第101話 文化センターの朝──知らない制服、知らない文芸部
# 文化センターの朝──知らない制服、知らない文芸部
六月の土曜日。市の文化センター。
バスから降りた瞬間、空気が違った。旧校舎の六畳間とは比べも。にならない広さのロビー。天井が高い。声が反響する。壮介の声が壁に跳ね返って三倍になりそうだ。
他校の制服がたくさんいる。学校名の書かれたプレートを胸につけている。この空間にいる人間は全員が「書く人間」だ。部室では七人しかいなかった。ここには何十人もいる。
「人が多い!」
ロビーに響いた。他校の生徒が振り返った。壮介の声は地区を横断する。
「当たり前だろ。地区の文芸部が集まるイベントなんだから」
「わかってたけど見ると違う!!」
部室が静かに動いている。ペンの音、キーボードの音、ポケットに手を突っ込んだまま。それぞれの武器が鳴っている。
凛先輩だけが表情を変えない。去年から来たかった場所に、ようやく来た。一年分の期待を背中に乗せて、凛先輩は歩いている。
受付で「朝霧ヶ丘高校文芸部」のプレートを七枚受け取った。一人一枚、胸に留めた。プレートの重さは紙一枚分だ。でも「朝凪高校文芸部」の文字が胸にあると、部室のちゃぶ台が遠くなった気がした。ここは部室じゃない、外だ。
「行くぞ」
ホールに入った。ステージがある。全部のスケールが違う。
*
最初に目に入ったのは、揃いのTシャツを着た集団だった。
背中に「桜庭高校文芸部」と大きくプリントしてある。部活Tシャツ。文芸部で部活Tシャツ。しかも全員の声がでかい。挨拶が「押忍!」に近い。壮介ですら引いている。
「あの人たち文芸部!? 運動部じゃなくて!?」
「Tシャツに"文芸"と書いてあります」
「文芸部にTシャツの文化があるの!?」
「うちにはない。あいつらが特殊だ」
「レベルアップの音が聞こえます」
ラノベの読みすぎだ。
凛先輩が腕を組んで桜庭を見ている。
桜庭の面々が駆け寄ってきた。
「朝凪さんですか! よろしくお願いします!!」
握手が力強い。ひなたが「手が痛い」と小声で言った。楓が詠んだ。「握手にて 文芸部とは 思えぬ力」。
桜庭高校文芸部。合評会が「プレゼン+質疑応答」形式だという。パワーポイント的なスライドまで用意しているらしい。朝凪のちゃぶ台で緑茶を飲みながら。
「どう思った?」
と聞き合うスタイルとの落差がすさまじい。
「同じ文芸部なのにこんなに違うんだな」
「違います。全然違います」
楓が桜庭のTシャツを見ている。文芸部のあり方は一つではない。朝凪のちゃぶ台文化が「当たり前」ではなかったと、初めて知った。
桜庭の部員が話しかけてきた。体格がいい。
「朝凪さん、合同誌読みましたよ! 千歳さんの短編すごいですね! あと大和さんのラーメンエッセイ爆笑しました!」
「"ビカビカ光ってた"が最高でした!」
「ビカビカが通じた!!」
全員がそれぞれの場所で書いている。音だけが重なる。
凛先輩が桜庭の雰囲気を観察していた。
「面白い部だな。うちとは正反対だ」
凛先輩が他校を「面白い」と認めるのは高い評価だ。
*
白石透、二年生、眼鏡。穏やかそうな笑顔。だが目の奥に負けず嫌いの光がある。桜庭の中では一番落ち着いている。Tシャツではなく制服を着ている。部長の矜持か。
「桜庭高校文芸部部長の白石です。よろしくお願いします」
礼儀正しい。丁寧な言葉遣い。白石は静かな声で引き込む。
「千歳さん?」
「白石くん?」
「久しぶり。中学の読書サークル以来だね」
「はい。高校でも文芸をやっているんですね」
「千歳さんこそ。相変わらず万年筆?」
「はい。インクは変えましたけど」
「変わらないな、千歳さんは」
白石が微笑んだ、詩織さんも微笑んだ、中学時代の知り合い。読書サークルで一緒だった。俺が知らない詩織さんの過去を知っている男が、目の前にいる。
何がざわつくのか分からない。
「陽翔、顔怖いぞ」
壮介が小声で言った。
「怖くない」
「怖い。眉間にシワ寄ってる」
「寄ってない」
「寄ってる」
卓を挟んで、全員の手が動いている。
ひなたが楓に小声で言った。
「萩原さん、今何か詠んだでしょ」
「気のせいです」
気のせいじゃない、楓の目が一瞬緩んだ、何かを詠んでいた。声には出さなかったが。たぶん俺の顔のことを。
白石が俺に話しかけてきた。
「朝倉くん、だよね。千歳さんの部の」
「ああ」
「合同誌読んだよ。朝倉くんの短編、身体感覚の描写が面白い。サッカーやってた?」
「昔。膝を壊してやめた」
「だから"走る"の描写がリアルなんだ。あの質感は経験者にしか書けない」
「午後の合評会、楽しみにしてる」
「俺もだ」
白石が笑った、穏やかに、嫌な奴じゃない。嫌な奴なら。
「あいつは敵だ」
で済む。
いい奴だから困る。詩織さんの中学の知り合いで、文芸に真剣で、俺の作品まで読んでいる。いい奴が詩織さんを「千歳さん」と呼ぶ。胸がざわつく。
壮介が後ろから俺の肩を叩いた。
「陽翔。胸がざわつくのは頭とは別の場所だ。」
*
もう一校、北嶺高校文芸部、四人。少数精鋭。桜庭の体育会系とは正反対の雰囲気だ。静かで、全員がノートを持っている。
その中に見覚えのある顔があった。氷室蓮。去年のコンクールで詩織さんと張り合ったライバル。今回は個人ではなく「北嶺高校文芸部」の一員として来ている。
「千歳さん。また会いましたね」
氷室が詩織さんに声をかけた。冷静な声。でも詩織さんを見る目に力がある。
「氷室さん。今日はチームとして、ですね」
「ええ。今度はチームごと勝ちに来ました」
「望むところです」
詩織さんがにっこり笑った。だが目が笑っていない。ライバルの火花。詩織さんと氷室の間に見えない火花が散っている。壮介が小声で「怖えー、二人とも目が怖えー」と呟いた。
「氷室くん! 久しぶり!」
壮介が割り込んだ。壮介が入ると空気が軽くなる。
「大和くん。相変わらず声が大きいですね」
「褒め言葉として受け取る!」
「褒めていません」
「氷室。お前もチームで来たか」
「桐谷先輩。はい。一人より七人のほうが強い。千歳さんの部がそれを証明していますから」
リスペクトが混じった台詞だ。氷室は詩織さんだけでなく、朝凪文芸部全体を認めている。個人のライバルからチームのライバルへ。氷室も変わっている。
北嶺の他のメンバーも挨拶に来た。四人、全員が静かだ。桜庭の体育会系とは真逆。声が小さい、でも目が鋭い。文字の奥にある構造を読み取ろうとする目。
「北嶺は全員がミステリ読みか」
「半分はミステリ、半分は評論です。分析が得意な部です」
氷室が答えた、分析が得意。北嶺は朝凪とは違うタイプの強さを持っている。朝凪は多様性。七人のジャンルが全部違う。北嶺は専門性。四人全員が分析に長けている。どちらが強いかは分からない。でも違うことは分かった。
楓が北嶺のメンバーの中に短歌を詠む人がいないか探している。いなかった。楓の同類は北嶺にはいない。桜庭にはいるかもしれない。楓の「同類探し」はまだ続く。
*
展示コーナーに合同誌が並んでいる。各校のブース、朝凪の合同誌、七作品が載った冊子。壮介の。
「なんで俺がここにいるかっていうと」
も入っている。
知らない制服の生徒が手に取った。ページをめくっている。壮介が遠くから見ている。指を握りしめている。
「読んでる。知らない人が。俺の文章を」
壮介の声が小さい。
「怖いか」
「怖い。でも見てたい」
壮介は逃げない。自分の文章が知らない人の手の中にあるのを、見ている。
知らない生徒がページをめくった。壮介のエッセイのページで手が止まった。読んでいる、数秒、微かに口元が動いた。笑ったのか。笑った。
「壮介」
「ん」
「笑ってる。あの人」
壮介が見た。知らない制服の生徒が壮介のエッセイを読んで笑っている。
「泣くなよ」
「泣いてない!!」
「目が赤い」
「花粉だ!!」
「六月に花粉はない」
壮介が鼻をすすった。知らない人が自分の文章で笑った。壮介の言葉が外に出て、知らない人の心に着地した。
七つの音が部室に重なっている。誰も喋らない。でも静かではない。
詩織さんが展示コーナーを回っている。他校の作品を片っ端から読んでいる。取材ノートが高速で埋まっていく。詩織さんの取材魂が外部に解き放たれた。他校の文体、テーマ、言葉遣い。全部が取材対象だ。
ひなたが北嶺のブースの前で立ち止まった。小声だが興奮している。
凛先輩がホール全体を見渡していた。腕を組んで。全校の配置を頭に入れている。
*
昼休憩。食堂のテーブルに七人が並んだ。弁当を広げた、いつもはちゃぶ台。今日はテーブル。同じメンバーなのに違う場所にいると空気が違う。
「午前中、どうだった」
凛先輩が聞いた。全員に。
「桜庭のTシャツが衝撃だった!!」
「展示の他校の作品、構成が巧みな学校がありました」
「北嶺にラノベ書きいました! 名刺代わりにLINE交換しました!」
「桜庭に短歌を詠む部員がいました。園田さん。勝負したいです」
楓が壮介のノートを覗いた。三秒で閉じた。
壮介の声と楓。沈黙が部室のバランスを作っている。
「弁当はうまかったか」
「先生、弁当の心配だけですか」
「弁当以外のことは——見ればわかる。お前たちの顔が全員、朝と違う。朝は緊張していた。今は興奮している。いい顔だ」
先生が褒めた。コーヒー越しに。先生の褒め方はいつも赤ペンをくるくる回しながら。
「午前中だけで分かったことがある。朝凪は弱い」
「弱い!?」
「桜庭のプレゼン力。北嶺の分析力。どちらもうちにはない。うちの強みはジャンル。多様性と壮介の声だけだ」
楓が静かに壮介の隣に座った。壮介の声が二割下がった。
「でも弱いから来たんだ。弱さを知るために外に出た。知れた。収穫だ」
凛先輩が弱さを認めた。
「午後で取り返す。合評会バトルで」
詩織さんがメモを取っている。何の会話をメモしているのか聞く勇気がない。
「比喩だ。言葉で殴り合う。朝凪の言葉で。七人の言葉で」
「午後は合評会バトルだ」
「比喩ですよね!?」
「比喩だ。たぶん」
凛先輩が目を開けずに手だけ動かした。
午後が始まる。言葉で殴り合う時間が。外の世界で初めて戦う時間が。朝凪高校文芸部の名前が、部室の外で呼ばれる。
「行くぞ」
凛先輩が言うなら、行く。七人で。
知らない制服の中に、朝凪の赤いネクタイが七つ並んでいる。部室の六畳間を飛び出した七人が、文化センターの大ホールに立っている。小さい。ここでは小さい。でも凛先輩の背筋はまっすぐだ。
壮介の声はでかい。詩織さんの万年筆は光っている。楓の短歌は鋭い。ひなたの目は輝いている。先生のコーヒーは手にある。
七人分の武器が揃っている。外の世界に出ても、七人は七人だ。
午後の合評会で、壮介がMCとして叫ぶことになる。楓が短歌を詠むことになる。俺が横から支えることになる。
部室の引き戸を開ける音はカラカラだった。文化センターのホールを開ける音は、もっと大きい。でもどちらも「始まり」の音だ。今日の始まりは、ここだ。




