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彩彩年年  作者: K+
8/12

春の風光 (後)

 冰清玉潤ひょうせいぎょくじゅんが捜すまでもなく、蒼杜(そうと)は幼馴染みが立ち去ったそのままの場所で、膝を抱えて座っていた。ぼんやりと海を見ているようだ。

 近づけば、すぐ気づいた。一級()への過程で魔術も習得した所為で、以前に増して種々の気配に鋭敏になったらしい。

千歳(ちとせ)、怒ってますか……?」

〈そう思うなら、身の振りようを再考したが良かろうな〉

「……うん」

何故(なにゆえ)、半島から出たがらない?〉

「……出ない方がいいと思ったから」

〈答になっておらぬ〉

 ひゅうと冷気が辺りを包んだ。〈医事者長を継ぐつもりも無く、ただこの半島に埋もれるとすれば、そなたに千歳のような矜持は無いのか〉

「悪い考えだとは解ってますが、医事者試験は流れで受けただけです」

 呆れた頭でっかちじゃ。

 不機嫌に冰清玉潤は息をつく。

 ふと、他の精霊の気配を感じた。風だ。すぐに去って行く。

 蒼杜が立ち上がった。複雑な表情を浮かべ、藍染めの長衣の裾を払う。

「本当に二大公がお越しになったようですね」

〈今のは践朱(せんじゅ)の使いか〉

「というより、わたしを捜しあてた様子でしたから」

 冰清玉潤は宙に腰かけ足を組む。長い睫毛を伏せ気味にしている、中性的な横顔を(はす)に見た。

〈ルウの皇族は見目麗しい者揃いよの。実梨(みのり)も年頃で美しくなっておろうよ〉

「可愛らしい(かた)でしたからね」

〈なれば、半島で燻ぶるよりメイフェスに婿入りでもしたらどうだ?〉

「それは千歳に言ってください」

 蒼杜は微苦笑する。「第一、メイフェス・コートは六暦六百年を経た今でも、一族以外の者を受け入れたことが無いと聞き及びます」

〈たまたまだろうて。船でも飛行術でも到底行けぬ距離ゆえ〉

 世界地図に載っていない、大陸と同緯度ながら時差十二時間の地点にメイフェス島はある。ルウの民の大半が住まう地だ。大君(おおきみ)も大公も普段はそちらに居る。

 あちらでは日付が変わるだろう時刻、大陸は真昼へ向かっている。

 弱い冬の日差しの下、少女が一人、風の精霊を先導につけて歩いて来た。艶やかな銀の髪を綺麗に結い上げている。黄色系が主体のティカ家正装を纏い、数年前より確実に美しくなった実梨は、微かに頬を染めて名を呼んだ。

「蒼杜、お久しゅう」

 こちらは胸の内を微塵も表に見せず、少年は礼を施す。

「刻限には参じるつもりでしたが、お手数をかけたようで、申し訳ありません」

「よい。早くそなたに会いたかっただけのこと」

 甘やかに目尻を下げて、実梨は応じる。就任当時よりも大公の貫禄が出てきている。未だにお転婆娘のようなサージ大公とは趣が違う。

「千歳には既にお会いになれましたか」

「うん。晴れの日を御一緒することが叶い、嬉しい。わたしも来たる日に向けて気が引き締まる」

「されば大陸も安泰です」

 慇懃に蒼杜は言葉を紡ぐ。いずれも十四歳らしからぬ。

 かつて求婚してきた相手が更な麗人となって現れたというのに、浮つく様もまったく見られない。冰清玉潤が出かかる溜め息を呑み込む横で、蒼杜は促すように屋敷へ手を向けた。

「来賓をこの場にお引き留めしていては、宴が始まりません」

 実梨はやや顎を引き、斜め上の顔を見上げた。

「この髪、一時間かけて結ってもろうた」

「どうりで手が込んでいますね、お綺麗です」

「褒めてくれるのは髪だけか?」

 蒼杜は、切なげな目になった。

 ルウの皇族は一途だらけだな、と冰清玉潤は今更ながらの感想を抱く。

「実梨……」

「蒼杜は一段と素敵におなりだが、わたしも引けを取っておるとは思わぬ。知神に加え造形神の申し子たるそなたにつり合えるよう、精進してきたのだ」

「すみません、実梨」

 言ってから、ためらうように口をつぐんだが、緩く一つ首を振り、蒼杜は言を継いだ。「貴女もとても素敵になられた。ですが、すみません――宴の前に申し上げるべきことではないのですが……わたしは生涯、独りでいるつもりなんです」

 あぁ――そういうつもりか。

 冰清玉潤の腹が据わった。



『余所の惑星に縮小版生命が居て、それが我等の箱庭に繋がっているなんて。親神(おやがみ)も度肝を抜かれたようよ』

 ユタ・カーの使い(がみ)は、そう大君に語ったそうだ。

 父上は話の一部が理解できなかったと嘆いておられた。聞かされたわたしも、よく解らぬ。そう言って、(あるじ)は肩をすくめた。

 何でも、六神(ろくしん)は現れた異星人に興味を持ち、生まれた赤子のサイボウから複製を作ってみたという。

 精霊のように人を作ったということか、と問えば、そのようだと返ってきた。

『親神が手ずから作った所為で複製には術力がついてしまったけれど、無事に成長が確認された。なればわたし達のようには生きられぬ。ルウでも良いが、術力が皇族並だから継承の問題が起きかねまい。大陸で育てた方が面倒が少ないだろうから、侶杜(ろと)に預けてほしい』

 滔々と畳みかけ、使い神は大君に赤子を託したらしい。

《神の子と言えば聞こえはいいが……何やら、無責任に思えるのだが……?》

 産みはしたが捨てたというのに等しくはないか。

『六神も時に、むごいことをなさる』

 主は痛ましそうに応じた。『侶杜は異界の民に直接関わっていたのだから、いずれ赤子に母御の思い出話をするだろう』

《その子は、母に置いていかれたと思いそうじゃな》

『それだけならまだいい。どうも元の子が、かなり聡い子だったらしい』

《するとこちらの子も明晰か》

『さよう。(ただ)しくはこの世界の子なのだが、侶杜の話を聞けば己を異界人と判ずるだろう。尚且つこの世界でも稀な術力を持っていると知れば、侶杜のような生真面目な養父に育てられ、何を思うことか』

《……そういえば、侶杜の所には枸紗名(くしゃな)の子もおるのではないか?》

『皮肉な話だ。我が甥にこそ術力が欲しかったのに。一方で我が息子は、ルウとしても膨大過ぎる術力に難儀している』

 在りし日の主は、眠る幼子に目を流した。小さな手は、その日、暴発した術力で火傷を拵えていて、包帯に巻かれていた。

 なんとも、儘ならぬものだ。

『三人共、あまり思い込まず、良い生を全うしてくれれば良いが……』



 三の月となり、季節はゆるりと変わり目を迎えていた。

 部屋にはうららかな昼下がりの光が、大きめの窓から射し込んでいる。

 しかしながら、窓からやや離れた机に向いている蒼杜は、窓外で移りゆく景色を見ることもない。朝から、ひたすら黙々と作業していた。

 粉末状にした数種の薬草を、秤の皿上に乗せていく。秤など必要なのかと言いたくなる程の正確さで、それぞれを適量、混ぜる。

 一つ薬包紙に包み終えると、横手の紙に何事か羽根筆で書き付け、箱へ包みと共に整えて置く。

 当然のように次の薬を調合すべく乳鉢を手にしたので、冰清玉潤は堪りかねた。

〈そろそろ休憩せよ!〉

 室内の温度が下がる。蒼杜はちょっと肩を上げた。懐から懐中時計を出して見やると、一つ息をつく。ぼそぼそと言った。

「分かりました」

〈少しでいいからそこの昼食を食べよ。冷めているのは(われ)の所為ではないぞ〉

「……はい」

 呼んでも来ないので執事が昼食を部屋まで運んで来たのは、二時間近く前だ。

 小卓に着き、うつむきがちに蒼杜は木匙を手にした。薄く膜が張ってしまっている汁物を、匙でちびちびと啜り出す。

〈まったく……同じことを何度も言わせるでない。忙しいならまだしも、医術師が体調管理を怠けるなど本末転倒じゃ〉

「……はい。すみません」

 医術師に認定される前から、蒼杜は自分を大事にしないところがあった。炎天下だろうと雪降る中だろうと、身体が訴えても、日蔭を選んだり上着を重ねたりといった体温調節をなかなか試みない。特別な理由が無くとも食事や睡眠を抜く。

 先月の生涯独り身宣言を聞いて判った。いつからそのつもりだったか知らないが、蒼杜は老境でなく、棺桶に片足を突っ込んでいる。

 生きる意欲が薄いのだ。

 半月ほど前に千歳が単身リィリ共和国へ旅立ち、蒼杜のソレは酷くなった。

 アリク邸には現在、四名が住んでいる。当主の侶杜、養子の蒼杜、使用人が執事を含めて二人。侶杜は医事者長であり、この半島における最高責任者で、医事者協会館に居る時間の方が圧倒的に長い。使用人は、狭いとは言い難い屋敷を保持すべく務めている。蒼杜を気にかける暇はそう無く、元より蒼杜も気づかわれるのを好まない。

 千歳が居た頃は、何かと蒼杜を連れ回してくれた。あの皇子(みこ)は剣術をしていた所為か、幼馴染みとは逆に身体を常に整える傾向があった。実に規則正しい生活をしていて、蒼杜もそれに引っ張られていた。

〈そなた、やはり千歳を追ったらどうじゃ〉

 冰清玉潤は宙に腰かけた姿を、蒼杜の斜め前に現した。〈公式にリィリに行く必要は無い。他の医事者も、大半は好きに開業しているではないか。リィリの適当な所で薬屋になるも良かろうて〉

「……それは……迷っています」

 渋々というように蒼杜は応じた。「ここを出ると千歳が言った時、大君がとても誇らしげだったので……養父(とう)様も、きっと同じですよね」

〈無論〉

「それから……ここから消えれば、実梨も諦めてくれると思いますか」

 納得できぬ、と泣きそうな顔をしていたティカ大公と、肩を落とし、すみません、と繰り返すばかりだった少年を思い出し、冰清玉潤は口の端を下げる。

〈践朱のように、大公の名にかけても捜し出すとは言うまいがな〉

 行き先はまだ決めてない、と千歳は親にさえ嘯いた。されば大君の名にかけても捜し出そう、と枸紗名は愉快そうに言っていた。

 ただ、蒼杜が同行しないという点には、流石に顔から笑みが消えていた。物言いたげに目を投げてきたが、冰清玉潤は無視しておいた。

「実梨は、わたしの生まれを知らないんでしょうか」

〈異界の客の話はルウの民に有名ぞ〉

 その子を一旦は大君が託されたのだから。

「わたしが千歳とは違う異質と、解っているとは思えないのですが」

〈そなたは、千歳とさして変わりないがの〉

 その言を気休めと取ったのか。蒼杜は動きを止めていた匙を卓に置いた。真っ直ぐ、冰清玉潤を見据えてくる。

「養父様は、わたしが生まれた折は命帯(めいたい)に術力の輝きが無かったと仰った。だのに、先君に連れられ再び大陸に来た時にはルウの如き命帯の輝きだったと――術力を持つ者は必ず先天であって、生まれ落ちた瞬間にその量も判る。後天で数日もしてから備わる例をわたしは知りません。これをただ、異世界人だからで片づけていいものなんでしょうか」

 冰清玉潤は、こちらを向いているのに虚ろな緑の双眸を静かに見返した。

〈良かろうよ〉

「シャトリ」

 蒼杜は淡々と続けた。「では何故、貴女はわたしの傍に。わたしは一体、何者なんです? 貴女は良くしてくれるけど、わたしがこの世界に在って然るべきと、本当にお考えですか?」

 大きく、冰清玉潤は嘆息した。一気に部屋中が冷え込む。それでも、眼前の少年は動こうとしない。身体は明らかに、寒さから震えを起こしているのに。

〈そなたは、そなたじゃ〉

 他に何の事実があろう。千歳は考えるのをすぐやめたことだ。

 吾も、あれこれ気を回すのはやめることにした。

〈見ていると危なっかしい故、近くにおっただけなのだが。そのように思い詰めさせてしもうたのなら、責任をとらねばなるまいな〉

 微かに白金の眉が寄ったように見えたが、細かに震えているから定かではなかった。その顔色は白く、普段は朱のさした唇も紫になりつつある。

 小卓上の昼食には、すっかり霜が降りていた。

〈名を受け取るがいい。()が名は冰清玉潤〉

 小さく少年の歯が鳴った。唖然として、唇がわなないている。精霊にとって、名前は行動を縛られる枷。決して軽々しく渡さない。〈これを以って、吾は蒼杜・マーニュ・アリクの守護(タイディ)となる。知らぬ筈はあるまいな?〉

「わた、わたし、は、そういう、つも、りは――」

 動揺も含んで震える声を、冰清玉潤は澄まして遮った。

〈一応言うておくが、吾はこの世で唯一の六核氷精じゃ。生まれの経緯は瑣末なことよ。先の主の細君は身体が弱くてな、真夏に高熱を発し、氷が要った。そうして吾は生まれ、生まれたからには生きる。人も精霊も皆、同じじゃ〉

 歌うように告げれば室内にひとひらふたひら、雪片が舞う。動かない白金の髪に、きらきらと結晶が降りる。

 冰清玉潤は呆れて、主君を見下ろした。

()が君よ、御自分が凍死しかけていると、まだお気づきあらぬか。早く生還の努力をして欲しいものですな。精霊女王(シャトリ)たる吾に、守護に就きし早々主を死なせたなどと、悪評をこうむらせるおつもりか〉

「あ……」

 息が薄くけぶり、緑眼に生色が灯った。

 慌てたように、蒼杜は身体を椅子から引き剥がした。窓辺へ行きかけ、凍った床に滑って転ぶ。

〈やれやれ〉

 立ち上がろうとして又尻餅をつき、蒼杜は恥ずかしそうに頬を染めた。かたかた震えながら、それでも笑む。

「リィリは、降雪、量、多い、でしょうか」

〈今から向かえば冬は当分先。そう気にすることもないかと?〉

 リィリ共和国は大陸のほぼ中央。半島より北東に位置する。馬で二ヵ月はかかるから、千歳もまだ、道半ばの筈だ。

 蒼杜は頷くと、窓へ目をやった。

「開けて、ください」

〈承知〉

 薄氷を押し分け、窓が開いた。春の風が舞い込んで来た。

 命の芽吹きを告げる、風が。

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