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第55話 脱出ゲーム設計──凛、本気の密室

# 脱出ゲーム設計──凛、本気の密室


 月曜日。準備初日。


 部室のドアを開けた瞬間、足が止まった。畳が見えない。ちゃぶ台が見えない。ソファが見えない。全部が紙で覆われている。設計図。間取り図。フローチャート。タイムライン。パズルの論理構造図。A4の紙が畳の上に何十枚も並んでいる。


 凛先輩が畳の真ん中に正座していた。周囲を紙に囲まれている。紙の海の中で設計図を見つめている。目が充血している。髪が少し乱れている。ブランケットが肩にかかっている。寒いからではない。土日の徹夜で体温が下がっているのだ。


「先輩。部室が設計事務所になってるんですが」


「必要な作業だ」


「畳が見えません」


「畳より設計図が大事だ」


「先生のソファは?」


「ソファの上にもある」


 ソファの上に設計図が五枚重なっていた。先生が来たら座れない。いや、先生なら設計図の上に座りかねない。缶コーヒーさえ持てれば場所を選ばない人だ。


「ちゃぶ台の上は?」


「パズルの試作品がある。触るな。配置に意味がある」


 ちゃぶ台の上にパズルの試作品が並んでいた。暗号カード。鍵付きの箱(百均で三つ買ってきたらしい)。文学クイズの問題用紙。アリバイ推理の時系列表。全部が凛先輩の手書きだ。二日間でこれだけの量を作った。


「先輩、何時間やったんですか」


「金曜の夜から。土曜は十二時間。日曜は十四時間」


「二十六時間!?」


「ミステリのためなら寝なくてもいい」


「死にますよ」


「死なない。缶コーヒーで持たせた」


 空き缶が五本転がっていた。先生の影響が凛先輩にまで及んでいる。缶コーヒーは文芸部の燃料だ。


 壮介が部室に入ってきた。紙の海を見て固まった。


「何これ!? 事件現場!?」


「脱出ゲームの設計図だ。踏むな」


「踏まないで歩けない!」


「端を歩け。壁際に通路を確保してある」


 壁際に幅三十センチほどの通路が残されていた。凛先輩は設計図を敷き詰めながらも通路は確保する。ミステリ作家の空間認識能力だ。密室の設計者は部屋のレイアウトに妥協しない。


 詩織さんが入ってきた。紙の海を見て万年筆を握り直した。


「取材……したい……」


「今は邪魔するな。設計の説明をするから全員座れ」


「座る場所がないんですが」


「壁際に座れ」



    *



 全員が壁際に座った。凛先輩が設計図の前に立った。ホワイトボードの前ではなく設計図の前。ホワイトボードは掟と「文芸部フェスティバル」の文字で埋まっているからだ。


「"密室の文芸部"の全体設計を説明する」


 凛先輩がA3サイズの間取り図を掲げた。空き教室のレイアウトだ。机の配置、来場者の動線、パズルの設置位置が色分けされている。赤が第一パズル。青が第二。緑が第三。黄色が第四。黒が最終パズル。


「来場者は二人一組で入室する。制限時間三十分。教室は三つのエリアに分かれている。入口エリア、中央エリア、脱出エリア。各エリアにパズルが設置されている。全五問。順番に解いていく」


「五問も!?」


「五問だ。難易度は段階的に上がる。第一パズルは導入。易しい。第五パズルが最難関。三十分で全問解ける設計だが、ギリギリのバランスにする」


「ギリギリって?」


「クリア率五割を目標にする。二組に一組がクリアできるバランス。簡単すぎると面白くない。難しすぎると来場者が怒る。五割が黄金比だ」


「先輩、脱出ゲームのバランス設計まで研究したんですか」


「当然だ。プロの脱出ゲーム施設のクリア率データを調べた。五割前後が最も満足度が高い」


 凛先輩がパズルを一つずつ説明し始めた。


「第一パズル。暗号。壮介のカレーうどンエッセイに暗号を仕込む。文中の特定の文字を拾うと数字が出てくる。その数字が第二パズルのヒントになる」


「俺の千二十文字に暗号!?」


「使わせてもらう。文芸部員の作品をパズルに組み込むことで、来場者が自然に部員の作品を読む仕掛けだ。宣伝も兼ねている」


「俺の作品が謎解きの素材になるのか! なんかカッコいい!」


「カッコいいかどうかはともかく機能的だ」


「第二パズル。アリバイ推理。詩織の短編の登場人物四人のアリバイ表を渡す。一人だけ矛盾がある。矛盾を見つけた人が犯人。犯人の名前のイニシャルが次のヒント」


「私の作品もですか?」


「千歳の描写力なら、アリバイ表に感情のリアリティが出る。単なる論理パズルではなく"物語を読む"体験になる」


「嬉しいです。使ってください」


「第三パズル。物理トリック。鍵のかかった箱を開ける。鍵は教室のどこかに隠してある。ヒントは部誌の中にある」


「部誌も読ませるのか。凛先輩、全部のパズルに作品を絡めてますね」


「そうだ。来場者が"謎を解く"ために"文芸部の作品を読む"。脱出ゲームが終わった時、来場者は自然に全員の作品に触れている。これがミステリ脱出ゲームの真の目的だ」


「真の目的って、来場者に作品を読ませることだったんですか」


「当然だ。脱出ゲームは手段であって目的ではない。目的は"文芸部の言葉を届ける"ことだ。掟の精神を脱出ゲームで実現する」


 凛先輩の設計思想が見えた。脱出ゲームは罠だ。来場者は謎を解きに来る。でも謎を解くためには作品を読まなければならない。読んだ時点で、凛先輩の勝ちだ。来場者は気づかないうちに文芸部の作品を体験している。ミステリ作家の仕掛けだ。


「第四パズル。文学クイズ。俺の原稿から出題する。"主人公が最後に見た景色は何色か"。答えはオレンジ。夕日のオレンジだ」


「俺の原稿から出すんですか」


「朝倉の作品は風景描写が具体的だ。クイズに向いている」


「先輩の作品は?」


「第五パズル。最終問題。俺のミステリの犯人を当てる。短い抜粋を読んで推理する。正解すれば脱出コードが手に入る。最難関だ」


「先輩のミステリが最終ボスってことですか」


「そうだ。俺がラスボスだ」



    *



 設計説明が終わった。次はテストプレイだ。


「壮介。テスターをやれ」


「俺!?」


「お前が一番ミステリに疎い。お前が解けるなら一般来場者も解ける。お前が解けなければ難易度を下げる。壮介基準だ」


「壮介基準!? なんか失礼な響きだ!」


「失礼ではない。最も正確なテスト指標だ」


 壮介が第一パズルに挑んだ。自分のカレーうどンエッセイを読んで暗号を探す。


「えーと……特定の文字を拾う……どの文字だ?」


「ヒントカードを読め。"各段落の三文字目を縦に読め"と書いてある」


「各段落の三文字目……一段落目の三文字目は"カ"……二段落目は"レ"……三段落目は"ー"……カレー!?」


「正解。暗号はカレーだ。カレーの数字変換で第二パズルのヒントが出る」


「自分の作品に暗号が仕込まれてたの知らなかった! いつ仕込んだんですか!?」


「土曜の夜。壮介の原稿を借りて、段落の区切り位置を微調整した。文章の意味は変えていない。区切りだけ変えた」


「先輩が俺の原稿に手を入れた!? 無断で!?」


「事後承諾を求める。承諾しろ」


「承諾! でも次は事前に言ってくれ!」


「承諾感謝する。では第二パズルに進め」


 壮介が第二パズルに挑んだ。詩織さんの短編から作ったアリバイ推理。四人の登場人物の時系列表が渡される。


「これ詩織ちゃんの作品? 人物が四人いる。AとBとCとD。それぞれの行動が時系列で書いてある」


「矛盾がある人物を見つけろ。矛盾がある人物が犯人だ」


 壮介が時系列表を睨んだ。一分経過。二分経過。額に汗が浮いている。三分経過。


「分からない!!」


「どこを見ている」


「全員の行動を順番に読んでる!」


「それでは見つからない。同じ時間帯を横に読め。同じ時刻に二か所にいる人間がいないか確認しろ」


「横に! 午後三時の行が……Bが図書館にいて……Bが駅前のカフェにもいる!? 同時に二か所!? 矛盾だ!」


「正解。所要時間三分十五秒。遅い」


「遅い!? 解けたのに!?」


「来場者は三十分で五問解く必要がある。一問あたり六分。三分十五秒は許容範囲だが余裕がない。ヒントの出し方を工夫して二分以内に短縮したい」


 第三パズル。鍵の箱。壮介が箱を持ち上げた。振った。ガチャガチャ。中で何かが動いている。


「開かない!」


「力で開ける問題ではない」


「力以外に何がある!?」


「知恵だ。ヒントは部誌の十二ページにある」


「部誌! どの部誌!?」


「最新号。ちゃぶ台の上にある。取れ」


 壮介が部誌を取った。十二ページをめくった。凛先輩の短編の一節。「鍵は常に見えている場所にある。人は複雑な場所を探す。だが鍵は単純な場所にいる」。


「見えている場所? どこだ?」


 壮介が教室を見回した。窓。壁。天井。机。全部見た。見えている場所。窓枠の上にテープで何かが貼ってある。銀色。鍵だ。


「あった!! 窓枠の上!! ずっと見えてたのに気づかなかった!!」


「それがミステリの醍醐味だ。答えは最初からそこにある。見ているのに見えない。人間の認知の盲点を突く。これがトリックだ」


 詩織さんが万年筆を走らせていた。凛先輩のトリック設計をメモしている。


「凛先輩。このパズル、すごいです。来場者が"気づく"瞬間が快感になる設計ですね。見えていたのに見えなかったものが見える瞬間。それは読書と同じです。小説の伏線に気づく瞬間と同じ快感」


「千歳、よく分かっている。脱出ゲームは物理的なミステリだ。小説のミステリを現実空間に展開している。来場者は"読者"ではなく"探偵"になる。受動的な読書が能動的な体験に変わる」


「文芸部らしい脱出ゲームですね」


「そうだ。俺たちにしかできない脱出ゲームだ」


 壮介が第四パズル、第五パズルと進んだ。第四は文学クイズ。俺の原稿から「主人公が最後に見た景色の色」を答える。壮介が原稿を読んだ。「オレンジ! 夕日!」。正解。一分三十秒。速い。壮介は文章を読む速度は遅いが、色の描写には敏感だ。意外な強みだ。


 第五パズル。凛先輩のミステリの犯人当て。短い抜粋を読んで推理する。壮介が十分格闘した末に「Cが犯人!」と叫んだ。不正解。犯人はDだった。壮介が「なんで!?」と叫んだ。凛先輩が「Cはミスリード。Dのアリバイに偽証がある。第二パズルと同じ構造だ」と解説した。壮介が「同じ構造なのに引っかかった!」と頭を抱えた。


 合計所要時間は四十二分。制限時間の三十分を十二分超過。


「壮介基準で四十二分。一般来場者は八掛けで三十三分。三分超過。パズルの一つを簡略化すれば三十分に収まる」


「壮介基準の八掛けって何」


「壮介の所要時間に〇・八をかけた値が一般来場者の予想所要時間だ。壮介はミステリ素養がゼロだから、一般人よりやや遅い。その差が約二割」


「俺はミステリ素養ゼロの基準値!」


「誇っていい。お前がいなければテストバランスが取れない」


 壮介が複雑な顔をしている。褒められているのか馬鹿にされているのか分からない顔だ。たぶん両方だ。



    *



 テストプレイが終わった。凛先輩が修正点をメモしている。赤ペンで。先生と同じ赤ペンだ。先生の赤ペンは原稿を直す。凛先輩の赤ペンはトリックを直す。同じ赤でも用途が違う。


「修正点は三つ。第二パズルの難易度を一段下げる。矛盾をもう少し分かりやすくする。第四パズルのクイズを二択にする。記述式は時間がかかりすぎる。第五パズルのミスリードを弱める。壮介でも正解できるレベルに」


「壮介基準がまた出た」


「壮介基準は正義だ。壮介が解けなければ誰も解けない。壮介が解ければ全員解ける。完璧な指標だ」


「俺、指標として使われてる!」


「誇れ。お前なしではバランス調整ができない。テスターとしての壮介の価値は計り知れない」


「計り知れない!? すげえ!?」


「すごいかどうかは微妙だが、不可欠だ」


 壮介が複雑な顔をしている。褒められているのか馬鹿にされているのか分からない。たぶん両方だ。文芸部での壮介の立ち位置はいつもそうだ。弄られているが必要とされている。


 俺はPMとして進捗を確認した。ノートを開く。三企画の状態を書き出す。


 脱出ゲーム:設計八割完成。テストプレイ一回実施。修正点三か所。凛先輩が明日中に修正予定。小道具の最終制作は木曜。状態:順調。


 リレー小説:冒頭文の第一稿を詩織さんが執筆中。模造紙は購入済み。マーカーは部費で手配。SNSアカウントは昨日開設済み。フォロワー数はまだ十二人(全員文芸部関係者)。状態:やや遅れ。


 朗読バトル:MC台本は壮介が「頭の中にある」と主張。紙に書かれていない。音響機材は先生が音楽室から借りる手配中。出場者三人の朗読原稿は全員未完成。状態:遅れ。


「凛先輩。脱出ゲームは順調ですが、朗読バトルの準備が遅れてます。壮介、MC台本いつまでに書けますか」


「水曜!」


「水曜。あと二日。紙に書いてください。頭の中だけでは確認できません」


「紙に書く! 了解!」


「間に合いますか」


「間に合う! たぶん!」


「"たぶん"を取れ」


「間に合う!」


「よし。水曜の放課後に台本の読み合わせをします。凛先輩、詩織さんも参加してください」


「了解だ」


「はい」


 詩織さんが万年筆を持ったまま聞いた。


「朝倉くん。リレー小説の冒頭文、見てもらえますか。第一稿ができたんです」


「見ます。今?」


「今日は無理ですよね。脱出ゲームのテストプレイで時間が……」


「明日の昼休みでどうですか。食堂で」


「食堂で原稿チェック。いいですね。じゃあ明日」


 壮介が「俺も行く!」と叫んだ。「壮介は台本を書け」と凛先輩が止めた。壮介が「台本書きながら食堂に行く!」と返した。「食堂で台本を書くな。集中しろ」。壮介が「集中! 了解!」と叫んだ。


 帰り際、凛先輩が言った。


「朝倉。朗読バトルの原稿は書いているか」


「まだです。テーマは決まってるんですけど」


「何を書く」


「走ること。声で走る文章」


「声で走る文章か。お前らしい。千五百文字で走れ。読んだ人間の心拍数が上がるような文章を書け」


「心拍数が上がる文章」


「俺のミステリは心拍数を下げる。緊張で。千歳の朗読は心拍数を安定させる。感動で。お前の朗読は心拍数を上げろ。疾走感で。三人三様の心拍数。それが朗読バトルだ」


「三人三様の心拍数」


「下げて、安定させて、上げる。この順番で朗読すれば、来場者の感情が完全にコントロールできる。俺が最初。千歳が二番目。お前がトリだ」


「俺がトリ!?」


「トリは最も心拍数を上げる人間がやる。お前だ。走れ、朝倉。千五百文字の全力疾走で」


 凛先輩の朗読バトルの設計も完璧だった。三人の出場順まで計算している。脱出ゲームもそうだ。全てが計算されている。全てに意味がある。ミステリ作家の脳みそだ。


 部室を出た。設計図の海を避けて壁際を歩いて。靴を履いて。廊下に出た。秋の風。金木犀の匂い。


 千五百文字。走る文章。トリの朗読。凛先輩の期待に応えなければならない。明日から書き始める。走る文章を書く。声で届ける、千五百文字の全力疾走を。

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