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12 二人だけの空間


 水曜日の放課後。

 私はいつも通り美園先生にピアノを教わっていた。

 終わるなり、私は美園先生に頼み事をした。

「え? キーボード貸して欲しいの?」

 美園先生は、ちょっと驚いていた。

 それはそうだ。

 私の家には、アップライトのピアノがあるから。

「駄目ですか……?」

「貸してもいいけど、理由をちゃんと言ってくれないと」

 そう言われることが予想できたから、息をついて私は言った。

「ピアノを、弾きたい人がいるんです。でも、家にピアノがないから、練習見てあげたくて」

「ピアノ、教えたいの? 花音ちゃんが?」

「はい」

「教えたい子は、ピアノ弾いたことあるの?」

「ないです。でも、弾きたい曲があるから、楽譜が欲しいって」

「ちなみに、何の曲?」

「『主よ、人の望みの喜びよ』です」

「初心者には、難しいわよ」

「はい。だから、私の楽譜で、最初に弾いた簡易版をあげようと思って。あれなら、初心者でも弾けるかなって」

 私は持ってきていた楽譜を美園先生に見せた。

「うーん。選択としては間違ってないわね。これ弾いてた時の花音ちゃん思い出しちゃった」

「小学生でした」

「そう。ペダルに足届かないのに一生懸命で可愛かったわぁ」

 美園先生が笑う。

 可愛いかどうかは別として、一生懸命だったことは憶えている。

 短い練習曲からちょっとグレードが上がって、すごく嬉しかったから。

「いいですか?」

「いいわよ。どうせ暫く使うこともないし。待っててね」

 美園先生は練習室から出て、3分もしないうちに横長のショルダーバッグを持って戻ってきた。

「はい。一応説明書も入れておいたわ。花音ちゃんが教えてあげるだろうけど、忘れちゃった時のためにね」

「ありがとうございます!」

 持ち運びできるキーボードは横長で大きかったけれど、とても軽かった。

 私の気持ちみたいに。

 挨拶をして美園先生のピアノ教室を出ると、私は神社へと向かう。

 今日は家に行く余裕はない。

 キーボードを見られたら困るし。

 それに、すぐに空良に会いたかった。


 今日も会ったら、私の名前を呼んでくれるだろうか。


 そんなことを考えていて、周りを気遣うことはできなかった。

 だから、

「高森」

 声をかけられて、無防備に私は振り向いた。

 そして、身体が強ばった。


 東堂くんだ。


 20mほど離れたところに、東堂くんは私服でいた。

 どうしよう。

 こちらに近づいてくる気配に、私は、

「さよなら!」

 そう言って走って逃げた。

「おい、高森!」

 足早で、私は先を急いだ。

 怖い。

 追いついてきて引き止められるのは嫌だった。

 付き合う云々の話も蒸し返したくなかった。

 でも、神社にまで来られたらもっと嫌だ。

 あそこは、私と空良だけの場所なのだ。

 神社とは反対方向に曲がって、さらに角を曲がる。

 後ろを見ながら走る私は、前のほうにはほとんど注意を払えなかった。

 その時、いきなり腕を引かれて脇道に引っ張られた。

「!?」

「し」

 空良だった。

 途端に、心臓がはねた。別の意味で。

 狭い道の塀の陰に隠れる。

 走ってきてすごく苦しかったけど、何とか息を殺していると走っていく足音がした。

 それから、少しして戻っていく足音。

 空良が塀から出て、来た本道を見に行った。

 私も、その頃にはようやく呼吸が整って、静かに空良に近づいていった。

「あれ、東堂?」

「うん。偶然会っちゃって」

「大丈夫?」

「うん。勝手にパニくって、逃げちゃったの。おいかけてくると思わなくって」

「東堂、陸上部だしな」

「あ――空良、は、何でここに?」

「神社に行くとこだった」

「そっか」

 空良は、私が肩にかけているバッグを指さして、

「なに、そのでかいバッグ」

 そう聞いてきた。

「これ? キーボード」

 私は少し、中を見せるように開いた。

「借りてきたの。楽譜も持ってきたよ。これで練習すればいいよ」

 私とキーボードを交互に見て、空良は小さく笑った。

「すごいな」

 そういう空良が嬉しそうで、私もすごく嬉しくなった。





 もときた道を戻らず、少し迂回して、私達は神社に行った。

 神社の脇の小屋に入ると、キーボードを出して、プラグを入れる。

 ヘッドフォンも入っていたが、それは一人で練習する時使えばいいから、今は音量を小さく絞って弾くことにした。

 板の間に置いてそのまま弾くのは体勢が悪いから、座布団を重ねて高さを調節して、その上にキーボードを置いた。

「はい、楽譜。初めての人には、ちょっと簡単にアレンジしてるから練習すればすぐ弾けると思う」

 渡されたA4の楽譜を見て、空良は喜んだ。

「これ、高森が昔弾いたやつ?」

「うん。小学校の1,2年ぐらいかな」

「すごいな。そんなんで、もうこの曲弾けたのか」

「今私が弾いてるのよりは簡単だったから。オリジナル弾くために、私も頑張ったよ」

 楽譜を見ながら、空良は質問してきた。

「なあ、この音符のとこにある番号なに?」

「ああ、指番号だよ。ト音のところが右手、ヘ音のところが左なの。どちらも親指の1番から始まって、小指が5番だから」

「指番号通り弾けばいいんだな」

「うん。指が、伸びないように気をつけて。順番通りに弾こうとして、手の型が崩れちゃうのって多いんだ。手首もあまり動かさないで。手の甲と腕の高さがだいたい同じだと綺麗だよ」

 私が思っていたより、ずっと空良の手は綺麗に見えた。

 大きくて、指が長い。

 でも、ごつごつしていない。

「ホントだ。弾こうとすると指が伸びるんだ」

「親指以外は、指の先で押すって感じ。手の下に、肉まんが入ってるって思えばいいよ。それをつぶさないようにイメージして指先を使えばいいの」

「肉まん?」

「ピアノの先生が教えてくれたの。ホントは、卵が入ってるって教わるらしいけど、うちの先生は肉まんのほうが形がはっきりしてるからわかりやすいって」

 私は両手で型を見せた。

「ホントだ。肉まんの上に手を乗せてるみたいだ」

「でしょ?」

 二人で笑い合って、右手と左手とを交互に練習した。

 空良は教えやすい生徒だった。

 素直に私の話を聞いてくれるし、教えた通りにやってくれる。

 できなくても、できるまでやろうとする。

 一生懸命弾いている空良を見るのが嬉しかった。

 私が大好きな音楽に、空良が近づいてくれている。

 音楽を通して、私達はとても近くなっていく。

 それは、私達だけの、幸せな空間だった。





 あっという間に時間が過ぎて、帰る時刻だった。

 テストも終わったから、あまり遅くなると怪しまれてしまう。

 帰り支度をして、キーボードはバッグごと空良に渡した。

「ホントにこれ、借りていいのか?」

「うん。大丈夫だから、家でもやってみて。夜でも弾けるようにヘッドフォンも入ってるしね。次の水曜までゆっくり練習して」

「あ、週末は雨だって」

「え? そうなの?」

「雨だと、夜は危ないからここには来るなよ」

「え……?」

 本当は嫌だった。

 空良に会える貴重な一日をつぶしたくなかった。

 でも、私のことを心配して言ってくれている空良に我が儘は言えなかった。

「……うん。わかった」

 私の顔が曇ったのを見て、空良は笑った。

「水曜日まで、練習しとくよ」

「水曜日なら、雨でも来ていいよね」

「うん。明るいから」

「わかった。練習、楽しんでね」

「教わったこと、きちんとやっとく」

 神社の石段を下りて大きい通りに出ると、私達は左右に分かれた。

 週末、雨が降らなければいい。

 そうしたら、空良に会えるのに。

 でも、そう思ってから気づいた。

 雨が降っても、空良はここに来るしかないのだ。


 私と会わないでいる時、空良はどんな風に一人で過ごしていたのだろう。


 そう思ったら、いっそう雨が降らないことを祈るしかなかった。







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