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第61話 前日設営──看板を掲げる

# 前日設営──看板を掲げる


 金曜日。文化祭前日。


 午後の授業がカットされた。全校が設営に入る。廊下が騒がしい。段ボールを運ぶ音。テープを貼る音。笑い声。文化祭前日の空気だ。学校全体が浮き足立っている。


 文芸部に割り当てられた空き教室。旧校舎二階。朝からここにいる。凛先輩が壁にレイアウト図を貼った。A3の紙。教室を三つのゾーンに区切る設計図。色分けされている。


「入口側が脱出ゲームの受付と待機エリア。中央がリレー小説ブース。奥が朗読バトルのステージ。椅子を並べて簡易シアターにする」


「三つのゾーンを一教室に?」


「収まる。計算済みだ」


 壮介が腕まくりをした。「机運び、任せろ!」。力仕事の時間だ。壮介が活躍できる唯一の時間。いや、MCもあるが、力仕事の壮介は別格だ。


 机を教室の端に寄せた。壮介が一度に二つ持ち上げた。三つ目に手を伸ばした。


「欲張るな。二つでいい」


「三つ行ける!」


「行けない。廊下でスタックするぞ」


「スタックしない! たぶん!」


 壮介が三つの机を同時に運ぼうとして、廊下のドアの幅に引っかかった。予想通りだ。


「スタックした!!」


「だから言っただろ」


「助けて! 前にも後ろにも行けない!」


 壮介を救出するのに三分かかった。机を一つ下ろして、二つずつ運び直した。壮介の力は十分だが判断力が追いつかない。


「壮介。力仕事は二つずつ。これ以上運ぶな」


「でも効率が——」


「効率よりも安全だ。机を壊したら弁償だぞ」


「弁償!? 机って高い!?」


「一脚二万円だ」


「二万!! カレーうどン百杯分!!」


「カレーうどンで換算するな」


 壮介が慎重に二脚ずつ運び始めた。カレーうどン換算が効いた。壮介の行動を制御するには、金額をカレーうどンに変換すればいい。文芸部の運営テクニックだ。


 机を全部端に寄せた。教室の中央が空いた。広い。ここにリレー小説のブースと朗読バトルのステージが入る。


「椅子の配置。朗読バトルのステージ用に二十脚並べる。三列。正面を向いて」


「二十脚!? 五十人座れないですよ」


「全員が同時に座ることはない。脱出ゲームとリレー小説に分散する。朗読バトルの時間帯だけ椅子に座る。最大二十人の想定だ」


「計算済みですか」


「当然だ」


 凛先輩の計算は常に正確だ。教室のレイアウトもミステリのトリック設計と同じ精度で組んである。来場者の動線を読み、混雑を予測し、最適な配置を設計する。凛先輩にとって教室は密室だ。密室の設計者は空間配置のプロだ。


 詩織さんがリレー小説のブースを設営している。壁に模造紙を貼る。テープで四隅を固定。冒頭文が書いてある。「放課後の文芸部の部室に、一冊のノートが落ちていた」。万年筆の字。大きく、丁寧に。来場者が遠くからでも読める字だ。


「詩織さん、字がきれいですね」


「ありがとうございます。昨夜、練習しました。大きい字を書くのは万年筆と感覚が違うので」


「練習したんですか」


「ノート三ページ分。同じ冒頭文を三十回書きました」


「三十回!?」


「三十回目が一番きれいでした」


 詩織さんの真面目さは底なしだ。冒頭文を三十回練習する。コンクールの原稿を十二回推敲した人だ。量が質を作る。詩織さんはそれを知っている。


 横にルールカードを貼った。マーカーを三色用意した。黒、青、赤。新品。蓋がちゃんと閉まっている。リハーサルの失敗は繰り返さない。マーカーの横に修正テープも置いた。不適切な内容への対策だ。詩織さんの三段階対策。全部揃っている。


 先生が脚立に乗った。天井近くにスピーカーを固定する。朗読バトル用だ。BGMを流すスピーカー。脚立がグラグラ揺れている。


「先生、大丈夫ですか?」


「大丈夫だ。脚立が古いだけだ」


「壮介、脚立を支えろ!」


「支える!!」


 壮介が脚立を両手で支えた。先生がスピーカーを固定した。ネジを締める。缶コーヒーを片手に持ったまま。


「先生、缶コーヒー置いてからやってください」


「缶コーヒーを持たないと手が震える」


「それは依存症ですよ」


「依存ではない。パートナーシップだ」



    *



 脱出ゲームの最終仕込み。凛先輩の領域だ。


 暗号カードを所定の位置に配置した。壮介のカレーうどンエッセイの暗号版を入口エリアのテーブルに。来場者が最初に手に取る紙だ。壮介の千二十文字が脱出ゲームの最初の扉を開く。


「壮介の作品が第一パズルの素材ってのは面白いですね」


「壮介の文章はシンプルだ。暗号を仕込みやすい。来場者が最初に読む文章としても適切だ。簡単すぎず、難しすぎず」


「俺の文章がちょうどいいレベルってことですか」


「褒めている」


「褒めてる!?」


「脱出ゲームの第一パズルは導入だ。導入は"易しくて面白い"必要がある。壮介の文章はまさにそれだ。易しくて、読んでいて笑える」


「笑える!? 俺の千二十文字は感動作だぞ!」


「感動作でもあり、導入パズルの素材としても優秀だ。両立している」


「両立!! 俺すごくない!?」


「すごいかどうかは来場者が決める」


 アリバイ時系列表を中央エリアの壁に貼った。詩織さんの短編から抽出した四人の登場人物の行動表。Bの矛盾が仕込んである。リハーサルで壮介が三分かかった問題。修正後は矛盾をもう少し分かりやすくした。壮介基準で二分。一般来場者なら一分半で解ける設計だ。


 鍵付きの箱を窓際の棚に設置した。箱にはラベルが貼ってある。「本番用」と赤い字で大きく。リハーサルで取り違えた教訓だ。予備の箱は部室に置いてある。「予備」のラベル付き。二度と間違えない。


 部誌のコピーを来場者用に十部準備した。第四パズルの手がかりが部誌の中にある。来場者が部誌を読んで答えを探す。読んでいるうちに文芸部の作品に触れる。凛先輩の設計思想だ。脱出ゲームは「読ませる」ための罠。


「全ポイントに手がかりカードとヒントカードを設置完了。制限時間のタイマーはスマホのアプリを使う。三十分のカウントダウン」


「タイマーの音は?」


「残り五分でアラームが鳴る。残り一分で二回目。ゼロでタイムアップの効果音。壮介、効果音を設定しろ」


「効果音! 任せろ! ホラー映画みたいなやつにする!」


「ホラーにするな。ミステリだ。緊張感のある時計の音にしろ」


「時計の音! 了解!」


 凛先輩が教室の端から端まで歩いた。来場者の動線を確認している。第一パズルから第五パズルまで、順番に辿る。一周。二周。三周。


「動線に問題なし。第三パズルから第四パズルへの移動距離が少し長い。椅子を一つ動かす」


「一つの椅子で変わるんですか」


「変わる。来場者が迷わないように、自然と次のポイントに足が向く配置にする。ミステリは設計だ。一センチの妥協もしない」


「先輩の目が据わってますよ」


「据わって当然だ。明日が本番だぞ」


 壮介が「俺にも箱のテストやらせて!」と手を挙げた。


「お前はリハーサルで四回箱を壊した」


「だから逆に仕組みが分かった! 壊して学んだ!」


「壊して学ぶタイプか」


 壮介が箱の前に立った。正しい手順で操作した。部誌のヒントを読む。窓枠の上の鍵を見つける。鍵を差し込む。回す。開いた。


「開いた!!」


「できるじゃないか」


「四回壊したおかげだ!!」


「壊さなくてもできるようになれ」


 壮介が箱を開けられた。リハーサルの四回の失敗が、五回目の成功を生んだ。デバッグの鬼だ。壊して覚える人間。壮介にしかできない学習方法だ。



    *



 設営の最後。看板を掲げる。


 水野が作ってくれた看板。段ボールにアクリル絵の具で描かれた「文芸部フェスティバル」。金と赤と橙。秋の色。教室の入口の上に掲げる。


 壮介が脚立に乗った。看板の右端を持つ。俺が下から左端を持ち上げる。凛先輩が指示を出す。


「もう少し右。いや左。三センチ上」


「三センチって分かりますかね」


「分かる。ミステリ作家は距離感覚に敏感だ」


「その主張、何回目ですか」


「何回でも言う。事実だから」


 壮介が看板を壁にテープで固定した。強力な布テープ。四箇所。落ちない。絶対に落ちない。壮介の力で押し付けたテープは、たぶん三年は持つ。


「固定した!!」


「全員、廊下に出ろ」


 五人が廊下に出た。少し離れた場所から教室を見た。


 入口の上に「文芸部フェスティバル」の看板。金の文字が廊下の蛍光灯に反射して光っている。その下に三企画のポスター。「密室の文芸部」「あなたも作家」「声の文学」。詩織さんがレイアウトして、壮介がイラストを描いて、凛先輩がキャッチコピーを書いた合作ポスター。壁には来場者カウンターの掲示。「目標:50人」。


 五人が並んで立って、看板を見上げている。


 沈黙。廊下を歩く他の部活の生徒が、チラッと看板を見て通り過ぎていく。一人が立ち止まった。「文芸部って脱出ゲームやるんだ。面白そう」。通り過ぎた。たった一言。でもその一言が嬉しい。看板を掲げた甲斐がある。


 壮介が最初に口を開いた。


「……かっけえ」


「お前のセリフにしては短いな」


「だって……かっけえじゃん。俺たちの名前が書いてある。文芸部って書いてある。ここに」


 詩織さんの目が潤んでいた。万年筆を握っていない手が、スカートの裾を握っている。


「明日、ここに人が来るんですよね」


「来る。絶対来る」


「五十人」


「五十人」


 先生が後ろから言った。


「いい看板だ。写真撮っておけ。十年後に笑い話になるぞ」


「笑い話じゃなくて伝説にしますよ」


 凛先輩が返した。先生が「伝説か。大きく出たな」と笑った。缶コーヒーを飲みながら。先生の笑い方は静かだ。でも目が笑っている。


 詩織さんがスマホを取り出した。「写真、撮りましょう」。五人が看板の下に並んだ。詩織さんがタイマーをセットした。スマホを向かいの壁に立てかけた。走って戻ってきた。五人が並んだ。看板の下で。


 カシャ。


 文芸部の初めての文化祭の、最初の写真。五人と看板。壮介がピースサインをしている。凛先輩が腕を組んでいる。詩織さんが笑っている。先生が缶コーヒーを持ったまま写っている。俺は……どんな顔をしていただろう。たぶん笑っている。笑っているはずだ。


「もう一枚!」


「壮介、ピースはやめろ」


「ピースは平和の象徴だ!」


「文化祭にピースは不要だ」


「先輩、ピースくらい許してくださいよ」


「一枚目は許した。二枚目はまともな顔で撮れ」


 もう一枚撮った。今度は全員がまともな顔をしている。壮介だけが微妙に口が開いている。叫びたいのを我慢している顔だ。


 詩織さんが写真を確認した。「いい写真ですね。取材ノートに貼ります」。取材ノートに写真まで貼るのか。詩織さんの取材ノートは百ページを超えているらしい。写真付きの百ページ。俺たちの半年間の記録だ。



    *



 教室に戻って最終確認。凛先輩がチェックリストを読み上げた。ホワイトボードに書きながら。


「脱出ゲーム。小道具設置OK。動線確認OK。箱のラベルOK。タイマー設定OK」


「OK!」


「リレー小説。模造紙OK。マーカーOK。蓋の確認OK。ルールカードOK。修正テープOK」


「OK!」


「朗読バトル。スピーカーOK。BGM準備OK。椅子二十脚配置OK。Bluetooth接続手順書OK」


「OK! 手順書はポケットに入れた!」


「壮介、本番で手順書を見ながら接続しろ。暗記するな。暗記すると間違える」


「見ながらやる! 了解!」


「朗読原稿。凛——完成済み。千歳——完成済み。朝倉——完成済み。全員の原稿が揃った。本番まで誰にも見せるな。初見の衝撃が命だ」


「見せません」


「チラシ配布。壮介、明朝七時に校門前。三百枚。声量は控えめに。メガホン禁止」


「メガホン禁止!? 地声で!?」


「お前の地声はメガホンより大きい。メガホンは不要だ」


「三百枚!? 腕がもげる!」


「もげたら左手で配れ」


「鬼!!」


「先生、明朝七時に教室集合。安全管理の最終確認」


「七時。休日の七時は人権侵害では」


「教育者に休日はありません」


「ブラックだ。缶コーヒーを十本確保しておく。明日の燃料だ」


「缶コーヒーの在庫は安全管理に含まれません」


「俺の安全管理には含まれる。缶コーヒーが切れたら俺が機能停止する。それは安全上の問題だ」


「先生の機能停止は確かに問題ですね」


 帰り支度。教室の電気を消す前に、もう一度全員で室内を見回した。脱出ゲームの小道具。リレー小説の模造紙。朗読バトルの椅子。全部がここにある。明日、この教室に来場者が入る。五十人が。


 電気を消した。廊下に出た。看板が暗い廊下に浮かんでいる。「文芸部フェスティバル」。金の文字。明日、この文字が来場者を迎える。


 帰り道。五人で歩いた。秋の夕暮れ。空がオレンジから紫に変わっていく。金木犀の香りが薄くなっている。秋が深まっている。十月の空は高い。


「緊張してきた」


 壮介が言った。珍しい。壮介が緊張を口にするのは珍しい。


「珍しいな」


「だって初めてだもん。こんなの。文化祭で出し物やるの。五十人に見てもらうの。全部初めてだ」


「俺もだよ。サッカーの試合前みたいな感じだ。チームで何かをやる前の緊張」


「私は楽しみです。怖いけど、楽しみのほうが大きい」


 詩織さんが言った。万年筆を握っていない手が、少しだけ震えている。楽しみと怖さが混ざっている手だ。


 凛先輩が立ち止まった。振り返った。四人を見た。夕日が凛先輩の横顔を照らしている。


「明日、最高の一日にするぞ。全員で」


「はい!」


「はい!!」


「はい」


「缶コーヒーを飲みながらな」


 全員が笑った。先生の缶コーヒーが場を和ませた。緊張が少しだけ解けた。


「あと一つ」


 凛先輩が言った。


「明日、何があっても慌てるな。リハーサルで六つ失敗した。本番でも失敗するかもしれない。でも対策は準備した。失敗したら対策を実行しろ。慌てるな。来場者の前で慌てた時点で負けだ」


「負けないです」


「負けない!!」


「壮介、声が大きい」


「小声!!」


 壮介の小声。普通の人の通常音量。でもいい。明日はこの声が武器になる。


 分かれ道。一人ずつ離れていった。壮介が「また明日!」と手を振って走っていった。凛先輩が静かに歩いていった。振り返らない。いつも通り。先生が「缶コーヒー買って帰る」と反対方向に歩いていった。


 詩織さんと最後に残った。いつものように。


「朝倉くん。明日、朗読聞きますね」


「聞いてくれ。昨夜の電話の声で読む」


「昨夜の声。あの声、好きでした」


「好き?」


「朗読の声として、です。取材的な意味で」


「また取材か」


「はい。取材です」


 詩織さんが笑った。「取材です」がいつもより小さかった。声のトーンが〇・五度だけ高かった。昨夜の電話の残響が、まだ二人の間にある。


「おやすみなさい。明日、頑張りましょう」


「頑張ろう。おやすみ」


 明日、朝霧祭が始まる。俺たちの初めての文化祭が。看板は掲げた。準備は全て終わった。あとは扉を開けるだけだ。五十人の来場者を、迎えるだけだ。

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