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第92話 壮介のチラシが人類に早すぎる

# 壮介のチラシが人類に早すぎる


 始業式の翌日、放課後、部室。


 壮介がA4のチラシを大量に持ってきた。両手いっぱい、百枚はある。部室のコピー機で勝手に印刷したらしい。誰にも許可を取っていない。凛先輩にも俺にも先生にも。完全なる独断。


 チラシのタイトルが目に入った。


 壮介がノートを落とした。拾おうとして頭をちゃぶ台にぶつけた。


 感嘆符が四つ。サブタイトルに自分の文。


「壮介。何だこれは」


「勧誘チラシ!! 昨日の夜、三時間かけて作った!!」


「三時間かけてこれか」


 チラシの内容がひどかった。


 キャッチコピー。


「書けなくてもOK! 読めなくてもOK! 座れればOK!」


「ハードルが低すぎる」


「低くていいんだよ! 敷居は低いほうが人が来る!」


「敷居が地面にめり込んでる。地下だ」


 活動内容欄。


「小説とか書く。あと鍋。あと自分の作品」


「活動内容に食べ物が二つ入ってる」


「食は文芸の基本だ!」


「基本じゃない」


 部長名欄。「桐谷凛(美人)」


「勝手に注釈つけるな」


 凛先輩の声が低い。怒っている。


「事実じゃないですか!」


「事実かどうかの問題じゃない。勝手に"美人"と書くな」


「じゃあ何て書けばいいんですか」


「何も書かなくていい。名前だけで十分だ」


「桐谷凛(ミステリの鬼)は?」


「それも余計だ」


「レベルアップの音が聞こえます」


 ラノベの読みすぎだ。

 連絡先欄に壮介の個人LINEのIDが書いてある。


「壮介くんの個人情報が」


「俺が窓口だ!」


「なぜお前が窓口だ」


「俺が一番返信早いから!」


「返信の速さが問題じゃない。勝手に個人LINEを公開するな」


 凛先輩がチラシを一枚手に取った。三秒眺めた。三秒で判決が下った。


「壮介。お前のチラシには致命的な問題がある」


「何!?」


「文芸部のチラシなのに、文芸の要素がゼロだ」


 壮介が固まった。チラシを自分で読み直している。「書けなくてもOK」。


「自分の作品」


 「鍋」「桐谷凛(美人)」。確かに文芸の要素がない。


「食べ物だ」


「文芸的食べ物だ!!」


「そんなカテゴリは存在しない」


 凛先輩がホワイトボードにマーカーで書いた。「勧誘チラシ 改訂版」。壮介のチラシを修正する作業が始まった。凛先輩が赤ペンでチラシに修正を入れている。


「"書けなくてもOK"は残す。"飯"は削除。代わりに"コンクール年二回出場""部誌年四回発行""文化祭出展"を入れろ」


「ない」


「先輩! せめてイラストはそのままに!」


 チラシの右下に壮介の手描きイラストがあった。棒人間五体。その横に巨大な自分の作品の絵。棒人間より自分の文のほうが大きい。


「削除」


「隅っこに!! 一センチだけ!!」


 凛先輩が三秒考えた。


「五ミリだけ許可する」

「見えなくていい。お守りだ」


 部室が静かに動いている。ペンの音、キーボードの音、缶コーヒーの音。それぞれの武器が鳴っている。


 先生がチラシを一枚取って眺めた。


「悪くない。凛の赤ペンが入った後のチラシは読める」


「先生! 赤ペン前のチラシも読めたでしょ!?」


「関係ある!!」


「ない。お前の中にしかない」


 先生がコーヒーに口をつけた。


「俺の中にある関係は実在する!!」


 頭を抱えた。


「"桐谷凛(美人)"のところ、なんで消したんですか」


「消してない。赤線を引いただけだ」


「赤線は"消せ"って意味ですよね」


 楓のノートのページがめくれた。


「消せ」


 


「代わりに"桐谷凛(部長・ミステリ担当)"と書け」


「お前は"大和壮介(エッセイ担当)"だ」


 部室が笑いに揺れた。


「エッセイ担当!? 俺がエッセイ!?」


 


 壮介がチラシに嬉しそうに書き込んだ。凛先輩に肩書をもらった。自分の作品の肩書だが、壮介は肩書に弱い。


 詩織さんがチラシの隅に何かを書き加えた。万年筆で。


「"あなたの言葉が、誰かに届く部活です"」


 


「いいキャッチコピーだな」


「取材です。勧誘チラシの取材」


 詩織さんのキャッチコピーが採用された。壮介の自分の作品は却下され、詩織さんの一行が残った。壮介が。


「俺の三時間は何だったんだ」


 と畳に突っ伏した。


    *


 翌日。壮介が修正版チラシを持って昇降口に立った。


 


 壮介が叫んでいる。声百五十パーセント。新入生が振り返っている。振り返ってはいるが、近づく者はいない。壮介の声量が逆効果だ。声が大きすぎて勧誘ではなく威嚇になっている。


「壮介、声を落とせ。新入生が怖がってる」


「怖がってない! 興味を持ってる!」


「目が泳いでるぞ。あの子たち」


「逃げてる証拠だ」


 壮介の勧誘活動は開始十分で成果ゼロ。チラシを受け取ってくれた新入生は三人。三人とも受け取った直後にゴミ箱に入れた。


「ゴミ箱!?」


 三十分で追加五枚配った。合計八枚。捨てられたのが三枚。歩留まりは六十二パーセント。


 詩織さんが図書委員の仕事の合間に合流した。


「勧誘、どうですか?」


「八枚配って三枚捨てられた」


「チラシの歩留まりは三割で普通です。五割残っているなら上出来です」


「詩織さん、チラシの歩留まりを知ってるのか」


「メモします。マーケティングの取材として。壮介くんは声型。朝倉くんは説得型。声型は範囲が広いですが恐怖度が高い」


「俺たちの勧誘を取材してたのか」


「取材対象は常に身近にあります」


    *


 放課後の廊下。チラシ配布の帰りに部室に向かっていた。壮介と二人で歩いている。壮介が残りのチラシを抱えている。まだ九十枚以上ある。


「九十枚も余ってる」


 


 廊下の角を曲がった時だった。


 廊下の窓際に一年生が立っていた。小柄な女の子。黒い髪をショートにしている。青いネクタイ。手にノートを持っている。ノートに何かを書いていた。


 壮介のチラシを持っていた。捨てていない。読んでいる。


「あ、先輩方」


 声をかけてきた。壮介のチラシを指で示した。


「これ、文芸部のチラシですよね」


 


「読みました。感想があります」


 


 一年生が少し間を置いた。ノートに目を落とした。そして顔を上げて言った。


「"チラシには 熱意はあれど 文芸の 文字が少なく カレーが多い"」


 短歌七七。短歌だ。


 壮介のチラシの感想を、短歌で述べた。


「短歌!?」


「萩原楓です。一年です。短歌を詠みます。チラシの感想は以上です」


「す、すげえ」


 壮介が呟いた。


「すごくありません。短歌は日本語の基本です」


「基本で人のチラシを批評するのか!?」


 楓がノートを閉じた。真面目な顔をしている。冗談で言っているのではない。本気で短歌が日本語の基本だと思っている。


 壮介が俺を見た。


「この子、マジだ」


 という顔をしている。凛先輩が作品で世界を解釈するように、楓は短歌で世界を切り取る。


「文芸部に興味があるのか?」


「あります。短歌を詠める部活を探していました。中学では文芸部がなかったので、一人で詠んでいました」


「一人で?」


「はい。中学三年間、ノートに詠み続けました。全部で五千首くらいです」


「五千首!?」


 壮介が絶叫した、五千首、三年間で五千。一人で詠んだ五千首。


「文芸部は短歌もOKだよ! うちの部長が」


「すみません。今日はこれで」


 楓が踵を返した。去ろうとしている。壮介が追いかけようとした。


「待って! 文芸部って短歌もOKなんだよ!」


 楓が足を止めた、振り返らない、でも立ち止まった。


「短歌?」


「短歌も俳句も小説もエッセイも、なんでも書ける部なんだ!」


「考えておきます」


 楓が歩き出した、背中が見える、小さな背中。ショートボブが揺れている。壮介が追いかけようとした。俺が止めた。


「壮介。今日は引け。無理に連れて行ってもダメだ」


「でも」


「"考えておきます"って言った。脈はある。明日もう一回声かけよう」


 


「あるよ。"短歌"って聞いた時に足が止まっただろ。興味はある。でも初対面で部室には行かない。慎重な子だ。慎重な子には時間をかけないと」


 ひなたがスマホでこっそり実況している。


「先輩たちの掛け合い、テンポ神です」


「待て。一日だけ。明日もう一回」


 壮介が頷いた。なぜか分からないが、壮介の中で楓は「待てる人」になっている。


 全員がそれぞれの場所で書いている。音だけが重なる。


    *


 部室に戻った。壮介が引き戸を開けた。バン、いつもの開け方。


 凛先輩がソファから顔を上げた。


 


 壮介の興奮が部室に充満している。作品屋の目。面白いものを見つけた時の目。


「名前は?」


 畳がきしんだ。


「五千首?」


 


 凛先輩の目が細くなった。


「面白いな。短歌を書く新入生か」


 詩織さんがメモを取り始めた。


「短歌で会話するのは珍しいですね」


 取材モード全開。


「千歳、調べられるか」


「学年と外見の特徴があれば」


「ショートボブ、小柄、涼しげな表情、青ネクタイ」


「調べます」


「探偵事務所かここは」


「取材事務所です」


「明日までに特定しろ」


 凛先輩の指令は常に短い。でも正確だ。


「短歌で会話する一年生」


 という情報だけで、凛先輩の頭の中では既にパズルが組み上がっている。限られた情報から全体像を描く。


 先生がコーヒーを飲みながら呟いた。


「短歌か。うちに短歌を詠む部員がいたら面白いな」


「先生も興味あるんですか」


「三十一文字は小説とは別の筋肉を使う。この部に新しい筋肉が加わるのは悪くない」


「先生が筋肉って言うの珍しいですね」


「精神の筋肉だ」


 先生の精神筋肉論は理解不能だが、先生が新しい部員に好意的なのは分かった。


「特定って言い方がすでに怖いんですが」


 凛先輩がソファに戻った。文庫本を開いた、でも読んでいない、考えている。短歌で即座に返す一年生。五千首の短歌。凛先輩の頭の中で何かが動いている。


「壮介」


「はい!」


「お前のチラシは文芸部史上最悪の出来だが、面白い子を見つけた。認める」


 


「矛盾を抱えて生きろ。それがお前の才能だ」


 「矛盾の才能!!」褒められたのか貶されたのか分からないが、壮介は褒められたほうに解釈した。


    *


 帰り道、壮介と歩いている、桜並木。夕暮れ。


 壮介が珍しく黙っていた。壮介が黙るのは年に数回しかない。食べ物を前にした時と、大事なことを考えている時だ。


「どうした」


「あの子さ、すごかった」


「うん。俺のチラシを一瞬で読んで、一瞬で五七五にした。頭の回転が速い。あと、"短歌"って聞いた時の顔が変わった。目が光った」


 壮介は人の感情の変化に敏感だ。三百文字しか書けなかった頃から、そこだけは天才だった。文章は下手でも、人の目の光を見逃さない。


「陽翔」


「ん?」


「あの子、うちに来てほしい」


 壮介の目が真剣だった。。まだ一回しか会っていないのに。


「俺は人の言葉で分かるんだ。上手い下手じゃなくて、本気かどうか。あの子の五七五は本気だった。俺の千二十文字と同じくらい本気だった」


 壮介は言語化が下手だ。でも。


「本気かどうか」


 を見抜く目は誰より鋭い。千二十文字を書いた男は、三十一文字を書く少女の本気を見抜いた。


「明日もう一回声かけよう。今度はちゃんと」


「ちゃんと!? 俺ちゃんとしてなかった!?」


「叫んでた」


 


「叫んでた。壮介の叫び百五十パーセントだった」


 


 壮介の通常が百五十パーセント。


 図書室にはもう一人、気になる一年生がいるらしい。詩織さんが。


「図書委員の仕事中に、ラノベばかり読んでいる一年生がいます。文芸部に新しい色が加わるかもしれない。」


 二年目の春。新しい風が吹き始めている。自分の作品のチラシが呼んだ風は、短歌七七の形をしていた。壮介の三時間の労作は凛先輩に赤ペンで真っ赤にされたが、五ミリの自分の文の絵は残った。五ミリの愛が、五千首の才能を見つけた。


 文芸部はいつだって、計画通りにいかない。計画通りにいかないから面白い。壮介のチラシが証明した。最悪の出来が最高の出会いを生む。


 壮介が笑った、全力の笑い。口が裂けそうなくらい大きく開けて。声が桜並木に響いて、通行人が振り返った。犬が一匹吠えた。壮介の笑い声は動物にも届く。


「明日は絶対連れてくる! 部室に! 凛先輩に会わせる!」


「焦るなよ。楓のペースで」


 


 楽しみ。壮介の目が光っている。人を楽しいと思える心。


 でも壮介の目は、もう九十枚のチラシより、中庭のベンチ。女の子のほうを向いている。壮介はまだ気づいていないだろうけど。


 帰り道の桜が夕日に染まっている。ピンクとオレンジが混ざった色。一年前の春も同じ色だったはずだ。でも今年の夕焼け桜は去年より鮮やかに見える。見る目が変わったからだ。一年間で。文芸部で。


「分からないから面白い」

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