第81話 初詣と初売りと初原稿
# 初詣と初売りと初原稿
一月二日。新年二日目。
壮介からLINEが来たのは朝七時だった。「初詣行こうぜ!! 全員集合!!」。朝七時に叫ぶテンションのLINEを送れる人間は壮介だけだ。
凛先輩が八時に返信した。「行く。十時に駅前集合」。詩織さんが「行きます。お賽銭持っていきますね」と返した。先生が「行く。缶コーヒーを買ってから」と返した。先生は初詣の前に缶コーヒーを経由する。初詣より缶コーヒーが先だ。
十時。駅前。五人が集まった。
壮介がマフラーを三重巻きにして待っていた。顔の下半分がマフラーに埋まっている。寒さ対策というより、着ぶくれだ。その横に凛先輩がコートの襟を立てて立っている。手袋をしていない。冷え性のくせに手袋を持ってこない。ミステリ屋のプライドか何か分からないが、手袋は凛先輩の美学に反するらしい。
詩織さんが来た。白いダッフルコート。マフラー。新年だからか少しだけ服装が華やかだ。普段の制服姿と印象が違う。いつもの万年筆は鞄の中にあるはずだ。初詣にも万年筆を持ってくる人。
先生が缶コーヒーを片手に現れた。正月仕様のパッケージ。金色のラベルに「新春」と書いてある。先生はパッケージで季節を選ぶタイプだ。
「全員揃ったな。行くぞ」
凛先輩が先頭に立った。新年でも凛先輩が先頭だ。五人が歩く。冬の商店街。正月飾りが店先に並んでいる。門松。しめ縄。金色と赤の飾り。空は冬晴れだ。風は冷たいが、太陽が出ている。新年の陽射しは清潔な感じがする。
*
神社の参道は人でいっぱいだった。
正月二日目だがまだ初詣客が多い。屋台が並んでいる。甘酒、焼きそば、たこ焼き、りんご飴。壮介の目が輝いた。
「屋台!! 焼きそば!!」
「参拝が先だ」
「焼きそばが先!!」
「参拝が先。食は後。掟だ」
「掟に食の順番はない!!」
「今作った」
凛先輩の掟は即席で追加される。壮介が「掟の追加権限は部長にあるの!?」と抗議した。凛先輩が「ある」と断定した。部長の断定は絶対だ。
参道を歩く。人混みの中を五人で歩く。壮介が先頭の凛先輩の後ろにぴったりくっついている。はぐれるのが怖いらしい。壮介は人混みが苦手だ。声が大きい人間に限って、大勢の中では縮む。
詩織さんが俺の隣を歩いていた。人混みで距離が近い。肩が触れそうだ。触れそうで触れない距離。十二月の帰り道と同じだ。
「人多いですね」
「正月だからな」
「去年の正月は一人で初詣に行きました。今年は五人で来れて嬉しいです」
「去年は一人だったのか」
「はい。文芸部がなかったから。友達と初詣に行く習慣がなくて」
詩織さんが去年の正月を一人で過ごしていたことを初めて知った。詩織さんは万年筆さえあれば一人でも平気な人だと思っていた。でも「嬉しい」と言った。五人で来れて嬉しいと。一人じゃないことが嬉しいのだ。
賽銭箱の前に並んだ。凛先輩が「文芸部の今年の目標を祈願する」と宣言した。全員が手を合わせた。
何を祈ろう。コンクール入賞。二年目のコンクールで結果を出すこと。凛先輩がコンクールで入賞すること。壮介が二千文字を超えること。詩織さんが金賞を獲ること。
目を閉じた。もう一つ。大晦日の抱負と同じ願い。
来年も全員でここに来られますように。
目を開けた。隣で詩織さんがまだ目を閉じて祈っている。長い。何をそんなに祈っているんだろう。開いた。詩織さんが微笑んだ。
「何を祈ったんですか」
「取材です」
「おみくじ引こう!!」
壮介が叫んだ。おみくじの売場に駆けていった。凛先輩が「走るな」と注意したが、既に壮介は列に並んでいた。
*
おみくじの結果。
凛先輩。大吉。
「おお」
凛先輩が紙を広げた。「学業:極めて良し」「恋愛:時期尚早」。
「学業は良い。恋愛は聞いていない」
「先輩、恋愛が時期尚早って」
「恋愛はミステリの伏線だ。急いで回収するものじゃない」
「恋愛をミステリに例えないでください」
壮介が凛先輩のおみくじを覗き込んだ。
「先輩、大吉ってすごいじゃん! さすが!!」
「おみくじに実力は関係ない」
「運も実力のうちだ!!」
詩織さん。中吉。
「創作:努力が実る」「忘れ物に注意」
「創作が実るのは嬉しいです。忘れ物には気をつけます」
「詩織さん、何か忘れ物しやすいの?」
「万年筆を家に忘れたことが三回あります」
「万年筆を忘れる詩織さんって、サッカー選手がスパイクを忘れるようなものだろ」
「その通りです。致命的です」
壮介。末吉。
壮介が紙を広げた瞬間、顔が曇った。
「飲食:控えめに」
「焼肉運が低調だ!!」
「焼肉運って項目はないだろ」
「あった!! "飲食:控えめに"って書いてある!! これは焼肉を控えろってことだ!!」
「飲食全般だろ。焼肉だけじゃない」
「俺にとって飲食イコール焼肉だ!!」
凛先輩が壮介のおみくじを読んだ。「学業:平凡」「恋愛:波乱の予感」。
「波乱の予感って何!?」
「知らない。おみくじに聞け」
「恋愛に波乱!? 俺の恋愛に波乱が!?」
「壮介に恋愛があるのか」
「ないけど!! 波乱って言われると気になる!!」
俺。吉。
「新しい出会い:あり」「文才:大いに伸びる」
文才が伸びる。嬉しい。おみくじの言葉を信じるタイプではないが、「伸びる」と書かれると悪い気はしない。
「新しい出会いって誰だろ」
「二年目の新入部員かもしれないな」
凛先輩が言った。来年、後輩が入るかもしれない。文芸部に。今は五人。来年は増えるかもしれない。
先生。凶。
全員が固まった。
「先生、凶です」
「知っている」
「大丈夫ですか」
「凶は"これ以上落ちない"という意味だ。あとは上がるだけ。最も前向きなおみくじだ」
「ポジティブすぎます」
「教師に必要なのはポジティブだ。凶を引いても生徒の前で笑える。それが教師だ」
先生が凶のおみくじを胸ポケットに入れた。缶コーヒーの隣に。赤ペン二本と凶のおみくじ。先生の胸ポケットの中身が年々カオスになっていく。
壮介がおみくじを結ぶ紐の前で悩んでいた。
「末吉って結ぶべき? 持って帰るべき?」
「悪いおみくじを結ぶのが作法だ」
「末吉は悪いのか? 良いのか?」
「中間だな。好きにしろ」
「じゃあ持って帰る! 焼肉運の回復を祈って!!」
「焼肉運はない」
全員がおみくじを持って帰ることにした。凛先輩が「全員のおみくじを部室のホワイトボードに貼ろう」と提案した。壮介が「先生の凶も!?」と聞いた。先生が「凶こそ飾るべきだ。戒めとして」と返した。教師が自分の凶を飾る部室。文芸部らしいと言えばらしい。
屋台に寄った。壮介が甘酒を買った。先生がお神酒を飲もうとして凛先輩に止められた。
「先生、未成年がいます」
「お神酒は宗教行事だ」
「ダメです」
「初詣の酒は酒ではなく祈りだ」
「理屈が破綻してます」
先生が仕方なく甘酒を買った。壮介と先生が並んで甘酒を飲んでいる。片方は声が大きすぎる高校生、片方は缶コーヒー中毒の教師。二人が並ぶと不思議な絵面だ。でもどちらも文芸部の一員だ。
壮介が焼きそばの屋台の前で足を止めた。
「焼きそば!」
「参拝は終わったから食べていいぞ」
「凛先輩の許可が出た!! 焼きそば二つ!!」
「二つ食うのか」
「一つは陽翔の分だ! おごり!」
「なんでおごってくれるんだよ」
「新年のお年玉だ! 焼きそば年玉!」
「焼きそば年玉って何だよ」
壮介から焼きそばを受け取った。ソースの匂い。正月の神社の焼きそばは格別にうまい。冬の空気と屋台の湯気。壮介が隣でもう一つの焼きそばを音を立てて食べている。壮介と焼きそばを食べる正月。去年はなかった。
*
初詣の後、商店街の初売りに行った。
壮介が文房具店の福袋に飛びついた。千円の福袋。中身を開けた。ノート三冊。ボールペン五本。消しゴム二個。マスキングテープ三本。
「ノートとペンしか入ってない!!」
「文房具店の福袋だぞ。何が入ってると思ったんだ」
「お菓子とか!!」
「文房具店にお菓子はない」
「文芸部員に最適な福袋だな」
凛先輩が壮介の福袋を見て頷いた。ノート三冊。壮介が今年書く原稿に使える。凛先輩にとっては全てが執筆の道具に見えるらしい。
詩織さんが万年筆のインクをまとめ買いしていた。初売り価格で二割引。五本のインク瓶を両手に抱えている。目が輝いている。詩織さんのインク在庫は常に豊富だ。万年筆のインクを切らすのは、詩織さんにとって呼吸を止めるのと同じレベルの危機だ。
「詩織さん、五本も買うの?」
「冬は書く量が増えるので。ストーブの前だとインクの出がいいんです」
「インクの消費量で季節が分かるのか」
「分かります。夏は月二本。冬は月三本です」
「インク消費量の季節変動を把握してるの、さすがだな」
凛先輩は古書店に入った。初売りの棚からミステリの古書を三冊引き抜いた。全部英語の原書。凛先輩は英語のミステリを原書で読む。先生の期末テスト前の英語指導が必要ないわけだ。
俺は何も買わなかった。
「何も買わないの?」
「今は必要なものがない」
「物欲ゼロか」
「あるとしたら原稿用紙だけど、部室にあるし」
「朝倉、物欲が文芸に全振りされている」
凛先輩に全振りと言われた。否定できない。今一番欲しいのは「いい文章が書ける能力」だ。店では売っていない。
*
初売りの帰りに部室に寄った。
凛先輩が引き戸を開けた。カラカラ。新年の部室。冬休み中は無人のはずだが、ストーブの準備がしてあった。先生が事前に灯油を入れていたらしい。凛先輩がマッチで点火した。オレンジの炎。暖気。畳の匂い。新年でも部室は部室だ。
「新年だから特別なことをしよう」
凛先輩がホワイトボードの前に立った。マーカーを持った。
「今年最初の一行を書け。全員、ノートに一行だけ。テーマは"今年の抱負"を小説の一行にしたもの。一分」
全員がペンを取った。一分間。ストーブの炎の音。ペンの音。壮介のフリック入力の音。新年の部室で、五人が同時に書いている。クリスマスの一行小説と同じ形式だ。これが恒例行事になっていく。季節の節目に一行を書く。文芸部の儀式。
壮介が一番早く書き終えた。読み上げる。
「"今年こそ長編を書く、と彼は毎年言っている"」
「自虐か」
「フィクションだよ!」
「フィクションにしては実感がこもってるな」
「フィクションです!! 彼は俺じゃない!!」
「彼は誰なんだ」
「架空の人物!!」
「架空の壮介だな」
「架空の!! 壮介じゃない!!」
全員が笑った。壮介の一行は壮介そのものだ。「今年こそ長編を書く」は壮介の永遠の抱負になるだろう。来年も再来年も同じことを言っている壮介が目に浮かぶ。
凛先輩。
「"密室の鍵を開ける方法は三つある。推理、暴力、そして愛"」
「かっこいい!!」
壮介が叫んだ。凛先輩の一行はミステリだ。何を書いてもミステリになる。推理と暴力と愛。凛先輩のミステリには今、三つ目の「愛」がある。秋のコンクールで「心臓のあるミステリ」を書いた凛先輩ならではの一行だ。
詩織さん。
「"一月の風は冷たいが、インクは温かい"」
静かな一行だった。詩織さんらしい。風とインク。外の寒さと手元の温かさ。万年筆のインクが温かいと感じる感性は詩織さんだけのものだ。
「詩的ですね」
「ありがとうございます。取材です」
「一行小説も取材なのか」
「すべては取材です」
俺の番。
「"走り方を変えた男は、今年も走る"」
去年の一年間の要約だ。サッカーで走れなくなった。ペンで走り始めた。今年も走る。走り方は変わったけど、走ること自体は変わらない。
「去年からの続きだな。いい」
凛先輩が短く認めた。
先生の番。少し間があった。缶コーヒーを一口飲んでから。
「"元日、ペンを持った。二十七年ぶりに"」
部室が静まった。全員が先生を見た。
「先生、書き始めたの!?」
壮介が聞いた。声がいつもより小さい。
「新年のノリで一行書いただけだ。気にするな」
「気になります!! めちゃくちゃ気になります!!」
「一行だ。一行だけ。続きがあるかは分からない」
「続き書いてくださいよ!! 先生の新作!!」
「うるさい。書くかどうかは俺が決める」
先生が缶コーヒーを飲んだ。プシュ、と蓋を閉める音。先生の「二十七年ぶりにペンを持った」は、大晦日の「書く」宣言の実行だ。元日にペンを持った。一行書いた。先生にとっての新しい一歩が、新年の最初の日に始まった。
壮介が先生の横に座った。
「先生。その一行、読みたい」
「読ませない。完成してからだ」
「完成するんですか!?」
「分からない。だが一行は書いた。二行目を書くかどうかは、明日の俺が決める」
「明日の先生に期待します!」
「期待するな。プレッシャーだ」
「じゃあ期待しないで見守ります!」
「それでいい。見守ってくれ」
先生が壮介を見た。目が少しだけ柔らかかった。壮介の「見守る」という言葉が、先生に届いたのだ。壮介の声は届く。言葉でも、焼きそばでも。
ストーブの上でみかんが温まっている。先生が持ってきたみかん。新年初のストーブみかん。皮が少し焦げている。甘い匂い。
「今年もここから始まるんだな」
壮介が呟いた。
「ここから始まり、ここで終わる。毎年同じだ」
凛先輩。
「毎年同じ部室で、少しずつ違う私たちで」
詩織さん。
「いいこと言うなあ」
俺。
「俺もいいこと言いたい! えーと」
壮介が三秒考えた。
「"みかんうまい"」
全員が笑った。みかんがうまい。正月のストーブの前で、五人が焼きみかんを食べて笑っている。去年の正月にはなかった光景だ。去年の一月二日、俺はまだサッカー部にいた。膝が痛かった。文芸部のことは知らなかった。
九ヶ月前に入部して、夏を越えて、秋を越えて、冬を越えて、新年を迎えた。同じ部室にいる。同じ五人がいる。ストーブが温かい。みかんが甘い。壮介がうるさい。凛先輩がクールだ。詩織さんが笑っている。先生が缶コーヒーを飲んでいる。
何も変わっていないようで、全部が変わった。
引き出しの中の封筒のことを思い出した。栞と手紙。「来年も隣で書こう」。渡すのはもう少し先だ。今はこの正月の空気を味わっていたい。五人で焼きみかんを食べている、この時間を。
帰り道。冬の午後。空が高い。正月の空は特別に高く見える。
壮介が「来年もここに来よう! 初詣!」と叫んだ。凛先輩が「来年も再来年も」と返した。再来年。凛先輩はその時もう卒業している。でもそのことは今は言わない。誰も言わない。今はただ、五人で歩いている冬の帰り道が温かければいい。
新しい年が始まった。文芸部の二度目の一月。去年の一月と同じ場所にいて、去年とは違う自分がいる。来年の一月には何があるだろう。分からない。でも一つだけ分かっていることがある。
ペンは持った。書く準備はできている。あとは走るだけだ。走り方を変えた男は、今年も走る。
ポケットの中のおみくじを触った。「文才:大いに伸びる」。信じてみよう。おみくじの神様が言うなら。伸びる。今年は、伸びる。五人で。この部室から。




