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彩彩年年  作者: K+
7/12

春の風光 (前)

 二の月、千歳(ちとせ)が十五の誕生日を迎えた。

 養父の医事者長は常の泰然さを何処かに忘れてしまったかのように、数日前からそわそわしている。成人の仲間入りをする日だからと、昼過ぎから宴を行う予定で、アリク邸は朝から準備にばたばたしていた。

 朝食後、蒼杜(そうと)と本日の主役である千歳は、今日ぐらい仕事させてください、と執事に笑顔で屋敷を追い出された。

「何か企んでるのか」

 苦笑いして、千歳は敷地内を何処へともなく歩き出す。来年に成人の蒼杜は微笑した。

「いい宴にしたいでしょうからね」

「シャトリ、居る?」

 緑と青の双眸が宙を泳いだので、冰清玉潤ひょうせいぎょくじゅんは姿を出してやった。居た、と千歳が笑んで言を継ぐ。「何か知ってる?」

〈はて……この前、枸紗名(くしゃな)が、嘉日には二大公を伴うやもしれぬと侶杜(ろと)に申していたが〉

 えっ、と少年二人の声が重なった。

 千歳が、男らしくなりつつある顔を引きつらせる。

皇子(みこ)の成人だからってだけだろうな? まさか、他意は無いだろうな」

 さてな、と冰清玉潤は肩をすくめて見せる。

 現在の大公は二人共、若い。今年十四歳になる小娘達だ。

 五年前、ルウの民には前代未聞の混乱が起きた。知己の風精が言うには、脳の梗塞、心の臓の発作、失踪、ほぼ老衰。領内にも隣国にもそれを悟らせはしなかったが、皇領三地区を治める三大家当主と一族全体を統べる月区(げっく)首長が全て代わった。

 当時サージ大公だった千歳の父は、今やルウの最高峰である大君(おおきみ)で、枸紗名・ヒサージ・ルウを名乗っている。

 そして新大公となった二人が、混乱収束後、新君の皇子へ挨拶をしにこの半島を訪れたわけだが、初恋を覚える年頃だった少女達は、用件だけでは済まなかった。

 現サージ大公である践朱(せんじゅ)は、千歳の従妹でもあり、今以って非常に判り易く従兄を慕っている。

 本来ならサージ家は千歳が継ぐ筈だった。術力不足を理由に家督を反対し続けた家老達に、践朱は憤慨している。冰清玉潤の見るところ、千歳はそれについても反応に困っていた。

「宴の刻限までに戻るのよすかな……」

 ぼそっと、冗談らしからぬ口調で千歳が言った。

「大君が千歳の意向を無視して事を進めるとは思えません」

 そっと蒼杜が応じたが、千歳は口をへの字に曲げた。

「父さんはこの上ない親馬鹿だけど、祖父馬鹿にもなるつもり満々かもしれない」

「……飛躍しますね」

「この前来襲した践朱が、俺との子を次期サージ大公にしてみせると断言してた。公言してないことを祈るけど、父さんには言ってる可能性がある」

 俺はまだ十五になったばかりなのに、と千歳は情けない表情を片手で覆う。「大体、俺の血を引いたら術力の無い子供が出来る可能性があるじゃないか。何考えてんだか……」

 相手の術力など、好いてしまえばどうでもよいものよ。先ず術力ありきなルウの民が変なのじゃ。アレは、やはり枸紗名の姪なのだろうて。

「お子に関しての考えは、大君と同じなんでしょうね。ルウの(ことわり)は二の次なんですよ」

 冰清玉潤が思ったことを、蒼杜が穏やかな顔で口にした。この少年は今のところ、年々、年相応でなくなっていく。既に老境に片足を突っ込んでいるような物腰だった。

 千歳は呻いた。

「蒼杜、他人事(ひとごと)みたいに構えてるけど、実梨(みのり)も来るなら覚悟しておいた方がいいんじゃないか」

 そう、今一人の少女大公は、新君の皇子でなく、たまたまその近くに居た彼の幼馴染みの方にご執心となった。

 なんと出会ったその日その場で、大真面目な顔と口調で申し出たものだ。

『大人になったら婚の誓いをしに来てもいい?』

 あの時は、さしもの神童も年相応の顔でぽかんとしていたが……

「わたしは、お断りしたから」

 ほんの束の間、蒼杜の鮮やかな緑眼が揺れたのを冰清玉潤は見ていた。

 本音は奈辺かのぅ。

 老成しているから、結婚の意味ぐらい理解しているだろう。

 一人で居ることを秘かに嫌い、常に相手を思って与えることに努めている。そんな生き方をしているこの少年にとっては理想的な筈だ、伴侶を得ることは。拒もうとしているのは何故か。

 さして憎からず接したように見えたが、実梨は好みではないのか……この小倅は、誰にでもにこにこしているから判断が難しい。

 俺も断ってる筈なのに、とぶつぶつ言う千歳に、蒼杜は笑声を洩らす。つられたように、千歳も破顔した。

「まぁ、何か企みがあったとしても受けて立とう。俺も企んでいるから」

 敷地の端まで来ていた。高台だから風がやや強い。視界の先には雲が点在する薄く青い空。眼下には、冬の仄暗い青灰色の海が広がっていた。小舟が少しだけ波間に揺られている。

 風に白金の髪をなぶらせたまま、蒼杜は前方を見やって目を細めた。静かに言う。

「ヴィンラ・タイディアを出る……?」

 冰清玉潤は軽く眉を上げて千歳を見た。蒼杜の方を向いた緑と青が、ちょっと瞠目していた。

「何で分かるんだろうな」

「何ででしょうね」

 一旦おどけるようにそう言ったが、蒼杜は詩を吟じるように続けた。「貴男は誇り高き大陸の守護者たるルウの皇子だから、風の守護を甘んじて受け続けはしないだろうと思っていました」

 千歳は自嘲気味に口の片端を上げる。

「一族は俺をルウと見なさないのにな」

「術力だけがルウの民を気高くするのではないです。千歳はとても、ルウの皇族らしい。僅かにまみえただけでしたが、栩麗琇那(くりしゅうな)も同じ空気を持っていました」

 その名は先祖返りと言われる程の術力を持って生まれた、帰郷待たれるラル家の皇子だ。

「従兄殿と一緒か」

 千歳は素直に嬉しそうな顔になり、さばさばした様子で言った。「侶杜様が変にそわそわしてるだろう。多分、俺、三級医事者に受かったんだ」

 えぇ、と蒼杜は我が事のように顔をほころばせる。

 ばれておる。

 冰清玉潤はアリク邸で今頃、認定証や祝い品をうきうきと整えている医事者長に思いを馳せる。

「剣もひと通りお墨付きをいただいて、成人となった。潮時だよな」

「行き先はリィリ?」

「――どうなってるんだ、君の頭」

「選択肢はそう無いから」

「そうかなぁ」

 首を傾げたが、千歳は笑っていた。「まぁ、何処でも、二人なら何とかなるよな」

 リィリ暮らしも面白そうだと早くも考え始めていた冰清玉潤は、驚いたように固まった蒼杜の表情に思わず瞬いた。千歳も笑みが小さくなる。

「なんだ……蒼杜、ここに残るつもりなのか?」

〈侶杜の跡目でも継ぐつもりか?〉

 千歳の問に目線を落としかけ、冰清玉潤の問に、いえ、と蒼杜は素早く発した。千歳は真顔になる。

「他の場所に赴任するつもりだったのか」

「いえ……ここで、写本の仕事でもしようかと考えていました」

 ぽつりと応えたその内容に、冰清玉潤は声をあげてしまった。

〈何じゃそれは――そなたは、ハイ・エストぞ!?〉

 もう四年も前に、蒼杜は史上最年少で一級医事者試験に合格し、認定証を得ているのだ。知神ユタ・カーの申し子と謳われ、大陸の主だった場所から招致された。だが、未成年を理由に応じず、今はアリク邸で薬の調合をして過ごしている。それも一級の薬師として行えば相当の報酬が出るものを、材料費に幾らか加味した程度で奉仕している。

 まだ子供だからこそ、それも良しと思っていたが――

「君――君らしくない――何を言ったか解ってるか」

 貝のようになっている蒼杜に、千歳が低い声で告げた。「俺がなりたくてもなれないモノになれたのに、それを捨てる気か?」

 千歳は感情を抑えるように、腰に佩いた長剣の柄頭(つかがしら)に両手を置いた。

「俺だけじゃない。医術師を目指して、でも叶えられない人がどれだけ居ると思ってるんだ」

 一級医事者は大陸全土に一桁しか居ない。だからこそ、医術師と称され、光を継ぐ者(ハイ・エスト)と尊称される。

 蒼杜は、これまで見せたことの無い、途方に暮れた顔になった。普段あまりに大人びている所為で、その様子はひどく幼い印象を帯びた。

 冰清玉潤は眉をひそめ、千歳は大きく一つ息を吐いた。

「俺がリィリを選んだ理由の一つは、君もリィリを赴任先に選ぶと思ったからなのに。君は、どういう方面から俺がリィリを目指すと知ったんだろうな」

 風に乗って、首都の方から時を告げる鐘の音が聞こえてきた。やがて風に溶け込んで消える。

 沈黙は、千歳が溜め息で破った。

 刻限まで素振(すぶ)りしてくる、と踵を返し、歩き出す。立ち尽くす蒼杜を一瞥してから、冰清玉潤は後を追った。並ぶと、千歳は前を見据えたまま、歩きながら言う。

「俺は大丈夫だけど?」

〈解っておる〉

「なら、蒼杜の傍に居て。俺じゃ、ありきたりなことしか言えない」

〈生憎と(われ)は冷やすことしかできぬ。貝の口を開けるには熱した方が良かろ。千歳、あの小倅を置いてリィリに行かぬだろうな?〉

 千歳は下唇を噛んだ。

「俺には無理に誘う権利は無い。俺、心の何処かで、蒼杜が一緒なら食い扶持探しも楽だと思っていたかもしれない。甘さを見抜かれたかもな」

〈それでごねるような者か。むしろアレは、頼られれば喜ぶだろうて〉

「写本も立派に頼られる職だ。あれは余程、集中力が無いとできない。蒼杜には向いてる。医術師が嫌なら、それもいいさ。蒼杜の人生だ」

〈されば、置いてゆくのか〉

 今現在、この幼馴染みの存在が、蒼杜にどれだけの安定を与えているか。本人は理解していないようだが、冰清玉潤は重々解っている。このような形で別離となるのは好ましくない。

 剣の柄に片方の手首をあずけ、千歳は空を仰いだ。

「シャトリ、君、いい加減、蒼杜の守護精霊になればいいのに。父さんから聞いたよ、元は先帝の守護だったそうじゃないか」

 あのお喋りめ。

 冰清玉潤が憮然とする隣で、千歳は青の目を眇めた。

「父さんは、何故君がヴィンラ・タイディアに来たのか詳しく知らないと言ってたけど……恐らく、蒼杜の正確な出自を、今や神々以外に唯一知る存在だと。それがとぼけて、もう十年近く傍に居る。どういう意味を持っているか、考えてみるのも一興だと言ってた」

 冰清玉潤は顔をしかめる。

 そうすると出自についてはともかく、蒼杜も考え及んでいるに違いない。

「因みに、俺はちょっとだけ考えて、やめた」

 千歳は悪戯っぽく口角を上げた。「シャトリも、もう、そうしたら?」



 十四年前、風の丘(ヴィンラ・ライ)に禍々しい闇の気を纏い、一人の女性が現れたという。

 公用語の読み書きができず、僅かに現存する他国の言葉を、酷い訛りと共に片言で話した。

 纏っていた気は凶悪だったが、浄化を施すと事無きを得た。白金の髪に青い瞳の美しい女性で、身重だった。この地に現れた二日後、産気づき男児を出産。出産を助けた侶杜の助言に従い、女性は赤子に大陸で違和感の無い名を付けた。

 女性自身は非常に違和感のある、フローラ・ドゥ・マーニュと言う名を名乗った。

 気に入りの部屋で読書をしていて、栞を床に落としてしまい、拾おうとしたらここに居たと証言。そして、ここは別の世界ではないかと見解を示したそうだ。

 子を産んだ十日後、この地の慣わしに頷き、侶杜に伴なわれて風落(ヴィンラ・サリル)の泉に赴いた。赤子の健やかな成長を願った清めをすべく、泉に踏み入り――親子は消えた。

 精霊によって捜索されたが見つからず、元の世界へ帰ったのだろうということとなった。

 異世界人の、僅か十三日間の滞在譚である。

 ところが物語は続き、数日後、ルウの大君によって侶杜の元へ赤子が連れて来られた。白金の産毛に緑の瞳。

『かの異世界の民より生まれた子。使い(がみ)より、侶杜・ハイ・エストに養育を任せると申しつかった』

 それはフローラが産み、蒼杜と名付けた赤子だった。

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