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第54話 天城瑠璃、再び──予算と条件

# 天城瑠璃、再び──予算と条件


 申請締切日。金曜日の放課後。


 凛先輩が完璧な申請書を仕上げていた。A4三枚。三企画の概要、使用スペース、タイムスケジュール、予算内訳、安全対策。表紙のレイアウトが美しい。明朝体。清潔で知的だ。三日前から準備していたらしい。凛先輩は締切の三日前に完成させる人間だ。締切当日に慌てるのは素人。凛先輩は三日前に完成させて、残りの三日で推敲する。原稿もスケジュールも申請書も、全て同じ方法論で仕上げる。


 壮介が「俺も表紙描いていい?」と手を挙げた。


「描くな」


「棒人間のイラストを——」


「棒人間は夏の予算申請で懲りた。あの時、天城に"資料として不適切"と言われて差し戻されただろう。あの時の壮介のスライドを覚えているか」


「覚えてる! 背景が炎のやつ!」


「炎の背景に棒人間。生徒会長の好感度がマイナスからスタートした」


「マイナスから!?」


「棒人間は今回は使わない。俺が描く」


 詩織さんが横から「壮介くんの棒人間、私は好きですよ。味がある」と言った。壮介が「詩織ちゃんは分かってる!」と喜んだ。凛先輩が「味があっても生徒会には通らない」と切った。


 俺が申請書の最終確認をした。PMの仕事だ。誤字脱字、数字の整合性、予算の計算ミス。チェックリストを作って一項目ずつ確認する。サッカー部の試合前のメンバー確認と同じだ。一つでも抜けがあれば試合に出られない。申請書も同じだ。一つでもミスがあれば天城さんに差し戻される。


 俺が申請書の最終確認をした。PMとして。


「先輩、"ミステリ脱出ゲーム"の概要に"犯人は来場者の中にいる"って書いてありますが」


「何か問題が?」


「来場者を犯人にしていいんですか。生徒会に怒られません?」


「フィクションの範囲内だ。脱出ゲームのストーリー上の設定であって、来場者を本当に犯人にするわけではない」


「それは分かってますけど、天城さんが読んだら確実にツッコまれますよ」


「ツッコまれたら交渉する」


「先輩の辞書に"妥協"って載ってないんですね」


「ミステリ作家に妥協は禁物だ」



    *



 生徒会室。三階の端。ドアをノックした。


「どうぞ」


 澄んだ声。天城瑠璃。生徒会長。二年生。長い黒髪をハーフアップにまとめて、生徒会の腕章を完璧に着用している。姿勢がいい。目が鋭い。机の上に書類の山。赤ペンを走らせている。


 夏の予算交渉以来だ。あの時は合宿の追加予算を申請して、壮介のスライドが炎上して、凛先輩のプレゼンで何とか通した。天城さんは厳格だが公正だ。数字と論理で話が通じる。感情では通じない。凛先輩と似ているが、凛先輩はミステリの論理。天城さんは生徒会の論理。どちらも隙がない。


 凛先輩と俺が入室した。壮介は廊下で待機。凛先輩の指示だ。「壮介を入れると交渉が破綻する」。壮介が「なんで!?」と叫んだが、「お前が前回やらかしたスライドを忘れたのか」で黙った。


「文芸部。また来ましたね」


「出し物の申請です」


 申請書を渡した。天城さんが受け取った。一読する。目が速い。三ページを三十秒で読み切った。速読だ。生徒会長は書類を読む速度が異常だ。全部活の申請書を一人で処理しているのだろう。


「三企画」


「はい」


「一つの部で三企画は多すぎませんか?」


「多いです。でもやります」


「根拠は?」


「五人の部員がそれぞれの企画を出した。一つに絞れば二人の個性が死ぬ。全員の得意を活かすために全部やります」


「理念は分かります。ですが物理的に回せますか? 五人で三企画」


「回します。タイムテーブルはここに。午前は脱出ゲームとリレー小説の同時運営。午後は朗読バトルに全員集中。ローテーションで人員を回す設計です」


 天城さんが申請書のタイムテーブルを見た。指で時間軸をなぞっている。矛盾がないか確認している。凛先輩のスケジュール設計は完璧だ。アリバイ設計と同じ精度で組んである。


「時間的には成立しますね。人員配置にも無理はない」


「ありがとうございます」


「ただし、いくつか確認があります」


 天城さんがペンを持った。申請書に直接メモを書き込み始めた。赤ペン。凛先輩の赤ペンとは違う種類の赤だ。凛先輩の赤ペンは「もっと良くなる」の赤。天城さんの赤ペンは「基準を満たしているか」の赤。


「ミステリ脱出ゲーム。"犯人は来場者の中にいる"という設定ですが、来場者に不快感を与えない配慮は?」


「ストーリー上の設定です。来場者が犯人として扱われるわけではなく、来場者は探偵役として謎を解きます」


「"密室"の演出として教室を暗くする記述がありますが、安全上の問題は?」


「完全な暗闘にはしません。照明を落とすのみ。非常口の表示は常に点灯。転倒防止のため床にマットを敷きます」


「安全対策が書いてありますね。……合格です」


「ありがとうございます」


「次。リレー小説。来場者が模造紙に直接書くということは、不適切な内容を書く来場者がいた場合の対処は?」


「進行役の千歳が常駐して監視します。不適切な記述があった場合は即座に修正テープで対応」


「修正テープ。原始的ですが確実ですね」


「デジタルより手書きのほうが文芸部らしいので」


「文芸部らしさを優先する姿勢は評価します。ただし、実用性も忘れずに」


「はい」


「最後。朗読バトル。MCの声量制限について」


 天城さんが申請書の壮介の名前を指した。


「大和壮介さんがMCを担当するようですが」


「はい」


「大和さんの声量は校内でも有名です。朗読バトルの教室は旧校舎二階ですね。隣接教室への音漏れは」


「隣接教室は空き教室です。音漏れの問題はありません」


「なるほど。旧校舎を選んだのは音漏れ対策も兼ねていますか」


「はい。壮介の声量を吸収できるのは旧校舎だけです」


「声量を"吸収"。面白い表現ですね」


 天城さんの唇が微かに動いた。笑いを堪えている。壮介の声量は生徒会長も知っているらしい。全校が知っている。壮介の声は朝凪高校の共有財産だ。


「以上、安全面は問題ありません。では、条件を出します」


 天城さんの目が鋭くなった。生徒会長モードだ。


「二日間の合計来場者が五十人を超えなければ、来年の文化祭では出し物を一つに制限します」


「五十人」


「去年の文芸部は不参加。一昨年は来場者八人。五十人は歴代の六倍以上です。達成できなければ、三企画を回す実力がなかったということです。来年は一企画に絞っていただきます」


 五十人。凛先輩がホワイトボードに書いた目標と同じ数字だ。偶然の一致か。いや、凛先輩は天城さんの出す条件を読んでいたのかもしれない。ミステリ作家は人の行動を予測する。


「五十人。やります」


「即答ですか」


「元々の目標が五十人でした」


「そうですか。では目標と条件が一致しましたね。達成を期待しています」


 凛先輩が立ち上がりかけた。天城さんが呼び止めた。


「桐谷さん。もう一つ」


「はい」


「朗読バトルの出場者リストに千歳さんの名前がありますが」


「千歳も出ます」


「千歳さんの朗読は初めてですか?」


「文化祭では初めてです。合宿では全員の前で朗読しましたが」


「そうですか」


 天城さんの表情が一瞬だけ変わった。ほんの一瞬。唇の端が微かに上がった。目の奥に光が入った。すぐに消えた。でも俺は見た。


「楽しみです」


 天城さんが言った。声のトーンが〇・五度だけ柔らかくなった。生徒会長の声ではない。一人の生徒の声だ。


 廊下に出た。壮介が「どうだった!?」と駆け寄ってきた。


「通った。ただし条件つきだ」


「条件?」


「来場者五十人。二日間で。達成できなければ来年は一企画に制限」


「五十人! やれる! 絶対やれる!」


「根拠は?」


「俺の声! 俺の声で五十人くらい集められる!」


「お前の声だけで五十人集まったらすごいけどな」


「集まるよ! 壮介パワーだ!!」


 壮介が廊下で叫んだ。生徒会室のドアが開いて、天城さんが顔を出した。


「廊下で叫ばないでください。三回目です」


「すみません!!」


 壮介の謝罪も叫びだった。天城さんが無言でドアを閉めた。ドアの向こうで溜息が聞こえた。天城さんの溜息。生徒会長の溜息は重い。数十の部活を管理する人の溜息だ。その中で壮介が一番の騒音源であることは間違いない。


「壮介。本番まで生徒会室の前では叫ぶな。天城の機嫌を損ねたら来年の予算に響く」


「了解! 生徒会室の前だけ小声!」


「お前の辞書に小声はあるのか」


「ある! たぶん!」


「"たぶん"が多い男だな」


「可能性の表現だ! 文芸的だ!」


「ただの曖昧だ」


 部室に戻った。五十人の条件を全員に共有した。詩織さんと先生が待っていた。


「五十人。達成しなければ来年は一企画に縮小」


「プレッシャーですね」


 詩織さんが言った。


「プレッシャーだが目標でもある。明確な数字がある方がやりやすい。コンクールの佳作入選と同じだ。"認められる"には基準がいる」


 凛先輩がホワイトボードの「目標:来場者50人」の横に赤で「=条件」と書き加えた。目標と条件が一致した。自分たちの目標が、外部からの要求と重なった。


「集客戦略を詰める。四つの方向から攻める」


 凛先輩がホワイトボードに四項目を書いた。


「一、チラシ。壮介が校門と廊下で配る。声量を武器にして、通行人全員に認知させろ」


「任せろ!! 一枚も残さない!」


「二、SNS。千歳。文芸部のアカウントを作って発信しろ。リレー小説のコンセプト説明と、脱出ゲームのティザー映像を投稿する」


「ティザー映像って、何を撮るんですか?」


「密室の部屋の映像を十秒。"あなたは脱出できますか?"のテロップ。興味を引く」


「先輩、映画の予告編みたいですね」


「ミステリは映画と親和性が高い。予告編の技術はそのまま使える」


「三、口コミ。朝倉。サッカー部の田中を起点に体育系の人脈を回せ。文芸部を知らない層にリーチする」


「了解。田中に連絡します」


「四、教員ルート。先生。担任の先生方に文芸部の出し物を紹介してもらうよう頼んでください。ホームルームで一言触れてもらうだけで効果がある」


「根回しか」


「根回しです」


「缶コーヒーを差し入れれば——」


「買収しないでください」


「買収じゃない。人間関係の潤滑油だ」


「缶コーヒーが潤滑油ってどうなんですか」


「俺の人間関係は全て缶コーヒーで成り立っている」


 壮介が「先生の人間関係、缶コーヒーに依存しすぎじゃない?」と突っ込んだ。先生が「依存ではない。共生だ」と返した。共生する人間と缶コーヒー。先生の辞書は独特だ。


 詩織さんが手を挙げた。


「もう一つ提案があります。チラシのデザインに、リレー小説の"お試し版"を印刷するのはどうでしょう。チラシの裏面に物語の冒頭を印刷して、"続きは文化祭で!"と書く。チラシ自体が体験型になります」


「千歳、それは良い案だ。チラシが宣伝と体験を兼ねる。一石二鳥だ」


「チラシの裏に小説!? 読みながら歩いたら危ないだろ!」


「壮介、歩きながら読むなとは誰も言っていない。教室に戻ってから読んでもらえばいい」


「あ、そうか」


 集客戦略が固まった。チラシ(裏面に小説付き)、SNS(ティザー映像)、口コミ(体育系人脈)、教員ルート。四方向から攻める。文芸部の総力戦だ。


「あと一つ」


 凛先輩が言った。


「天城が"楽しみです"と言った。あの目はファンの目だ。去年の部誌を読んでいたかもしれない。天城は文芸部を見ている。隠れファンだ。俺たちの朗読を、あの人は聞きに来る。天城瑠璃を失望させるわけにはいかない」


「先輩、天城さんがファンだって確証はないですよ」


「ミステリ作家は人の目を読む。あの一瞬の表情の変化。唇が動いた。目が光った。あれは"楽しみ"以外の感情ではない。嘘はつけない。表情は」


「詩織さんみたいなこと言いますね」


「千歳は口で嘘がつけない。天城は目で嘘がつけない。タイプは違うが本質は同じだ。正直な人間だ。正直な人間の期待に応えたい。それがモチベーションになる」


 帰り道。田中にLINEを送った。「文化祭で文芸部が出し物やるんだけど、サッカー部の奴らに宣伝してくれない?」


 三十秒で返信。「おう! 壮介が廊下で叫んでた文芸部フェスティバルってやつ?」


「もう知ってるのか」


「壮介の声は教室に座ってても聞こえるからな。脱出ゲームがあるって?」


「ある。あとリレー小説と朗読バトル」


「朗読バトルって何? 殴り合い?」


「殴らない。自分の書いた作品を声で読んで、来場者が投票で勝者を決めるやつ」


「お前も読むの?」


「読む。新作を書いて」


「マジか。聞きたい。朝倉が自分で書いた小説を声で読むとか、サッカー部時代は想像もできなかった」


「俺もできなかったよ」


「何人くらい来てほしい?」


「目標五十人。生徒会からのノルマでもある」


「五十人!? すげえな。サッカー部から十人くらいは行けると思う。試合の前日練習が午前中で終わるから、午後なら行ける」


「ありがとう。助かる。来てくれるだけでいい」


「朗読バトル、何時から?」


「午後一時からの予定」


「行く。絶対行く。あと水野と加藤と中村にも声かけとくわ」


「水野たちも?」


「お前がサッカーやめて文芸部で何やってるか気になってる奴、結構いるぞ。コンクールに出したって壮介が叫んでたし」


「壮介がバラしたのか」


「バラすっていうか、壮介は黙ってることができないだろ。あいつの声は校内放送だ」


「否定できない」


「頑張れ。結果教えろ。五十人いくといいな」


「ありがとう。田中も大会頑張れ」


 田中の「応援するよ」が温かい。サッカー部を辞めた俺を、田中はまだ仲間だと思ってくれている。走るフィールドは変わったが、応援してくれる人は変わらない。サッカー部から十人。田中と水野と加藤と中村。名前が浮かぶ。元チームメイトが文芸部の朗読バトルを見に来る。半年前は考えられなかった光景だ。


 五十人。サッカー部から十人。残り四十人。チラシとSNSと口コミと教員ルートで四十人。計算上はいける。計算上は。実際にはやってみないと分からない。でも凛先輩の設計とPMの管理と壮介の声と詩織さんのSNSと先生の缶コーヒー外交があれば、五十人は不可能じゃない。


 来週から準備が本格化する。脱出ゲームのトリック。リレー小説のシステム。朗読バトルの台本。チラシのデザイン。SNSのアカウント開設。そして俺の千五百文字の朗読原稿。全部が同時に動く。PMの仕事が始まる。十日間の総力戦。


 帰り道で空を見上げた。星が出ている。十月の空。夏の空より星が近い。空気が澄んでいるからだ。この星の下で、五人が同時に走り出す。一人あたり十人。五人で五十人を呼ぶ。壮介の声で。詩織さんの文章で。凛先輩の頭脳で。俺の人脈で。先生の缶コーヒーで。


 文芸部フェスティバルまで、カウントダウンが始まった。十日後、この秋の空の下で、五十人の笑顔の来場者を迎える。迎えてみせる。五人全員の力で、絶対に。

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