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彩彩年年  作者: K+
2/12

青い情景

 森は静けさに包まれていた。

 日中だったが、冬の只中にあっては生き物が息をひそめ気味だ。まして本日は曇天で、辺りは宵に近い薄暗さ。音と言えば微風による草葉のそよぎ程度しか無かった。

 時刻は恐らく十一時を過ぎており、冰清玉潤ひょうせいぎょくじゅんは鼻で溜め息をついた。周囲の温度が寸時、下がる。

 傍らに座る白金の髪の男子(おのこ)が、微かに白い息をこぼした。森の一点を見つめたまま、無意識の様子で上衣の襟元を寄せる。

 こうして十二時近くまでここで過ごすのは、本日で三日目だった。今日も昼餉を抜くつもりなら、小言の一つくらい口にしておくべきだろう。冰清玉潤はこの子供――蒼杜(そうと)・マーニュ・アリクの守護精霊(ジーク・タイディ)ではないけれど。

 さてこの小賢しい小童にどう言うか。冰清玉潤が思案に宙で足を組んだ時、蒼杜が不意に立ち上がった。彼が注視していた先を見やれば、漆黒の髪の待ち人が姿を現している。やれやれ、と冰清玉潤は感嘆を含めて肩をすくめた。

 まったく、なんという子じゃ。

 蒼杜が現れた人物へ歩を進めると、向こうもほどなく気づいた。普通なら待ち伏せされていた状況に驚きそうなものだが、相手も曲者だった。驚くどころか嬉しそうに破顔する。

「久しいな」

「お久しぶりです、大公」

 蒼杜は齢七つらしからぬ大人びた仕種で、胸の前に片手を当て、礼を施す。親ほどの歳である大公は笑んだまま、軽く首を傾げた。

千歳(ちとせ)に聞かれたくない話かな」

「そうです」

 非凡な者同士の話は早い。冰清玉潤は傍観に徹する。蒼杜はすぐに続けた。「千歳は学院で、瞳について指摘されているみたいです」

 大公の碧い眼差しが翳った。呟くように言う。

「気にしているのか――いや、気にするなと言うのが無理か」

「僕では千歳に巧く言えません。きっと一番良いのは大公ですが、千歳は自分からは大公には言わない気がします」

「誰に似たのか、我慢強い子ゆえな」

 大公は己も持ち上げた親馬鹿を披露し、相わかった、と告げた。蒼杜はようやく、年相応のあどけない笑みを見せる。

 道の無い森を慣れた様子で歩き出し、大公は可笑しそうに言った。

「そなた、それが為だけに輪を見つけ出したのか」

「すみません、もう近づきません」

「構わぬがな、よく見つけたものだ」

精霊女王(シャトリ)に探してもらいました」

 ふむ、と大公はこちらに目を流す。冰清玉潤は姿を現していなかったが、気づいていたようだ。少々面倒だったが姿を出してやる。大公はにやりとした。

「御苦労だな、シャトリ」

〈まったくじゃ〉

 瞬間移動の(つい)の輪は小さく、発する術力もごくごく弱い。蒼杜が予め捜索範囲を絞っていたから何とか見つけ出せた。この半島全域を探すとなったら、短期間ではとても無理だ。

「ははは、随分とお守りが板に付いたものだ」

〈子守を請けた覚えは無いぞ。暇ゆえ、相手をしてやっているだけじゃ〉

「そうかそうか。どうあれ、そなたがヴィンラ・タイディアに来てくれたのは僥倖だった。お蔭で、安心して我が子達をここに預けておける。これからも良しなに」

 調子のいい奴である。しかしながら、その実、この男は広大な皇領の一地区をきちんと治めている。この世界の今の平安が皇領で成り立っていることは冰清玉潤も解っているし、その担い手に頼られるのは悪い気はしない。故に、フン、と鼻を鳴らすにとどめた。

 ただ、一抹の不安はある。

 大公がさり気なく一緒くたに託してきた我が子ではない方。只今、眼下を大人しく大公について歩いている方。

 千歳が塞ぎ込み始めたのは、先月辺りからである。二週間ほどしても気の晴れる様子が無いと見てとるや、蒼杜は大公の私的な瞬間移動先に目星を付けた上、時間の出来た時にしか来れない筈の大公がほぼ三ヵ月ぶりにこの半島を訪れる日時まで見当を付けた。

 精霊女王としての矜持はあるが、冰清玉潤はあくまでも人に精製された身。その身に人の偉才を押しつけられても手に余る可能性がある。

 今のところマトモに育っているように見えはするが……コレは生まれも厄介だしな……

 そもそもそれが興味の発端で、冰清玉潤はこの半島にのこのことやって来たのだ。充分気をつけて観察していたつもりだったのに当の蒼杜に気づかれてしまい、それを理由に立ち去るのが癪で、今に至っている。

 そう、冰清玉潤が不安を覚える理由は一つだけではない。

 蒼杜は姿を消した精霊を感知できるほどの、術力までも備えているのだ。変な育ち方をしたら史上最悪の魔術師になりかねない。冰清玉潤が近くに居てそんなモノになられては困る。

 六核で精製された精霊はそうそう死ねないが、蒼杜が魔術師になってしまえば消すのは簡単だろう。消されずに生き永らえても、非常に後味の悪い生をずるずると送ることになるのは想像に難くない。

 ろくでもない想像に、思わず嘆息する。冷気が広がった。

「シャトリ」

 大公が首をすくめた。「久しぶりに会ったというに溜め息などつかないでくれ。心も体も冷えるではないか」

〈けったいな戯言を申すな。精霊だって溜め息の一つぐらいつく。大体、(われ)は氷なのだからしょうがなかろう〉

 つんと顔を逸らし、冰清玉潤は姿を消した。



 午前の課程が終了し、千歳・サバース・ルウは教材の布包みを抱えると、うつむき加減で教室を出た。

 学院には大陸中から医事者を目指す者が集まっている。入学は八歳から許可され、年齢上限は無い。廊下を進めば、次第に様々な年代の人が行き交い出す。

 通りすがれば、聞きたくもないのに、こそこそと囁き交わす声が耳に入ってくる。

 曰く、皇領を治めるルウの民とやらは強大な術力が売りだった筈だが、本当のところは違うのではないか。そこを歩いているのは、とても術者とは言えない。

 曰く、代を重ね、ルウの民も大陸の均衡を保つ崇高な役目より、俗な商いに精を出すようになっている。それが証拠に、そこを行く民は商売の象徴、契約神パクトと同じ瞳。

 この辺りは事実も少しだけ混じっているのでまだましだったが、他は根も葉も無い。

 金に物を言わせて既に二級の認定証を確保してあるだとか、提出課題は全て幼馴染みにやらせているだとか……

「ほら、あの黒髪の子よ」

「ルウの民の拾われっ子って言う?」

 何だよ、それ。

 漏れ聞こえた新手の噂話に、千歳は唇を噛んだ。

「何で拾われたかって、娼婦が皇領府の前に置き去りにしたかららしいわよ」

 流石に茫然として足が止まりかける。

 一族の血を尊ぶルウの民が、血を引かぬ者に誉れ高き始祖の名を与えるわけはない。千歳は中途半端に血を引いてしまったから、一族から敬遠されているくらいだ。

「それで瞳の片方が混血の緑なのね」

 たまらず、千歳は声の方を睨みつけた。十代半ば程の少女二人が、眉をしかめて身を寄せ合う。ヤだ、こっちを見たわよ――気味悪い――と忌避を口にし合い、二人はたちまち雑踏の中に消えて行く。

 舌打ちしたいのをこらえて、千歳は校舎を出た。学院の奥が医事者協会の本部だ。その壮麗な白亜の建物に隣接して、千歳と幼馴染みが共に厄介になっている邸宅がある。

 門前へ続く白い石畳の半ばに、悠然と佇む人が居た。道の脇を彩る花壇を眺めているようだったが、こちらに気づくと、ふわりと搗色(かちいろ)の長衣の裾を翻し歩み寄って来る。

 千歳は急に目が熱くなった。歯を食い縛って足元を凝視する。

 何で、こんな日に。

 頭上から柔らかに声が降ってくる。

「息災か、愛しき我が息子」

「……恥ずかしいからその呼び方やめて」

「案ずるな、父は全く恥ずかしくない」

「僕が恥ずかしいんだ」

「周りには誰もおらぬではないか」

 声が笑みを含み、大きな手が頭を撫でてくる。「顔を上げなさい。わたしは、そなたの()いつむじだけ見に来たのではない」

 千歳はうつむいたまま、まだ熱い目で石畳の目地を見つめる。すると抱え上げられた。ここ数年はされていなかったので呆気にとられていると、父は片腕に座らせるようにして、にっこりと笑って顔を覗き込んできた。

「うむ、愛い子だ。そなたの目を見ると和む。そなたの母を思い出せるから」

 千歳はぼんやりと父の顔を見た。千歳を産んですぐに亡くなった母のことは、父からしか聞けない。

「母さんも、左右の瞳の色、違った……?」

「いいや。そなたの右の瞳と同じだった。深く美しい藍の色」

「父さんより濃い色……?」

「そう。そなたは緑の瞳になるだろうと思っていたが、母と同じ青い目も持って生まれてくれたのだ。なんという親孝行だろうな」

 面映ゆさに、千歳は口元が緩んだ。

「蒼杜は、ルウと大陸人の絆を寿ぐ代わりに、パクトがくださった贈り物だと言ってた」

「……巧いな……然もありなん」

 父は口の片端をいささか歪めて上げる。千歳の胸元にある教材の包みを軽く叩くと、話を変えた。「で、勉強はついていけそうか?」

「今のところは」

「剣術は」

「それも。続けてる」

「ほぅ」

 邸宅へ歩き出した父は、再び頭を撫でてきた。「すまぬ。飽いた故、学院に入ったのかと思っていた」

「剣は怪我を避けて通れないから、薬学は役に立つと思ったんだ」

 それと、どんなに優れた医事者でも自分の命帯(めいたい)は診れない。いずれ一級医事者になるだろう幼馴染みが万が一具合を損ねた時、千歳が薬に通じていれば助けになれる。

 そうだ、それに、父さんの具合だって、顔色で判断できるようになるかもしれない。ルウは頑健と言われるけど、病気にならないわけじゃない。患者の不調を見抜く力も医事者には欠かせないと、この前の授業で言ってた。

 心の中を読んだように、父は嬉しそうに言った。

「愛い子だ。好きなだけ学ぶといい。勉学以外も然り。楽しいこと、嫌なこと。良いことも悪いことも」

 千歳は面食らった。

「嫌なことや悪いことは、知らなくてもいいと思うけど」

「わたしはそう思わぬ。嫌なことや悪いことを、そうと知らぬままというのは、危うい。特に、悪いことを悪いと知らぬままというのは許されぬ。そなたも心して学びなさい」

 飄々とした口ぶりだったので軽く聞いていたが、後々、折に触れ、千歳はこの時の父の言葉を思い出す。

 そして、青い痛みを覚えつつも又、前を向くのだ。



 父さんが来てるから一緒にお茶を飲もうよ、と部屋に千歳が走り込んで来た。表情が明るい。

 蒼杜は微笑んで頷くと、読んでいた医学書を閉じて席を立つ。

 千歳が父の居る客間へ走って戻って行く。その背中を見ながら冰清玉潤は苦笑した。

〈そなたの言いようも、巧いと枸紗名(くしゃな)は評しておったぞ〉

「……でも僕は、九割以上そうではないと解っていながら口にしたよ」

 ぽつりと蒼杜は応じた。「元気を出して欲しくて心は込めたけど」

〈それでいいし、それが大事なのじゃ〉

 変なところが不器用だ。

 これでは当分、立ち去れない。

 そうかな、と呟くように幼子は言って、心許ない様相で笑んだ。

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