クビキリバンドマン
学校に到着するころには、汗で制服が身体に貼りついていた。すぐに部室でジャージに着替える。まだ誰も来ていなかった。
「はぁ、さすがに早く来すぎた」
ぼくは部室で寝転がり、だらだらしていた。部室と言ってもトレーニング機器より、今までの先輩たちが、持ち寄った漫画のような関係ないものの方が多い。
これでいいのか陸上部と嘆きつつ、その漫画のお世話になることにする。
「なに、私より早いなんて!何者?」
朝からテンション高く部室に入ってきたのは、部長の南さんだった。ぼくの顔が漫画で隠れているため、誰だかわかってないようだ。
「ぼくだよ。神田くんだよ」
「あら、意外。昨日ので反省したの?」
部長は肩からバックを落とす。ぼくの足に当たった。痛い。
「まぁ、そんなところ。部長も早いね」
部長は「私の都合で時間変えたからね」と苦笑いしながら、着替えのために出ていった。
ぼくは、また漫画の世界に戻る。この漫画の主人公は、火を操る。ある日、ライターで悪戯して遊んでいたところ、火が自分の思い通りに動いて驚く、という始まりだ。この主人公は驚きながらも、一ページ後にはそれを受け入れて、火を自在に操っている。
先ほどの電車でのことを思い出す。
あの腕に気付いていたのは、ぼくだけだった。痴漢を止めようとしたのも、ぼくだけだった。そして、腕はその痴漢を止めた。
もし、あの腕を操っていたのがぼくだとしたら。
ぼくは、部室の天井に向かって右手をかざす。
夢の中で、あいつはこうしてたよな。よし!腕よ、出てこい!
・・・・何も起こらない。
今度は力を込めて、やってみる。
・・・・・・・何も起こらない。
「なにやってんの」
いつの間にか、部長が戻ってきてた。とても恥ずかしい場面を見られた。
「そんなことしたって火は操れないよ」
あんたもこれ読んでたのかよ。
「べ、別に漫画に影響されたわけじゃないです」
火を操ることはできないが、顔からは火が出そうだった。
ぼくは、なにを本気になってやってるんだか。あの腕と痴漢に気付いていたのが、ぼくだけなんて言いきれないじゃないか。他にもいたかもしれない。だとしてもどうやったのか説明ができないが。
「どうせ影響を受けるなら、こんな暑い夏なんだからさ。火じゃなくて水か氷でも操れるようになってよ」
「いや、だから影響なんか受けてないっての」
部長とたわいのない会話をしていると、部員が集まりだし練習がはじまった。
昼頃、練習は終わった。
そのまま家には帰らず、何人かでファミレスにでも行くことになった。
「知ってるか?ファミレスでドリンクバーは、氷を入れずに一人三杯以上飲めば、俺たちの勝ちになるんだぜ」と石丸が意味不明な発言をする。
「勝ちってなんだよ。何に対して勝つんだよ」
そう質問する淀橋は、しっかりとグラスに氷を入れる。
「そりゃお前、店に対してだよ。店は赤字になって困るらしい」
「困らせるなよ。てか、どこ情報だよ。また新聞記者のパパか?」
「違う違う。友達の友達が言ってたらしい」
そんなくだらない話ばかりした。その途中、何度も今朝の電車で起きたことを言おうか迷ったが、信じてもらえるわけがないのでやめた。
それからは「金がかからない涼しい場所で遊ぼう」と決まり、ゲームセンター巡りをした。気付けば財布から、野口英世が二人いなくなっていた。
騒々しい音楽が鳴り響く中、かすかにぼくのスマートフォンの着信音が聞こえた。
『今日、お父さんが出張で、お母さんも帰り遅いみたいだよ。だから晩御飯は自分たちでなんとかしてってさ。ちなみに妹は、部活のみんなと食べてから帰ります』
華からのメールだった。
それからしばらくして、話題も尽きてきた頃に解散となった。その後は、一人で適当なところに入って夕食をとった。途中で買った漫画を読んだり、スマートフォンで遊んでいるうちに、店員に白い目で見始められた。
長居しすぎたな。帰るか。
一人で家に向かっているとき、急に尿意を催し、早歩きでコンビニに立ち寄った。
用を足してから、なんとなく雑誌を眺める。すると表紙に『連続首切り殺人の真実に迫る』と大きく見出しされたものがあった。読んでみると、とてもうさんくさい内容が、見開きいっぱいに書かれていた。
首切り犯人の正体は、バンドマン?ははは、なんじゃこりゃ。
思わず笑ってしまい、近くにいた人が小走りでレジの方に消える。
やべっ。あまりのくだらなさに笑っちゃった。
雑誌を棚に戻してコンビニを出る。何も買っていないにもかかわらず、店員に「ありがとうございました」と言われ、ちょっぴり悪い気がした。
スマートフォンで時間を確認すると、随分遅くなっていた。
『私有地により通り抜け禁止』の看板に、小声で謝罪して通り抜ける。この路地を行けば、自宅までの時間が少しだけ早まる近道なのだ。ただ近道ではあるのだが、入り組んでいるために初見では、逆に時間をかけてしまう。
昔は、何度も間違えたなぁ。
大人に見つかって怒られたり、迷子になったりと多くの経験が、現在のぼくの帰宅時間を早めてくれている。全く褒められた話ではない。
小学生時代を懐かしみながら、街灯の少ない路地を歩く。「夜になると、本当に 真っ暗だな。慣れてるぼくですら迷いそうになるよ」なんて思ったときだった。全身に鳥肌が立ち、身体が固まってしまった。まるで心臓をつかまれたように、背筋がゾッとする。
ぼくはこの不気味な感覚を知っている。あの夢だ。夢の中で、誰かが近くにいる場合に、襲ってくるものと同じだ。
まさかと思い、その『誰か』を探してみる。しかし、闇につつまれた夜道があるだけで、変わった様子はない。
見慣れたこの場所が急に怖くなってきた。ぼくは周囲を警戒しつつ、小走りになる。
数分が経ったが、この感覚は消えなかった。それどころか、禍々しさが増した気がした。
普段より倍は長く感じる路地を、ようやく抜け出した。そこに金髪の男がいた。暗い夜には、よく目立つ金髪をしている。
「よぉ、ここは迷路みたいな場所だな。おまけに、この暗さだ。見つけるのに時間かかっちまったよ。まぁ、俺は幸運だよ。まだ一週間しか経ってねえのに、もう新しい半端者を見つけられるなんてな」
男の言っている意味は、なにひとつ理解できなかった。ただひとつわかったのは、こいつがあまり穏やかな人間ではないってことだ。
見かけで人を判断するのは、よろしくない。それは知ってる。でも仕方がない。
肩までかかった金髪。百八十は超えているだろう身長。ドクロの革ジャンに、長い鎖のついたズボン。もしギターを背負ったなら「イカれたメンバーを紹介するぜ」なんてセリフが似合いそうだ。いわゆるバンドマンという人なのだろう。こんな男が夜道で、いきなり意味不明な発言をしてきたら、誰だってやばいと思うはずだ。
「なんのことです」と、当たり障りのない質問をする。実際は「な、な。ななんです」と、かなり動揺していた。
バンドマンは質問には答えず、口元をゆがめてニヤついている。
人を小馬鹿にする嫌な笑い方だ。
よし、まずはUターンして来た道を戻ろう。この路地は初見に厳しい。そして、 ぼくは曲がりなりにも陸上部だ。必死で走れば逃げ切れる。
逃走経路を考えていると、バンドマンが口を開いた。
「どうした?襲ってくるなり、逃げるなりしたらいいじゃねえか。今までの奴らは、みんなそうだったぜ」
「今までのやつら?」
「お前らがギャーギャーと騒いでるんだろ。連続首切りなんちゃらってやつだよ。俺としては、サクッと殺せて楽だから首切ってるだけなんだけどな。あ!」
バンドマンが急に手を叩いた。
「そうだ。次は聞こうと決めてたんだわ。なぁ、お前ら人間は、この地球上に何十億って単位でいるんだろ。それに比べれば、俺が殺してるのなんて極わずかだぜ。なのに、なんで騒ぐ必要があんだ?しかも、俺らと違って秒単位で新しいのが生まれるらしいじゃねえか。どう考えても減って困るとは思えねぇんだよ」
『首切り犯人の正体はバンドマン』。ぼくの頭には、先ほど読んだ雑誌の一文が浮かんでいた。
「く、首切り犯人?」
「そうだよ。いや、別に首しか切れないわけじゃねえぞ。心臓を貫いたっていい。要は、楽に殺せればなんでもいいんだよ。面倒くさがりやなんでね。この人間もそうだったみたいで、二倍の面倒くさがりやだ。はは、笑えるだろ」
全く笑えない。「この人間」と言ったとき、バンドマンは自分自身を親指で指していた。
その意味がわからない。
「そんなことより、教えてくれよ。なにか減って困るのか。聞けば殺人禁止のルールまであるんだろ。どうしてだ?」
「えっ・・・」
中学生の頃、友人に「なんで人を殺しちゃいけないんだ?」と、よく言っていたやつがいた。今、思えばあれは純粋に答えを知ろうとしている、というよりは、単に難しい質問で他人を困らせようとしていたんだろう。だが、この男の質問からは、そういう印象を受けなかった。純粋に知的好奇心から聞いているのだとわかった。
ただ、ぼくは哲学的な思考をしたことなんてない。平凡な高校生だ。そんな質問に答えなんか出せない。
「なんだ、だんまりかよ。お前らが作ったルールだろうが」
「いや、別にぼくが作ったわけじゃないから」
「じゃあ誰が作ったんだよ」
「それは、たぶん法律家だとか偉い人たちが作った・・・と思う」
「そいつらが強いのか」
「強いとかは関係ないような」
「強くもない奴らが作ったものに、なんで黙って従ってんだよ」
「それは・・・」
あれ?なんか会話の流れが変になってきたぞ。
「なんだ、人間のくせにわかんねえのか。使えないな」
人間人間って。お前も人間だろうに。こいつは本当に首切り殺人の犯人なのか?
なんだか頭のおかしい人にしか思えない。
ただ、ぼくは徐々に気付きはじめていた。先ほどから感じている不気味な脳波のようなものは、目の前にいるこの男から、発せられているということを。
「まぁ、いいか。そこまで気になってることでもねえし。また別の奴にでも・・・」
いきなりバンドマンが黙り込んだ。そして、周囲を気にする仕草を見せた。
「一日で二人も見つけたのは初めてだな。お前も感じたか?お仲間が近くにいるぜ」
出くわしたときから、意味不明なことばかり言っていたが、今度は少しだけバンドマンの言葉の意味がわかった。
確かに妙なものを感じた。同じ脳波のようなものではあるが、不気味さはない。
「よし。じゃあ、お前はもういいや」
バンドマンは右手を天高く突き上げる。その右手に巨大な大鎌が握られていた。
ぼくは目を見開いた。突然現れた大鎌。そしてそれが、あの夢で見た大鎌と全く同じであることに愕然とした。
さすがに確信する。ぼくが今まで見てきた夢が、単なる夢ではないことを。今朝のあの腕が幻覚なんかじゃないことを。そして、目の前にいるこの男こそが首切り殺人の犯人なのだと。
「死んでくれ」
バンドマンは、大鎌をふりかぶる。
きっと、こいつは今までの事件もこうやって殺してきたのだろう。気合を入れたりもせず、淡々と仕事をこなすかのように。欠伸すらしそうな顔をしている。雄叫びを上げるなり、睨み付けるなりしてくれた方がまだよかった。身体が反射的に逃げたりもしただろうから。
大鎌が、ぼくの首めがけてふり下ろされようとしている。
バンドマンの一連の動作が、あまりにも自然なために、ぼくは動けなくなってしまった。
「じゃあな」という言葉とともに、大鎌がふり下ろされた。
ぼくは、固く瞼を閉じる。目の前が真っ暗になる。
ぼくは死ぬのか。十七年の人生か。短いなあ。どうせ死ぬなら、せめて景色のいい場所がよかったな。通り抜け禁止の路地を通ってきた罰が当たったのかもな。いやいや!罰とはいえ死刑は重すぎるだろ。あ、そんなことより最後の言葉とか言ったほうがいいのかも。どうせなら恰好いい言葉を残したいな。ああ、駄目だ。なんも思い浮かばないや。くっそー。もっといろんな本でも読んで語彙力とは伸ばしときゃよかった。・・・・・・・あれ?まだ死んでないのか、これ。もしかして、もう死んでる?あ!死ぬ寸前に時間が長く感じるっていうあれか。そうとわかれば、その最後の時間を堪能させてもらおう。ぼくが死んだらみんなどう思うのかな。父さんも母さんも悲しむだろうなあ。華とは喧嘩ばかりしてたな。もっと優しくしてやればよかった。他はどうだろう。部活の連中は、それなりに悲しんでくれそうだけど、石田なんかは「俺の身近でもついに首切りが!」なんて言って喜びそうな。さすがにそこまではないか。あとは、春がいたな。あいつは泣くのかな。いつも笑ってる印象しかないから、泣き顔が全く思い浮かばないや。・・・・あれ?まだ死んでない?結構時間が経ったような。意外と死ぬまでの猶予って長いのか。うーん、どうしよう。あと、なにを考えよう。そうだ、せっかくだから生い立ちから振り返るか。えーと、ぼくが生まれたのは千葉で・・・・「ねえ」・・・・東京に引っ越してきて・・・・「聞こえてる?」・・・・それで保育園は・・・・「ねえってば」
頬を軽くたたかれた。
「いつまで目を閉じてるの」
ぼくはおそるおそる目を開ける。すぐ隣に少女が立っていた。
「え、だれ?」
「一昨日会ったでしょ。忘れた?」
そう言われて気付いた。
「駅のホームでぶつかった人」
「そうです。駅のホームでぶつかった人です」
彼女は無表情で答えた。
少し離れたところに、バンドマンが立っている。握られていた大鎌は消えていた。
「仲間か。思った以上に早く来やがったな。面倒くせー」
言葉とは裏腹に、笑っていた。どこかゆがんだ笑い方だ。
「えーと、もしかして、助けてくれた?」
大鎌が消えてバンドマンが離れ、この少女が近くにいるということは、助けられたとしか考えらない。
少女はぼくの質問には答えず「まずはなんとか逃げよう」とだけささやいた。
首切り犯人のバンドマン。さっきの大鎌。少女の正体。わからないことだらけだ。それでも、とにかく、逃げなければいけないことはわかる。
「でも、どうやって逃げ・・・え?」
驚いた。彼女が、いつの間にか槍を握っていたからだ。その槍も今朝の腕や大鎌と同様に、チョークで描かれたような白線で枠どられたものだった。
少女はは助走をつけて陸上の槍投げ選手の如く、その槍をバンドマンに向かって投げつけた。
槍はもの凄いスピードで空中を飛んでいく。しかも、放物線を描くような飛び方ではなく、地面と水平に飛んでいる。とても女子が為せる技とは思えない。オリンピック選手だってこんなことはできないだろう。
そんな槍が襲い掛かろうとしているというのに、バンドマンはズボンのポケットに手を突っ込んで笑っている。
いきなり襟を引っ張られ、ぼくは「ぐえっ」と呻く。
「ぼーっとしない。走るよ」
少女は暗い路地へと入っていく。ぼくもすぐに後を追う。背後から「なんだ。逃げるのかよ!」と聞こえてきた。
槍は防がれたのか。まあ、あれが刺さって終わり。なんてなるとも思ってなかったが。「ねえ、どう、する、の?」と乱れる呼吸で聞く。あいつが追ってくる気配はなかった。
少女はそれに答える代りに、立ち止まり振り返った。ぼくもそれにならう。そこにバンドマンの姿はなかった。
「逃げ切ったのかな?」
「いや、まだ近くにいる。君も感じてるでしょ」
「それって、この不気味な脳波みたいなやつのこと?」
「うん。あの男からでてるもの」
「あ、もしかして、それでここがわかったの?」
「そう。間に合ってよかった」
この脳波を感じ取ってなお、自ら入り込んでくるとは。かわいらしい顔して、心臓に毛が生えてるな。
「なんでぼくを助けてくれたの?というか、君は誰なの?」
聞いた後に、なんだか質問してばかりだなと思った。
「私は神奈。神奈沙耶。いろいろと気になるのはわかる。だけど、さっきも言ったように、まずは逃げることに集中して・・・・きてるよ」
いつの間にか、大鎌がぼくらの頭上に浮いていた。
ああ、夢で見た光景と同じだ。あの夢の化物と同じように、真っ二つになった自分を想像して身震いする。
「大丈夫。私にまかせて」
神奈さんが、ぼくの前に出る。
あれ?こういうときって普通は逆だよな。ぼくが前に出るべきな気がする。戸惑っているぼくを見て、彼女は苦笑する。
「仕方ないよ。まだ素人だし、慣れてないんだから」
なんの素人なのか。なにに慣れてないのか。わからないけど、お言葉に甘えて守られることにした。
神奈さんの腰辺りから、腕が出ている。ぼくが電車内で見たものと似ている。
まさかそれで止める気だろうか。大鎌と神奈さんが造りだした(もうそうとしか思えない)腕を見比べる。少し心配になるが、その必要はなかった。鈍い音がして腕と大鎌が衝突すると、そのまま動かなくなり、どちらも消えた。
ぼくはくるりと回ってみる。誰もいない。
「あの大鎌って自動操縦機能付きなのかよ!」
「さすがにそこまで高性能じゃないよ。見えないとこでは、正確には狙えないと思う」
「でも、あいつはどこにも・・・」
言いかけて、神奈さんが空を見上げていることに気付いた。ぼくはその視線を追ってみる。「げっ。そんなのありかよ」とつい言ってしまった。
バンドマンが空中でぼくらを見下ろしていた。正方形の箱の上にいるのだ。あれも造りだしたのであろう。ぼくはだんだん慣れてたのか、最初ほど驚かず「ははは」と乾いた笑みが浮かぶだけであった。
「おーい、半端コンビの女の方」
ぼくらは「半端コンビ?」と、顔を見合わせた。だけど、すぐに神奈さんは「ああ、そういうことか」と納得していた。ぼくは意味がわかっていなかったが、聞いたりもしなかった。もう訳のわからないことだらけなのだ。全部まとめて後で聞こう。
「私になにか用?、首切り男さん」
「首切り男?ああ、テレビとか雑誌にも、俺をそんな風に呼ぶ連中がいるな。奴らはなかなか鋭いぜ。俺は男か女かばれるような痕跡は、残してないつもりだったからな。そうだ。お前もだけど、なんでわかったんだ?教えてくれよ」
「私は性別までは知らなかったよ。ただ、あんな殺し方は想造能力でも使わなければ無理だろうって推測しただけ。テレビや雑誌なんかでは、初めて事件が起こった時から適当なことを言ったりしてるよ。それが偶然に当たっただけだよ。たぶん」
「なんだ、下らねえ。あいつら真面目な顔してるくせに、適当なんだな。それにしてもお前、いつから目覚めてんだ?」
「言う必要はないよね。きっとあなたよりは早いだろうけど」
「早いって言っても、せいぜい一年あるかどうかの差だろ。まあ、褒めてはやるよ。想造の方はだいぶ練習したみたいだからな」
「それはどうも」
神奈さんは表情を変化させることなく、淡々と会話をしている。ぼくは完全に蚊帳の外だ。
「そっちの半端男は、まだ想造もできないど素人だな。俺らのことについても何も知らねえだろ?」
蚊帳の外だと思っていたら、話をふられた。
「想像って、イメージの想像?」
「ははは、こりゃ駄目だな。おい、半端女。お前もこんなお荷物抱えていたら、無駄に死ぬだけだぜ」
「うん。たぶんそうなるだろうね。でもそれなら、お荷物を抱えなければいいだけだよ。このお荷物さんは一人でも動けるから」
お荷物さんとぼくを指さした。それから神奈さんは、ぼくにだけ聞こえるように声を潜めて言った。
「こいつの相手は私がしておくから、君は一人で逃げて。とにかく全力で走って、人通りの多いとこにでも向かってくれればいいから」
「君はどうするの?」
「そんなの気にしてる場合じゃないでしょ。心配いらないよ。私は自分でなんとかするから大丈夫。たぶん」
「たぶんって・・・いっ!」
突然、神奈さんに突き飛ばされた。ぼくは勢いよく尻もちをつく。痛かったが、地面に突き刺さった大鎌が、痛みを気にしてる場合ではなくしていた。
「あら、かわされたか。こそこそ話してて、隙だらけに見えたんだけどな」
見上げるとバンドマンが、ニヤついてこちらを見下ろしていた。その手には大鎌が握られている。地面には大鎌が突き刺さったままだ。どうやら複数造り出すのも可能らしい。
「ほら、さっさと逃げて」
神奈さんに背を押された。ここに残っても役に立たないだろう。それでもぼくは、女の子を置いて逃げていいのかと、躊躇してしまう。箱の上で、あいつが大鎌を振り上げた状態で、助走をつけているのが見えた。
「神奈さん、危ない!」
バンドマンが箱から飛び降りてきた。神奈さんを狙って、着地するのとほぼ同時に、大鎌を振り下ろした。ほんの数秒前まで神奈さんがいた場所を、大鎌がえぐる。ぼくの慌てぶりとは反対に、彼女は冷静だった。
「もうわかったでしょ。逃げた方がいいよ」
今の一撃で舞い上がった砂埃を払うようにして、バンドマンが大鎌を薙いだ。神奈さんは、それをしゃがんで回避する。そして、立ち上がりながら造り出した腕を、突き出した。バンドマンは、顔の前に箱を造り出して腕を受け止めた。バンドマンはニヤついたままで、神奈さんは表情を変えることなく、戦っている。ぼくはまるでついていけず、棒立ちになってしまう。
「ねえ、危ないし邪魔になる!早く行って!」
神奈さんは、大鎌をかわしつつ叫ぶ。ぼくはハッとした。
そうだ、その通りだ。ぼくがいても邪魔になるだけだ。誰が見ても逃げるのが賢いと思うだろう。彼女を見捨てるというわけじゃない。
走り出そうとしたら、バンドマンがぼくを見ていることに気付いた。目が合ってしまった。とっさに、大鎌が襲ってくるのかと思い身構える。だが、ぼくの意に反してはなにも起こらない。それどころか、特に興味もなさそうに目をそらした。神奈さんが現れたことで、そちらに興味が移ったのだろう。
轟音とともに、また砂埃が舞った。バンドマンが、大鎌を叩きつけたのだ。ぼくは、それを合図のようにして走り出した。神奈さんは邪魔になると言った。それがぼくを逃がすために、わざときつく言ったのだとわかった。なら、その言葉に甘えるべきだ。役に立たないならまだしも、足手まといになるのだけは嫌だった。
背後からさっきも聞いた鈍い音が響いた。また大鎌を腕で止めたのだろう。ぼくは振り返らなかった。彼女は無事だ。ぼくの心配なんか、必要じゃないだろう。というか、心配などしても、手助けできないのなら無意味だ。
どこか自分に言い訳しながら、ぼくは必死に走った。
どれくらい走ったのだろうか。もしかしたら一分も経っていないのかもしれない。ぼくは膝に手をつき、乱れた呼吸を整える。辺りは暗く、虫の鳴き声だけがかすかに聞こえる。
なにかが、ぶつかり合う音が聞こえた。あの二人がまだ戦っているのだろう。
「警察に通報したほうがいいよな」
スマートフォンを取り出したが、電源が切れていることに気付いた。
そうだった。さっき飯を食いながら、スマートフォンをいじってたせいで、充電が一気に減っていたんだ。
ぼくは電源ボタンを長押しする。充電が切れたといっても、しばらくしてから再起動させれば、少しの間は使えるはずだ。ぼくの期待に応えるように画面が光り出してくれた。すぐさま一、一、0を入力すると、プルルル、と無機質な発信音がなり始めた。
あれ、そもそもなんて言えばいいんだ?「二十代くらいの男が大鎌を造り出して暴れています」か?これじゃ駄目だろ。意味不明だ。「首切り殺人の犯人を見つけました!」とかか?信じてもらえなそうだな。いや、悩んでいる場合じゃない。急を要するのだ。理由なんてどうだっていい。とにかく来てもらわなければ。
「・・・・・」
なかなか出ないななんて思ってたら、スマートフォンの電源が切れているのに気付いた。
「はやいよ、ポンコツめ!」
スマートフォンを強く握りしめて、怒鳴りつける。誰がどう見ても八つ当たりだ。そんなことをしている自分が情けなく感じた。そう感じた瞬間に、なぜか目が合ったときのバンドマンの顔が頭をよぎった。あれは特別にこちらを見下すようなものではなかった。それなのに、ひどく印象に残った。
あれは、まるでぼくがはじめからいなかったかのような態度だった。
「もうどうでもいい」とか「いつでも殺せる」とか、そうあいつは考えたのだろう。
「ははは・・・」
変な笑い声がでた。馬鹿にしてきたり、襲ってきてくれたほうがまだマシだった。相手にされない程、惨めなものはない。その上、ぼくは女の子を置いてひとり逃げてきた。そうだ。ぼくはまた逃げてしまった。自分を変えたいと何度も思っていたのに。
いまが最後のチャンスの気がした。もしこのまま逃げたら一生、逃げ癖が治らない気がした。誰かがぼくを見ていたら、きっと馬鹿だと言うだろう。なにができるわけでもないのに、戻ってどうするのだ。無駄死にするだけだ。そんな風に言うだろう。
本当になにもできないのだろうか。ぼくでもできることがあったかもしれない。今朝の電車でみたあの腕。あれはぼくが造り出したんじゃないか。だからこそ、こんなことに巻き込まれてるのかもしれない。根拠とも言えないような根拠だ。
「ああ、面倒くさい!」
考えても無駄だ。なんでもいい。根拠なんてなかろうが、やってみよう。ぼくは意識を集中させて、あの腕を頭の中に造り上げる。
あ、さっきの少女とバンドマンの会話の中で「そうぞう」って言葉がでてたな。もしかしていまぼくがやっていることがそれなのか。そういえば、痴漢の手をひねり上げたのも、ぼくがそんな想像をしたときだった。
・・・・・どれくらい経っただろうか。たぶん一分も経っていないのだろう。それでも、こんな夜道で、目を閉じて虫の声だけ聞いていると、時間がゆっくり流れているように感じた。
少しずつ目を開ける。周りに、特に変わった様子はない。
「何をやっているんだか・・・」
ぼくは、つい失笑してしまう。アホなことをやってないで、早く交番にでも行こう。
走り出そうとしたとき、腰あたりに違和感があった。確認してみると、ぼくの腰から、腕が生えていた。それは、今朝、電車で見たものと同じだった。
何度か目をこすってみる。幻覚なんかではない。ふわふわと浮かぶ腕は、現実のものだ。
「なんなの、これ」
白線で枠どられただけの腕なので、顔の前にかざしてみても、向こう側の景色が見える。しかし、しっかりと触れることができた。人間の腕とは違って、体温は感じられない。まるでコンクリートのような冷たさと硬さだ。そして、長さは二メートルほどだ。
神奈さんがやっていたように、腕を動かそうとしてみるが、なかなか上手くできない。動くことは動くのだが、ぎこちないのだ。試しに、自分の腕と一緒に、造ったほうの腕も振ってみる。そうすると、スムーズに動いた。
「どうなってんだ。わけがわからない」
それでもわかったこともある。今朝の電車での件は、ぼくがやったということ、ぼくの身体に何らかの異常が起きていること、そして、神奈さんを助けに戻れることだ。
ぼくは、今来た道を走って戻り始めた。当然、恐怖はある。あの大鎌を思い出すと、身震いする。だけど、それ以上に、神奈さんが殺されてしまうことが怖かった。どうしてだろう?会ったばかりで、まだ彼女のことを何も知らないのに。ぼくは、自分と無関係の人間の死に対し、悲しいと思えるようなできた人間じゃない。きっと、ぼくは後悔しながら生きていくのが、怖いのだ。「助けられたかもしれないのに」と思い悩むのが、嫌なのだ。
そう考えると、自然と走るペースは速くなっていった。あのバンドマンの脳波をたどりながら、走る。何かが壊される音が聞こえた。さっきとは違う場所だ。どうやら移動しながら、まだ戦っているようだ。
それから、すぐに二人を見つけた。冷蔵庫や古いテレビがたくさん捨てられている空地
にいた。バンドマンに気付かれないよう粗大ごみの山に身を隠す。
ふと疑問に思った。ぼくは、バンドマンの脳波をたどり、ここまで来た。それならば、バンドマンだって、ぼくの脳波を感じ取っているはずじゃないだろうか。実際、バンドマンは、脳波により神奈さんを見つけていた。
仮に、そうだとすれば、ぼくがここにいるのも、ばれていることになる。しかし、バンドマンにそんな素振りはない。ぼくは、様子をうかがいながら、いくつかのパターンを想像してみる。
①バンドマンは、ぼくの存在に気付いていない。
②バンドマンは、ぼくの存在に気付いてはいる。だが、脳波による探知は正確な位置まで特定できない。だから、ぼくが近くにいることは知らない。
③バンドマンは、ぼくの存在に気付いている。さらに、近くにいることも知っているが、眼中にないので、放っている。
理想のパターンは、①だ。次に望ましいのは、②だが、これらは希望的観測に過ぎない。現実的に考えれば、一番嫌な③の可能性が高いだろう。でも、この③だって、悪いことばかりじゃない。油断してくれているのなら、ぼくの作戦遂行には、十分だ。
ぼくの立てた作戦は、恐ろしいほどに単純だ。バンドマンの背後に回り込み、不意を突いて、殴りつける。バンドマンが倒れこんだら、その隙に、神奈さんと逃げる。これだけだ。作戦と呼んでいいのかわからないレベルの作戦だ。この作戦は、相手が油断してくれている今しか、通用しない。ぼくは、さっきからずっと、ふわふわと浮かぶ腕を見やる。この造り出した腕なら、バンドマンが振り返るより先に、一撃を打ち込めるかもしれない。
腰をかがめて、ゆっくりとバンドマンの背後を目指して進む。その間も、二人の会話が聞こえてくる。
「こんな風に戦えるとは思わなかったな。今までの奴らは、全員ほぼ無抵抗でつまらなかったからさあ。楽に殺せるなら、それでいいはずだったんだが。はは、やっぱり戦いっていいな?楽しいな?はは、あは、ひははっはは!」
聞いてるだけで、ぞっとする薄気味悪い笑い方だ。そんな笑いを前にしても、神奈さんは、怯える様子は微塵もない。
「私からすれば、拍子抜けかな。もっと苦労するかと思っていたんだけど、あなたの考えが全部、予測通り過ぎて驚くくらいだよ」
怯えるどころか、煽りはじめたよ。末恐ろしい人だ。
「ははっ!俺は頭がよくねえけど、そんな安い挑発に乗るほど馬鹿ではねえぞ。それなりに人目も気にして戦ってるしな。今までもそうやって、殺してきた」
「これだけ好き勝手暴れておいて、人目を避けているつもり?」
「あんなもんは暴れてるうちに入らねえさ。それにお前ら人間は、自分が思っているほど賢くも鋭くもないんだよ。たとえ近くで悲鳴や物音がしたって、適当に理由づけして放って置くものなんだよ。きっと遊びで悪ふざけしてるだけだとか、そんな感じでな。そもそも他人を助けようとして損をする可能性はあっても、助けないで損をすることはまずないからな。お前らには、そういう思考が根強くあるんだよ。あ、でも別に悲しむ必要はねえぞ。俺らだって、同じようなものだからな」
もっともらしくペラペラと喋るバンドマンには、嫌気がさすが、否定もできない。ぼくにだって、思い当たる節があるからだ。
「確かにそういう思考の人がいるのは、否定しないよ。だけど、それが人間全員に当てはまると思わないで欲しいかな。自分が損をしてでも、他人を助けようとする人はいるよ」
その通りだ。そして実際に神奈さんは自分が殺されるかもしれないのに、ぼくを助けてくれた。今度はぼくが助ける番だ。あの二人が長話をしてくれたおかげで、距離が少し遠くなってしまったが、完全にバンドマンの背後に来ることができた。後は、タイミングの問題だ。
「おまえのことを愛してる。ええ、あたしも愛してる」
は?
「お前は俺が守る!一生、一緒にいよう!きゃあ、素敵!あたし、嬉しい!」
な、なんだありゃ。いきなりバンドマンが、ハイテンションで一人二役のクサイ会話を始めた。ここまでずっと冷静だった神奈さんも、頬をひくつかせていた。きっとぼくも、同じような顔になっているのだろう。当然だ。普通に話していた相手が脈絡なく、こんなことをし始めたら誰だって戸惑う。
「あ、驚いたか?とち狂ったわけじゃねえぞ。俺が今まで殺してきた中に、こういう会話してた二人がいたんだよ。知ってるぜ。こういうやつらをバカップルって呼ぶんだろ」
唐突に無表情になったバンドマンが言った。テンションがジェットコースターのように、上がり下がりするのでついていけない。ただ、バンドマンが殺したという二人はわかった。おそらく、部活で石田が言っていたデート中のカップルのことだろう。
「それで、どうして急にその二人の会話を再現し始めたの?」
神奈さんが至極真っ当な質問をする。
「いや、この話には続きがあってな。こんな会話してたやつらなのに、俺が現れてさ。ククッ、その場にあった適当な物を壊して、プハハッ、脅したらさ」
バンドマンは可笑しくて仕方ないといった感じだ。
「なんとビックリ!さっきまで愛し合っていた二人が、お互いを楯にしようとつかみ合いを始めたんだよ。その姿があまりにも滑稽でな!」
またバンドマンが馬鹿笑いした。
「あんた男でしょ!愛してんでしょ!助けなさいよ!うるせぇブス!都合いいときだけ女ぶりやがって!みたいなやり取りしてたかな?フッ、ハハハ!面白くてもう少し見たかったけど、さすがにうるさくなってきて、ささっと首を飛ばしたんだよ」
「だいたい言いたいことは想像できたけど、一応聞くよ。結局、何が言いたいの?」
「これが人間ってことさ。言うだろ?本性ってのは、追い込まれたときに出てくるって。俺が殺してきたやつらは、程度の差こそあれど、全員こんなのばかりだったぜ」
「繰り返すけど、全ての人間に当てはまる訳じゃないよ」
「そうかねえ。さっきの男はしっぽ巻いて必死に逃げ・・・」
その瞬間、立て続けに、いろいろなことが起こった。
まず、神奈さんは槍を造ると同時に、バンドマンに向かって走り出した。そして、それにつられるように、ぼくも走り出していた。狙っていたわけではない。頭で考えるよりも先に、身体が動いていたのだ。このとき、確実にぼくの姿は神奈さんの視界に入ったはずだが、彼女は表情を変えなかった。ぼくのやろうとしていることを察してくれたのかもしれない。バンドマンは、大鎌を造り出したが、特に動き出す様子はない。どうやら迎え撃つつもりらしい。そして、ぼくには気付いていない。
幸運だ。あんたがその場にとどまってくれるなら、やりやすい。
神奈さんが、体重を乗せて槍を突き出した。バンドマンは、下から抉るように大鎌で、槍を叩き上げる。そのまま刃を下して、神奈さんを狙うが途中で止まった。自分の頭上から落ちてくる三本の槍に驚いたのだろう。バンドマンの舌打ちが聞こえた。頭上で大鎌を振り回し、三本の槍をまとめて薙ぎ払った。その隙に、神奈さんは、その手に新たな槍を造り、もう一度突き出した。バンドマンは一歩下がりながら、目の前に壁を造り出した。槍は、壁を貫通したが、バンドマンまでは届かなかった。
この間にも、ぼくは走る。もう足音だとかそんなことは気にしていなかった。この腕の射程距離内に入れればいいのだ。そして、それはもうすぐだ。
神奈さんが、右に跳ねる。バンドマンは大鎌をかつぎながら、神奈さんを追おうとするが、また途中で止まった。おそらく、ぼくの足音に気付いたのだろう。
バンドマンが金髪を揺らしながら、振り向いてくる。少しずつ顔が見えてくる。目が合った。その目が大きく見開かれる。
まだ少し距離があったが、ぼくはがむしゃらにパンチを繰り出す。それに連動して、ぼくの腰にある腕も拳をつくり、バンドマンの顔を目がけて飛んでいく。
たとえ不意打ちだとしても、今までの人生で喧嘩なんてしたことのないぼくのヘンチョコパンチじゃ、本来、簡単に防がれていただろう。しかし、バンドマンは、背後にいる神奈さんにも注意を払う必要があった。そのおかげで、おそらく一秒程度かもしれないが、バンドマンの身体は完全に停止した。そして、その一秒は、ぼくの造った腕がバンドマンの顔に直撃するのには、十分な時間だった。
鈍い音を立てて、拳がバンドマンの顔面にめり込む。
「ぶがっ!」
バンドマンは、奇妙な声を上げて、地面にワンバウンドした後、粗大ごみの山へと突っ込んで行った。もの凄い音を立てながら、粗大ごみの山が崩れる。
「嘘だろ。こんな穴だらけの作戦が、本当に成功した」
自分で殴りつけておきながら、ぼくは驚いていた。
ぼくが呆然としていると、いきなり襟をつかまれた。
「ぐえっ」
「ぼーっとしない。逃げるよ」
「えっ」
ぼくは引っ張られるように走り出す。
とどめを刺す、とかそんなことまで考えてはいなかったが、あれだけ豪快に戦っていた神奈さんがすぐに逃走を選択したのは意外だった。そんなぼくの考えを読んだように、神奈さんは粗大ごみの山を指さした。
大鎌が宙に浮いていた。
「う、うわっ!」
また襲ってくるのかと思い、身構えるが、大鎌は見当違いの場所に一振りしただけだった。
「あ、あれ?」
「もし、追撃なんてしようとしていたら、身体が半分になってたね。ほら、あいつが起き上がってこないうちに逃げよう」
それから、必死に走った。なんだか今日は走ってばかりだな、なんて呑気なことを考えてる自分がいた。疲れからなのか、余裕ができ始めたからなのかはわからない。ただ、そうやって走っていると、いつの間にか、あの嫌な脳波は消えていた。
「げっ。渋谷じゃん、ここ」
呼吸も落ち着いてきたところで、はじめて自分がいる場所に気付いた。無我夢中だったので、自分がどこにいるかもわかってなかった。
「ここまで走ってきてたのか」
ため息をつきながら、時間を確認しようとスマートフォンを取り出すが、充電がなくなっていることを思い出した。
「そろそろ一時になるね」
神奈さんが、腕時計を見ながら言った。
本当に察しのいい人だなあ。
「まあ、ここまで逃げてくる必要はなかったんだけどね」
「え、そうなの?なら、途中で言ってくれてもよかったのに」
「一応言ったんだけどね。どうも無我夢中で聞こえてなかったみたいだから」
神奈さんは、髪を耳にかけながら言った。
全く聞いていなかった。それだけ必死に逃げていたのか。なんだか恥ずかしい。
「まあ、仕方ないよ。あんな状況になればさ」
ぼくに気を遣うように、神奈さんは言った。
「それより、君の家は・・・いや、その前に君、名前は?」
あ、そういえば知らないのか。
「神田優也です」
「私は神奈沙奈。改めてよろしくね。それで、神田君。君の家は、あの路地を通らないと帰れないのかな?」
「いや、そんなことはないよ。遠回りにはなるけど、別の道から行けば帰れるよ」
「そっか。なら、そうした方がいいよ。また首切り男と鉢合わせになんてなったら、笑えないだろうし」
それは本当に笑えない。
電車もバスもないので、必然的に歩くことになる。途中までは、神奈さんも帰り道が同じだということで、並んで歩いた。深夜は渋谷と言えど、ほとんど人がいない。いるのは、寝ぼけ眼で歩く酔っ払いや、これでもかとイチャつくカップルだけだ。
「私は、上京してくるまで、深夜でも東京の街は、人でいっぱいなんだと思ってたんだ。当たり前だけど、みんな、しっかり眠るんだよね」
静かな街並みを見渡しながら、神奈さんは言った。
「まあ、一部には眠らない街なんてのもあるけど。というか、東京出身じゃないんだ?」
「うん。山梨の田舎町出身だよ。高校生になって、こっちに来たんだ」
「親の仕事とかの都合で?」
「いや、ひとりでだよ。私一人暮らし」神奈さんは、自分を指さしながら言う。
高校生の一人暮らしなんて、漫画の中だけじゃないのか。しかも、女子高生の一人暮らしだ。両親は心配するだろう。それを聞いてみると、「ああ、両親は、私が小さいころに死んでるんだ」と何事もないように答えた。
「あ、ごめん!余計なこと聞いちゃって」ぼくは慌てて謝る。
「はは、いいよ。本当にずっと前のことだから。それにおじいちゃんとおばあちゃんがいたからね」
「あ、そうなんだ。でも、なんで上京しようと思ったの?」
ぼくが聞くと、神奈さんは急に笑った。なにかおかしいことを言っただろうか。
「ごめんごめん。神田君の質問が私のことばかりだからさ」
「え?あ、すいません!」今度は恥ずかしくなって謝る。
「いやいや、それは構わないよ。ただ普通なら、さっきの戦いでのことについて聞くんじゃないかなと思っただけでさ」
そう言われれば、その通りだ。
「でも、そうだね。いきなり突拍子もないことを色々聞かされても、混乱するよね。まずは、私のことでも話しておこうか」
それから神奈さんの話を聞きながら、静かな街を歩いた。会ったばかりの女の子と、こんな時間に並んで歩くのは、なんだか不思議な感じがした。
「私の住んでた町は、過疎化が進んでてね。本屋が減ったり、若者の遊び場所であるカラオケやボーリング場なんかも無くなっていったんだ。そもそも若者自体が少なかった」
「それで東京に?」
神奈さんは、首を横に振った。
「いや、それ自体に私は、そこまでの不満は無かったんだ。ただ、その過疎化対策で山を売ってリゾートホテルを建てたのが好きになれなかったの。小手先だけの手段で何とかしようとしてる大人が嫌だったのかもしれない。だから私は、中学卒業を機に町を出ることにしたんだ」
「おじいちゃんとおばあちゃんは反対しなかったの?」
言ってから、ずかずかと踏み込んで聞きすぎかと焦ったが、神奈さんは特に意に介した様子もなく答えてくれた。
「おじいちゃんたちは、町の復興団体のメンバーだったんだ。だから、復興への思いと私とで板挟み状態になっちゃってね。惜しみながらも、上京を許してくれたんだ。年に数回は、ちゃんと帰ってくることを条件にね」
そう言って神奈さんは、少しだけうつむいた。
「みんな辛かったんだって、今なら理解できる。中学生の頃の私は、感情ばかりが先に走ってて、幼かったんだ。まあ、今も大人になったわけではないんだけれど」
高校生でひとり暮らしだなんて、ぼくからすれば十分大人に見えるが。
「でも、そのリゾートホテルに行ってみたいなあ」
「プールや小さいけど遊園地なんかもある大規模なホテルだよ」
「遊園地?すごいじゃん!ああ、お高いんだろうな」
「今なら無料で入れるよ」
「え?」
「良く言えば万人受けする。悪く言えば中途半端でさ。オープンしてからすぐに経営が悪化。今では、一部で有名な廃墟と化してるよ。皮肉にも、それで町を訪れる人は少し増えたけどね。って、こんなに自分のことを話すのは初めてだよ。一緒に窮地を乗り越えたからかな?」
神奈さんが、少しだけ頬を上げて笑う。
「なんだか暗い話になったけれど、楽しいこともたくさんあるんだ。東京に来てからは特にね。毎日、新鮮なことばかりだよ」
そう言って突然、槍を自分の前に造り出した。
「私がこの能力を手に入れたのは、東京に来てからだよ。なにがなんだかわからなくて、驚いたよ。もしかして東京の人は、みんなこういう特別な能力を持っているのかと疑ったくらい」
てっきり神奈さんが冗談を言ったのかと思い、ツッコミを入れようとしたが、彼女は至って真面目な顔をしているのでやめた。
「どうも普通の人には、この能力で造り出したものが見えないらしい。それがわかってからは、約一年間、ひたすら能力の使い方を勉強してたよ」
「へえ、そんな前から・・・というか、じゃあ、神奈さんって二年生ってことだよね」
「ああ、そういえば言ってなかったね。高校二年生のピチピチ十七歳です」
ピチピチって。相変わらず神奈さんの表情は変化のないままだ。だんだんと彼女のことがわかってきた。基本的に無表情だが、無愛想というわけではなく、天然キャラに近いのじゃないだろうか。
「ぼくも同じだよ。ピチピチの十七歳です」
「ピチピチって。神田君、それはもう死語だよ」
「え?いや、今、神奈さんが・・・」
「そんなことより、神田君。さっきみたいにもう一度、あの腕を造り出せる?」
流された。まあ、いいや。
ぼくは、頭の中であの無機質な腕をイメージする。
来い、来い、さあ!
「キタ!」
「ん、なにが?」
「あれ?」間抜けな声を出してしまう。何も出ていない。
そんなぼくを見て、神奈さんは「やっぱりか」とだけ言った。
「疲労が原因だね。神田君、だいぶ疲れてるよ。顔が死んでるもの。あ、それはもともとかな?」
神奈さんは、肩をすくめる。ひどい言われようだ。
「冗談はさて置き、この能力はさ、それなりの集中力も必要になるんだ。今の君は、きっと自分が思っている以上に疲れてるんだよ」
「なるほど。言われてみれば、確かに頭もぼんやりしている気がする」
いろいろなことが起きすぎたせいだ。急に疲れがどっと押し寄せていた気がする。
神奈さんが、立ち止まった。
「さて、気になることは多いだろうけど、今はこの辺にしておこうか。ゆっくり休んだ方がいいよ」
どうやら、一緒に帰るのもここまでのようだ。惜しい気はしたが、疲労がそれを上回っていた。
「あの、神奈さん。最後に連絡先だけ教えてもらえないかな?」
疲れからか、女子に対してのこんな台詞も簡単に言えた。すぐに電話番号を教えてくれたが、これまた疲れからか、聞き流してしまった。もう一度聞くと、神奈さんは、苦笑した。
「はは、本当に疲れてるね。神田君の番号を教えてくれないかな?」
ぼくが番号を一桁ずつ言うと、その度に、空中に白い数字が現れる。
「すごい。そんな使い方もあるのか。便利だね」
「このくらいなら、君もすぐにできるようになるよ」
ぼくの番号を確認しながら言う。そして、一息ついた。
「それじゃ、また日を改めて私から連絡するよ。またすぐに首切り男に会うってことはないだろうけど、気を付けて帰ってね。おやすみなさい」
神奈さんが歩いて行く。
あ、そうだ、忘れてたことがある。
「神奈さん!」
少しだけ声を張って呼ぶ。彼女は振り向いて、首をかしげた。
「今日は、ありがとう!」
神奈さんは、「こちらこそ、だよ」と軽くお辞儀をしてくれた。