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彩彩年年  作者: K+
3/12

赤い光景

 何でこんなことになったのか。

 解らないまま、琉志央(るしおう)は納屋の中に突き飛ばされた。入口から怒声が放たれる。

「ごくつぶしがっ、恩を仇で返すような真似しやがって!」

 がががっ、と荒々しく戸を閉める音が響き、がこんっ、と閂がかけられる。納屋は隙間だらけだったが、夜が迫っているから周りはほぼ真っ暗だった。

 身を起こそうとしたが、身体中が痛んだ。突き飛ばされて転がったままの地面で、琉志央は縮こまる。

 季節は夏へ向かっているが、サージソート北方の夏はようやく雪解けを迎えるくらいで、夜は冷気が山から麓へ流れ込んで来る。外と大差ないこの場所は、既に薄ら寒かった。

 何でこんなことになったのか。

 頭の中がゆっくりと回っているような感覚があって、考えが纏まらない。朝に汁物を小さな椀に一杯飲んだきりで、飢えから腹が痛む。

 もっとも、この痛みは腹が減っているからだけでなく、棒で打たれた所為もあったろう。咳き込むと、酸っぱい何かが喉元にせり上がって来る。

 言われたとおりに、集落の外から水を運んで来た筈だった。集落の中央には共同の井戸があったけれど、自分のような余所者には汲むことを許されないから。そういうわけだから泉から汲んで来るんだよ、と言われた。

 泉は遠く、山の中。麻布を巻いただけの足が痛んだ。少し浮こうかと思ったけれど、歩いた。

 木桶いっぱいに水を汲んで元来た道を引き返すと、手も腕もすぐに痺れた。それでも歯を噛み締めて、夕暮れ近くなんとか家に帰り着いた。

『なんだ、帰って来ちまったのかい』

 新しい母親はそう言った。心底うんざりした顔と口調で。

 それで、こうなったんだっけ……?

 桶いっぱいに汲んだ筈の水は、家に着いた時には半分ほどしか残っていなかった。

『水汲み一つ満足にできないなんて、ホントにどうしようもない。家は余裕なんてこれっぽっちも無いのに、何でお前みたいなのを食わせてやらなきゃならないんだか』

 母親がそう吐き捨てているところへ、新しい父親が帰って来た。

 この子はろくに手伝いをしないと母親が訴え、父親は苦虫を噛み潰したような顔で琉志央を見た。

 ちゃんと手伝ってる、と琉志央は主張した気がする。父親は、ほんの少しだけれど血が繋がっているそうだった。だから琉志央を引き取ることになったと言っていたから、解ってくれると思った。

 なのに、何でこんなことに……

 寒いのに熱い。

 父親は素手で殴りかかってきた。だが、バチっと音がして父親の方が短く悲鳴をあげた。

『忌々しい――ライ持ちだ』

 それで何処からか棒を持ってきた。初めのうち、振り下ろされる時も、衝撃が訪れると同時に何度かバチバチと音がしていた。次第に、ごめんなさい、と繰り返す琉志央の泣き声と、棒が薄い身体のあちこちに叩きつけられる、鈍い音だけになっていったが……

 納屋を、冷たい隙間風が通り抜けて行く。もうすっかり夜らしい。

 何で……母さん、父さん、死んじゃったの……?

 食中毒だろう、と、両親を弔ってくれた人達が言っていた。

 同じ物を食べていたのに、何でオレだけ助かっちゃったんだ……

 同じように吐いて、悶え、倒れた筈だのに。

 数日姿を見かけないと近所の人が心配して訪れてくれた時、辛うじて生きていたのは琉志央だけだった。

 隙間風が心地好い程、身体が熱い。

 頭が朦朧としてきた。

 嗚呼、今度こそ、オレも死ねるかなぁ……



 翌朝、喉の渇きで目が覚めてしまった。

 一晩寒さの中に居たのに、身体がぐっしょりと汗ばんでいる。

 漏れ入る朝日で納屋の中は薄明るかった。琉志央は目だけ動かす。入口が遠い。無意識に、なるべく風の当たらない場所へ這ったらしい。並んだ樽や箱の間。

 喉が引きつる。ひび割れ、こびり付いた血で硬い唇から、ひゅーと息が洩れた。

 この樽のどれかに酒が入ってないだろうかという考えがよぎり、琉志央は可笑しくなった。

 オレ、死にたくないのか……

 周りの物を支えに、琉志央は立ち上がった。目が回っていたが、鈍く痛む重い身体を引きずり、背の届く樽や箱の中身を確かめる。

 何か……飲み物か、食べ物……

 見つけ出す前に、がたっと閂を外す音が響いた。

 琉志央が震えて箱の脇に座り込むと、戸が開いて、朝日を背後から受けた誰かが入口に立つ。目が慣れる前に、声で誰か知れた。名ばかりの父親だった。

「反省しただろうな。今日はちゃんと手伝いするなら朝飯を食わせてやる」

 琉志央が気力を振り絞って立ち上がると、さっさとしろ、と父親は腕を掴んで引きずり出した。

 家の前で、母親が腰の両脇に手をあてて立ちはだかっていた。

「ちょっと――こんな汚いのを家に入れるのは御免だよ」

「着替えぐらいくれてやれ。周りの目もある」

 父親は母親にそう言い、こちらには、ありがたく思えよ、と告げた。琉志央はただ頷く。

 とにかくその時は、渇きと空腹が満たせるなら、他のことはどうでも良かった。

 六つになったばかりで、他に考えられなかった。



 一年後、もう、ずっとこうして凌ぐ日々が続いていくのだと理解しかけた琉志央に、変化が訪れる。

 本当の両親が亡くなった時と同様に、それは突然来た。


 余所者のことは、狭い集落だったし、ものの数日で知れ渡っていた。

 遠縁しか引き取り手がおらずに転がり込んで来た子供などに、大半の大人は関わりたがらなかった。

 大人が無関心な相手というのも、子供達には格好のいじめ対象となる。

 その日、昼前から、琉志央は山の入口近くで茨に手を突っ込んで実を採っていた。赤いその実をすり潰して家畜に与えると乳の出が良くなるという噂が立ち、父親に採って来いと言われたのだ。

 その茨は細かく密集して枝葉を広げる類で、()は奥の方に()る。大人の手での採取は大変だということだった。

 子供の手でも充分大変だった。

 すぐに手指に引っ掻き傷が出来たが、琉志央は黙々と作業した。早く駕籠いっぱいにして帰らないと、夕飯を抜かれる。

 また一つ摘んだ時、指の背に棘が刺さった。痛覚の過敏な場所で、思わず実を取り落としかける。琉志央は咄嗟に実を宙で止めた。そのまま先に手を茨から抜き、()は駕籠に術力で運ぶ。

 中指の爪近くに赤い血の玉が浮き出していて、琉志央は傷を舐めた。指を口に含んだまま、誘惑に駆られる。

 そうか、術力を使った方が楽だな……

 迷った時間は一瞬だった。後方から甲高い声がかかったのだ。

「余所者、何してんだよ」

 肩を震わせて琉志央が振り返ると、いつもいじめてくる少年三人とそれを傍観したり囃したりする少年少女の二人が居た。全員、手に琉志央と同じような小駕籠を持っている。

 琉志央は血の気が引くのを自覚した。やっと駕籠半分くらいまで集めたのに――

「こいつ、俺達の村の実を採ってやがる」

「盗んでんじゃねぇよ」

「俺達のだぞ、よこせっ」

 一番体格がいい上、しばしば小突いてくる少年が駆け寄って来た。琉志央は駕籠を胸に伏せつけて横へ走り出す。実が一、二個転がり落ちたが、全部失うよりマシだ。

「逃げるぞ!」

「逃がすな!」

「捕まえろ!」

 少年三人が口々に言い、少女の声が可笑しそうに囃すのが聞こえた。

「どーろぼー、どろぼー」

「そうだ、泥棒は捕まえて処刑だっ」

 琉志央は懸命に駆けた。しかし年齢差もあって、さほどせずに追い着かれる。服の肩を掴まれ、薄い草地に引き倒された。駕籠の中から血潮のように実が一旦空へ向けて飛び、大地に散らばり落ちる。

「この(らい)持ちっ――生意気だっ」

 少年が琉志央に馬乗りになって、鞘付の短刀のひらで頬を殴りつけてきた。琉志央は小さな(かみなり)が身体に溜まり易い体質らしく、素手で触れかかると相手に雷の刺激が流れるようなのだ。

 左右の頬を一度ずつ殴られた頃には、他の子供達も追い着いて来てしまった。足を暴れさせる琉志央を蹴りつけ、嗤いながら踏みつける。

 琉志央の目の端に、少女が地に散らばった実をせっせと自分の駕籠に拾い入れているのが映った。

「オレの、だ……っ」

「何言ってやがる」

 上に乗ったままの少年が鼻で嗤った時、山側に広がる茂みの一角が音をたてた。

 年配の男が一人、無造作に歩み寄って来た。大人の年代は琉志央にはよく判らなかったが、黒髪が半ば以上白髪に浸食されていたから老齢に見えた。

 近づくと、最初の印象よりは若いかもしれなかった。結んだ唇の血色は良く、空を映したような冴えきった瞳は煌々としている。

 集落で見かけない人だったけれど、助けてくれるのかと琉志央は期待した。が、その目が見ているのは、まだ多くが散らばったままの実のようだった。

 子供の喧嘩が目に留まったから来たのではないと証言するような台詞を、男は低く掠れた声で口にした。

「この実、何処で手に入れた」

 質問は一応子供全員に向けたようだったが、幾らか拾い集めていた少女に男は身体を向けていた。少女は男を気味悪そうに見て、駕籠をそっと後ろ手に持ち替える。

 琉志央の上に居た少年が、集落の大人と似た口調で言った。

「そんなに量が生るわけじゃない。簡単には教えられないよ」

 男が目を眇める。それを見た瞬間、琉志央は背が粟立った。理由も無く逃げ出したくなる。

 怖い――

 今の両親に折檻されても、こうしていじめられて暴行されても、感じたことの無い怖さだった。

 琉志央はもがいた。その襟元を掴んで押さえつけ、少年は度胸にも男を睨み上げる。男が静かに口角を上げた。

「そのようだな。量が無いとは思わなんだから、それほど正確な位置を聞かずに来てしまった。見つけられず、我は今、少々御機嫌斜めだ。今のうちに答えた方が身の為だぞ」

 他の子供達が怯えたように目を見交わす中、琉志央の上に居る少年だけ、へっ、と間抜けな顔をした。琉志央は愕然とする。

 こいつ、はったりだと思ってる――

「あんたの機嫌なんか知るか。余所者に教えるかって――」

 言いたいことはまだあったようだったが、少年は皆まで言えなかった。

 頭が吹っ飛んだ。

 実と同じ赤い色が空に向かって飛び散った。ばたばたと、琉志央の顔に降り注ぐ。

 あっと言う間のこと――男がすっと少年に手を向け、向けた途端に掌から黒い靄が迸って――重い音と共に首から上だけが消えた――

 声にならない悲鳴を少女があげた。間を開けず、他の子供達も恐慌の声をあげる。

「うるさい。役立たず共」

 頭上で響く無感情な声を耳にしつつ、琉志央は目を見張ったまま、鳥のように屠られた自分の上の小さな身体を見ていた。

 頭が無いのに、変わらず馬乗りになっている。それが不思議だと、現実から完全に逃げたことを考えていた。

 どれくらいそうしていたのか……視界から首無し死体が蹴り出された。

「他の血か……アンジは無理か」

 冷たい空色が見下ろしてきた。「おい、実の場所へ案内すれば生かしてやってもいい。どうする」

 琉志央は肘だけで震える半身を起こした。歯の根が合わない。辺りは静まり返っていて、琉志央がたてるカチカチという音が妙に大きく響いた。

 さっきまで、淡い緑の草地に、落ちた実は目立っていたのに。今や色が混ざり合って見分けがつきにくくなっていた。

 夥しい赤が、広がっていた。

 実の代わりに、つい先程まで人間の子供だった筈の物体が散らばっているのが判った。

 痙攣に近い震え方をする手で、琉志央は方角を示す。

「それで判ると思うのか、小僧」

 苛立たしげな低声におののいて、琉志央は立ち上がろうとして、尻餅をつく。空気が動き、突如、鼻から肺へと臭気が流れ込んで来た。錆びた鉄のような血の臭い。腐敗臭にも似た臓物の臭い。

「あ……う――」

 声が出るのと胃の中の物が逆流してくるのはほぼ同時だった。吐く琉志央の頭上で舌打ちが起こる。

「もうよい」

 宣告が降って、琉志央は吐きながらも血に濡れていない草に逃げ縋った。這うように手足を動かす後頭部に衝撃が来る。しかしそれは、バシュッと云う音と共に、琉志央を顔から草地につんのめらせただけだった。

 男の声が、少々意外そうなモノに変わった。

「おぬし、術者だったのか」

 琉志央が肩越しに振り仰ぐと、空色の瞳が皮肉気に見降ろしてきていた。「術者のくせに、小物にいいように殴られていたとはな……馬鹿か」

 何も言えずに、琉志央は術者だろう男を見返す。自分以外の術者に出会ったのは、初めてだった。

 生じた()に何処となく馴れ合いめいたモノが漂ったのは、気の所為か――

「名乗れ」

 男は琉志央の襟首を掴んで、無理矢理に立たせた。息を詰まらせながら、琉志央は応える。

「ルシオ、ウ・ラズリ」

「良かろう、ラズリ、案内しろ」

 そのまま半ば吊り上げるように琉志央を前に歩かせ、喉を鳴らして男は笑った。「実を調達したら、おぬしを使える術者にしてやろう」

 そうして琉志央は、他の子供達とは違う理由で、二度と集落へ戻らなかった。

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