想像と創造
枕元にあるスマートフォンの着信音で、目を覚ました。画面を見ると、知らない番号だった。ぼくは、知らない番号からの電話は出ないタイプの人間なので、無視して二度寝に入ろうとした。
が、すぐに昨日(正確には今日だが)のことを思い出し、慌てて電話に出る。
「やっとでた。神田君の携帯で大丈夫だよね?」
やはり神奈さんだった。
「あ、ふぁい。ぼくです。神田でしゅ」寝起きで変な声になってしまった。
「その声から察するに、寝てたのかな。はは、もうお昼だけど無理もないか。おはよう。さっそくだけど、今日はなにか予定ある?」
「ないです」と即答する。たとえ予定があったとしても、今はこちらが最優先だ。
神奈さんと、新宿駅近くの喫茶店で会う約束をして、電話を切った。まるでデートみたいだ、なんて浮かれそうになったが、すぐにあのバンドマンのことを思い出す。あいつは、ぼくを殺そうとして失敗した。「失敗しちゃった☆残念!」なんて諦めてくれるはずがない。
むしろ、ぼくが殴り飛ばしたことで、より殺意が高まったんじゃないかとさえ思える。あいつは平気でぼくを殺しに来るだろう。だけど、ぼくは普通の高校生だ。いや、こんなことになったから、普通ではないのかもしれないけど、精神的な意味では普通の高校生だ。ゲームのように、殺して終わり、なんてできない。
「まったく理不尽だ」
「なにがよ?」
ため息をしながらの独り言に、返事があってびっくりする。
「なんだ春か。驚かせるなよ」
「別に驚かせるつもりはなかったんだけど。理不尽ってなにが?」
「例えばさ、人混みの街中で警官が、平気で殺人ができる犯人を追いかけてるとするじゃん」
「なんかいろいろツッコミたいけど、まあ、いいや。続けて」
「その犯人は、逃げる時に邪魔な通行人たちを撃ち殺したりして行けるわけだよね。でも、警官は当然そんなことできないから、いちいち通行人を避けたりしないといけない。だから、捕まえるのも難しいよね」
ぼくは、寝ぼけ眼でゆっくり喋る。
「そうなるだろうね。それがどうしたの?」
「道理を無視した人間の方が優位だなんて、ずるいなあと思ってさ」
「あんた、まだ頭が寝てるんじゃない?急にそんな話しちゃって」春が呆れた顔して言った。
「そうかもしれない。それより、お前はなんでここにいるんだよ」ぼくは台所でお茶を淹れながら言う。
「さっきまで華ちゃんといたのよ。あ、そうだ。べ、別にあんたに会いに来たわけじゃないんだからね!」春は、音を立ててリビングのソファに座った。
「そんな似非ツンデレいらないよ」ぼくは、お茶を淹れたマグカップをテーブルに置く。マグカップから出る湯気を見てると、気分が落ち着く。あの出来事が夢だったのでは、と思えるくらいだ。
そんなぼくの気分を乱すように「げえ、このくそ暑い中、よく熱いお茶なんか飲めるわね」と、春が騒ぐ。
「うるさいなあ」と適当に対応しつつ、ぼくは神奈さんが言っていたことを思い出した。
あの不思議な能力で造り出したものは、普通の人には見えない。本当なのだろうか?試してみたくなる。ついでに、ぼくがもう一度、あの腕を造り出せるかも試したい。
目を閉じて、意識を集中させる。あの無機質な腕を、頭の中で造り出す。少しして、「あんた、まだ眠いの?」春に聞かれて、ぼくは目を開けた。そこには、バンドマンを殴りつけた腕があった。まるで、最初からいたよとでも言わんばかりに、自然だった。なんの物音もなく現れた。
試しに春の近くまで伸ばしてみる。腕はスムーズに動いてくれる。春の顔の前で、腕を揺らす。
「なによ。にやにやしちゃって。気持ち悪い」春は、本当に腕が見えていないようだ。
「にやにやなんてしてないよ」とまた適当に対応しつつ、ガッツポーズやピースサインをさせてみる。
あはっ、これ結構おもしろいや。
「さて、あたしも部活あるし帰るかな!」
春が勢いをつけて急に立ち上がった。
「あっ、ちょっ!」腕を引っ込めようとしたが、間に合わなかった。
春は「痛っ!」と叫んで、鼻に手を当てた。
「え、なに?痛たた。なんかにぶつかった!」春は自分がぶつかった何かを探ろうと、宙
に手を這わせる。
やばい。悪ふざけなんかするんじゃなかった。
「お、おいおい。なにやってんだよ。あっはっは、ぼくをからかってるのか」
わざとらしく笑って、春に言う。
「いや、今何かにぶつかったんだよ!あんた見てなかったの?」
「なんじゃそら。そんなことより、ほら。部活があるんだろ?早く行っとけって」
こういうときは、変に誤魔化そうとするより、適当に話を変えるのが一番だ。
春は「えー、絶対おかしいよ」とつぶやきながらも、帰る仕度を始めた。ぼくは、心の中だけで謝罪をしておく。
いい教訓になったよ。調子に乗ってはいけないね。
帰り際、春が振り返って言った。「あんた、昨日帰り遅かったんだって?華ちゃんが怒ってたよ」
「なんであいつが怒る必要があるのさ。高校生ともなれば、遅く帰ることくらいあるさ」
「うわあ、普通の高校生みたいなこと言っちゃって」
「ぼくは普通の高校生だ」嘘だ。昨日から、普通の高校生ではなくなったみたいだ。
「どうでもいいけど、彼女も友達もいない優也君は、今日暇なの?」
「友達はいるわ!それに、今日は女の子とデートの約束があるんだよ」これも嘘だ。デートなんかではない。だが、春は意外にも、真に受けたのか少し焦ったような顔して、「え、本当に?」と聞いてきた。
なんだか、その姿が面白くて笑ってしまった。「冗談だよ」と言って、春の背を押した。春は不服そうではあったが、そのまま帰って行った。
春がいなくなって静かになった家で、ぼくはひとり試行錯誤を重ねていた。腕を伸縮させてみたり、どこまで精密な動きができるのかと、お茶を運ばせてみたりした。その過程でお茶を床にぶちまけて惨事となったが、練習次第で上達していくことが分かった。
いろいろ試してみてわかったことがある。神奈さんが昨日やっていたような、槍を瞬時に造り出したり、同時に何本も造るといった行為は、とても難易度が高いということだ。ぼくが同じことをやろうとしても、ひとつひとつの動作に時間がかかってしまう。
「うーん、これは先生の指導が必要だな」
先生とはもちろん神奈さんのことである。一年近く早くから、この能力の勉強をしている彼女なら、きっといい先生になってくれるはずだ。
そのまま練習を続けていると、いつの間にか神奈さんとの約束の時間が近づいていた。
新宿駅は人でいっぱいだった。誰もが足早に歩いている。ぼくにとって、こうした混雑は日常的なことだ。ぼくも周囲に習い足早に歩く。
金髪で長身痩躯の男が、前から歩いてくる。大鎌で襲ってくるのではないか、と緊張して足が止まった。だが、その男は何事もなく、ぼくの横を通り過ぎて行った。
思わずため息が出る。そもそもあのバンドマンが近くにいたのなら、脳波みたいなものでわかるはずだ。それを感じないのであれば、安全ということだ。
重症だな、こりゃ。
こんなとこで立ち止まるなよ、という視線に背を押され、歩き出す。
喫茶店に近づいてくると、あの脳波を感じた。これはバンドマンが出す不気味なものではなく、神奈さんから感じ取れたものだ。約束の時間になるには、まだまだ余裕があったが、どうやら彼女の方が先に着いているようだ。
ぼくの予想は正しく、喫茶店内にはすでに神奈さんがいて、こちらに向かって手まねきをしていた。
「やあ。昨日の今日でお疲れのところ、わざわざありがとう」
「いえいえ、こちらこそありがとう、ですよ」そう言ってぼくは、腕を造り出し、神奈さんの方に差し出してみる。
「へえ、すごいね。練習したんだ?これからいろいろあるだろうけど、よろしくね」と、神奈さんも腕を造り出し、握手してくれた。
店内には、サラリーマンや女子高校生の集団などで混んでいたが、誰もぼくらの奇妙な握手には気付かない。春で試してはいるものの、「本当に見えないのか」と、声に出して感心してしまう。
「そうだね。すでに言ったけど、この想造能力は、普通の人には見ることができない」
神奈さんが、テーブルに白い文字を浮かべた。そこには、「想造能力」と書かれていた。
「想造能力?」
「想像で創造する、なんてキャッチコピーはありふれてるけど、私たちはこれをそのままの意味で実現できる。それが想造能力だよ」
「想像と創造を組み合わせて、想造か。実現っていうのは、なんでもなの?」
「訓練次第では、なんでも」神奈さんは、あっさりと言う。
「銃火器や核兵器なんかも?」
「銃火器や核兵器なんかも」
「ぼくをイケメンにすることも?」冗談交じりに言ってみた。
「それは無理だよ」神奈さんは即答した。
「なんでよ!」
神奈さんは、表情を変えることなく、肩だけ少し揺らして笑う。
「冗談は置いといて、本題に入ろうか。」
本題とは、想造能力やバンドマンについてのことだろう。
「周りにけっこう人いるけど、聞かれたらまずくないのかな」店内を見渡して、声を潜める。神奈さんは、まるで気にする様子もない。
「実はね、神田君。私は闇の世界からの使者なんだ。こっちの世界を悪意で満たすべく、やって来たんだよ」
え?一体、この人は何を言っているんだ。
「悪意に満ちた世界こそ至高・・・なんて話を中高生がしているのを聞いたときにさ。神田君は真に受けたりしないでしょ?私たちがこれからする話は、そういうものだよ。だから、大丈夫」
ああ、そういうことか。確かにわからないでもないが。
「でも急にバンドマンみたいな芝居めいたこと、やらんでくださいよ。びっくりしたよ」ぼくは苦笑してしまう。神奈さんは「バンドマン?」とぼそっと言った後、「ああ、首切 り男のことね」とワンテンポ遅れて頷いた。
そっか。バンドマンというのは、ぼくが直感的に名付けたものだった。
「結局、あの首切り男は何者なんです?」
わかりやすく首切り男と呼ぶことにする。
「あの男は人間の姿形をしているけれど、その中身は人間ではない。別のものがいる」
「別のものって、いったい何なの?」そう聞くと、神奈さんはまたテーブルに白い文字を浮かべた。今度は「神」と書かれていた。
「神ってどういうこと。首切り男に関係あるの?というか、神ってあの神様?」ぼくが質問ばかりしていると、神奈さんが「ストップ」と手を前に出した。
「待って、神田君。ひとつずつ整理して説明するよ。ちなみに、これはカミではなく、シンと読むんだ。だから、一般的な神様とは関係ないかな」
「あ、お恥ずかしい。お願いします」
「説明するために確認したいんだけれど、神田君は奇妙な夢を見たことがあるかな」
一瞬、夢診断でもするのかと思ったが、神奈さんがそんなことするはずがない。あのアンコウの化け物や、首切り男のように、大鎌を造り出していた男が出てきた夢のことを聞いているんだと分かった。
「うん。ここ最近、似たような夢を何回も見てるんだよね。原始時代を連想させる場所で、想造能力を使ってるやつらが出てくる夢なんだけど」
神奈さんが「やっぱりか」とつぶやいた。
「想造能力を使えるようになる人は、みんな似た夢を見るんだと思う。予兆のようなものとしてさ」
「ふむふむ、予兆ね」ぼくの頭には疑問符ばかりが浮かんでいたが、とりあえず相槌を打っておく。そんなぼくを、神奈さんは優しさと呆れの混じった眼で見てくれた。
「その[想造能力を使ってるやつら]こそが、神なんだよ。姿形こそ人間と同じだけれど、私たちとはまるで違う存在。私たち人類が生まれる前に、この地球上を支配していた生物」
「違う存在っていうのは、具体的にどんなところが?」わからないことだらけだが、まずはひとつずつ質問していく。
「まず言う必要もないだろうけれど、想造能力を持っているところだよね。他には、私たちに比べると、感情に乏しい。ただ、首切り男を見る限り、個人差が大分あるみたいだけどね」
神奈さんが、肩をすくめた。
「ごめんね。先輩面しているけれど、私も全てを理解している訳ではないんだ。偶然、早く目覚めたというだけで」
それでも、ぼくより遥かに詳しいのは間違いない。
「あ、目覚めると言えば、首切り男ともそんな話をしてたよね」
そこでウェイターが、コーヒーとアイスコーヒーを運んできた。会話を中断させたぼくらを、不思議そうに見ながら戻って行った。
「神奈さん、ブラック飲むの?格好いいね」ぼくは、アイスコーヒーを啜りながら言う。
神奈さんは「ふふ、まあ私は大人だからね」と笑った後、窓の外を眺め始めた。何かあるのかと思い、ぼくもつられて窓の外を見る。だが、そこには忙しそうに街を歩くサラリーマンや馬鹿笑いしている若者しかいない。
神奈さんの方に目を戻すと、彼女は静かにコーヒーを飲んでいた。何かあったのかと訊ねようとして、思いとどまった。テーブルに、ほんの少しミルクが零れているのを、目撃したからだ。そういうことか。
「ん、なにかな?」
「たまには苦いコーヒーもいいだろうなと思って」
首切り男との戦いでも、一貫して冷静だった彼女にも、子供っぽいところがあるとわかり、なんだか安心した。
「それで神奈さん。話を戻すけど、目覚めるっていうのは、どういうことなの?」
「神の魂が、目覚めたということだよ」
なんだ。神の魂が、目覚めただけか。
「いやいや、訳分からんよ。さっき神は、人類より前に地球にいたって言ってたけど、どうしてそんな神が、現代で目覚めるの?ついでに言うと、どうやって?」
神奈さんは、淡々と説明をし始める。
「どうしてについては、正直に言うと私にもわからない。おそらく何かしらの事情で、神は地球上に居られなくなった。だから、想造能力を使って自分の魂を、別の媒体に移して生き延びようとした。そうやってとてつもなく長い時間、別の媒体に移し続け、最終的に私たち人間の中で目覚めることになった」
ぼくは必死に話を整理しようと、こめかみに指を押し当てぐりぐりする。
「ぼくらが想造能力を使えるのは、ぼくらの中で目覚めた神のおかげってこと?」
こうして話をしている今も、ぼくの中に別の生物がいるってことだ。感覚として、普段と何も変わらないが、薄気味悪い。
「その通り。ただ正確に言うと、私たちの中にいる神は完全に目覚めることができなかった。ねえ、神田君。首切り男が私のことを、半端女なんて呼んでいたのを覚えてる?」
ぼくは頷く。そういえば、そんな風に呼んでいた。ぼくのことも、半端男なんて言ってたのを思い出す。
「たぶんあれは私たちの中の神が、中途半端に目覚めたことを言っているんだと思う」
「中途半端に?ぼくらの中の神は、完全に目覚めてないの?」
神奈さんがコーヒーを一口飲む。ミルクを入れたはずなのに、少し苦そうにしていた。なぜコーヒーを頼んだのだろう。
「もしも、完全に神が目覚めていたら、こんな風に話せていないよ。人格を乗っ取られちゃうからね。首切り男のように」
さっきの神奈さんの言葉を思い出した。「あの男は人間の姿形をしているけれど、その中身は人間ではない。別のものがいる」。つまり、あのバンドマンっぽい恰好をした人は、神に身体を乗っ取られた挙句、その神が殺人を繰り返しているというわけだ。
「バンドマンっぽい人が、一番の被害者じゃないか!」
「まあ、殺された人も・・・いや、誰が一番の被害者かは関係ないか。とにかく、私たちは想造能力を使える上に、神の記憶を夢という形で見ることもできる。にもかか・・・」
「あの夢って神の記憶なの?」思わず話を遮ってしまった。
「あ、言ってなかったか。神田君が見た夢は、神田君の中で目覚めた神が体験したことだよ。つまり、あの夢は遥か昔の地球上で、実際に起きたことなんだ」
それじゃあ、あのアンコウ似の化け物も実在したってことなのか。そして、その化け物と戦っていた神が、ぼくの中にいる。やっぱり不気味だ。
「遮っちゃってごめん。続きをお願いします。神奈先生」
「私たちは想造能力が使え、神の記憶を見ることができるにもかかわらず、人格を乗っ取られていない。それは神の立場からすれば、中途半端にしか目覚められなかったことになるよね。だから、首切り男は、半端女なんて言っていたんだと思う」
「なるほど。じゃあ、ぼくらは半覚醒者ってわけだね」
ぼくが言うと、神奈さんは一拍おいてから、軽く手を叩いた。
「ああ、半分だけ覚醒した神を引き継いだ者で、半覚醒者か。うん。それじゃあ、私たちは半覚醒者だね」
あ、普通に採用された。
「首切り男が襲ってきた理由は、ぼくたちが半覚醒者だから?」
「うん。神にとって、想造能力を扱えるようになった人間は、かなり脅威的だろうからね」
神奈さんが、時計を確認し「もうこんな時間か」とつぶやいた。
「さて、神田君。今日の座学はこれまで。次は実技の時間だよ」と神奈さんは立ち上がった。
実技と言えば、想造能力のことしかない。しかし、いくら普通の人には見えないと言っても、街中で使うわけにはいかないだろう。そこんところ、どうするのだろうか。
そんなぼくの考えを見透かしたように、神奈さんは「いい練習場所があるんだ」と言った。どこなのかを聞くと、「着いてからのお楽しみ」と彼女は、にやりと笑った。なんのこっちゃと思いつつも、一緒に店を出た。