それを見た神奈さんは、頭上に?マークを浮かべていた。比喩表現ではなく、想造能力で頭上に?マークを造り出していた。
「あ、見た目は日本刀と何も変わらないけど、これは木刀だよ」
「ああ、そうね。そのくらいの武器が、安全でいいかもしれないね」
安全ではないと思うのだが、日本刀よりは、という意味なのだろう。
「それで結局、今日は何をするの?」
「さっき言った通りのことをやるよ」神奈さんは、淡々としたものだった。
「え、それだけでいいの?なんかこう、もっと派手なことはやるのかと思ったけど。首切り男がやってたようなこととか」ぼくは少し拍子抜けする。万能と言える想造能力の練習なのだ。造って消して、を繰り返すだけじゃ地味に感じる。
「首切り男が?」
「ほら、空中に箱を造って、その上に乗ってたりしたじゃん」ぼくの発言に、神奈さんは表情を変えることなく「やってみるといいよ」と言った。
あ、これは「どうせできないよ」って顔だ。いいさ。やってやる!
五分ほど経った。庭園には、ぼろぼろになって寝そべってる男がいた。ぼくだ。
「なにこれ、無理でしょ!」ぼくは空に向けて叫ぶ。
腰辺りの高さに箱を造り、そこに足を掛けて乗ることはできるが、そのまま維持することができない。すぐに箱が消えてしまう。そして、消える度にぼくは、地面へとダイブする。何度もこれを繰り返し、生傷が増えた。
「それはそうだよ。神田君は今、公式も覚えず、基礎問題も解けないのに、応用問題に挑戦してるようなものだから。まずは基礎から、だよ」
ぐうの音も出ない正論なので、馬鹿は止めて素直に従うことにした。それからしばらくは、絵面としては地味な練習が続いた。
神奈さんが言うには、想造能力に重要なのは、想像力・集中力・維持力・持続力の3つらしい。ぼくはこの3つの要素を、それなりに持っているつもりだったのだが、複雑なものを想造しようとすると、なかなか上手くいかない。想造能力は万能らしいが、それは使う人次第なようだ。
練習中、沈黙が続き、堪え切れなくなってつい口を開く。
「そういえば神奈さん。首切り男って、今どうしてるのかな」
「どうだろうね。少なくとも、神田君の一撃は効いてるはずだよ。重症ってほどではないだろうけど」
ぼくは、首切り男が頬を冷やしながら、憎悪をため込んでる姿を想像する。
「やっぱりぼくらを狙ってくるよね。しかも、ぼくら顔ばれちゃってるし」
神奈さんは苦笑いをする。「顔がばれてるっていうのは、あまり問題ではないかな。どのみち、近くにいれば互いの存在に感づくわけだから。それにね、神田君は重大なことを忘れてるよ」
「重要なこと?」
「神田君、昨日制服のままだったよね」
ぼくは、一瞬ぽかんとする。が、すぐに事の重大さに気付いた。気付くと同時に「うわ、やばい!」と声を張り上げてしまう。
そうだ。首切り男に制服姿を見られた以上、ぼくについては特定されたようなものだ。いずれ首切り男は、ぼくの通う学校に現れる可能性が高い。あのときは、そんな先のことを考える余裕が全く無かった。
「まあ、首切り男も怪我をしてるから、すぐに神田君の学校に現れるってこともないよ」
神奈さんは、青ざめた顔をしているぼくを励ましてくれる。しかし、神奈さんが言葉の最後に「たぶん」と小さい声で付け足したのを、ぼくは聞き逃さなかった。
神は現時点で目立つ行動はとらないはずだ。神奈さんはそう言った。しかし、首切り男のような例外もいる。あの男なら、平気で白昼堂々僕の学校に来て、大鎌を振り回せるだろう。首切り男の怪我が治るまでという、とても短いタイムリミットをぼくは自分で設定してしまったのだ。
「ねえ、神田君は第一の連続首切り殺人事件については知ってる?」
神奈さんが唐突に質問してきた。
「たしかいかにもな不良が四人だったよね」
質問の意図が分からなかったが、とりあえず答えた。すると、神奈さんは「殺されたのは、ね」と意味ありげに言った。
「その言い方だと、第一事件現場には他にも誰かいたってこと?」
「うん。あの場所には、あまり素行のよろしくない人たちが集まってたんだ。今有名な爆走天竜会の方々」
「ばくっ・・・え、なに?」聞き慣れない単語が出てきて戸惑う。神奈さんは少しゆっくりと「爆走天竜会」と言った。それがなにかを訊くと、どうやら神奈さんの近所で騒いでいる暴走族らしい。
爆走天竜会って。「小学生でももう少しいい名前を付けると思うんだけど」
「それは私に言われても困るよ。まあ、首切り事件もあって場所を移したのか、最近は静かになったよ。これは首切り男のおかげだね」
神奈さんは笑うでもなく言う。人が死んでいる以上、首切り男のおかげといううのは、どうかと思ったが、ぼくは実際に騒音の被害を受けてないのでよくわからない。
「でも、その暴走族の人たちはよく逃げられたね。さすがは暴走族って感じかな」
「逃げられたというより逃がしてもらえたが、適切だね。首切り男が殺せなかったはずがないから」
「だとしたら、なんで首切り男は殺さなかったんだろう」
「目立つのを避けたかったんじゃないかな。さすがに何十人もまとめて殺すのがまずいことくらいは、首切り男もわかったでしょ」
神奈さんの答えは単純明快だった。
「でも首切り男は例外で目立つことも気にしないんじゃなかったっけ?」
ここに来たときに、神奈さんがそう言っていたのだ。
「ああ、そっか。ごめん。言い方が正確じゃなかったね。たしかに首切り男は、連続首切り殺人なんて事件名まで付けられて結果的に目立っている。でも、彼は彼なりに目立たぬよう行動しているつもりなんだよ」
なんで?と訊こうとしてやめた。首切り男が目立たぬよう行動しているのは、爆走天竜会という暴走族がまだ生きていることが証明している。
「ん?じゃあつまり、首切り男は目立たないよう行動しようとしてるけど、知能が足りなくて目立っちゃってるってこと?」
神奈さんは苦笑を浮かべながら「悪い言い方をすれば、そういうことになるね」と言った。
ここでやっと、ぼくはなぜ神奈さんが連続首切り殺人の第一事件の話題を出したのかがわかった。要は、爆走天竜会という大人数を殺さなかったのであれば、同様に、首切り男がぼくの学校で大量殺人を行うとは思えないということなのだろう。
「でも、結局は時間の問題な気がする。首切り男がぼくを見つけられなくて業を煮やせば、いずれ高校に来てぼくを炙りだすために、いくらでも殺人をできるだろうし」
「それならどんな状況になっても神田君が、学校に近づかなければ済む話じゃないかな」
神奈さんの発言に驚いて、想造するのを止めてしまう。
「夏休みとはいえ学校には大勢の人がいるし、さすがに見殺しには・・・」
ぼくは少し顔を歪める。すると神奈さんは、何かにハッとして手を叩いた。その表情が暗くなる。神奈さんは暗い表情のまま、ぼくに向かって頭を軽く下げて「ごめんね」と謝罪してきた。やたら深刻に謝られ、かえってぼくが焦ってしまう。
「いやいや、あの、怒ったわけじゃないから!今のも言葉の綾とかそういうやつだよね」
我ながらなんとアホなフォローだろうと思う。なんだ言葉の綾って。そんなぼくのアホなフォローでも神奈さんの暗い顔は取り除けたようだ。
「首切り男が神田君の学校に現れるのは、確かに時間の問題だね。でも、その時間は決して短いわけではない。となれば、どれだけこの時間を有効に使えるかが重要だよ」
先ほどから、ぼくの右手には木刀が造られては消えている。時間を有効に使わなければならないのに、こんな練習でいいのだろうか。そう考えて、ぼくは首を左右に振る。神奈さんがまず基礎からと言ったではないか。信じよう!
新宿御苑の閉園時間が来て、今日の練習は終了となった。神奈さんは、できる限り毎日、練習がしたいと言った。ぼくも命が懸かっているのだから、断る理由もない。