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第78話 クリスマス部室パーティ──鍋の夜

# クリスマス部室パーティ──鍋の夜


 十二月二十四日。クリスマスイブ。冬休み中の旧校舎。


 壮介がサンタの帽子を被って部室に現れた。赤い帽子の先に白いポンポンがついている。百均で買ったらしい。ポンポンが既にほつれている。


「メリークリスマス!!」


「似合ってない」


 凛先輩が即答した。壮介が帽子のポンポンを握りしめた。


「即答!? せめて三秒くらい考えてくれ!」


「考えた結果だ。似合ってない」


「三秒で!?」


「一秒で分かった。残り二秒は言い方を考えた」


「言い方を考えてそれなの!?」


 壮介のサンタ帽は確かに似合っていない。壮介の顔は年中夏みたいに暑苦しいので、冬のイベントとの相性が悪い。サンタというよりビーチで日焼けした陽気な外国人がコスプレしている感じだ。


 詩織さんが本棚にリボンを巻いていた。赤いリボン。本棚の側面にぐるりと一周。


「本棚ツリーです」


「本棚ツリー?」


「クリスマスツリーの代わりに。本棚にリボンを巻けばツリーに見えるかと思って」


 見えない。本棚はどう見ても本棚だ。リボンを巻いた本棚は、プレゼントを包み損ねた大型家具にしか見えない。


「発想は面白いが見た目が地味だな」


「地味ですか」


「地味だ。だが文芸部らしい。華やかさの欠如が我々の持ち味だ」


「持ち味にしないでください」


 先生がトナカイのカチューシャをつけて入ってきた。茶色のツノが頭から二本生えている。先生の無表情とトナカイのツノの組み合わせが異様だ。


「先生、似合わないですね」


「分かってる。つけさせられたんだ」


 凛先輩を見た。凛先輩が平然とした顔でソファに座っている。


「クリスマスの精神だ」


「精神で教師にコスプレさせないでください」


「トナカイは精神の象徴だ」


「何の精神だよ」


 ちゃぶ台の上にカセットコンロが置かれていた。先生が持ち込んだ。鍋。土鍋。これも先生の私物。独身教師の台所から持ってきたらしい。独身教師の持ち物が文芸部の備品になっていく。


 材料は全員が持ち寄った。詩織さんが白菜と豆腐。凛先輩が鶏肉。俺がえのきと春菊。先生がみかんとポン酢。壮介が餅とカレーうどンの麺。


「壮介、カレーうどンの麺は何だ」


「〆だよ! 鍋の〆にカレーうどンを入れるんだ!」


「鍋の〆にカレーうどン!?」


「合う!! 絶対合う!! カレーうどンは何にでも合う!!」


「合わないだろ」


「やってみなきゃ分かんないだろ!」


 凛先輩が溜息をついた。でも止めなかった。止めないということは許可だ。凛先輩の無言は、八割が許可で二割が諦めだ。



    *



 壮介が料理長を名乗った。合宿のカレー以来、二度目の壮介料理長だ。


「鍋は切って入れるだけだ! 失敗しようがない!」


「お前の"失敗しようがない"は信用できない」


「カレーは成功しただろ!」


「カレーの成功体験を鍋に転用するな。別の料理だ」


 壮介が包丁を握った。白菜を切る。ざく、ざく、ざく。音は良い。切り方は雑だ。大きさが揃っていない。白菜の葉の部分と芯の部分が混在している。


「壮介くん、葉と芯は分けたほうがいいですよ。芯のほうが火が通りにくいので」


「詩織ちゃんが料理も分かる!?」


「料理は取材の一環で少し」


「取材で料理まで!?」


「食の描写をする時に実体験があると説得力が違うんです」


 詩織さんの取材範囲は本当に底が見えない。料理まで取材対象。凛先輩が「千歳は世界のすべてを取材する女だ」と言ったことがあるが、誇張ではなかった。


 壮介が鍋に具材を入れ始めた。白菜。豆腐。鶏肉。えのき。春菊。出汁を入れる。カセットコンロに火をつける。青い炎が土鍋の底を舐める。


「チョコレート入れていい?」


 壮介がポケットから板チョコを出した。


「ダメ!!」


 四人が同時に叫んだ。部室の壁が揺れた気がする。


「合宿のカレーでは許可されたのに!」


「カレーのチョコは隠し味だ。鍋にチョコは事故だ」


「事故じゃない! 挑戦だ!」


「挑戦は鍋でするな」


 壮介がしぶしぶチョコレートをポケットに戻した。鍋が煮えてくる。湯気が立ち上る。出汁の匂い。冬の部室にだしの香りが広がる。ストーブの暖気と鍋の蒸気で、部室が温室みたいに暖かくなった。


「いただきます」


 五人が声を揃えた。箸が伸びる。壮介が最初に豆腐を取った。箸で掴んだ瞬間に崩れた。


「豆腐!!」


「力を入れすぎだ」


「豆腐って何でこんなに壊れやすいんだ!」


「お前の箸圧が異常なんだ」


 詩織さんが春菊を取った。口に入れる。少し苦い顔をしてから、にっこり笑った。


「苦い。でも美味しいです。春菊の苦みは大人の味ですね」


「俺は子供の味がいい!」


「子供の味って何だよ」


「甘いやつ! プリン的なやつ!」


「鍋にプリンは入ってないぞ」


 凛先輩が静かに鶏肉を食べていた。箸の持ち方が綺麗だ。凛先輩は何をしていても所作が綺麗だ。


「悪くない。壮介、鍋は合格だ」


「合格!? 凛先輩に合格って言われた!!」


「カレーに続いて二度目の合格だ。料理の才能があるのかもしれない」


「料理の才能!! 文芸部で料理!!」


「文芸部で料理の才能を発揮されても困るが」


 先生がポン酢をかけた鶏肉を食べている。缶コーヒーは今日は飲んでいない。代わりに鍋のスープを飲んでいる。


「鍋と缶コーヒーは合わない。今日は鍋だけにする」


「先生が缶コーヒーを手放した!?」


「年に一度の例外だ。クリスマスだけは鍋を優先する」


「先生の中で鍋は缶コーヒーの上なんですか」


「同格だ。だが今日は鍋に譲る。クリスマスの精神だ」


「精神の使い方がおかしい」



    *



 鍋の〆で壮介がカレーうどンの麺を投入した。


「カレーうどン、投入!!」


「待て、本当に入れるのか」


「入れる! 凛先輩が許可した!」


「俺は許可していない。止めなかっただけだ」


「止めないのは許可と同じです!!」


 壮介が麺を鍋に入れた。カレーの粉末も一緒に。鍋のスープが黄色く変色していく。出汁の匂いにカレーの匂いが混ざる。


 全員が恐る恐る麺を啜った。


 一秒。二秒。


「うまい」


「うまい!?」


 凛先輩が驚いた顔をした。凛先輩が驚くのは珍しい。


「出汁のスープにカレーの風味が合っている。鶏肉の旨味がカレーに溶けて、麺に絡んでいる。意外だが悪くない」


「悪くないどころか美味いだろ!!」


「認める。美味い」


「凛先輩が"美味い"って!!」


 壮介の鍋カレーうどンは意外にも好評だった。全員がおかわりした。先生が二杯目を啜りながら「これは缶コーヒーに匹敵するかもしれない」と呟いた。壮介がガッツポーズをした。缶コーヒーに匹敵する。先生の最高の賛辞だ。



    *



 鍋の後。プレゼント交換の時間。


 ルールは壮介が決めた。予算五百円以内。紙くじで誰に渡すかを抽選する。壮介がノートの切れ端に名前を書いて、凛先輩の帽子に入れた。凛先輩の帽子がくじ引きの箱に使われた。凛先輩は「帽子を返せ」と言ったが、もう名前が入っている。


 一人ずつくじを引く。


 壮介が引いた。「凛先輩」。壮介が凛先輩にプレゼントを渡す。紙袋の中身はみかん五個セット。


「予算内!!」


「みかんか」


「先輩、みかん好きでしょ! ストーブで焼くやつ!」


 凛先輩がみかんの袋を受け取った。少し嬉しそうな顔をした。口元だけ。凛先輩はみかんが好きだ。ストーブの上でみかんを焼く先生の真似をして、毎日みかんを一個食べている。壮介はそれを覚えていた。


 凛先輩が引いた。「壮介」。ボールペンセットを渡した。三色ボールペンの高級版。


「書け。もっと書け」


「プレゼントにプレッシャーを込めないで!!」


「ボールペンは道具だ。道具を贈るのは"使え"という意味だ」


「使います!! 書きます!! 二千文字超えます!!」


 詩織さんが引いた。「霧島先生」。赤ペンの高級版。胸ポケットに入るサイズ。


「先生、いつもの赤ペンより書きやすいはずです。試してみてください」


「千歳。ありがとう。大事に使う」


 先生が赤ペンを胸ポケットに差した。いつもの安い赤ペンの隣に、詩織さんからもらった高級赤ペンが並んだ。二本の赤ペンが先生の胸ポケットに刺さっている。


 先生が引いた。「朝倉」。文庫本を一冊。古い文庫本。カバーが少し黄ばんでいる。


「俺が学生時代に好きだった小説だ。お前に合うと思う」


 タイトルを見た。走ることと立ち止まることについて書かれた小説。先生が俺に合うと思った本。先生は俺のことをちゃんと見ている。缶コーヒーの向こうから、ずっと。


「先生。ありがとうございます」


「礼なら読んでから言え」


 俺が引いた。最後のくじ。「詩織さん」。


 万年筆用のインクを渡した。詩織さんが普段使っているインクと同じメーカーの別色。セピアブラウン。詩織さんの青黒インクとは違う、温かみのある茶色。


「朝倉くん。覚えていてくれたんですか。インクのメーカー」


「たまたま見かけて」


「セピアブラウン。冬の色ですね。温かい色」


 詩織さんがインクの瓶を両手で包むように持った。小さなガラス瓶。中の液体が冬の光を透かしている。


「嬉しい。本当に嬉しいです」


 壮介が横からにやにやしていた。


「陽翔の詩織ちゃんへのプレゼント、チョイスが的確すぎない?」


「偶然だ」


「偶然でインクのメーカー覚えてる?」


 凛先輩がソファからにやりと笑った。


「朝倉、お前も千歳並みの観察力があるじゃないか」


「違います。たまたまです」


「たまたまセピアブラウンを選んだのか。千歳の好みの色味を」


「好みかどうかは知りません!!」


 先生が追い打ちをかけた。


「朝倉。インクの色を選ぶのは文具店で三十秒では済まない。試し書きをして、光にかざして、色味を確認して選ぶものだ。つまりお前は相当な時間をかけて千歳のインクを選んだ」


「先生まで分析しないでください!」


「教師の観察だ」


「観察するな!!」


 詩織さんがインクの瓶を大事そうに抱えている。頬が少し赤い。ストーブの熱のせいか、別の理由か。聞かない。聞いたら壮介にからかわれる。というかもうからかわれている。


 壮介がボールペンセットを開封した。三色ボールペンを握って、試し書きをしている。「おお、書きやすい!」。凛先輩が「当然だ。五百円の限界を攻めた」と返した。五百円の限界を攻めるボールペン選び。凛先輩の買い物にはミステリの精密さがある。


 先生が新しい赤ペンを胸ポケットから出して眺めている。詩織さんからもらった高級赤ペン。キャップを外してノートの端に一本線を引いた。


「いい線だ。赤の深みが違う」


「気に入っていただけました?」


「気に入った。明日からこれを使う」


「明日って先生、冬休みですよ」


「家で原稿に赤を入れる。自分の原稿に」


 先生が自分の原稿に赤ペンを入れている。先生は書いている。少しずつ。壮介がもらった文庫本の横に、俺がもらった文庫本がある。先生の青春と俺の今が、ちゃぶ台の上で並んでいる。



    *



 鍋の余韻が残る部室で、凛先輩が立ち上がった。


「クリスマスだから特別企画をやる。全員、即興で"クリスマスの一行小説"を書け」


「一行小説?」


「一行だけ。三十文字以内。テーマは"贈り物"。一分で書け」


 全員がペンを取った。紙に向かった。一分。ストーブの炎が揺れる音だけが聞こえる。


 凛先輩から。


「"完璧な推理より、不完全な笑顔を贈りたかった"」


 ミステリ屋のクリスマス。完璧な推理より笑顔を選ぶ。凛先輩の一行は、凛先輩自身の変化そのものだった。


 詩織さん。


「"あなたの言葉が、私への一番の贈り物です"」


 詩織さんの目が一瞬だけ俺を見た。一瞬。たぶん気のせいだ。


 壮介。


「"メリークリスマス。肉をくれ"」


「短い!! あと欲望!!」


「一行小説は短くていいんだろ! 三十文字以内! 守った!」


「文字数を守れという話じゃない! 内容の話だ!」


「肉は内容だろ!」


 俺。


「"居場所をもらった。返しきれないほどの"」


 書いてから少し恥ずかしくなった。でも本音だ。この部室は俺にとっての贈り物だ。サッカーを辞めて何もなかった四月に、先生に連れてこられたこの六畳間。八ヶ月経って、ここが居場所になった。返しきれない。


 先生。


「"二十四年前の今夜、俺は小説家になると決めた"」


 部室が静まった。


「先生、それクリスマスの思い出ですか」


「そうだ。中学三年のクリスマス。サンタの代わりに原稿用紙をもらった。親に"小説家になりたい"と言ったら、原稿用紙を五百枚買ってくれた。あの夜から書き始めた」


「サンタが原稿用紙」


「あの五百枚を全部使い切るまでに十年かかった。結局小説家にはなれなかったが、書くことはやめなかった。やめられなかった」


 先生が缶コーヒーではなく鍋のスープを啜った。目が遠くを見ている。二十四年前のクリスマスを見ている。


「先生。今も書いてるじゃないですか」


「書いている。お前たちのおかげで」


「じゃあサンタは二回来たんですね。一回目は原稿用紙。二回目は文芸部」


 先生が俺を見た。三秒。それから缶コーヒーの代わりに鍋のスープを飲み干した。


「悪くない一行だ。朝倉」


 褒められたのか感想を言われたのか分からないが、先生の「悪くない」は最上級の肯定だ。



    *



 帰り支度。鍋を洗って、カセットコンロを片付けて、ストーブを消す。いつもの儀式。壮介が窓の結露に「メリクリ」と指で書いた。結露書道のクリスマスバージョン。


「壮介、"メリクリ"は略しすぎだろ」


「結露の面積が足りない!」


 凛先輩が引き戸を開けた。廊下の冷気が流れ込む。鍋で温まった体が一気に冷える。


「寒い」


「鍋の後の外は格別に寒いな」


「でもお腹は温かい。壮介のカレーうどンのおかげだ」


「俺のカレーうどンが腹を温めた!! 認められた!!」


 旧校舎の階段を五人で降りる。壮介のサンタ帽が揺れている。先生のトナカイのカチューシャは既に外されてポケットに入っている。詩織さんがインクの瓶を大事そうにコートのポケットに入れていた。俺の手には先生にもらった文庫本がある。凛先輩はみかんの袋を片手にぶら下げている。


 全員がプレゼントを持って帰る。五百円以内の、小さな贈り物。でも全員が相手のことを考えて選んだ。壮介は凛先輩のみかん好きを覚えていた。凛先輩は壮介に「書け」とメッセージを込めた。詩織さんは先生の赤ペンを見ていた。先生は俺の読書傾向を知っていた。


 校門を出る。十二月の夜空。星が見えない。雲が出ている。明日は雪かもしれない。


「メリークリスマス」


 詩織さんが言った。全員に向かって。静かな声で。


「メリークリスマス」


 全員が返した。声が揃った。鍋の夜の、最後の合唱。


 手のひらがまだ温かい。鍋のスープとストーブの余熱と、プレゼントを選んだ人たちの気持ちが、掌の中に残っている。


 家に帰ったら先生にもらった文庫本を読もう。走ることと立ち止まることについて書かれた小説。先生が十代の時に好きだった本。先生の十代と俺の十代が、一冊の文庫本で繋がる。


 壮介からLINEが来た。「今日の鍋、最高だったな!! カレーうどンの〆が認められた!! 来年もやろう!!」。凛先輩が返信した。「毎年恒例にしてもいい」。詩織さんが返信した。「来年は私が出汁を取ります。昆布と鰹の合わせ出汁で」。先生が返信した。「みかんは俺が持っていく。毎年」。


 毎年。来年も。再来年も。クリスマスに部室で鍋を食べる。壮介がサンタ帽を被って、凛先輩がみかんを焼いて、先生がトナカイのカチューシャを嫌がりながらつけて。


 そういう「毎年」が、文芸部の歴史になっていくんだろう。一年目のクリスマス。鍋の夜。五人のプレゼント。一行小説。全部が記憶に残る。来年の今日、この夜を思い出す。覚えている。


 インクの瓶を選んだ時のことを思い出した。文具店で三十分かけた。先生に見抜かれた。たまたまじゃない。ちゃんと選んだ。詩織さんに合う色を。


 それが何を意味するのかは、まだ考えないことにする。

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