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第80話 大晦日の電話──五人それぞれの年越し

# 大晦日の電話──五人それぞれの年越し


 十二月三十一日。大晦日。


 リビングのテレビが年末特番を流している。芸人が大声で笑っている。母親が台所で年越しそばを茹でている。湯気が立っている。父親は単身赴任で今年も帰ってこない。来年の正月には帰ると言っていた。母親と二人の大晦日。去年と同じだ。


 でも去年と違うことがある。スマホの中に、年越しを一緒に迎える人たちがいる。


「陽翔、年越しそばできたわよ」


「ありがとう」


 母親が茹でた年越しそばを食べる。温かい。出汁の匂いが部屋に広がっている。テレビの画面がカウントダウンまであと二時間を示していた。


「今年はいい年だったね」


 母親が向かいに座って言った。


「まあ、うん」


「"まあ"じゃないでしょう。部活始めてから顔が変わったもの」


「変わった?」


「うん。笑うようになった。春は笑わなかったでしょう。膝のことがあって、ずっと暗い顔してた。今は違う。友達の話もするし、原稿がどうのこうのって楽しそうに話してる」


 言われてみればそうかもしれない。四月は笑えなかった。サッカーを辞めて何もなくなった四月。灰色の通学路。膝を押さえて歩いていた。あの頃の自分と今の自分は、同じ人間なのに中身が違う。


「友達って、壮介くんでしょ。電話で叫んでる声が聞こえるもの」


「壮介の声は壁を貫通するからな」


「千歳さんって子の話もよくするわね」


「詩織さんは部員だから」


「"部員だから"ねえ」


 母親がにやにやしている。壮介と同じ顔だ。にやにやする人間が周りに多すぎる。



    *



 壮介の家は騒がしい。


 壮介からLINEが来た。写真付き。リビングのこたつに六人が詰め込まれている。壮介、兄二人、妹一人、両親。全員が年越しそばを持っている。壮介の顔が一番でかい。画面の半分を壮介の顔が占領している。


「年越しそば早食い競争やった!! 俺一位!!」


「何と競争してるんだよ」


「兄貴二人と! 妹は不参加! 俺が十八秒で完食!!」


「そばを十八秒で食うな。味が分からないだろ」


「味は二回目で確認する!」


 壮介の家は毎年こうらしい。大家族の年末は戦場だ。テレビのチャンネル争いで兄と殴り合い、こたつの場所取りで妹と交渉し、年越しそばの早食いで父親に勝利する。壮介のエネルギーの源は、この家族にある。


 もう一枚写真が来た。壮介の妹が壮介の横でピースをしている。キャプション。「妹が"お兄ちゃん文芸部って何するの"って聞いてきた。"カレーうどンの小説を書く"って答えたら"?"って顔された」。


「当たり前だろ。もっとまともに説明しろ」


「じゃあ何て言えばいいんだ」


「"小説を書いたり読んだりする部活"でいいだろ」


「つまんない!!」


「事実だ」


「事実はつまんない!! 俺のカレーうどンのほうが面白い!!」


 壮介の妹にとって、文芸部はカレーうどンの部活として認識されてしまった。壮介の布教活動は方向を間違えている。



    *



 詩織さんは大晦日も書いていた。


 グループLINEに「今年最後の一段落を書き終えました」と投稿があった。午後九時。大晦日の午後九時に原稿を書いている人間は詩織さんくらいだ。


 凛先輩がすかさず返信した。「千歳、大晦日くらい休め」。詩織さんが「書いていないと落ち着かないんです」と返した。凛先輩が「その気持ちは分かるが、今夜は休め。年が明けてから書け」と返した。


 壮介が割り込んだ。「詩織ちゃん大晦日も書いてるの!? すげえ!!」。詩織さんが「すごくないです。習慣です」と返した。壮介が「習慣ってことは毎日書いてるの!?」と返した。詩織さんが「毎日です」と返した。壮介が「毎日!?」と返した。同じ会話が三回ループした。壮介のLINEは反復が多い。


 詩織さんの家は静からしい。両親と三人。大晦日の夜は家族で年越しそばを食べて、詩織さんだけ自室に戻って書く。母親がノックして「そば食べなさい」と言う。詩織さんが「あと一段落」と答える。母親が「毎年同じこと言うわね」と笑う。毎年同じ。詩織さんの大晦日はいつも原稿とともにある。


 凛先輩の家は母親と二人だ。グループLINEに凛先輩の投稿があった。「年越しそばを食べた。母が作った。まあまあだった」。壮介が「まあまあって失礼だろ!!」と返した。凛先輩が「事実だ。母は料理が得意じゃない。俺のほうが上手い」と返した。壮介が「凛先輩料理できるの!?」と返した。凛先輩が「ミステリのトリック設計と同じだ。手順通りにやれば完成する」と返した。


 料理をミステリに例える人は凛先輩だけだ。


 もう一つ投稿があった。凛先輩の自室の写真。机の上に参考書が積まれている。受験勉強の参考書と、文芸部の部誌が並んでいる。キャプション「受験勉強の合間に部誌を読んだ。第一号から第四号まで。全部読み返した」。壮介が「先輩、大晦日に部誌読んでるの!?」と返した。凛先輩が「一年間の振り返りだ。大晦日にやることだろう」と返した。


 凛先輩は大晦日に一年分の部誌を読み返していた。自分たちが書いたもの。壮介の千二十文字も、詩織さんの銀賞作品も、俺の朗読バトル原稿も。全部読んだ。凛先輩にとって部誌は一年間の記録だ。日記の代わりに部誌がある。


 先生はどうしているだろう。グループLINEに先生の投稿はない。先生は一人暮らしのワンルームで年越しを迎えるはずだ。缶ビールとカップ麺の年越しそば。テレビの年末特番を見ながらぼんやり過ごす。独身教師の大晦日。デスクの上には赤ペンが二本。古い赤ペンと、詩織さんにもらった新しい赤ペン。そのそばに原稿用紙があるはずだ。何か書いているかもしれない。書いていないかもしれない。先生は「書く」と宣言した。でも始めるのはいつだろう。


 先生にLINEを送った。「先生、年越しどうしてますか」。三分後に返信が来た。「飲んでる。一人で」。壮介が「先生一人で飲むのは寂しくないですか」と追撃した。先生が「大晦日の一人酒は風情だ」と返した。風情という言葉で孤独を包む先生らしい返し方だ。



    *



 午後十一時。壮介がグループLINEに投稿した。


「通話しよう! 全員で年越しカウントダウン!」


 一分後。凛先輩が「参加する」。詩織さんが「参加します」。先生が「仕方ない。参加する」。俺が「参加」。


 グループ通話が始まった。五人の声が重なる。壮介の声が一番大きい。凛先輩の声が一番短い。詩織さんの声が一番丁寧だ。先生の声が一番低い。俺の声はその間にいる。


「みんな何してた?」


 壮介が聞いた。


「本読んでた」


 凛先輩。大晦日に本を読む。凛先輩らしい。


「原稿書いてました」


 詩織さん。凛先輩に「休め」と言われたのにまだ書いていた。


「テレビ見てた」


 俺。普通だ。


「飲んでた」


 先生。一人で。缶ビール。たぶん三本目くらいだ。


「先生、来年は婚活してください」


 凛先輩が唐突に言った。


「大きなお世話だ」


「先生が一人で年越ししてるのは見ていて辛い」


「辛くないだろ。お前に関係ないだろ」


「関係ある。顧問の幸福は部の士気に影響する」


「何の理論だ」


「ミステリ屋の推理だ」


 壮介が食いついた。


「先生の婚活を文芸部でサポートしよう!」


「いらない!! 絶対にいらない!!」


「凛先輩がプロフィールを書いて、詩織ちゃんが写真を選んで、俺が声でアピールする!!」


「声でアピールって何だ」


「合コンのMC!!」


「合コンにMCはいらない」


 先生の婚活企画は即座に却下された。先生は来年も一人で年越しをするだろう。でもグループ通話に参加している。一人だけど独りじゃない。声が繋がっている。


「じゃあ大晦日だし、一人ずつ今年の一言を」


 凛先輩が仕切った。部長モード。大晦日でも凛先輩は部長だ。


「今年の一言。えーと」


 壮介が考えている。壮介が考える時間は短い。三秒。


「"文芸部最高!"」


「短いな」


「一言だろ! 一言で言えって言ったじゃん!」


「短すぎる。もう少し内容を」


「文芸部最高!! 以上!!」


「潔すぎるが、お前らしい」


 凛先輩の番。


「"後悔はない"」


 短い。凛先輩らしい。三文字で一年間を総括した。後悔はない。コンクールで入選できなかったことも、文化祭で五十七人だったことも、全部ひっくるめて後悔がない。凛先輩が「後悔はない」と言い切る一年間は、俺たちにとっても幸運だった。


 俺の番。


「"走り方を変えた年"」


 サッカーで走れなくなった。ペンで走り始めた。グラウンドから畳の上に。足から手に。走り方を変えた。変えたことで、走れるようになった。


「いい一言だ。お前らしい」


 凛先輩が短く認めた。


 詩織さんの番。


「"出会えた年"」


 声が穏やかだった。「出会えた」。何に出会ったのか。文芸部に。仲間に。コンクールに。ライバルに。それだけか。それだけじゃない気がする。でも詩織さんはそれ以上は言わなかった。


 先生の番。少し間があった。缶ビールを飲む音が聞こえた。


「"俺もまだ書ける、かもしれない年"」


「先生、"かもしれない"を取ってください」


 凛先輩が即座に言った。


「まだ取れない。来年取る」


「来年は"書ける年"にしてくださいね」


「善処する」


「善処じゃなくて確約してください」


「確約はできない。だが予告はする。来年、俺は書く。少しずつでいいから。お前たちが部室で書いているのを見て、書きたくなった。十年ぶりに」


 部室が静まった。通話の向こうの五つの空間が、同時に静まった。先生が「書く」と言った。大晦日の夜に。缶ビールを飲みながら。一人暮らしのワンルームで。十年間書かなかった人が、書くと言った。


「先生の予告、信じていいんですか」


 壮介が聞いた。壮介の声がいつもより小さかった。本気で聞いている。


「信じてくれ。今度こそ」


 先生の声が静かだった。でも確かだった。「今度こそ」には十年分の重さがあった。



    *



 午後十一時五十九分。テレビのカウントダウンが始まった。


「あと一分だ」


 凛先輩が言った。全員が黙った。テレビの声が五つのスマホから聞こえている。同じ番組を見ている。別々の場所で。同じ瞬間を待っている。


 十、九、八。


 壮介が数え始めた。声が大きい。一番大きい。


 七、六、五。


 凛先輩が冷静に数えている。正確に。一秒のずれもなく。


 四、三。


 詩織さんの声が聞こえた。万年筆を置いた音。書くのをやめて、カウントダウンに加わった。


 二、一。


「あけましておめでとう!!」


 壮介の声がスマホのスピーカーから爆音で出た。耳が痛い。


「うるさい!!」


 凛先輩。


「新年だ!! 新年は叫んでいい!!」


「ご近所迷惑だぞ」


「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」


 詩織さん。丁寧だ。大晦日が終わっても詩織さんは丁寧だ。


「こちらこそ」


 凛先輩。


「おめでとう。お前たちと迎える年越しは初めてだな」


 先生。声が少しだけ柔らかかった。缶ビールのせいか。それとも。


「先生、来年も一緒ですよ!」


「ああ。来年もな」


 五人が別々の場所にいる。壮介は大家族のリビングで。凛先輩は母親と二人のマンションで。詩織さんは自室の机の前で。先生は一人暮らしのワンルームで。俺は母親と二人のリビングで。


 全員が違う場所にいる。でも声が繋がっている。同じ瞬間を共有している。同じ零時を迎えた。同じ「おめでとう」を言った。


 部室の外でも文芸部は文芸部だ。距離は関係ない。ちゃぶ台がなくても、ソファがなくても、ストーブがなくても。声があれば繋がれる。


「新年の抱負も言おう。来年の一言」


 凛先輩がまた仕切った。新年も凛先輩が仕切る。来年も凛先輩がいる。三年生になっても。卒業するまでは。


「来年は五千文字書く!!」


 壮介。千九百八十文字の男が五千文字を宣言した。倍増を超えている。


「倍増が続くな」


「五千で長編作家!」


「五千は長編じゃない」


「俺はコンクールで入賞する。必ず」


 凛先輩。短い。断定的。凛先輩の一言は常に覚悟の塊だ。


「俺はコンクールで銅賞以上。そして」


 少し迷った。言うかどうか。言った。


「来年も全員でここにいること」


「いい抱負だ」


 凛先輩が短く返した。「全員でここにいること」。来年の三月には凛先輩が三年生になる。変わるものがある。でも今は全員がいる。全員がいる「今」を守りたい。


「私は金賞を獲ります。それと、もっと多くの人に物語を届けたい。朗読もリレー小説も。文芸部の外にも」


 詩織さん。金賞。氷室の上。そして「届けたい」。コンクールだけじゃなく、文化祭やそれ以外の場でも。詩織さんの視野が広がっている。


 先生の番。


「俺は書く。自分の小説を。少しずつでいいから、書く」


「おおっ」


 全員が声を上げた。先生が「書く」と宣言した。予告ではなく抱負として。


「まだ書いてないからな。予告だ」


「予告を抱負に昇格させてください」


「来年の結果で判断してくれ」


「先生、逃げないでくださいね」


「逃げない。今度こそ」


 二度目の「今度こそ」。大晦日に一度、新年に一度。同じ言葉が二度重なった。先生は本気だ。



    *



 通話が終わった。深夜一時。


 家が静かだ。母親はもう寝た。テレビは消えている。新年の最初の深夜。外は暗い。星が見えるかと思って窓を開けたら、曇り空だった。星は見えない。でもいい。声が聞こえたから。


 机に向かった。ノートを開いた。ペンを持った。新年の最初の行動。書くこと。文芸部員として、一年目の最後の月に、新しい年の最初の一行を書く。


 何を書くか。


「一月一日。新しい年の最初の朝はまだ来ていない。でもペンは持った」


 それだけ書いた。一行。短い。でもこの一行が、新年の最初の文芸部としての行為だ。ペンを持った。書いた。それだけでいい。


 引き出しを見た。封筒が入っている。万年筆の栞と手紙。「来年も隣で書こう」。来年が来た。もう来年だ。今年だ。隣で書く一年が始まる。


 一年目が終わろうとしている。入部してから九ヶ月。あと三ヶ月で一年生が終わる。二年目が来る。凛先輩が三年生になる。新しい後輩が来るかもしれない。


 変わるものがある。変わらないものもある。変わってほしくないものもある。変わるべきものもある。


 全部ひっくるめて、来年も書く。この部室で。この仲間と。凛先輩のいるソファの前で。壮介の声が響くちゃぶ台で。詩織さんの万年筆がサラサラと鳴る隣で。先生の缶コーヒーの匂いがする空間で。


 ノートを閉じた。ペンを置いた。窓の外はまだ暗い。新しい年の最初の朝は、まだ来ていない。


 でもペンは持った。


 それだけで、今年はもう始まっている。


 スマホの画面を見た。グループLINEの通知。壮介が「来年もよろしく!!」と送っていた。凛先輩が「来年じゃなくて今年だ」と訂正していた。壮介が「今年もよろしく!!」と送り直していた。詩織さんが「今年もよろしくお願いします」と丁寧に返していた。先生が「おやすみ」とだけ送っていた。


 俺も送った。「今年もよろしく。全員で」。


 スマホを閉じた。引き出しの封筒に手を触れた。冷たい紙の感触。栞と手紙。年が明けた。渡す年になった。いつ渡そう。初詣の後か。部室で二人きりの時か。


 まだ決めなくていい。今日は新年の最初の夜だ。ペンを持った。一行書いた。それで十分だ。


 目を閉じた。今年最初の眠りにつく。明日は何をしよう。初詣に行こうか。五人で。凛先輩がおみくじを引いて、壮介が屋台で焼きそばを買って、詩織さんが絵馬に「金賞」と書いて、先生が缶コーヒーを飲んで。


 その光景が目蓋の裏に浮かんでいる。浮かんだまま眠りに落ちた。新年の最初の夢は、たぶん部室の夢だ。

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