第56話 リレー小説システム──詩織の発明
# リレー小説システム──詩織の発明
火曜日。準備三日目。
昼休み。食堂で詩織さんと向かい合って座っている。周囲は昼食を食べる生徒で賑わっている。隣のテーブルで野球部が大盛りカレーを食べている。向かいのテーブルで吹奏楽部が文化祭の曲目について議論している。どの部も文化祭の準備で忙しい。
詩織さんの前にノートが開いてある。万年筆のインクの匂いがする。食堂のカレーの匂いと混ざっている。壮介がいたら「カレーうどンの匂いだ!」と叫ぶところだ。壮介は教室でMC台本を書いている。書いているはずだ。水曜の読み合わせまでに書かなければならない。
「朝倉くん。リレー小説の冒頭文、第一稿ができました」
詩織さんがノートを差し出した。万年筆で書かれた文字。丁寧で美しい。コンクールの原稿と同じ質の文字だ。
冒頭文。リレー小説の最初の三行。来場者がこの三行を読んで、続きを一行ずつ書き足していく。この三行が物語の方向性を決める。最初の三行で世界を作る。
「読みます」
読んだ。
「"放課後の教室に、一冊のノートが落ちていた。表紙には名前がない。開くと、最初のページにこう書いてあった。『この物語の続きを、あなたが書いてください』"」
「どうですか」
「いい。シンプルで、続きが書きやすい。"ノートが落ちていた"から始まるから、来場者は"誰のノートだろう"と想像する。"続きを書いてください"で参加を促される。押しつけがましくない」
「押しつけがましくない、というのが大事です。"書いてください"ではなく"書いてください"の丁寧語。来場者に選択権がある。書いても書かなくてもいい。でも書きたくなる」
「詩織さんの計算ですか」
「計算です。冒頭の三行は読者を物語に引き込む最初のフックです。コンクールの原稿と同じです。最初の三行で読者を掴む」
「コンクールの技術をリレー小説に転用してるのか」
「はい。書く技術は、場面が変わっても使えます」
詩織さんが万年筆を握り直した。修正点を聞きたい目だ。
「一つだけ。"放課後の教室"を"放課後の文芸部の部室"に変えたらどうですか。来場者が今いる場所と物語の場所を重ねられる。リアリティが上がる」
「部室……! いいですね。来場者が部室にいて、物語の中のノートも部室にある。現実と物語が重なる」
「詩織さんの得意な"体験型"になる」
「はい! 修正します」
詩織さんが万年筆で修正した。「教室」を消して「文芸部の部室」に。丁寧に。一文字ずつ。修正テープではなく、万年筆で上から書き直している。アナログだ。デジタルならバックスペースキー一つで消える。でも詩織さんは万年筆で書き直す。手書きの修正には体温がある。
「朝倉くん。冒頭文で一番悩んだのは、最後の一文なんです」
「"この物語の続きを、あなたが書いてください"の部分?」
「はい。最初は"続きを書いてください"だけでした。でもそれだと命令っぽい。次に"続きを書いてみませんか?"にした。でもそれだと弱い。書かなくてもいいかなって思われる」
「で、"あなたが書いてください"にした」
「はい。"あなたが"の一語を入れました。"あなた"と呼びかけることで、来場者が"自分のこと"だと感じる。不特定多数ではなく、目の前の一人に語りかける」
「一語でそこまで変わるのか」
「変わります。文章は一語で世界が変わる。コンクールの講評に"構成が冗長"と書かれました。あの時から、一語の重みを考えるようになった」
「コンクールの経験がリレー小説に活きてるんだな」
「はい。全部つながっています。書いたことは一つも無駄にならない。落選した朝倉くんの経験も、今のPMの仕事に活きているでしょう?」
「確かに。スケジュール管理はサッカーの試合計画と似てる。落選の悔しさは"次は何をすべきか"を考える力になった」
「つながっているんです。全部」
詩織さんの目が温かい。万年筆を握る指が柔らかい。この人は「つながり」を見つけるのが上手い。人と人のつながり。経験と経験のつながり。言葉と言葉のつながり。取材ノートに書かれた百ページ以上の記録は、全て「つながり」の地図だ。
*
放課後。空き教室でリレー小説のシステムテストをした。
模造紙を壁に貼った。A1サイズ。でかい。壮介が「でかい!」と叫んだ。壮介は台本を書くはずだったが「テストを見たい!」と言って来た。凛先輩は部室で脱出ゲームの修正中。先生は職員室。今日は詩織さんと俺と壮介の三人だ。
模造紙の上部に冒頭文を書いた。詩織さんが万年筆で。大きな字。来場者に読みやすい字。
「"放課後の文芸部の部室に、一冊のノートが落ちていた。表紙には名前がない。開くと、最初のページにこう書いてあった。『この物語の続きを、あなたが書いてください』"」
「いい冒頭だ。じゃあテストプレイ。壮介、来場者役をやれ」
「来場者! 了解!」
壮介がマーカーを持った。模造紙の前に立った。冒頭文を読んだ。
「続きを書く? 俺が?」
「そう。来場者が一行書き足す。一行は二十文字以内。ルールはそれだけ」
壮介が考えた。五秒。十秒。マーカーを握っている。書き始めた。
「"ノートの2ページ目には、カレーうどんのレシピが書いてあった"」
「壮介、それ物語じゃなくてレシピだろ」
「レシピも物語だ!」
「レシピは物語ではない」
「カレーうどンのレシピには歴史がある! 歴史は物語だ!」
詩織さんが笑っている。万年筆を握ったまま。
「壮介くん。これがリレー小説の最大の課題です」
「課題?」
「来場者が何を書くか制御できません。壮介くんのようにカレーうどンのレシピを書く人が来るかもしれない。不適切な内容を書く人が来るかもしれない。下品な言葉を書く人も」
「下品な言葉!? そんな人いる!?」
「います。匿名参加型のイベントでは必ずいます。ネットの掲示板と同じです。匿名だと人は大胆になる。模造紙に名前を書かずに一行だけ書く。匿名に近い。だから対策が必要です」
「壮介のカレーうどンはまだ可愛いほうか」
「可愛いです。カレーうどンは平和な暴走です」
「平和な暴走って何だよ」
「物語は壊さないけど方向がズレる暴走です。壮介くんらしい」
「俺、平和な暴走者!?」
「褒め言葉です」
「褒め言葉か!? なんか微妙!」
これがリレー小説の構造的な課題だ。来場者に筆を委ねる以上、何が書かれるか分からない。脱出ゲームは凛先輩が全てを設計できる。答えも過程も管理下にある。リレー小説は違う。来場者に委ねる。委ねるからこそ参加型になる。でも委ねるからこそリスクがある。自由と管理のバランス。詩織さんはそのバランスを設計しようとしている。
「対策は三つ考えました」
詩織さんがノートを開いた。
「一つ目。進行役の常駐。私が模造紙の横に立って、来場者が書く内容をリアルタイムで確認します。不適切な内容があれば修正テープで即座に対応」
「詩織さんがずっと立ってるのか。体力的にきつくないですか」
「大丈夫です。取材と同じです。観察して記録する。私の得意分野です」
「二つ目は?」
「ルールカードの掲示。"物語に関係ある内容を書いてください""暴力的・性的な表現はご遠慮ください"。明示することで抑止力になります」
「三つ目は?」
「予備の模造紙を用意します。万が一、物語が修復不能なほど壊れた場合、新しい模造紙で最初からやり直します」
「三枚くらい用意しておけばいいか」
「はい。模造紙は一枚八十円です。三枚で二百四十円。予算内です」
PMとして計算した。詩織さんの対策は合理的だ。人的対策(常駐)と物的対策(ルールカード+予備模造紙)の二重構造。コストも低い。
「では壮介のカレーうどンはどうする?」
「カレーうどンは不適切ではないです。物語としてはズレていますが、暴力的でも性的でもない」
「じゃあカレーうどンはセーフ?」
「セーフです。ただし、物語の流れが壊れた場合は進行役が"軌道修正"します。壮介くんのカレーうどンの後に"しかしそのレシピには秘密が隠されていた"と私が一行加えれば、物語に戻せます」
「進行役が物語を修復するのか。詩織さんの即興力が試される」
「即興は得意です。取材ノートに即興メモを書き続けて半年。鍛えられました」
壮介が「俺のカレーうどンが物語の素材になった!」と喜んでいる。喜ぶポイントが違う気もするが、壮介が喜んでいるならいい。
*
テストプレイを続けた。俺が来場者役をやった。壮介のカレーうどンの次に一行書く。
「"だが、レシピの余白に、知らない誰かの手書きのメッセージがあった"」
「朝倉くん、上手い。壮介くんのカレーうどンを否定せずに、ミステリの方向に軌道修正している」
「凛先輩の脱出ゲームの影響かもしれません。ミステリ脳に感染した」
「感染。面白い表現ですね。メモします」
詩織さんが取材ノートにメモした。「ミステリ脳に感染」。俺の発言がノートに記録された。詩織さんの取材ノートに俺の言葉がいくつ載っているのだろう。聞きたいが聞けない。
次は詩織さんが書いた。
「"メッセージにはこう書かれていた。『明日の放課後、部室で待っています。あなたに読んでほしい物語があります』"」
三行で物語が動き始めた。ノートが見つかる→カレーうどンのレシピ→手書きメッセージ→「待っています」。カレーうどンを経由しても物語になる。詩織さんの軌道修正力が凄い。
「これが五十人の来場者で繰り返されるんですか」
「はい。五十人が一行ずつ書けば五十行の物語ができます。五十行。原稿用紙二枚半。短いですが、五十人の手で作られた物語です」
「五十人の共著」
「はい。コンクールは一人で書く孤独な作業でした。リレー小説は五十人で書く。"書く"という行為を共有する体験です。これが文芸部の文化祭でやるべきことだと思うんです」
詩織さんの目が真剣だ。コンクールの時と同じ真剣さ。でも方向が違う。コンクールは「自分の作品を認めてもらう」真剣さだった。リレー小説は「みんなで作品を作る」真剣さだ。
「朝倉くん。リレー小説の完成作は印刷して来場者に配りたいんです」
「配る?」
「はい。文化祭の終わりに、完成した物語をコピーして、書いてくれた全員に渡す。"あなたが書いた一行が入った物語です"と。お土産です」
「いいな。自分の一行が入った物語を持ち帰れる。それは記憶に残る」
「記憶に残るものを作りたい。部誌を配るだけじゃ、たぶん読まれない。でも自分が参加した物語なら読む。何度でも読む。自分の一行を探して」
「詩織さんの"体験型"のゴールがそこか。参加した人が"自分の物語"として持ち帰る」
「はい。それが"あなたも作家"の意味です」
企画名の意味がようやく分かった。「あなたも作家」。来場者が作家になる体験。一行だけの作家。でもその一行は、五十人の物語の一部になる。
壮介が模造紙の前で「もう一行書いていい?」と聞いた。詩織さんが「どうぞ」と答えた。壮介が書いた。
「"カレーうどンの匂いが部室に漂っていた。それだけで、全部大丈夫な気がした"」
壮介の二行目。さっきのレシピとは違う。物語の中の一行だ。カレーうどンが物語に溶けている。壮介のカレーうどンは暴走ではなく、物語の一部になった。
「壮介くん。今の一行、すごくいいです」
「マジ!?」
「マジです。カレーうどンの匂いが"安心"の比喩になっている。物語に感情が入った。一行目のレシピとは全然違います」
「一行目はダメだった?」
「ダメじゃないです。でも一行目は情報でした。二行目は感情です。"全部大丈夫な気がした"。この一文に壮介くんの本音がある。千二十文字の"五人で食うカレー"と同じ温度です」
「千二十文字と同じ温度!?」
「はい。壮介くんの文章は、食べ物を通して感情を伝える。カレーうどンは壮介くんの言語なんです。日本語とカレーうどン語のバイリンガル」
「バイリンガル!! かっこいい!!」
「カッコいいかどうかは微妙ですけど」
壮介の目が輝いた。千二十文字の作家が、リレー小説で一行の作家になった。一行でも物語は書ける。壮介はそれを証明した。
模造紙を壁から外した。丸めて空き教室の隅に立てかけた。五行の物語が残っている。三人で書いた五行。明日、凛先輩に見せる。
「先輩は何て言うかな。カレーうどンの行を見て」
「凛先輩なら"壮介らしい"の一言で終わりそうですね」
「先輩のミステリ脳にカレーうどンは想定外だろうな」
「想定外が面白いんです。リレー小説の本質は想定外です。冒頭を書いた私にも、結末は分からない。五十人の来場者が何を書くか。それを見届けるのが楽しみです」
「見届ける。先生みたいなことを言いますね」
「先生の影響かもしれません。見守って、問題が起きた時だけ手を出す。リレー小説の進行役も同じです」
「監督業務だ」
「はい。詩織監督です」
「詩織監督って響きが強い」
「監督は嫌です。進行役のほうがいい。物語を進める役。来場者の背中を押す役」
「背中を押す役。いいな」
「朝倉くんの背中も押しますよ。朗読原稿、進んでますか?」
「まだ一行も書けてない」
「書けますよ。朝倉くんなら」
「根拠は?」
「半年間の取材結果です。朝倉くんは締切前に加速するタイプ。コンクールの時もそうでした」
「俺のタイプまで分析してるのか」
「取材です」
また「取材です」が出た。詩織さんの免罪符。でも今日の「取材です」は少しだけ温度が高い。声のトーンが〇・五度上がっている。たぶん気のせいではない。
「詩織さん。リレー小説のシステム、いけそうですか」
「いけます。冒頭文は完成。ルールカードは今夜作ります。模造紙の予備は明日買います。あとはSNSでの告知と、当日の進行台本」
「進行台本は木曜までに。SNS告知は水曜に最初の投稿を」
「はい。PM、了解です」
「PMって呼ばれると照れるな」
「照れなくていいです。頼りにしてます。PMとしても、朗読のライバルとしても」
「ライバルか。詩織さんに勝てる気がしない」
「勝てますよ。朝倉くんの走る文章は、私には書けない。私の文章は歩く文章だから。走る文章と歩く文章。どちらが好まれるかは来場者次第です」
「歩く文章と走る文章。面白い対比だな」
「凛先輩は止まる文章です。緊張で読者を止める。三人三様」
「止まると歩くと走る。凛先輩の設計通りだ」
帰り道は別々だった。詩織さんは教室に万年筆を忘れたと言って戻った。俺は一人で校門を出た。
秋の風。模造紙に三人で書いた五行の物語が頭に残っている。ノートが見つかって、カレーうどンのレシピがあって、メッセージがあって、カレーうどンの匂いで全部大丈夫な気がした。五行。三人で。文化祭では五十行。五十人で。
リレー小説のシステムは動く。詩織さんの発明が形になる。そして明日は壮介のMC台本の読み合わせだ。壮介が台本を書いているか。書いていてほしい。たぶん書いている。たぶん。




