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第79話 陽翔のプレゼント選び──何を贈る?

# 陽翔のプレゼント選び──何を贈る?


 十二月二十六日。クリスマスパーティの翌々日。


 自室の机に向かっている。パソコンの画面は開いていない。ノートも閉じている。何も書いていない。書く気になれない。書く気になれない理由が分かっている。


 インクの瓶。


 クリスマスのプレゼント交換で詩織さんに渡したセピアブラウンのインク。「たまたま見かけて」と言った。嘘だ。文具店で三十分かけて選んだ。詩織さんが普段使っているメーカーの色見本を全部試し書きして、冬に合う色を探した。セピアブラウンを手に取った時、詩織さんの万年筆がこの色で文字を書いている姿が見えた。見えたから買った。


 たまたまじゃない。


 先生に見抜かれた。凛先輩にも見抜かれた。壮介にも見抜かれた。俺だけが「たまたま」と言い張っていた。部室の全員に嘘がバレている状態で「偶然だ」と主張するのは、ミステリの犯人がアリバイを崩された後に「知りません」と言い続けるのと同じだ。無理がある。


 問題は、その先だ。


 インクは五百円の予算内で買ったプレゼント交換の品物だ。ルール通り。形式通り。でもあの五百円のインクだけじゃ足りない気がする。足りないとは何だ。何が足りない。感謝が足りない。詩織さんへの感謝が、五百円のインクでは伝えきれない。


 感謝だ。感謝のプレゼント。


 それ以外の理由はない。


 ない、はずだ。


 スマホを手に取った。壮介に電話をかけた。



    *



「壮介、相談があるんだけど」


「おう、何?」


「詩織さんに、もう一つプレゼントを渡したいんだけど」


 三秒の沈黙があった。壮介が黙る。壮介が三秒も黙るのは、相手が何か重要なことを言った時だけだ。


「お前、それ"好き"のやつじゃん」


「違う!! 感謝のやつだ!!」


「感謝で"もう一つ渡したい"って思う?」


「思うだろ。普通に」


「普通は思わないよ」


 壮介の声が珍しく落ち着いていた。いつもの壮介なら「マジで!?」と叫ぶところだ。叫ばない壮介は、本気で親友モードに入っている。


「いいよ。買い物付き合う。明日、駅前で」


「助かる」


「陽翔」


「ん?」


「楽しみだな」


「何がだよ」


「お前がそうやって悩んでるのが。少年漫画みたいで」


「少年漫画関係ないだろ」


「恋愛回は少年漫画の華だ」


「恋愛回じゃない!!」


「お前の否定は信用しない」


 壮介の真顔が電話越しに見えた。スマホの向こうで、壮介がにやにやしている。間違いない。



    *



 翌日。駅前の商業施設。壮介と二人で歩いている。


 壮介が異常にテンションが高い。サンタ帽はさすがに外しているが、代わりにマフラーを首に三重に巻いている。暑苦しい。


「何がいいかな。予算は?」


「千円くらいで」


「千円か。何が買える?」


「それを考えにきたんだろ」


 最初にアクセサリー店に入った。壮介が「指輪とか?」と言った。


「重すぎる。付き合ってもないのに指輪は犯罪だ」


「犯罪って何だよ」


「感覚的にだ。千円のアクセサリーでも重い」


「じゃあ軽いもの」


「軽くて、でもちゃんと気持ちが伝わるもの」


「矛盾してない?」


 矛盾している。軽いのに気持ちが伝わる。そんなものが存在するのか。存在してほしい。


 アクセサリー店を出た。隣の雑貨屋に入った。マグカップの棚。「お揃いのマグカップ」という商品が並んでいる。壮介が指差した。


「ペアマグ!」


「ペアは一番重いだろ!!」


「重くない! マグカップは軽い! 陶器だから!」


「物理的な重さの話じゃない!!」


 雑貨屋を出た。ハンドクリームの棚がある化粧品コーナーの前で壮介が足を止めた。


「ハンドクリームは? 冬だし。手荒れに」


「ハンドクリームを女の子に贈る男って、どう思う?」


「優しい?」


「気持ち悪くないか?」


「分かんない。でも手が冷える季節だから実用的だぞ」


「実用的ではある。でもやめとく」


「何でだよ」


「何でか分からないけどやめとく」


 壮介が首を傾げた。俺も首を傾げた。何でダメなのか自分でも分からない。分からないけど「違う」という直感がある。ハンドクリームは詩織さんじゃない。詩織さんに合うものは、もっと「言葉」に近いものだ。


 文房具店に入った。インクの棚を見る。クリスマスのインクと被る。ペンの棚を見る。詩織さんは万年筆しか使わない。万年筆は千円では買えない。ノートの棚を見る。詩織さんのノートの好みが分からない。取材ノートは特注品らしい。


「壮介、どう思う」


「肉」


「プレゼントに肉!?」


「焼肉チケット!!」


「詩織さんに焼肉チケットを贈る男がいるか!?」


「喜ぶよ! 多分!」


「喜ばない!! いや分からない!! でも違う!!」


「じゃあカレーうどン」


「食べ物から離れろ!!」


 壮介のプレゼント提案は百パーセント食べ物だった。焼肉、カレーうどン、みかん、鯛焼き。全部却下した。壮介の世界観では贈り物イコール食べ物だ。食べ物で人を幸せにできると信じている。間違ってはいないが、今回は違う。


 本屋に入った。詩織さんが好きそうな小説を探す。でも詩織さんの読書量は尋常じゃない。取材ノートに読んだ本のリストが書いてあるのを見たことがある。三百冊以上。俺が選んだ本を既に読んでいる可能性が高い。


「詩織さんの読書量を考えると、本を贈るのは危険だ」


「何で?」


「もう読んでる可能性がある」


「被ったらどうすんの?」


「気まずい。"あ、持ってます"って言われる」


「それは確かにキツい」


 二時間歩き回って決まらなかった。カフェに入って休憩した。壮介がホットチョコレートを注文して「これプレゼントにしたら?」と言った。「液体は贈れない」と返した。


 カフェの窓際に座っている。外を歩く人たちがコートを着て足早に通り過ぎていく。カップルが手を繋いで歩いている。十二月の商業施設はカップルだらけだ。壮介と二人でここにいるのは、絵面的にかなり残念だ。


「なあ陽翔」


「ん」


「お前さ、何で詩織ちゃんだけ特別なの」


「特別じゃない。感謝だって言ってるだろ」


「凛先輩にも感謝してるだろ。先生にも。俺にも。でも"もう一つプレゼントを渡したい"とは思わないだろ?」


「それは」


「俺には思わないだろ?」


「お前に栞を渡してどうするんだよ」


「だから。詩織ちゃんにだけ渡したいんだろ。それが"特別"ってことだよ」


 壮介の論理が的確すぎて反論できなかった。凛先輩にも先生にも壮介にも感謝している。同じくらい。でも「もう一つ贈り物を」とは思わない。詩織さんにだけ思う。


 なぜか。


 なぜだろう。


 分からない。分からないふりをしている。本当は少し分かっている。分かっているけど認めたら大変なことになる。何が大変なのかも分からないけど、とにかく大変だ。


「まあいいや。答えは急がないよ」


 壮介がホットチョコレートを啜った。壮介は追い詰めない。答えが出るまで待つ。


 カフェの窓の向こうを、また一組のカップルが通り過ぎた。手を繋いで、笑いながら。俺と壮介はホットチョコレートを飲んでいる。男二人で。プレゼントを選べないまま。


「カップルって手を繋ぐのが当たり前なのかな」


「急に何だよ」


「いや。何でもない」


「何でもなくないだろ。お前今、手を繋ぐこと考えたろ」


「考えてない!!」


「顔に書いてあるぞ。"手を繋ぎたい"って」


「書いてない!!」


「陽翔の顔は原稿用紙より読みやすいな」


「読むな!!」


 壮介が笑った。声を出して。カフェの他の客が振り返るくらいの声量で。壮介は声が大きいから、笑い方も大きい。でもその笑い方に悪意はない。親友が恋に鈍感なのが楽しいだけだ。


「なあ陽翔。詩織ちゃんに一番渡したいものって何?」


 壮介が聞いた。ホットチョコレートのマグカップを両手で包みながら。声のトーンがさっきまでのギャグモードと違った。


「俺の言葉」


「は?」


「いつもありがとうとか、詩織さんのおかげで書けるようになったとか。一年間隣にいてくれたことへの感謝とか。渡したいのはそれだ。でもそれは店で買えない」


 壮介がマグカップを置いた。


「買えないけど渡せるじゃん」


「え?」


「書けばいいんだよ。お前、文芸部だろ?」


 壮介の目がまっすぐだった。ふざけていない。壮介が本気で何かを言う時は、目が変わる。普段は笑っている目が、光る。


「言葉を渡したいなら、書け。手紙でも一行小説でも何でもいい。店で買えないものは、自分で作ればいい。お前の言葉は、店のどんな商品より詩織ちゃんに届くよ」


 壮介は書く人間じゃない。届ける人間だ。


「壮介。お前、天才かもしれない」


「天才!? 俺が!?」


「プレゼント選びの天才じゃなくて、助言の天才」


「助言の天才!! いい響きだ!!」


「でも焼肉チケットの提案は二度としないでくれ」


「約束できない!!」



    *



 帰りに文房具店に寄った。


 栞の棚を見つけた。金属製の栞。しおり。本に挟むもの。詩織さんはいつも本を読んでいる。取材ノートにも使っている。栞なら軽い。でもずっと使ってもらえる。


 棚を見る。花のモチーフ。動物のモチーフ。星のモチーフ。どれも綺麗だけど、詩織さんに合うものが見つからない。


 一番下の段に、万年筆のモチーフの栞があった。金属製。銀色。万年筆のペン先が繊細に再現されている。小さい。本に挟んでも邪魔にならないサイズ。


 手に取った。千二百円。予算より少し高い。でもこれだ。詩織さんの万年筆。詩織さんが一番大切にしている道具のモチーフが、栞になっている。本を開くたびに万年筆が目に入る。書くことと読むことが繋がる。


「壮介、これ」


「栞? あ、万年筆の形だ」


「詩織さんにどうかな」


「いいじゃん。詩織ちゃんっぽい。本読む時にこれ挟んでたら、書くことを忘れない」


「そういうことだ」


「で、手紙も一緒に渡すんだろ」


「ああ。壮介が言った通り、書く。言葉を」


「よし。じゃあ俺の仕事はここまでだ」


 壮介が店の出口に向かった。振り返って「頑張れよ」と言った。「頑張れ」の声が、いつもの百パーセントの音量ではなく、五十パーセントくらいだった。壮介が声を抑える時は、本気で応援している時だ。


 レジで栞を買った。店員が「プレゼント包装しますか?」と聞いた。「お願いします」と答えた。小さな箱に入れてもらった。リボンは断った。リボンは重すぎる。


 買った。


 帰宅後。机に向かう。便箋を出す。先生にもらった文庫本が机の端に置いてある。あの本はまだ読みかけだ。走ることと立ち止まることの話。今の俺にぴったりの本を先生は選んだ。俺も、詩織さんにぴったりのものを選べただろうか。


 ペンを握る。


「千歳詩織さんへ」


 書き出しで止まった。何を書けばいい。感謝。一年間の感謝。入部してから今日まで。合宿で朗読を聞いた時。コンクールで一緒に結果を待った時。帰り道に並んで歩いた時。全部書きたい。全部書いたら便箋が足りない。


 一行目を書いた。「今年一年、ありがとうございました。文芸部に入って、詩織さんがいてくれて、毎日が」


 消した。長い。冗長だ。凛先輩に合評で「冗長」と言われるレベルだ。手紙で冗長は致命的だ。


 二行目。「詩織さんの作品が好きです。読んでいると心が」


 消した。「好き」という単語が出てきた。「好き」は作品に対してだ。作品にだ。作品に。人にじゃない。でも便箋の上で「好きです」と書くと、作品と人の区別が消える。万年筆のインクは意味を区別してくれない。


 三回目。「詩織さんがいなかったら、俺はまだグラウンドの端で立ち止まっていたと」


 消した。重い。感傷的すぎる。陽翔らしくない。俺はツッコミ担当だ。感傷を書く係じゃない。


 四回目。もう全部削ぎ落とした。必要な言葉だけ残した。


 三回書き直して、最終版。簡潔にした。


 最終版。簡潔にした。これ以上は書けない。これ以上書いたら「感謝」を超えてしまう。超えた先にあるものに、まだ名前をつけたくない。


「詩織さん。一年間ありがとう。来年も隣で書こう。——朝倉陽翔」


 二行。十一文字と十文字。合わせて二十一文字。壮介の千九百八十文字より遥かに短い。でもこの二十一文字を書くのに、一時間かかった。一文字あたり三分弱。コンクールの原稿より遅い。


 便箋を封筒に入れた。栞を一緒に入れた。万年筆モチーフの銀色の栞。本と万年筆が好きな人に、栞と手紙を。


 封筒を机の上に置いた。渡すのは年明けだ。今はまだ渡せない。渡す勇気が必要で、勇気はまだ溜まっていない。


 壮介にLINEを送った。


「書いた。手紙と栞にした」


 返信は十秒後。


「おー! 何て書いた?」


「教えない」


「ケチ!」


「ありがとう。壮介がいなかったら思いつかなかった」


「だろ? 恋愛相談は俺に任せろ」


「恋愛相談じゃない」


 壮介がスタンプを送ってきた。にやにやした顔のスタンプ。壮介のにやにやが画面の中にある。


「スタンプで返事するな!!」


 既読がついた。返信はなかった。にやにや顔のスタンプが画面に残っている。壮介のにやにやが、たぶん正しい。俺が「恋愛相談じゃない」と言い張っている限り、壮介はにやにやし続けるだろう。


 封筒を机の引き出しにしまった。年明けまで。渡すまで。この封筒は引き出しの中で眠る。


 机の上の文庫本を手に取った。先生にもらった本。読みかけのページを開く。栞を挟む場所がない。いつも適当にページの角を折っていた。詩織さんに贈る栞のことを考えた。詩織さんは本を丁寧に読む人だ。ページの角を折ったりしない。栞を使う。あの万年筆の栞を使ってくれたら、詩織さんの本の中に俺の選んだものが入る。


 何を考えているんだ。


 顔が熱い。十二月の夜の自室は寒いはずなのに、顔が熱い。


 壮介が言った。「何で詩織ちゃんだけ特別なの」。答えられなかった。凛先輩にも先生にも壮介にも同じように感謝している。でも「もう一つ渡したい」とは思わない。詩織さんにだけ思う。


 四月に入部した。先生に連れてこられて、詩織さんが万年筆で何かを書いていた。それが最初だった。あの日から八ヶ月。気がつけば、隣に座る場所が決まっていた。ちゃぶ台の斜め向かい。詩織さんの万年筆が見える位置。声が聞こえる距離。


 引き出しの中の封筒。「来年も隣で書こう」。隣。隣にいたい。それだけのことを書くのに一時間かかった。


 窓の外を見た。十二月の夜空。星が見えない。雲が出ている。明後日には大晦日が来る。年が変わる。一年目が終わりに近づいている。


 来年も隣で書こう。


 手紙に書いた言葉を、声に出さずに唇だけで繰り返した。誰にも聞こえない。自分にだけ聞こえる。窓の外の夜空に向かって。


 この気持ちが感謝なのか、それ以外の何かなのか。まだ分からない。分からないままでいい。今はまだ。名前をつけるのは、もう少し先にする。栞を渡した後でもいい。手紙を読んでもらった後でもいい。


 壮介に電話をかけた時、壮介は「楽しみだな」と言った。俺が悩んでいるのが楽しいと。少年漫画の恋愛回みたいだと。


 恋愛回じゃない。


 恋愛回じゃないと、もう一度自分に言い聞かせた。言い聞かせるということは、言い聞かせないと忘れそうだということだ。忘れそうだということは、たぶん、壮介のほうが正しい。


 今日のところは、この引き出しの中にしまっておく。封筒と一緒に。気持ちと一緒に。名前のないこの何かと一緒に。

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