読切短編 五月の桜は、誰も見ていない
東京に来て十年、桜前線という言葉を聞くたびに、俺は少しだけ苛立つ。
四月になると職場の同僚が口々に言う。「前線、もうすぐ来るね」「今週末が見頃らしい」。ニュースは開花予想を速報で流し、コンビニのカップは桜色になり、SNSは一斉にソメイヨシノで埋まる。
俺の地元の桜は、そのとき、まだ蕾だった。
札幌の桜が咲くのは五月だ。本州の花見が終わり、誰も桜の話をしなくなった頃、北の木々はようやく動き始める。忘れられた頃に咲く春を、俺はずっと当たり前だと思っていた。上京するまでは。
麻衣の誕生日は五月三日で、その頃にはいつも地元の桜が満開だった。
幼馴染みとはそういうものだ、と勝手に思っていた。特別な記憶があるわけじゃない。ただ桜の季節になると、思い出す顔があった。東京の桜が散るたびに、ああ、もうすぐ麻衣の誕生日だな、と思った。十年間、それだけだった。最後に会った日、「また今度」と言ったまま時間だけが過ぎていた。
今年、初めて五月に帰ることにした。
理由は自分でもうまく説明できない。ただ、その言葉が妙に引っかかっていた。職場の誰かが「前線、もうすぐ北海道に着くって」と言った日の夜、気づいたら新幹線と飛行機のルートを調べていた。
麻衣に連絡すると、「久しぶり」と、それだけ返ってきた。
約束した公園のベンチで、俺は彼女を待った。五月の札幌の空は東京より高くて、桜はちょうど満開だった。観光客も花見客もいない。地元の人間が犬を連れて横を通り過ぎていくだけの、静かな午後だった。
待ちながら、俺は手紙を書いた。
渡すつもりはなかった。ただ、何かを書かないとこの気持ちの重さを持て余す気がした。書き出しはすぐに決まった。謝るためではなく、遅れてきた事実確認のように思えた。
「本州では誰も桜の話をしなくなった頃に、あなたのことを思い出していた」
そこから先が書けなかった。
毎年思い出していた、と書くのは簡単だった。でも続きが出てこない。十年間、思い出すだけで何もしなかった理由を、俺は自分でも知らなかった。桜前線がいつも東京で止まっていたように、俺の気持ちも、どこかで止まったままだった。
「ごめん、待った?」彼女は一瞬だけ視線を逸らしてから、俺を見た。
麻衣が来た。
十年ぶりに見る顔は、思ったより変わっていなかった。変わっていたのは、左手の薬指に光るものがあったことだ。
「結婚したんだ。去年」
「そうか」と俺は言った。その言葉が、思ったより乾いていた。
麻衣は桜を見上げて、「綺麗だね、毎年見てるのに飽きない」と言った。俺も同じ桜を見た。
手紙は鞄の中にあった。
渡さなかった。渡せなかった、ではない。渡さなかった。その違いを、たぶん俺だけが知っている。
帰りの飛行機の中で、桜前線の行き先を調べた。今年の前線は、もう北海道の北端に近かった。日本列島を三ヶ月かけて縦断して、もうすぐ海に消える。
俺の書きかけの手紙も、鞄の底でそのままだ。
続きは、まだ書けていないままだ。




