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第96話 部室の外に、世界があった

# 部室の外に、世界があった


 五月。七人体制が始まって三週間が経った。


 楓の短歌と壮介の声が噛み合い始めている。ひなたと詩織さんが図書室で本を語り合う姿が日常になっている。二台目のちゃぶ台にも手垢がついてきた。


 その日、先生がいつもと違う入り方をした。


 缶コーヒーではなく、プリントを一枚持っていた。


 先生がコーヒーなしで部室に入るのは、一年間で三回くらいしかない。ポケットに手を突っ込んだまま、大事な話がある時だ。先生の入室アイテムで重要度が分かる。缶コーヒー=通常。


 プリント=重要、両手が空=緊急事態、今日はプリント。重要だ。


 先生がちゃぶ台にプリントを置いた。


「これ」


 一言。


 プリントのタイトルが見えた。「地区合同文芸フェスティバル 参加校募集」。


 全員がプリントを覗き込んだ。年に一回、地区の高校文芸部が集まるイベント。合同誌の制作、ステージ発表、合評会バトル。六月開催。会場は市の文化センター。参加要件は。


「五人以上の正規部員」


「先生、これ去年は?」


「不参加だ。部員が三人だったからな。参加要件が五人以上。去年のうちは足りなかった」


 三人。凛先輩と詩織さんと先生。去年の文芸部は三人だった。五人に足りなかった。だから出られなかった。


「知ってた」


 凛先輩がソファから言った。文庫本を閉じている。話がある時のサイン。


「去年から出たかった。部員が足りなかっただけだ」


 凛先輩の声に力があった。


「出たかった」


 それだけ。


「出たかった」


 という気持ちが強かったのだ。


「つまり、俺たちが入ったから出られるようになった!?」


 壮介が声を上げた。


「そうだ。お前と朝倉が入って五人になった。今年はひなたと楓が入った。七人。参加要件の五人を余裕で超えている」


 凛先輩がソファから立ち上がった。全員を見渡した。


「出る」


 一言。凛先輩の「出る」は決定口調だ。相談ではない、通告だ。凛先輩は重要なことほど短く言う。ミステリ屋の文体、無駄な言葉がない。


 壮介が「出る!!」と復唱した。


「復唱しなくていい」


「確認だ!!」


 いつものやりとり。でも今日のやりとりは、いつもより少し重い。外に出る。一年目にはなかった選択肢だ。


    *


「文芸フェスって何するの?」


 壮介が聞いた。


「他の学校の文芸部と合同で部誌を作ったり、ステージで朗読したり、合評会で殴り合ったりする」


「殴り合い!?」


「比喩だ」


 凛先輩が少し間を置いた。


「たぶん」


「"たぶん"!?」


「言葉の殴り合いだ。お前が想像してる物理的な殴り合いではない」


「文芸部の殴り合いは怖い!!」


「怖くない。楽しい」


 

「楽しい」


 七人の反応が全員違った。


 詩織さん。目が光っている。


「他校の作品が読めるんですね。取材対象が一気に広がります」


「取材対象って」


「他校の書き手です。どんな文体で、どんなテーマで、どんな言葉を選ぶか。取材したいです」


 詩織さんの取材対象に他校の文芸部員が加わった。


 ひなた。テンションが爆上がりしている。


「他校にラノベ書いてる人いますかね!? いたら会いたいです!」


「いるかもしれない。聞いてみるといい」


「会いたい! フリック入力仲間がいるかもしれない!」


 「フリック入力仲間!!」壮介とひなたのフリック入力同盟が外部に拡張する可能性が出てきた。


 楓、静かだ、でも目が動いている。考えている。


「他校に短歌詠みがいたら、勝負したい」


 楓の声は低い。静かな闘志。楓は三年間一人で詠んでいた。外に同類がいるかもしれない。同類がいるなら勝ちたい。楓の中に火がついている。


 壮介。


「俺にも何かできる!?」


「お前は声がでかいからMCだ」


「MC!?」


「場を回す役だ。お前に合ってる」


「MCって何するの!?」


「来月までに考えろ」


 俺、何を感じたか。正直に言えば、心臓が速くなった。知らない人が俺の文章を読む。身内ではない人が。凛先輩でも壮介でも詩織さんでもない、知らない人が。


 コンクールとは違う。コンクールは紙の上だけだ。フェスは目の前に人がいる。顔が見える、反応が見える、心臓が速くなった。


 先生がコーヒーを飲んでいる。先生のポケットは四次元だ。


「俺は顧問として引率する。弁当は自分で持ってこい」


「先生、弁当の心配だけですか」


「弁当は大事だ。空腹で文芸はできない」


「壮介みたいなこと言いますね」


ぷしゅ。プリントを出した後のリラックスだ。先生は大事な話をした後に必ずコーヒーを飲む。大事な話で消耗したエネルギーを赤ペンをくるくる回しながら。


 楓がプリントをもう一度読んでいた。じっくり。一字一句。


「合評会バトルというのは、他校の作品を批評し合うんですか」


「そうだ。対面で」


「対面で批評」


「お前の歌を、知らない人間が読んで、目の前で感想を言う。逆もある。お前も知らない人間の作品を読んで、感想を言う」


 楓の表情が変わった。知らない読者が。


「怖いですか」


「怖くない。勝負できるなら」


 楓は怖さを認めない。代わりに「勝負」という言葉で上書きする。楓の強がりは凛先輩に似ている。二人とも怖さを認めない。認めないまま前に進む。


    *


 全員が帰った後。凛先輩と二人で部室に残った。窓から五月の夕日が入っている。風が温かい。春が終わって夏に向かう季節の風。


「凛先輩」


「ん」


「このフェス、先輩がずっと出たかったんですよね」


 凛先輩がソファの上で少し黙った。文庫本を膝に置いたまま。


「去年は閉じていた」


「閉じていた?」


「この部室の中だけで完結していた。部誌も内部向け。コンクールも個人戦。文化祭も学校の中。悪くなかった。でも、足りない」


「何が」


「刺激。他の人間が書いたものに触れて、打ちのめされて、それでも書く。その経験が。部室の中だけでは限界がある」


 凛先輩の声がいつもより柔らかかった。定位置の上から見下ろす部長の声ではなく、同じ高さで話す先輩の声。でも今、「足りない」と言った。


「だから"外に出る"」


「そうだ。フェスはその第一歩。他校の文芸部がどんな連中か、俺も知りたい」


「知りたいんですね」


「知りたい。三年目で卒業する前に」


 さらっと出た。


「卒業する前に」


 言わない。でも聞いた側の胸にはちゃんと刺さる。


「気にするな。来年の話だ」


「気にしますよ」


「生意気だな」


 凛先輩が少し笑った。


「先輩。外に出て、何が待ってると思いますか」


「強い奴がいる」


「強い奴」


「俺たちより上手い奴が、たぶんいる。コンクールの結果を見ても、上位は他校の名前ばかりだ。千歳の銀賞以外は全部他校。そいつらと会える」


「会いたいんですか」


「会いたい。打ちのめされたい。打ちのめされないと、上には行けない。部室の中で褒め合うだけでは天井にぶつかる。天井を壊すには外の風がいる」


 凛先輩が窓を見た。五月の風が入っている。桜はもう散った。代わりに新緑が見える。


「朝倉。お前はサッカー部にいた。対外試合をやっただろう」


「はい。練習試合も公式戦も」


「紅白戦だけじゃ上手くならなかっただろう。外の相手と試合をして初めて気づく弱点がある」


「ありました。たくさん」


「それと同じだ。文芸部にも対外試合が必要なんだ。今までなかっただけだ。今年から始める。七人で」


 サッカーの喩え。凛先輩が俺の過去を使って説明した。


 凛先輩がソファから降りた。ホワイトボードの前に立った。赤いマーカーを持った。「57」の横に。「地区フェス参加」と書いた。去年の来場者カウンターの横に、今年の新しい目標。


 ホワイトボードが歴史を刻んでいく。一年目は「57」。二年目は「地区フェス参加」。三年目には何が書かれるだろう。


「凛先輩」


「ん」


「外に出て、打ちのめされたらどうします」


「書く」


「書く?」


「打ちのめされても書く。それだけだ。掟の一番目。書け。何があっても書け」


 凛先輩がマーカーのキャップを閉めた。カチ、小さな音。凛先輩の答えは常に掟に帰る。書け。全ての答えがそこにある。


    *


 帰り道。一人で歩いている。二年目は人が増えた分だけ帰り道も分散する。


 地区合同文芸フェスティバル。他校の文芸部。知らない人が批評する。


 心臓が速くなった。


「出る」


 凛先輩の目が光っていた。出る。


 壮介がMCだと、壮介のMC、一年間で証明済みだ。


「勝負したい」


 静かな闘志。楓の世界が広がっていく。


「取材対象が広がる」


 詩織さんの取材魂は外部にも適用される。


「ラノベ書いてる人に会いたい」


 ひなたは一人で書いていた。スマホの画面に向かって一人で。


 投稿サイトに載せても反応がなかった。フェスでラノベを書いている同志に会えたら、ひなたにとってそれは大きな出来事になるだろう。楓が入部テストで「読者がほしい」と言ったように、ひなたは「同志がほしい」と思っているのかもしれない。


 部室の外に世界がある。知っていた、当然知っていた。他の学校にも文芸部がある。他の高校生も書いている。でも「知っている」のと「会う」のは違う。来月、会う。知らない書き手たちに。知らない言葉に。


 サッカーを辞めた時、世界が閉じたと思った。グラウンドがなくなった。仲間ができた。


 今度はその小さな世界の外に出る。七人で。


 心臓が速くなった。


 来月のフェスの詳細は、来週凛先輩が説明するらしい。合同誌に載せる作品の選定。ステージ発表の構成、合評会バトルの対策、全部やることがある。全部初めてだ。


 壮介からLINEが来た。


「陽翔!! 俺MCって何すればいいの!? 台本いる!? 衣装いる!?」


 似合わない想像しかできない。


 楓からもLINEが来た。壮介経由で部のグループLINEに。楽しみだ。


 ひなたからも。


「ラノベ書いてる他校の人に会えるかもしれないんですよね! 何を持っていけばいいですか! 自分の作品のプリントアウトとか!」


 ひなたの興奮がLINEの文面から伝わってくる。感嘆符の数が壮介に迫っている。


 詩織さんからは来なかった。明日、部室で何か言うだろう。取材の計画を。他校の文芸部員の取材計画を。


 部室の外に、世界があった。一年間、部室の中しか見ていなかった。そこと一つのホワイトボードと、七つの文芸を持って。


「打ちのめされたい」


 俺もそう思う。打ちのめされたい。部室の中だけでは見えない弱さを。外の風に当たって初めて分かる弱さを。


 五月の夕暮れ。空がオレンジに染まっている。文芸部の対外試合が。


 七人で行く。初めての外の世界に。凛先輩の目が光っていた方向に。

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