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第58話 看板を作ろう──美術部との交渉

# 看板を作ろう──美術部との交渉


 月曜日。文化祭八日前。


 全体進捗会議。放課後の部室。凛先輩がホワイトボードに赤マーカーで三企画の進行状況を書いている。PMの俺がノートの進捗表と照らし合わせて補足する。


 脱出ゲーム:設計完了。小道具制作中(鍵付き箱三個、暗号カード五セット、ヒントカード十枚)。テストプレイ一回実施済み。壮介基準で四十二分→修正後の推定三十分。残りは装飾と当日の動線確認。進捗率七割。


「脱出ゲームは順調。凛先輩のペースなら本番までに完成する」


「当然だ。ミステリの締切を守れない作家は二流だ」


「先輩は一流なんですね」


「一流かどうかは読者が決める。だが締切は守る」


 リレー小説:冒頭文完成。ルールカード制作中。模造紙の予備を三枚購入済み。SNSアカウント開設済み、フォロワー三十二人(先週の十二人から増加)。初投稿のリーチ数が八十七。詩織さんのSNS運用が上手い。文章で人を引き込む力がそのままSNSでも効いている。進捗率六割。


「SNSのフォロワーが三十二人。文化祭までにどこまで伸びるか」


「投稿を毎日続ければ五十人は超えると思います。投稿内容は毎日変えています。月曜は脱出ゲームの裏話。火曜はリレー小説の仕組み紹介。水曜は朗読バトルの出場者紹介」


「詩織さんのSNS運用が戦略的すぎる」


「取材者の習性です。情報を整理して発信するのは得意です」


 朗読バトル:MC台本完成。BGM選定済み。音響機材は先生が明日借りてくる。出場者三人の朗読原稿は全員執筆中。凛先輩は「冒頭五分のミステリ」を書いている。詩織さんは「雨の日の感情小説」を書いている。俺は……まだ一行も書けていない。進捗率五割。


「朝倉、お前の朗読原稿の進捗は」


「テーマは決まってます。走る文章。千五百文字。でもまだ一行も」


「本番まであと八日だ」


「分かってます」


「分かっているなら書け。掟の一番目だ」


「書きます」


「全体で見ると六割。本番まであと八日。ペース的にはギリギリ間に合う」


「ギリギリか。もう少し余裕が欲しいが」


「一つ大きな問題があります」


「何だ」


「看板がない」


 全員が顔を見合わせた。看板。文芸部フェスティバルの看板。教室の入口に掲げる大きな看板。来場者が最初に目にするもの。文芸部の顔。それがまだ存在していない。


「看板のデザインは朝倉に任せたはずだ」


「デザインは描きました。ノートに。でも模造紙に描く技術が俺にはない。字は書けるけど、絵が描けない。看板には文字だけじゃなくてビジュアルが必要です」


「俺が描く!」


 壮介が手を挙げた。


「壮介のビジュアルは棒人間だ。却下」


「棒人間じゃない看板を描く!」


「お前に棒人間以外の絵が描けるのか」


「描ける! たぶん!」


「"たぶん"が出た。却下。美術部に頼もう」


「美術部!?」


「美術部に看板のデザインと制作を依頼する。文芸部にはデザインの技術がない。餅は餅屋だ」


「先輩、美術部との面識はあるんですか」


「ない。だから交渉に行く。朝倉、一緒に来い。壮介は留守番」


「なんで俺が留守番!?」


「お前が来ると看板が棒人間になる」


「ならない! たぶん!」


「"たぶん"。却下。留守番」



    *



 美術部の部室は新校舎の三階にあった。旧校舎の文芸部とは校舎が違う。新校舎は廊下が広い。照明が明るい。窓が大きい。旧校舎の薄暗い廊下とは別世界だ。


「新校舎、きれいですね」


「旧校舎と比べるな。虚しくなる」


「凛先輩も新校舎に来ると思うことがあるんですね」


「ない。旧校舎のほうがミステリの空気がある。新校舎は明るすぎて密室感がない」


「密室感で校舎を評価するのは先輩だけですよ」


 美術部の部室のドアをノックした。「どうぞ」と声がした。ドアを開けた。油絵の匂いがした。松脂とテレピン油の匂い。文芸部のインクの匂いとは系統が違う。どちらも「何かを作る場所」の匂いだ。


 部室が広い。文芸部の倍はある。イーゼルが六台並んでいる。キャンバスが壁に立てかけてある。絵の具が棚に整然と並んでいる。筆が瓶に刺さっている。パレットに残った絵の具が虹色に固まっている。美しい部室だ。


 部員が四人いた。全員がイーゼルに向かっている。文化祭の準備だろう。美術部も忙しい。


 美術部の部長が奥にいた。水野。二年生。ショートカットの女子。エプロンを着けている。右手に筆。左手にパレット。キャンバスに向かっている。秋の公園の風景画だ。紅葉が美しい。


「すみません。文芸部の桐谷です。看板制作の相談に来ました」


 水野が振り返った。筆を持ったまま。凛先輩を見た。俺を見た。


「文芸部? 旧校舎の?」


「はい」


「ごめん、文芸部って何する部だっけ」


「書く部です。小説を書きます」


「ああ、書くほう。描くほうは?」


「描きません。文字だけです」


「文字だけ。潔いね」


 水野が筆を置いた。パレットも置いた。エプロンのポケットからスケッチブックを出した。


「で、看板?」


「文化祭の出し物の看板をお願いしたい。文芸部フェスティバルの」


「フェスティバルって大きく出たね。何やるの?」


「脱出ゲームとリレー小説と朗読バトルの三企画です」


「三企画!? 何人で!?」


「五人」


「五人で三企画!? 無謀すぎない?」


「よく言われます」


「美術部は十人で展覧会一つだよ。五人で三つ?」


「無謀なのは自覚してます。でもやると決めたので」


「面白いね。文芸部って真面目なイメージだったけど、意外と体育会系?」


「体育会系ではないが、根性はある」


 凛先輩が答えた。凛先輩の「根性」は普通の意味の根性ではない。ミステリのトリックを三日で設計する根性だ。普通の人間にはない種類の根性だ。


「で、どういう看板が欲しいの?」


 凛先輩が俺のデザイン案を見せた。ノートの一ページ。「文芸部フェスティバル」の文字レイアウトと、三企画の名前。配色のイメージ。秋っぽい暖色系。金と赤と橙。


 水野がスケッチブックにさらさらとラフを描き始めた。速い。凛先輩が設計図を描く速度と同じくらい速い。専門家の手は速い。


「サイズは?」


「横一メートル。縦五十センチ」


「素材は?」


「段ボールか厚紙。予算が限られてるので」


「段ボール。了解。うちで余ってる段ボールがある。文化祭の搬入用に大量に確保したから、何枚か分けられる」


「ありがとうございます。助かります」


「で、イメージは。"文芸部フェスティバル"の文字をメインにして、三企画のアイコンを入れる感じ?」


「はい。脱出ゲームは鍵のアイコン。リレー小説はペンのアイコン。朗読バトルはマイクのアイコン。三つを並べる」


「分かった。ラフを描くから、明日持っていくよ」


「明日!?」


「一晩あれば描ける。ラフだけだけど」


 水野の仕事が速い。美術部の部長は仕事が速い。凛先輩と似ている。専門分野に対する速度が異常だ。


「ありがとうございます。報酬は——」


「報酬はいらない。でも一つお願いがある」


「何ですか」


「文化祭当日、朗読バトルを見に行っていい?」


「もちろん。大歓迎です」


「文芸部の朗読って聞いたことないから、気になってた。あと脱出ゲームもやりたい」


「来てください。来場者カウントに入りますし」


「カウント? 何かノルマがあるの?」


「五十人」


「五十人!? 文芸部で!? 去年不参加だったのに!?」


「去年不参加の部が五十人を目指してます」


「無謀だね。でも面白い。応援する」


 水野が笑った。美術部の部長に応援された。文芸部と美術部。旧校舎と新校舎。畳と油絵の具。世界は違うが、文化祭に向かう気持ちは同じだ。



    *



 翌日。金曜日。水野がラフを持ってきた。放課後に文芸部の部室まで来てくれた。旧校舎に美術部員が来るのは珍しい。水野が部室を見回した。


「狭いね。畳!? 和室なの!?」


「旧校舎の空き教室を改装した部室です」


「すごい。雰囲気ある。美術部にはない空気がある」


「インクと畳の匂いが混ざってる部室です」


 水野がラフを広げた。A3の紙にカラーマーカーで描かれたデザイン。


 中央に大きく「文芸部フェスティバル」。フォントが手書きの筆文字風。力強い。周囲に三つのアイコン。鍵(脱出ゲーム)。ペン(リレー小説)。マイク(朗読バトル)。背景に秋の紅葉の模様。暖色系。金と赤と橙。


「すごい。プロだ」


「プロじゃないよ。美術部だけど」


「十分プロに見えます」


 壮介が覗き込んだ。「かっこいい!!」と叫んだ。声がでかい。水野がびっくりした。「声でかい人が文芸部にいるの?」。凛先輩が「いる。騒音公害だが不可欠な存在だ」と紹介した。壮介が「騒音公害なのに不可欠!?」と叫んだ。水野がまた驚いた。


「このデザインで進めていい?」


「一箇所だけ修正をお願いします」


 凛先輩がラフを指した。「文芸部フェスティバル」の文字の下に小さく「密室の文芸部/あなたも作家/声の文学」と三企画の名前を入れてほしいと。


「了解。明日の午前中に仕上げる。段ボールに直接描くから、午後に取りに来て」


「ありがとうございます」


「水野さん、お礼に何かできることはありますか」


「さっき言ったでしょ。朗読バトルを見に行く。それがお礼。面白いもの見せてね」


 水野が帰っていった。新校舎に。美術部の部室に。旧校舎と新校舎の間に橋が架かった。看板という橋だ。


 壮介が言った。


「水野さん、いい人だな!」


「いい人だ。仕事も速い」


「凛先輩と同じタイプだ。専門分野で速い人」


「俺と同じタイプと言うな。……だが認める。水野は仕事が速い」


 詩織さんが万年筆を持って立っていた。


「水野さんのこと、取材ノートに書いていいですか」


「書くのか」


「美術部との交渉は文芸部の新しい動きです。記録に値します」


「詩織さんは何でも記録するな」


「取材者ですから」



    *



 土曜日。看板の受け取り。


 美術部の部室に行った。壮介と二人で。凛先輩は脱出ゲームの最終調整中。詩織さんはリレー小説のSNS投稿の準備中。


 水野が看板を持って待っていた。段ボールの上に描かれた看板。実物はラフよりさらに良かった。色が鮮やかだ。マーカーではなくアクリル絵の具で描いてある。


「水野さん、これアクリル絵の具で描いたんですか」


「うん。マーカーより発色がいいから。文化祭の看板は遠くからでも目立たないとダメでしょ。アクリルなら光を反射して、廊下の端からでも文字が読める」


「プロだ」


「プロじゃないって。高校生だよ」


「高校生のレベルじゃないです。色の組み合わせが完璧だ」


「ありがと。でも文字のレイアウトは朝倉くんのデザイン案が良かったからだよ。字の配置が読みやすかった。文芸部の人はやっぱり字のバランスが分かるんだね」


「ノートに書いただけですけど」


「ノートの字のバランスがそのまま看板に活きてる。文芸と美術って意外と近いのかもしれない。言葉を並べるのと色を並べるの、似てる」


 壮介が看板を持ち上げた。「でかい!! 重い!! いい!!」と叫んだ。水野がびっくりした。


「この人が文芸部?」


「文芸部のMCです。声が武器です」


「MCに声が武器。文芸部って思ったより幅広いんだね」


「幅広いんです。書く人、読む人、叫ぶ人、飲む人。全員違う」


「飲む人?」


「顧問が缶コーヒーを飲む人です」


「面白い部だね。看板、大事に使ってね」


「使います。この看板の下で五十人を迎えます」


「五十人いくといいね。美術部からも何人か行かせるよ。朗読バトル、気になってるの。声で文学を届けるって、絵で表現するのとまた違う方法でしょ。見てみたい」


「ぜひ来てください。美術部も来場カウントに入ります」


「美術部から四人くらい行ける。あと私の友達にも声かけとく」


「ありがとうございます! 助かります!」


 壮介が叫んだ。水野が「声大きいけど、いい人だね」と笑った。


 看板を抱えて旧校舎に戻った。壮介が右端、俺が左端。廊下を歩いた。看板が大きくて角を曲がるのが大変だった。


「壮介、もっとゆっくり! ぶつかる!」


「ゆっくりにしてる! これが俺のゆっくりだ!」


「お前のゆっくりは普通の人の全力だろ!」


 なんとか空き教室に運び込んだ。壁に立てかけた。「文芸部フェスティバル」の文字が教室に映えている。金と赤と橙。秋の色。この看板を見て、来場者が足を止めてくれるだろうか。五十人が。


 凛先輩が空き教室に来た。看板を見た。三秒黙った。五秒黙った。凛先輩が五秒黙るのは、壮介が五秒黙るのと同じくらい珍しい。


「いい看板だ」


「水野さんの力です」


「水野に感謝しろ。そして水野に恥じない文化祭にしろ。この看板に見合う中身を作る。それが俺たちの仕事だ」


「はい」


「美術部から四人来てくれるって言ってました」


「四人。サッカー部の十人と合わせて十四人が確定か。残り三十六人」


「三十六人をチラシとSNSと口コミで集める」


「いける。計算上は」


「凛先輩、最近"計算上は"が口癖になってますよ」


「ミステリ作家は計算で動く」


 詩織さんも見に来た。看板の前で立ち止まった。万年筆を握りしめた。


「きれい。"文芸部フェスティバル"の文字がきれい。この看板を見て、人が来てくれるんですね」


「来てもらう。五十人」


「五十人の前でリレー小説を進行して、五十人の前で朗読する。緊張しますね」


「コンクールの時ほどじゃないだろ?」


「コンクールのほうが怖かったです。コンクールは結果が分からなかった。文化祭は目の前で反応が見える。笑ってくれるか、退屈そうにするか。全部見える」


「見えるほうが怖くないか?」


「見えるほうが安心です。目の前の人に届けているという実感がある。コンクールにはそれがなかった」


 壮介が看板の横で腕組みしている。


「看板、完璧だ。あとは中身だ。俺のMCと、先輩の脱出ゲームと、詩織ちゃんのリレー小説と、陽翔の朗読と。全部揃えば五十人なんか余裕だ!」


「余裕とは言い切れないが」


「余裕だ! 壮介パワーで!!」


「壮介パワーは集客力に換算すると何人だ」


「百人!!」


「声量だけなら百人に届くかもしれないが」


「声量で百人! 人望はこれから!」


「人望がゼロかのように言うな」


 部室に戻った。凛先輩がホワイトボードに書き加えた。「リハーサル:木曜。通し。全企画。全員参加。失敗は全部ここで出し切る」。


 木曜のリハーサル。三企画の通し。本番と同じタイムスケジュールで。五人で。失敗の予行演習だ。失敗を先にやっておく。本番で失敗しないために。


 看板が空き教室の壁に立てかけてある。「文芸部フェスティバル」。金と赤と橙。水野の描いた秋の色。この看板の下で五十人を迎える。本番まであと八日。準備は六割。残りの四割を今週中に埋める。スケジュールを組み直す。それがPMの仕事だ。木曜のリハで問題を全部出し切る。土日の本番で全力を出す。それがPMの仕事だ。


 全部やる。正気じゃないかもしれないが、全部やる。五人で。水野の描いた秋色の看板の下で。掟を胸に。書け。読め。笑え。泣くな。

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