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9 彼と私と雨の音

 週末の真夜中、やっぱり、私は家を出た。

 勝手口を出て、家の裏道へ向かおうとした時、

「高森」

 小さく呼ばれて驚いて顔を上げた。

 そこに、彼が立っていた。

 私は慌てて近づいた。

「天野くん、どうして――」

「どうせ、今日も出てくるんだろうなって思ったからさ。こっち」

 彼がくるりと向きを変えて歩き出す。

 裏道を渡る彼に、私はついていく。

 どこに行くんだろう。

 いつもの通り道じゃない狭い道をどんどん歩く。

 月が明るいので、街灯がなくても大丈夫だった。

 一番奥まで行くと、石垣と不規則な幅広の階段が斜めに見えた。

「あれ? ここって」

「そう、神社の裏に通じてる道」

 こちら側からも行けるのか。

 そう言えば、小さい頃はここを通って神社に遊びに行ったことがあった。

 神社に裏から行くのは良くないと聞かされてからはずっと通っていなかった。

「ただし、夜は月が出てない時は通らない方がいい。ここ、灯りないから」

 確かに、今は月が出ているから段差が見えているけれど、月明かりがなかったら全く見えなくなるだろう。

 階段を上ると、本当に神社の裏側だった。

 前に回っていつもの階に座ると、月が綺麗に丸く見えた。

「今日は、勉強しなかったの?」

「水曜日からずっとしてるから、今日は休み。月見でもしようかと思ってさ」

 大きくのびをしてから、彼が月を見上げる。

「じゃあ、これ聞こうよ。BGM代わりに」

 私はポケットからミュージックプレイヤーを取り出した。

 ダウンロードした音楽を入れてある。

「クラシック?」

「ううん。それだと、天野くん眠くなっちゃうでしょ?」

 イヤホンの片側を渡す。

 私が右を、彼が左のイヤホンを着ける。

 一曲聞いてから、私は音楽を一度止めた。

「どう?」

「いいな。高森が好きそうな曲だ」

「そうかな」

「声が、綺麗だった」

「独特でしょ」

「高森って、何でも聞くんだな。クラシックしか聞かないかと思ってた」

「素敵な声と歌なら、別にクラシックじゃなくてもいいんだ。今流行ってる歌も、みんなと一緒に聞くけど、あんまり好きじゃないかな」

「叫びだしたくはならない?」

「うん。喉も渇かない」

 顔を見合わせて、私達は笑った。

「この曲なら、俺ももう一度聞きたいなって思う」

「ホントに?」

 嬉しかった。

 私が好きな曲を、彼も気に入ってくれた。

「もっとあるんだよ。聞く?」

「うん」

 イヤホンを分け合って、二人で月を見ながら音楽を聞いた。

 美しい夜だった。

 いつまでも、こうしていたいと思った。






 月曜日。

 一旦家に帰ってから、着替えて勉強道具をバッグに入れ替える。

 午後から雨という予報だったから、折り畳みの傘を持つ。

 教えてもらった裏道を一人で通って神社へと急ぐ。

 いつものように階に座っている彼が横から見えるのが新鮮だった。

「天野くん」

「あれ?」

 制服じゃない私を見て、

「家に帰ったのか」

 彼はそう聞いた。

「うん。裏を通ったらホントにすぐだったよ」

「ああ。明るいうちなら、この間の道のほうが近いかもな」

 隣に座って道具を出す。

「明後日だね、テスト」

「数学は2日目だろ? このままいけば余裕じゃないかな」

「うん。今回は少し自信ついたよ」

「数学以外も大丈夫?」

「うん。順調」

「じゃあ、今日は今までの復習からな」

「うん。お願いします」

 数学の勉強が終わる頃には、予報通りぽつりぽつりと雨が降ってきた。

「天気予報通りだね」

 傘を出そうとすると、

「そうだな。高森、こっち」

 勉強道具を持って彼が立ち上がる。

 私も慌てて道具をバッグにしまい、それに続く。

 彼は神社の左脇の古い小屋の裏に回り、曇りガラスがついた木戸を開けた。

 中を除くと、コンクリートの土間に、両脇と奥とにコの字型に少し高くなった板の間が見えた。

「入って座って。掃除してあるから」

 中に入ると、彼は木戸を閉めた。

 でも、木戸と、神社正面側の上に曇りガラスがあるので、中は結構明るく、よく見えた。

 板の間に座ると、彼が少し離れて隣に座った。

 屋根に当たる雨音が、ひどくなってきた。

「ここ、昔はおみくじとかお守り売るところだったんだって。夜は電気もつくんだ。コンセントもあるし」

 板の間にはビニールのかかった電気ストーブが一つ、しっかりしたつくりの蓋つきの木箱が一つ、入り口の脇には竹箒と鉄製のちりとりが置いてある。

 埃はほとんどなく、普段からよく使われているのがわかった。

「天野くん、いつからここ使ってるの?」

「中学に入る少し前から」

「そんなに前から?」

「ここの宮司やってるじいさんにも、夜に俺が一人でここにいるのバレたんだ。その時も、親父に殴られて顔が腫れてたから、じいさんも何も言わなくてもわかったんじゃないかな。ここを使っていいって言ってくれたんだ。腰悪くして、めったに上がって来れないから、代わりに境内の掃除してくれって。それからは、家に戻れない時は、いつもここにいる。めったに人来ないから、助かってる。冬は、さすがに外は寒いからな」

「そっか」

 ほっとした。

 外にずっといなくてすむということと、彼のために何かをしてくれる人がいるということに。

 最初に私がここに来た時も、きっと彼は小屋の中にいたんだ。

 会話が途切れる。

 小屋の屋根に、雨が当たる音が響く。

 それが新鮮で、私はその音に耳を傾けた。

「雨、結構降るね」

「ああ」

 彼も音を聞いているようだった。

「高森が、ピアノなしで弾くのに似てる」

 彼が不意にそう言う。

「ああ、そうかも」

「音楽みたいだな」

 つぶやく彼に、

「あるよ」

 私は答える。

「え?」

「ショパンの『雨だれ』って曲があるよ。左手の伴奏が降り続ける雨を思わせるの」

 私は板の間の上で、ショパンの雨だれを弾き始める。

 以前弾いたことがあるから、転調して曲調が変わるところまでは覚えていた。

 穏やかな、優しいリズムが小屋の中に響いていく。

「ホントだ」

 声が聞こえて、顔を上げると彼が笑っていた。

「すごいな、高森。雨の音と同じだ」

 いつの間にか、私の弾く左手の伴奏と屋根に当たる雨の音が調和していた。

 その時、私は、ショパンが聞いた雨の音を思った。

 体の弱かったショパンが、死の恐怖に怯えながらも愛する人とともに聞いた雨の音。

 きっと、こんな風に、幸せな瞬間だったのだろう。

 どこか憂鬱な雨音も、音楽に変えてしまうほどに。

 だからこんなにも、穏やかで優しく、流れていくのだ。

 私と彼の、時間のように。






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