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第59話 リハーサル初日──全部グダグダ

# リハーサル初日──全部グダグダ


 木曜日。本番五日前。リハーサル当日。


 放課後。空き教室に全員集合した。看板が壁に掛かっている。水野の描いた「文芸部フェスティバル」。金と赤と橙。秋の色が教室を彩っている。


 凛先輩がホワイトボードの前に立った。タイムスケジュールが書いてある。


「本番と同じスケジュールでリハーサルを行う。午後一時から五時までの四時間。脱出ゲーム、リレー小説、朗読バトルの三企画を全て回す。来場者役は先生と壮介が交代でやる」


「俺が来場者役!?」


「テストプレイで実績がある。壮介基準は信頼できる」


「壮介基準が定着してる!」


「先生は脱出ゲームの来場者役。壮介はリレー小説の来場者役。朗読バトルは出場者とMCがいるから来場者役は先生一人で十分だ」


 先生が缶コーヒーを飲みながら頷いた。「来場者役か。座って見てるだけでいいか」。凛先輩が「リアルな来場者のふりをしてください。感想も言ってください」。先生が「感想。缶コーヒーの感想なら得意だが」。凛先輩が「文芸部のリハーサルの感想です」。


「では始める。午後一時。脱出ゲーム開始」



    *



 脱出ゲーム。先生が来場者役で入室した。缶コーヒーを持ったまま。


「先生、缶コーヒーを置いてください。来場者は飲食物持ち込み禁止です」


「缶コーヒーなしで三十分は厳しい」


「厳しくても我慢してください」


 先生が渋々缶コーヒーを置いた。脱出ゲーム開始。凛先輩が案内役。俺が助手。


 第一パズル。暗号。先生が壮介のカレーうどンエッセイを読んだ。「各段落の三文字目を縦に読む。カ、レ、ー。カレー。数字変換で……」。三十秒でクリア。速い。先生は頭がいい。缶コーヒーを飲んでいるだけの人ではない。


 第二パズル。アリバイ推理。先生が時系列表を見た。十秒で矛盾を発見。「Bが午後三時に二か所にいる。犯人はB」。速すぎる。


「先生、もう少しゆっくり解いてください。リアルな来場者のペースで」


「俺のペースがリアルだ。元小説家を舐めるな」


「元小説家のペースは一般来場者のペースではありません」


 第三パズル。鍵の箱。先生が箱を見た。部誌を開いた。ヒントを読んだ。窓枠の上を見た。鍵を見つけた。箱に鍵を差し込んだ。


 開かない。


「開かないぞ」


「え?」


「鍵が合わない。回らない」


 凛先輩が駆け寄った。箱を確認した。鍵を差し込んだ。回らない。鍵穴と鍵のサイズが合っていない。


「これは昨日買った箱じゃない。予備の箱だ。鍵が違う」


「先輩、箱を間違えたんですか」


「間違えた。設営時に予備の箱と本番用の箱を取り違えた」


 凛先輩の顔が青くなった。ミステリ作家がトリックの物理的な部品を間違えた。最大のミスだ。


「本番用の箱はどこですか」


「部室のちゃぶ台の上だ」


「取ってきます!」


 俺が走った。旧校舎の廊下を走った。部室に飛び込んだ。ちゃぶ台の上に鍵付きの箱がある。掴んで走った。空き教室に戻った。息が切れている。サッカー部時代のダッシュが役に立った。


「持ってきました!」


「助かった」


 箱を交換した。鍵を差し込んだ。回った。開いた。


「開きましたね」


「開いた。本番では絶対に間違えない。箱にラベルを貼る」


 一つ目の失敗。箱の取り違え。リハーサルで見つかって良かった。本番で見つかったら来場者の前で恥をかくところだった。


 第四パズル。第五パズル。先生が淡々とクリアした。合計所要時間十八分。壮介の四十二分の半分以下だ。先生が速すぎる。


「先生の速度は参考にならない。壮介基準の三十分が正確だ」


「俺の速度が参考にならないとは失礼な」


「先生は例外です。一般来場者は先生ほど速くない」


「缶コーヒーなしで十八分。缶コーヒーありなら十五分で解ける」


「缶コーヒーは関係ないですよね」



    *



 リレー小説。壮介が来場者役。


 模造紙が壁に貼ってある。冒頭文が書いてある。詩織さんが進行役で横に立っている。


「いらっしゃいませ。リレー小説へようこそ。こちらの模造紙に、物語の続きを一行書いてください。二十文字以内でお願いします」


 壮介がマーカーを持った。マーカーの蓋を開けた。


 インクが出ない。


「マーカーが書けない!」


「え?」


「乾いてる! インクがない!」


 詩織さんがマーカーを確認した。乾いている。蓋がきちんと閉まっていなかった。先週テストプレイした時に使ったマーカーが、蓋の緩みで乾燥していた。


「予備のマーカーは?」


「あります。でも黒一色しかない。カラーマーカーが乾いてしまった」


「カラーなしでいけますか」


「いけます。黒だけでも問題はない。ただ見た目が地味になる」


「本番までにカラーマーカーを買い直す必要がある」


「はい。百均で。六色セットで百十円です」


 二つ目の失敗。マーカーの乾燥。小さなミスだが、本番で来場者の前でマーカーが書けなかったら致命的だ。蓋の管理が甘かった。


 壮介が黒マーカーで一行書いた。


「"カレーうどンの匂いがした。それだけで笑顔になれた"」


「壮介くん、またカレーうどン」


「テスト用だから! リアルな来場者を再現してる!」


「リアルな来場者はカレーうどンを書きません」


「書く人もいるかもしれない!」


「いないと思いますが、対応は想定しておきます」


 リレー小説のリハーサルは大きな問題なく終了。マーカーの管理だけ改善すればいい。詩織さんの進行は完璧だった。声のトーン、立ち位置、来場者への説明。全て丁寧で分かりやすい。



    *



 朗読バトル。メインイベント。


 壮介がMCとして前に立った。スマホで BGMを流す。スピーカーから音が出る。


 出ない。


「音が出ない!」


「壮介、スピーカーの電源は?」


「電源? 入ってる!」


「Bluetoothの接続は?」


「ブルートゥース? 何それ!?」


「無線接続だ。スマホとスピーカーを繋がないと音が出ない」


「繋いでなかった!?」


 三つ目の失敗。Bluetooth未接続。壮介はテクノロジーに弱い。接続を済ませた。BGMが流れた。暗いピアノ曲。凛先輩のミステリ用。


「では始める。MC、頼むぞ」


 壮介が深呼吸した。五秒の沈黙。一秒。二秒。三秒。四秒。五秒。


「皆さんこんにちは。文芸部朗読バトルへようこそ。MCの大和壮介です」


 声が落ち着いている。練習の成果だ。五秒の沈黙が声を整えた。


「最初の朗読者は、文芸部部長、桐谷凛。彼女の声を聞いたら——あなたはもう逃げられない」


「"彼女"は使うなと言っただろう」


「あ! 間違えた! 桐谷凛の声を聞いたら!」


 四つ目の失敗。台本の修正漏れ。壮介が「彼女」を「桐谷凛」に直し忘れていた。


 凛先輩がマイクの前に立った。原稿を持っている。ミステリの冒頭。BGMのピアノが鳴っている。


「"午前零時。図書館の鍵が開いている。入ったのは五人。出たのは四人。一人は——"」


 凛先輩の声が止まった。


「一人は……えー……」


「先輩、噛みましたか」


「噛んでいない。続きを忘れた」


「原稿見てますよね?」


「見ている。だが口が動かない」


 五つ目の失敗。凛先輩が緊張している。設計者としては完璧だが、朗読者としては経験が浅い。人前で声を出すことに慣れていない。凛先輩の弱点が見つかった。


「先輩。深呼吸してください」


「分かっている」


「原稿を見ていいですよ。暗記しなくていい。紙を持って読んでいいんです」


「分かっている。もう一度やる」


 凛先輩がやり直した。深呼吸。三秒。原稿を見た。声を出した。


「"午前零時。図書館の鍵が開いている。入ったのは五人。出たのは四人。一人は、闇の中で息を潜めている"」


 今度は止まらなかった。声が低い。冷たい。ミステリの空気が教室に広がる。BGMのピアノが凛先輩の声を包んでいる。来場者役の先生が姿勢を正した。引き込まれている。


 五分間。凛先輩が読み切った。最後の一行。「"犯人は、この中にいる"」。沈黙。三秒。先生が拍手した。


「凛。二回目は良かった。声に力があった」


「最初の失敗で力が抜けた。逆に楽になった」


「失敗してから本気が出るタイプか。コンクールの原稿と同じだな」


「先生、余計なことを言わないでください」


「事実だ」


 詩織さんの朗読。二番手。雨の日の短編。BGMがギターに切り替わった。壮介が五秒の沈黙の後に紹介した。「二番手は千歳詩織。佳作の天才。彼女の言葉は、心の奥まで届く」。


 詩織さんがマイクの前に立った。原稿を持っている。手が震えていない。万年筆を握る手と同じ安定感だ。


「"雨が降っていた。屋根のない停留所で、傘を持たない二人が並んでいた"」


 詩織さんの声は安定していた。万年筆で書くように、一文字ずつ丁寧に声に乗せている。声が温かい。雨の音が聞こえるような声だ。BGMのギターと詩織さんの声が溶け合っている。壮介のBGM選曲が完璧に機能している。


 五分間。最後まで途切れなかった。最後の一行。「"雨が止んだ。二人の間に、傘を開いたままの形の空間が残っていた"」。


 先生が缶コーヒーを飲むのを止めて聞いていた。缶コーヒーを止めるのは、先生が本当に引き込まれている証拠だ。十五年の読書経験を持つ先生を引き込む声。詩織さんの朗読は本物だ。


「千歳、いい朗読だ。声に感情が乗っている。雨の匂いがした」


「雨の匂い。嬉しいです。それが書きたかったんです」


「書けている。声でも書けている」


 俺の番。三番手。トリ。BGMがドラムに切り替わった。


「"膝が壊れた日、俺は走ることを失った。でも——"」


 噛んだ。


「で、でも……ペンを握った時、指先が——」


 また噛んだ。「指先」が「ゆびさき」ではなく「ゆびざき」になった。


「朝倉、落ち着け」


「すみません。緊張して」


「原稿を書き終えたのはいつだ」


「今朝」


「今朝!? 本番二日前の朝に書き上げたのか!?」


「はい。昨夜から朝まで書いて、今朝完成しました」


「推敲は」


「してません」


「推敲なしの原稿を朗読するな。噛んで当然だ。自分の文章が口に馴染んでいない」


 六つ目の失敗。原稿の完成が遅すぎた。推敲していない文章は声に乗らない。目で書いた文章と口で読む文章は違う。声に出して初めて分かるリズムの悪さがある。


「本番までに最低五回は声に出して読め。自分の文章を口に馴染ませろ。噛む箇所を全部洗い出して、言いやすい言葉に書き直せ」


「はい」


「お前の原稿、テーマはいい。"走ること"。スピード感がある。だがラストが——」


「ラストが?」


「急だ。また急だ。コンクールの原稿と同じ癖が出ている」


 先生が口を挟んだ。缶コーヒーを持ったまま。


「朝倉。ラストの三行を五行に伸ばせ。三百文字の滑走路だ。前に言っただろう」


「三百文字の滑走路。覚えてます」


「覚えているなら実行しろ。千五百文字のうち、最後の三百文字をランディングに使え。着地を丁寧に」


「はい」



    *



 リハーサル終了。四時間。全三企画の通し。結果。


 凛先輩がホワイトボードに失敗リストを書き出した。


 一、脱出ゲーム:箱の取り違え。→ラベルを貼って対策。

 二、リレー小説:マーカーの乾燥。→予備マーカーを購入。蓋の管理を徹底。

 三、朗読バトル:Bluetooth未接続。→壮介に接続手順を紙で渡す。

 四、MC台本:「彼女」の修正漏れ。→台本を最終版に差し替え。

 五、凛の朗読:緊張で止まった。→本番前に三回通し読みで慣らす。

 六、陽翔の朗読:原稿の推敲不足で噛んだ。→五回音読して口に馴染ませる。ラスト三百文字を修正。


「六つの失敗。全部リハーサルで出た。本番ではやらない。やるな」


「やりません」


「壮介、Bluetoothの接続を覚えたか」


「覚えた! たぶん!」


「"たぶん"。紙に手順を書いて渡す。見ながらやれ」


「了解!」


 先生が缶コーヒーを飲み終えた。三本目。リハーサル中に三本飲んだ。


「感想を言う。六つの失敗があった。だが六つとも対策が可能だ。致命的な失敗はゼロ。三企画の構造自体は機能している。壮介のMCが予想以上に良かった。五秒の沈黙からの声の切り替えが効いている。千歳の進行は完璧だった。凛の朗読は慣れれば問題ない。朝倉は原稿を仕上げろ」


「はい」


「総合評価。百点満点で六十五点。本番で八十点を取れれば上出来だ」


「六十五点。先生、厳しくないですか」


「厳しくない。内訳を言う。脱出ゲーム七十五点。構造は完璧。箱の取り違えがマイナス。リレー小説七十点。進行は完璧。マーカー管理がマイナス。朗読バトル五十点。MCは八十点だが、凛の朗読と朝倉の朗読がそれぞれマイナス。平均して六十五点」


「壮介のMCが八十点!?」


「八十点だ。五秒の沈黙からの切り替えが効いている。紹介文のバランスもいい。壮介はMCとして合格点だ」


「俺が八十点!! 文芸部で一番高い!!」


「MC部門で一番だ。朗読部門では出場していないから比較できない」


「MC部門チャンピオン!!」


 壮介が喜んでいる。八十点。壮介の人生で八十点を取ったことがあるだろうか。古典のテストでは四十八点だった。MC台本の八十点は壮介の最高得点かもしれない。


「リハーサルの六十五点は合格圏内だ。初めての文化祭準備で六十五点取れるのは上出来だ。問題は六つ見つかった。全部対策可能だ。明日の最終調整で全部潰せ。よくやった」


 先生が「よくやった」と言った。缶コーヒーを置いて。缶コーヒーなしの「よくやった」は先生の本気の評価だ。


 壮介が「六十五点! 赤点じゃない!」と叫んだ。凛先輩が「赤点の基準が低すぎる」と返した。壮介が「俺の人生で六十五点は高得点だ!」と叫んだ。凛先輩が「それは問題だ」と返した。


 帰り支度をしながら、詩織さんが言った。


「朝倉くん。朗読原稿、今夜修正しますか」


「します。ラストの三百文字を書き直す。先生に言われた滑走路」


「声に出して読んでみてください。五回。噛む箇所を全部チェックして」


「五回読む。了解」


「私も付き合いますよ。電話で。朝倉くんが読んで、私が聞いて、噛んだ箇所を指摘する」


「電話で朗読チェック?」


「はい。二人で。夜に」


「夜に電話で朗読……」


「取材です」


 また「取材です」だ。夜に電話で朗読を聞くのは取材ではない。でも詩織さんがそう言うなら、取材だ。詩織さんの取材は万能の免罪符だ。


 リハーサルが終わった。グダグダだった。箱は間違えた。マーカーは乾いた。Bluetoothは繋がらなかった。台本は間違いがあった。凛先輩は止まった。俺は噛んだ。全部グダグダ。でも全部リハーサルで出た。本番では出さない。リハーサルの意味はここにある。


 明日から本番までの四日間で。六つの失敗を全部潰す。箱にラベルを貼る。マーカーを買い直す。Bluetoothの手順書を壮介に渡す。台本を最終版に差し替える。凛先輩は朗読を三回通し読み。俺は原稿を修正して五回音読。全部やる。全部直す。文芸部フェスティバルまで、あと五日。


 今夜、詩織さんと電話で朗読チェックをする。声で走る千五百文字を、耳で聞いてもらう。噛む箇所を全部潰す。週末の本番で、来場者の前で止まらない。走り切る。最初から最後まで。三百文字の滑走路で、きれいに着地する。

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