常に、ハサミを、ポケットに。
「そう言えば、もうすぐお前の誕生日だな。何か欲しいものはあるか?」
家族での食事を終えた後のサロンで、珈琲を飲みながら、父上が聞いてきた。
オレは少し考えてから答えた。
「そうですね。ハサミを」
「ハサミ? 紙や布を切る、あのハサミか?」
「ええ。ごく普通のハサミが欲しいですね」
「……デイビットはおかしなものを欲しがるのだな」
オレは四男とはいえロッシュ侯爵家の人間だ。もっと高級品をねだって当然。
でも別に、オレは遠慮しているわけではない。
「父上、デイビットは実用品が欲しいそうなんですよ」
一番上のレオン兄上が苦笑しながら言った。
「実用品?」
父上は訝しげな顔で、三人の兄や母上を見る。
トーマス兄上やマイケル兄上、母上までが苦笑していた。
ちなみに嫡男であるレオン兄上は、誕生日のプレゼントに馬と馬具一式、それからその馬の世話をする専属の使用人をねだった。
次兄のトーマス兄上は美しい湖の側にある別荘とその別荘の管理人。
三男のマイケル兄上は、酒が欲しいと言って怒られた。
まだ未成年だから早いと。それでも高級ワインを年の数だけ贈ってもらっていた。成人したら父上と一緒に飲みたいですなんて言ったトーマス兄上は、男ながらにあざといなあと思った。
で、オレ。四男のデイビット。
いくら高くても銀貨一枚程度で買えるハサミが欲しいなんて、安すぎる。
「……オレは四男ですからね。貴族学院を卒業後に文官試験を受けて、城で働くことになるでしょう。そのときに使えるモノがいいと思いまして」
「ふむ……」
「母上にはペンを、兄上たちには、ペーパーウェイトやしおりなどを頼んでおりますので。足りないものはハサミくらいかなーと」
「なるほどな……」
父上は納得してくれたようだが、実は違う。
オレがハサミを欲しがる理由。
それは護身用だ。
侯爵家にいる時間は問題ない。護衛も使用人もたくさんいるし、庭には犬も放っている。万が一暴漢なんかが襲ってきても大丈夫。
だけど、外出しているときや貴族学院に居るときには……オレは、自分の身を守る術がない。
王族や高位貴族がおおぜい通う貴族学院に武器の持ち込みは基本的に禁止。
護衛兵の持つ剣でさえ、申請と確認が必要だ。
侯爵家の嫡男なら、護衛を帯同して授業に臨むこともできるが、四男では護衛の必要性は認められない。
武器は持てない。
かといって、護身術を身につけているわけではない。
文官志望の侯爵家四男に、護身術など必要ないからだ。
だけど、オレは、武器を携えておきたい。
というのも、オレには前世の記憶というものがあるからだ。
日本の、ごく普通の会社員。朝には電車に乗って会社に向かい、夜にはまた電車に乗って帰る。その電車を待っている駅のホームで起こったのが、無差別殺人事件。
最初に高校生が、次に老婦人が、おかしな男にどんどん刺されていった。
余りに非現実的な光景に、オレは茫然としていた。逃げることも忘れて、突っ立って。
で、オレも犠牲者の一人に名を連ねた。
せめて武器の一つでも持っていたいというのは、この前世の記憶から。
剣が持てないのなら、ナイフでもいい。
常に身につけておきたい。
だけど、ナイフも貴族学院では持ち込み禁止。
せいぜい許されるのがハサミ程度。
そうして、誕生日プレゼントにもらったハサミを、常にポケットに入れておくようになった。
今世もおかしな男に襲われるなんて、そんなはずはないとは思うけど。
だけど、ポケットにハサミがあるというだけで安心できる。
まあ、お守りみたいなものだ。
もしくは精神安定剤?
実際に武器として使うことなんてないと思っていた。
***
貴族学院に通いだして二年目。
婚約者が出来た。
ローランド子爵家のキャシー嬢。
家の格としては低いけど、キャシー嬢は一人娘。だから、オレは婿入りということになる。文官試験を受けなくても、キャシー嬢を手伝って、領地経営をすればいい。
安泰な人生。
それに、キャシー嬢はかわいいし、菫色の髪は可憐だし、性格も素直だし、好きになれると思った。
穏やかな一生が送れると思った。
なのに。
人生は落とし穴だらけだ。
ブロードベント侯爵家のハリエットなんて女にまとわりつかれるようになった。
「デイビット様」
「デイビット様」
「デイビット様」
朝も昼も、貴族学院にいる間中、ずっとまとわりつかれる。
キャシー嬢とデートに出かけても、追いかけてきて、キャシー嬢に嫌がらせ。
「あたくしの愛するデイビット様に近寄らないでくださいな!」
うるさくて仕方がない。
「あのですね、ご令嬢。キャシー嬢はオレの正式な婚約者で……」
「まあ! 婿入りを条件にして、無理やり婚約を結ばせたのですね! なんて卑劣な! 大丈夫ですわ、デイビット様。あなたの実力なら文官試験に必ず受かりますし、宰相の地位も狙えるでしょう! もちろんあたくしのブロードベント侯爵家も、全面的にデイビット様をご支援いたしますわ!」
すんげえ勘違い女。
なんだコイツ。
オレは呆れてモノが言えなかった。
オレは、ブロードベント侯爵家のハリエットから逃げて、逃げて、逃げまくった。
ピンク色の髪の長い髪が、ちらとでも視界に入れば、全力ダッシュ。
前世も今世も、ヤバいヤツからは逃げるに限る。
刺されて死んだら元も子もない。
でも……逃げっぱなしじゃダメだったんだ。
きちんと対応するべきだった。
オレの知らないうちに、キャシー嬢に嫌がらせをして、悪い噂を振りまいた上に、ローランド子爵家と取引のある商会を潰しやがった。
半月も立たないうちに、帽子をかぶったキャシーが、オレに婚約の解消を言いに来た。
「……ごめんなさい、婚約はなかったことにしてください」
「待って、キャシー」
「もう会うことはないでしょう。私、退学して、他国に行きますから」
「他国って……」
「親戚がいる国へ」
キャシーは泣きながら走り去った。走った勢いのためか、帽子が落ちた。慌てて、それを拾って……。
「キャシー……」
菫色のきれいな髪の毛。いつか、触れたいと思っていた。かわいくて、可憐で、柔らかそうで……。
その髪が……短くなっていた。あれは……。
呆然としていたら、勝ち誇ったような笑い声が聞こえてきた。
「ほーっほっほっほ! あたくしとデイビット様との間を邪魔するからよ!」
「ブロードベント侯爵令嬢……」
「あら、デイビット様! 邪魔者はきっちり排除しましたし、あたくしがデイビット様の婚約者になるのですわ! どうぞハリエットと呼んでくださいまし!」
勝ち誇った笑みを浮かべて。
抱きしめろとばかりに両腕を広げて。
瞬間的に、はらわたが煮えくり返った。
コイツのせいで……。
オレは、ゆっくりと、ハリエットに近寄る。
ゆっくりと。
そして……。
ポケットの中に入れっぱなしのハサミを取り出す。
それを手に持ったまま、ハリエットの手を掴む。
ハリエットの手にハサミを掴ませて、そして、そのまま、ハリエットの手を握って……。
「何をするんだハリエット!」
叫んでから、ハサミで、オレの顔を、切りつけさせた。
左目の横から、頬まで、すっぱりと。
血が、流れる。
オレの血が。
「やめろハリエット! お前との婚約を拒否したからって、ハサミなんかを持ち出すことはないだろう!」
「え、え、え?」
きょとんとした顔のハリエット。
近くにいた生徒たちが、ぎょっとした顔でオレとハリエットを見る。
「たとえ顔を傷つけられたとしても、お前なんかと婚約を結ぶものか! ハサミを寄越せ! こうしてやるっ!」
怒鳴って、オレは、ハリエットのピンク色の髪をハサミで切った。
ジャキジャキと。
血まみれの、ハサミで。
「きゃあああ!」
ハリエットが叫ぶ。
「うるさいっ!」
警備の兵に止められるまで、オレはハリエットの長い髪を切り続けてやった。
***
その後はもちろん取り調べを受けた。
だから、言った。
「オレには大事な婚約者がいました。ローランド子爵家のキャシー嬢です。オレはキャシーが好きだった。なのにあの女が、キャシーに嫌がらせをした上に、俺たちの婚約をなくさせた」
「それだけじゃない。あの女がオレと婚約を結ぶなどと言いやがった。もちろんオレは拒否した。ふざけるな。オレからキャシーを奪ったお前を絶対に許さない」
「すると、あの女は、ハサミを取り出して、オレの顔を切りつけてきた」
実際のところは、あの女の手に、オレのハサミを持たせて、無理やりオレの顔にハサミを向けさせただけだけど。
でも、遠目に見れば、あの女がオレを切りつけたように見えただろう。
「近くにいた生徒から証言を聞いてください。あの女がオレの顔を切りつけた」
手当もしていない、まだ、血の流れている左頬を示す。
取調官は、既にオレとあの女の近くにいた生徒たちから証言を取っていたらしい。
「やめろハリエット! お前との婚約を拒否したからって、ハサミなんかを持ち出すことはないだろう!」「たとえ顔を傷つけられたとしても、お前なんかと婚約を結ぶものか!」というオレの怒鳴り声を聞いて、先入観を持ったせいか、ほとんどの証言者は、あの女がオレを切りつけたと言った。
ハサミとは思わず、ナイフで切ったようだと言った者も多かったらしい。
オレは、続けて言った。
「婚約を駄目にされたこと、それから、顔を切りつけられたことで、オレは逆上しました。だから、ハサミを奪って、それで髪を切ってやった」
「何故ご令嬢の髪を切ったんです? 我が国の社交界に置いて、髪は令嬢や夫人の命そのものです」
「ええ。分かっています。でも、許せなかった」
「あなたの顔を切りつけられたことがですか?」
「いいえ。婚約者のキャシー。菫色のきれいな髪をしていたんです。なのに、その髪が……」
「髪が、どうされたと?」
「……婚約を無かったことにしてほしいとキャシーが言いに来たとき、帽子をかぶっていました。走り去る時に、その帽子が脱げた。髪が……短くなっていた。取調官、あなたが言う通り、髪は令嬢の命です。キャシーはいつも丁寧に髪を整えていた。自分で短く切るはずがない。絶対にあの女に切られたんだ!」
「だから、切ったと?」
「ええ。オレの顔なんて、どうでもいい。でも、キャシーの髪を切ってまで、オレとキャシーの婚約を邪魔したのは許せない」
***
取り調べの後、オレは侯爵家に帰された。
屋敷で出迎えてくれた家族。
だけど、オレは、屋敷の中には入らなかった。
屋敷の外で、オレは言った。
「この度は、ご迷惑をおかけしました。申し訳ございません。醜聞を起こした罪を償い、除籍をお願いします」
「デイビット……」
事情は、既に聞いているのだろう。父上も兄上たちも渋い顔だ。
「デイビット! せめて顔の傷の手当てをして! 着替えもしましょう? 制服が血まみれよ……」
「母上。オレはこの家に居れば、更なる醜聞を呼びます。その上ブロードベント侯爵家からもアレコレ言われるかもしれない」
「……瑕疵はあちらにあるのだぞ」
「ええ。ですが、オレもやり返しました。ご令嬢の髪を切るというやり方でね」
「切ったハサミは……」
どうしたと聞きたいのか。
それとも、このために贈らせたのかとでも聞きたいのか。
だけど、聞かないでおいたほうがいい。
ハサミは、元々オレが持っていたものではなく、あの女が持ち込んだものと思われているのだから。
オレはじっと父上を見る。
多分、オレが謀ったことを理解してくれただろう。その上で、ロッシュ侯爵家の不利にならないように、あのハサミはオレの持ち物ではなく、あの女が持っていたとして動いてくださるだろう。
大丈夫だ。
父上は、侯爵。
家を守るために、何でもするだろう。
「……少し待て」
父上が、使用人に何かを言った。
使用人たちが走り、そして、酒と布を持ってきた。
そして、酒に浸した布を、オレの左の頬に当てた。
「治療をするまで、せめて、これくらい」
「ありがとうございます」
「それから、これも持っていけ」
オレの上着の右ポケットに突っ込まれたのが、ハンカチにくるまれた銀貨や銅貨。
左ポケットに突っ込まれたのが小切手だ。ロッシュ侯爵家の印は押してはあるが、金額の記載はない。
オレが、これで大金を引き出したらどうするつもりだ?
まあ、そんなことはしないけど。
「平民となるのであれば、金貨よりは銀貨や銅貨のほうが使い勝手がいいだろう。小切手は近隣諸国どこでも使えるはずだ」
「ありがとうございます。それでは、皆様お元気で。ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げて、オレは生まれ育ったロッシュ侯爵家の屋敷を去った。
***
向かう先は、他国。
と言っても、どこでもいいわけじゃない。
キャシーを追う。
ローランド子爵家と付き合いのある商人たちを巡って、聞き込みをした。
どこに向かったか知っているかと。
答えてくれる者はいなかった。
だったら、可能性にかけるしかない。
子爵家、貴族が、自国から他国に逃げる。
全く縁のない他国に平民として逃げる可能性はきっと少ない。
親戚の助けを得るはずだ。
以前、隣国の王都で商会を営んでいる親戚がいるとキャシーが言っていた。だから、目指すは隣国。
王都のそれなりに大きな商会から探してみよう。
それで、会えたら。
声は、かけない。
再婚約をなんて、言えない。
だけど、もしも、見つけて、キャシーが困っていたら。
影から、彼女を支えよう。
どうか、キャシーがしあわせになりますように。
それを見届けてから、オレは、オレの将来を考えよう。
ただ一つ。ハサミだけは先に買っておく。
もしもまた、何かあったときのために。
常に、ハサミを、ポケットに。
終わり




