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第74話 結果発表・秋──詩織、銀賞

# 結果発表・秋──詩織、銀賞


 十二月半ば。月曜日の朝。目覚ましが鳴る前に目が覚めた。


 スマホの画面を見る。午前六時十二分。秋のコンクールの結果発表は正午にサイト掲載。あと六時間弱。寝直す気にはなれない。布団の中でスマホを握ったまま天井を見ている。


 夏のコンクールの結果発表の日を思い出した。あの時は何も知らなかった。落選の痛みも、入選の喜びも。まっさらな状態でサイトを開いた。今回は違う。夏の結果を知っている。詩織さんが佳作を獲った時の涙も、自分の名前がどこにもなかった時の静けさも。全部知った上で、二度目の結果発表を迎える。


 先生が言っていた。「結果を受け止める準備をしろ」と。


 準備はした。つもりだ。


 朝食の味噌汁を飲んだ。味がしない。母親が「顔色悪いわよ」と言った。「大丈夫」と答えた。大丈夫じゃないけど、大丈夫だと言うしかない。



    *



 教室。壮介が机に突っ伏していた。


 いつも騒がしい壮介が黙っている。その異常さにクラスメイトが反応するほうが早かった。「大和、体調悪い?」「精神的に悪い」。壮介の返答が珍しく短い。


「壮介、大丈夫か」


「大丈夫じゃない。朝からポスト三回見た」


「ポスト?」


「入賞者には郵送で通知が来るって聞いて。朝六時にポスト見て、七時に見て、登校前にもう一回見た」


「三回見ても届いてなかったのか」


「届いてなかった。でもまだ希望はある。配達が遅れてるだけかもしれない」


「壮介。通知は結果発表の前日までに届くって書いてあっただろ」


「言うな!! 最後の希望を残させてくれ!!」


 壮介が机に額をぶつけた。壮介なりの精神統一らしい。がん、と鈍い音がした。周囲の生徒が振り返った。壮介のメンタルケアは物理的だ。


 授業が始まった。ノートにペンを走らせるが、何も書けない。教科書の文字が頭を素通りしていく。時計の針ばかり見ている。十時。十一時。昼休みが近づくにつれて心拍が上がる。膝の上で拳を握っている。手汗がひどい。


 詩織さんからLINEが来た。「昼休みに部室に集合しましょう。全員で見ましょう」。短いメッセージ。万年筆ではなくスマホの文字。俺が「分かった」と返す。壮介に転送する。壮介の返信は「行く」の二文字だけだった。



    *



 昼休み。部室。


 引き戸を開けると、凛先輩が既にいた。ソファではなくちゃぶ台の前に座っている。ノートPCの電源を入れていた。画面が白く光っている。凛先輩の顔に、いつもの余裕がない。表情筋が硬い。


 詩織さんが入ってきた。万年筆を持っていない。手ぶらだ。書く余裕がないのだ。詩織さんが万年筆を手放すのは珍しい。ちゃぶ台の横に静かに座った。


 壮介が最後に入ってきた。いつもならドアをバンと開けるのに、今日はそっと引いた。カラカラ、と引き戸が静かに鳴った。壮介が静かなのは、嵐の前の凪に似ている。


 先生はいなかった。「授業があるから見届けられない。結果はLINEで教えろ」とだけ言い残して不在。先生の缶コーヒーがちゃぶ台の端に一本置いてあった。差し入れだ。ホット。


 凛先輩がコンクールの公式サイトを開いた。結果ページはまだ更新されていない。「正午更新」の表示。時計を見る。十一時五十八分。


「全員、心の準備はいいか」


「できてない」


 壮介が正直に言った。


「正直だな」


「できてないけど見る」


「それでいい」


 詩織さんが俺の横に座った。近い。肩が触れそうな距離。


「朝倉くん」


「うん」


「結果がどうであれ、書いた原稿は本物です」


 詩織さんの声が静かだった。俺に言っているのか、自分に言い聞かせているのか。たぶん両方だ。


「うん。ありがとう」


 十一時五十九分。部室の時計の秒針が動いている。カチ、カチ、カチ。窓の外でグラウンドの声が聞こえる。遠い。今、この部室の中にいるのは四人。この四人が同じ瞬間を待っている。一人で見ることもできた。でも全員で見ることを選んだ。


 十二時。


 凛先輩の指がF5キーを押した。


 画面がリロードされる。読み込み中のアイコンが回る。一秒。二秒。三秒。全員が画面に顔を寄せている。壮介の息が荒い。詩織さんの指が組まれている。凛先輩のペンを持つ手が微かに震えている。


 ページが表示された。



    *



 「第二十八回 秋季高校文芸コンクール 結果発表」


 金賞。


 氷室蓮(清水ヶ丘高校)。


 壮介が「あいつだ」と声を漏らした。凛先輩が「黙れ、続きを見ろ」と短く制した。また氷室だ。夏の銀賞に続いて、秋は金賞。一つ上げてきた。


 銀賞。


 画面をスクロールする凛先輩の指が止まった。


 千歳詩織(朝凪高等学校)。


 詩織さんの名前だ。銀賞。夏の佳作から二段階上がった。


「銀賞!! 詩織ちゃん銀賞!!」


 壮介が叫んだ。声量が部室の壁を揺らした。夏のコンクールの時と同じ叫び方だ。壮介は人の成功に全力で叫べる人間だ。


 詩織さんが画面を食い入るように見つめている。


「銀、賞」


 声が震えている。信じられないという顔。夏の佳作の時は目が潤んだだけだった。今回は唇が震えている。銀賞。佳作を飛び越えて。銅賞を飛び越えて。一気に銀まで跳んだ。


 凛先輩がスクロールを続ける。銅賞。知らない名前。佳作のリスト。五人の名前が並んでいる。一つずつ読む。凛先輩の名前を探す。


 ない。


 凛先輩の名前は、佳作リストにもなかった。


 凛先輩の指がキーボードから離れた。画面から静かに目を逸らした。表情は変わらない。クールなままだ。でも、指が震えていたのが止まった。震える余裕すらなくなったように見えた。


 奨励賞のリスト。


 朝倉陽翔(朝凪高等学校)。


 俺の名前がある。


「陽翔も入ってる!! 奨励賞!!」


 壮介がまた叫んだ。俺の名前を見つけてくれた。夏は何もなかった。リストのどこにも名前がなかった。今回はある。奨励賞。最下位の賞だ。一番下だ。でも名前がある。画面の中に、俺の名前が表示されている。


「奨励賞」


 自分の声が震えているのが分かった。目頭が熱い。奨励賞。たった二文字の賞。でもその二文字は、夏の何もなかった空白よりずっと重い。


「朝倉、おめでとう。夏の雪辱を果たしたな」


 凛先輩が言った。声は平静だ。後輩を祝福する先輩の声。でもその先輩自身はリストのどこにもいない。


「はい。先輩、ありがとうございます」


 壮介の名前もリストにはなかった。壮介は叫んでいた。俺と詩織さんのために。自分の名前がなかったことには触れない。壮介は自分のことを後回しにできる人間だ。


 凛先輩が立ち上がった。


「千歳、おめでとう。銀賞は立派だ。朝倉もおめでとう。奨励賞は"次に期待する"という審査員からのメッセージだ」


 一拍おいて。


「壮介と俺は今回縁がなかった。でも出した。四人とも出した。それは変わらない」


 凛先輩の声は平静だった。手は震えていない。もう震えない。結果を受け止めた。先生が言った通りに。受け止めて、立っている。



    *



 窓辺に詩織さんが立っていた。


 夏と同じ構図だ。窓からの光に照らされて、詩織さんの横顔が見える。涙が頬を伝っている。夏は佳作で泣いた。秋は銀賞で泣いている。嬉しい涙と悔しい涙が混ざっている。


 横に立った。


「おめでとう、詩織さん。銀賞だ」


「ありがとうございます」


 詩織さんが涙を拭った。拭いたのに、また涙が出てくる。笑おうとしているのに涙が止まらない。笑い顔と泣き顔が同時にある。


「でも氷室さんは金賞です。また負けました」


「夏は佳作で氷室は銀賞だった。差は二段階あった。今回は詩織さんが銀賞で氷室が金賞。差は一段階だ。縮まってる」


「でもまだ届かない」


 詩織さんの声が小さくなった。窓の外を見ている。グラウンドが見える。冬の午後の光がグラウンドを照らしている。俺がサッカーをしていた場所だ。


「"声"をテーマにして、構成も直して、プロットシートも使って、全力で書きました。それでも金には届かなかった」


「届く。次は」


「なぜ、そう言い切れるんですか」


「詩織さんの成長速度を見てるからだ。夏から秋で佳作から銀賞。半年で二段階。このペースならあと半年で金に届く」


 根拠がある計算ではない。ただ信じているだけだ。詩織さんの文章が、毎週のように進化していくのを隣で見ている。構成が良くなった。描写の密度が上がった。プロットシートを使い始めてから、構造の隙がなくなった。半年後の詩織さんは、今の詩織さんより確実に強い。


 詩織さんが涙を拭った。今度は止まった。


「次は金賞を獲ります。三度目の正直です」


 声が澄んでいた。泣いた後の声は透明度が高い。不純物が全部流れた後の、きれいな声。


「俺も隣で入賞する。約束だ」


「はい。約束です」


 詩織さんが微笑んだ。窓辺で。冬の光の中で。目がまだ赤い。でも笑っている。涙の跡が頬に残ったまま笑う詩織さんは、夏の佳作の時よりも強い顔をしていた。


 夏に約束した「来年一緒に入賞しよう」が部分的に叶った。二人とも賞を獲った。でもまだ途中だ。詩織さんの目標は金賞。俺の目標は奨励賞の上。二人の旅はまだ続く。



    *



 帰り際、凛先輩が一人で本棚の前に立っていた。


 詩織さんと壮介は先に帰った。壮介が「焼肉食いに行こう!! 祝勝会と慰労会を兼ねて!!」と詩織さんを誘って出ていった。壮介のポジティブは本物だ。自分の名前がリストになかったことを、焼肉の計画で上書きできる。


 凛先輩は残った。本棚の部誌を眺めている。背中が小さく見えた。いつもソファの上で大きく見える人の背中が、立つと小さい。


「先輩」


「帰ったのか、全員」


「壮介と詩織さんは帰りました」


「そうか」


 凛先輩が本棚から視線を外さない。部誌の背表紙を指でなぞっている。第一号。第二号。第三号。春から作ってきた三冊。


「後輩に先を越された。カッコ悪いな」


 声に感情がなかった。クールを装っている。でもそれがクールなのか、感情を封じ込めているのか、俺には分かる。入部して八ヶ月、この人の背中をずっと見てきた。凛先輩が感情を隠す時は、声から抑揚が消える。


「先輩のミステリは——」


「言うな。慰めは要らない。結果は結果だ。俺の作品が足りなかった。それだけだ」


 断定口調。凛先輩の口癖だ。短く、強く、言い切る。でも今日の断定には、いつもの鋭さがない。刃こぼれしたナイフみたいだ。切れ味を保とうとして、でも錆が出ている。


 慰めは要らないと言われた。だから慰めない。事実を言う。


「先輩。慰めじゃなくて事実を言います」


「何だ」


「先輩の"守護者の密室"は、俺が読んで泣いた作品です。合評で読んだ時じゃない。先輩が原稿を渡してくれた日に、一人で読んで泣いた。あの犯人の"守りたかった"って感情は、俺の胸に刺さった。審査員に認められなかった。でも俺には届いた。それは嘘じゃないです」


 凛先輩が黙った。本棚の前で。部誌の背表紙に指を置いたまま。


「先輩はあと三回出せると言った。残り三回で必ず獲ります。先輩なら」


 長い沈黙があった。部室の時計がカチ、カチと刻んでいる。窓の外で風が鳴っている。十二月の風。冬の始まり。


「ありがとう」


 小さな声だった。凛先輩の声としては聞いたことがないくらい小さかった。


「来年は、絶対に獲る」


 凛先輩が振り返った。目が赤かった。泣いてはいない。泣くのを堪えている目だ。凛先輩は泣かない人だ。掟の四番目を書いたのは凛先輩自身だ。泣くな。自分にも、後輩にも、その掟を課している。


「絶対に」


 もう一度言った。二度目の「絶対に」は、一度目より力がこもっていた。本棚の前で。部誌三冊を背にして。先輩が後輩に見せた、初めての弱さと、二度目の強さ。



    *



 全員が部室に戻った。壮介が焼肉の帰りにコンビニで買ったシュークリームを配っている。「祝勝会の延長!!」と叫びながら。凛先輩はいつの間にかソファに戻っていた。いつもの姿勢。足を組んで文庫本を開いている。目の赤みは消えていた。


 先生がLINEで結果を聞いたらしい。部室に来た。缶コーヒーを四本持って。ホットだ。十二月だから。


「結果が出た。良い結果も悔しい結果もある」


 全員がちゃぶ台の周りに座った。先生がコーヒーを配る。壮介に一本。凛先輩に一本。詩織さんに一本。俺に一本。先生は自分用をもう一本持っていた。五本目。先生の計画性は缶コーヒーにだけ発揮される。


「俺が前回言ったことを覚えているか。"結果を受け止める準備をしろ"と」


 全員が頷いた。


「受け止めたか」


「受け止めました」


 凛先輩が答えた。声がいつもの凛先輩に戻っている。クールで、簡潔で、揺るがない声。


「受け止めた!」


 壮介が答えた。シュークリームのクリームが口の端についている。受け止めたのか食べているのか分からないが、壮介は壮介だ。


「はい」


 詩織さんが答えた。静かに。涙はもう乾いている。


「はい」


 俺が答えた。奨励賞の二文字を、胸の中に収めた状態で。


「よし」


 先生が缶コーヒーを開けた。プシュ、と小さな音。


「じゃあ次に行け」


 先生の顔が少し緩んだ。


「十二月だ。クリスマスがある。冬休みがある。楽しいことを考えろ。結果に溺れるな。結果を引きずるな。受け止めたなら、次の足を出せ。一歩でいい。明日の一歩。書く一歩。読む一歩。笑う一歩。何でもいい。止まるな」


 壮介が手を挙げた。


「先生! クリスマスは部室で鍋やりたいです!」


「鍋?」


「クリスマスパーティ! 全員で!」


 凛先輩が溜息をついた。でも口元が緩んでいた。


「賛成だ。クリスマスに鍋。文芸部らしくはないが、悪くない」


「先輩も来てくれるの!?」


「来ないとは言ってない」


「来る!! 凛先輩がクリスマスに部室に来る!!」


「騒ぐな。来るだけだ」


 詩織さんが笑っていた。さっきまで泣いていた人が、壮介の鍋提案で笑っている。この切り替えの速さが文芸部の空気だ。泣いた後に笑える場所。シリアスの後にギャグが来る場所。誰もずっと泣いていなくていい場所。


 先生がコーヒーを飲みながら黙って五人を見ていた。五人がクリスマスの鍋の話で騒いでいるのを、缶コーヒー越しに。先生の目が少しだけ優しかった。赤ペンは今日は胸ポケットに入ったまま。今日は直す日じゃない。受け止める日だ。


「先生も鍋来てくださいよ!」


「行く。缶コーヒーを持っていく」


「鍋と缶コーヒーは合わないですよ」


「合う。俺が飲めば合う」


「先生の理論は毎回破綻してる!」


 笑いが部室に広がった。十二月の部室。コンクールの結果が出た日。銀賞と奨励賞と落選が同居する日。全部が混ざった日。それでも笑える日。


 部室の窓から見える空が冬の色をしていた。灰色と青が混ざった、十二月の空。冬が来た。コンクールの秋が終わった。次の季節が始まる。


 凛先輩がソファの上で文庫本を閉じた。表紙を見つめている。


「来年は獲る」


 独り言だった。俺にだけ聞こえた。ソファの凹みの中から、天井に向かって。静かに。でも確かに。


 ホワイトボードを見た。コンクールの締切日が書かれたままだ。凛先輩の字で「秋の高校文芸コンクール 締切:11月末」。その横に赤い字で掟が四つ並んでいる。書け。読め。笑え。泣くな。


 今日、全員がその掟を守った。書いた。読んだ。笑った。泣かなかった。詩織さんは泣いたけど、最後には笑った。凛先輩は泣くのを堪えて、「来年は獲る」と言った。壮介は自分の落選より先に詩織さんを祝った。先生は「次に行け」と言った。


 結果が出た。夏のコンクールに続いて、秋のコンクール。二度目の答え。銀賞と奨励賞と落選が、同じ部室の中に同居している。


 全部ひっくるめて、文芸部だ。

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