第53話 全部やる(正気か?)
# 全部やる(正気か?)
会議の翌日。火曜日の放課後。
凛先輩がホワイトボードに作業工程表を書き始めた。三企画分のタスクを洗い出している。マーカーの音がキュッキュッと鳴る。五分経った。十分経った。ホワイトボードが文字で埋まっていく。掟が見えなくなった。タスクの海に沈んだ。
「書き終わった」
全員がホワイトボードを見た。
脱出ゲーム:トリック設計、小道具制作、暗号印刷、装飾、案内係配置、タイマー管理、ヒントカード作成。リレー小説:冒頭文作成、模造紙準備、マーカー調達、進行ルール策定、コピー用紙手配、進行台本。朗読バトル:MC台本、選曲リスト、音響機材手配、会場レイアウト、投票システム設計、出場者の原稿。共通:看板制作、チラシ印刷、当日スケジュール表、受付設営、来場者カウンター。
「合計三十二タスク」
「三十二!?」
「担当できる人間は五人。一人あたり六・四タスク」
「小数点は人間で割れないだろ」
「壮介、端数はお前が引き受けろ」
「なんで俺が端数!?」
「力仕事の適性者はお前だけだ。机を運ぶ、椅子を並べる、段ボールを運ぶ。全部壮介の担当だ」
「力仕事ばっかり! 俺の知的労働は!?」
「MC台本の作成が知的労働だ。安心しろ」
「MC台本! 確かに! 知的だ!」
「知的かどうかは台本の中身次第だが」
詩織さんが手を挙げた。「凛先輩。三十二タスクの中で、私が一人でできるものはどれですか」
「リレー小説関連は全て千歳が主担当だ。冒頭文、進行ルール、模造紙、コピー。七タスク」
「七つ。十日で七つなら一・五日に一つのペースですね。大丈夫です」
「大丈夫か?」
「はい。コンクールの時は一万二千文字を四ヶ月かけました。七タスクを十日のほうが楽です」
「千歳は仕事が速い。信頼している」
詩織さんが少し嬉しそうに頷いた。凛先輩に「信頼している」と言われるのは、詩織さんにとって佳作の次に嬉しい言葉かもしれない。
俺はノートにタスク一覧を書き写した。PM的に優先順位をつける。緊急度が高いのは看板制作とチラシ印刷。この二つがないと宣伝できない。次に脱出ゲームのトリック設計。これは凛先輩しかできない。リレー小説のシステムは詩織さんに任せる。朗読バトルの台本は壮介と俺で作る。
「PMとして提案します。最初の三日で看板とチラシを完成させましょう。宣伝が先です。中身が完璧でも知られなければ来場者ゼロです」
「正論だ。朝倉、看板のデザインは任せる」
「俺がデザイン?」
「お前のノートの字は読みやすい。レイアウト感覚がある」
「字が読みやすいだけでデザイナーにされた」
「文芸部では字が読める人間が貴重だ。壮介の字は読めない」
「読めるよ! ガタガタなだけだ!」
「ガタガタは読めないと言うんだ」
*
役割分担を決めた。
凛先輩:脱出ゲーム総合プロデューサー。トリック設計、小道具制作、暗号作成。当日は脱出ゲームの案内役。加えて朗読バトルの出場者。
詩織さん:リレー小説総合プロデューサー。冒頭文作成、進行ルール設計、模造紙レイアウト。当日はリレー小説の進行役。加えて朗読バトルの出場者。
壮介:朗読バトルMC兼演出。MC台本、選曲、音響。全企画の力仕事(設営・搬入・机移動)。当日はMC。
俺:全企画PM。スケジュール管理、進捗確認、タスク割り振り。看板デザイン。当日は脱出ゲームの助手と朗読バトルの出場者。
「朝倉、お前のPM業務が一番忙しい。三企画全部に顔を出す。体力勝負だ」
「体力なら壮介のほうが」
「壮介は力仕事と台本で手一杯だ。お前は全体を見る。俺と千歳と壮介が自分の企画に集中できるのは、お前が全体を管理しているからだ。サッカーのミッドフィルダーと同じだ」
「先輩もサッカーに例えるんですね」
「お前に分かりやすい例えを使った。ミステリに例えると"探偵の助手"だが、お前は探偵より助手のほうが似合う」
「助手か。ワトソン的な」
「ワトソンは優秀な記録者だ。お前のPMレポートに期待する」
先生:予算管理、他教員との調整、安全管理。当日の見回り。
「先生の仕事は裏方です。でも裏方がいないと表が回らない」
「裏方は缶コーヒーを飲みながらできるか」
「できます。片手で」
「よし」
「凛先輩、仕事量が多すぎません?」
「ミステリ作家にとってトリック設計は呼吸と同じだ。負担にならない」
「トリック設計が呼吸って、普通の人には分からない感覚ですよ」
「普通じゃないから部長をやっている」
「それは認めます」
壮介が手を挙げた。
「俺、朗読バトルに出たい! MCだけじゃなくて出場もしたい!」
「お前がMCをやるから朗読バトルが成立するんだ。出場者はMCを兼任できない」
「なんで!?」
「自分で実況して自分で朗読するのか? "次の挑戦者は俺だ!!"って自分で言うのか?」
「言える! 言いたい!」
「カオスになる。却下。お前はMCに専念しろ。MCがいなければ朗読バトルはただの朗読会だ。お前がいるから"バトル"になる」
「俺がいるからバトル……」
「そうだ。お前は場を作る人間だ。作品を作るのではなく、作品が輝く場を作る。それは出場者にはできない仕事だ」
壮介が黙った。三秒。考えている。
「分かった。MCやる。最高のMCをやる。俺が場を作る。俺の声で」
「いい返事だ」
「ただし! 一つだけ条件がある!」
「言え」
「MC中にカレーうどンの宣伝を入れていいか!?」
「却下」
「一言だけ! "本日のスポンサーはカレーうどンです"って!」
「スポンサーはいない。個人運営の朗読バトルだ」
「じゃあMC中に"カレーうどン"って単語を一回だけ!」
「なぜそこまでカレーうどンを推す」
「カレーうどンは俺のアイデンティティだ! MCが自分のアイデンティティを捨てたら誰が壮介を壮介だと分かる!?」
「声量で分かる。カレーうどンなしでもお前は識別可能だ」
「声量で識別!?」
先生が助け舟を出した。「壮介。MC中にカレーうどンを出す方法が一つだけある。朗読バトルの最後に"本日のMCは大和壮介でした"と自己紹介しろ。その時だけ"カレーうどンを愛する大和壮介"と名乗れ」
「先生天才!!」
「天才ではない。妥協点の提示だ」
「妥協でもいい! 最後に名乗れる! カレーうどンを愛する大和壮介!!」
壮介が部室で絶叫した。自己紹介の練習を始めている。「カレーうどンを愛する大和壮介です!!」。声がでかい。窓ガラスが震えた。隣の教室から「うるさい!!」。三回目だ。文化祭前から隣の教室との関係が悪化している。
凛先輩が「壮介の声量をどう制御するかが最大の課題だ」と呟いた。脱出ゲームのトリックより難しい課題かもしれない。
*
スケジュールを組んだ。地獄だった。
月曜:脱出ゲーム設計会議(全員参加)。火曜:リレー小説のシステムテスト(詩織+陽翔)+脱出ゲーム小道具制作(凛+壮介)。水曜:朗読バトル台本読み合わせ(壮介+陽翔+凛)+リレー小説模造紙準備(詩織)。木曜:全企画合同進捗会議(全員)。金曜:予備日。土曜:看板制作+装飾。日曜:休み(凛「日曜は全員休め。体力温存」)。翌月曜:最終調整+看板。木曜:リハーサル。金曜:予備日。土日:本番。
「休みが日曜だけ!?」
「十日で三企画を仕上げるんだ。当然だ」
「部活ってこんなに忙しかったか?」
「文化祭前は戦場だ。文芸部に限らず、どの部も修羅場になる。隣の教室の喫茶店組は先月から準備してるらしい。俺たちは十日でやる。差は覚悟で埋めるしかない」
「先生の出番はいつですか」
「金曜に全企画を巡回してアドバイスしてください。問題点を一日で洗い出す仕事です」
「一番楽な仕事をもらった気がする」
「楽じゃありません。三企画の問題を一日で見つけて、月曜までに解決策を出す仕事です」
「それは大変だ。缶コーヒーを多めに買っておく」
「缶コーヒーで解決する問題じゃないですよ」
「俺の問題は全て缶コーヒーで解決する。十五年間そうしてきた」
「十五年の実績は認めますが」
先生の顔が「逃げたい」と言っている。でも逃げられない。申請書にサインした。責任教員だ。缶コーヒーを飲みながらでも仕事はする。先生のスタイルだ。
問題が発覚した。火曜日のスケジュールが二重予約になっている。
「火曜、リレー小説のテストと脱出ゲームの小道具が被ってます。俺が両方に入ってる」
「朝倉は前半をリレー小説、後半を脱出ゲームに回せ」
「三時間を半分に? 一時間半ずつ?」
「一時間半で足りるか」
「足りないかもしれません」
「足りなければ水曜に延長する。水曜の朗読台本を木曜にずらす」
「木曜は全体会議です」
「会議を三十分短縮して、残りを台本に回す」
「先輩、パズルみたいにスケジュールを組み替えますね」
「スケジュール管理はパズルだ。ミステリのアリバイ設計と同じだ。時間と場所と人を組み合わせて矛盾なく配置する」
「先輩の思考回路は本当にミステリでできてる」
「そうだ。それが俺の強みだ」
壮介が手を挙げた。
「俺は毎日力仕事?」
「毎日ではない。火曜と土曜が力仕事だ。他はMC台本の執筆と発声練習」
「発声練習って何するの?」
「声量の制御だ。お前の声は校舎全体に響く。朗読バトルの会場は教室一つだ。教室サイズの音量に落とせ」
「落とせるかな」
「落とせ。メガホンは使うな」
「メガホンなし!?」
「お前の地声はメガホンより大きい。メガホンは飾りだ」
壮介が試しに「テスト!」と叫んだ。部室で。壮介なりの「小声」で。それでも隣の教室に届いた。「うるさい!」と壁の向こうから声が聞こえた。
「今のが小声!?」
「小声のつもりだった!」
「お前の小声は一般人の怒鳴り声だ。もう一段下げろ」
「これ以上下げたら聞こえないだろ!」
「聞こえる。お前の場合は三段下げても普通の人の声量だ」
壮介の音量制御が文化祭準備の最大の課題になりそうだ。脱出ゲームのトリック設計より、壮介の音量制御のほうが難易度が高いかもしれない。
もう一つ問題があった。朗読バトルで読む原稿だ。出場者は凛先輩と詩織さんと俺。三人とも新作を書くか、既存作を読むか。
「朗読の持ち時間は一人五分。五分で読める千五百文字前後の作品を用意しろ。新作でも既存作でも構わない。ただし——朗読に適した文章であること。目で読む文と耳で聞く文は違う。耳に残る文章を書け」
「先輩は何を読むんですか」
「新作を書く。ミステリの冒頭五分。犯人が分からないまま終わる。続きが気になって部誌を手に取るように仕向ける。宣伝も兼ねている」
「先輩、宣伝のためにミステリ書くんですか」
「ミステリは常に宣伝だ。読者を次のページに引きずり込むのがミステリの本質だ」
凛先輩の朗読戦略がもう練られている。五分で来場者を引き込み、部誌の購入に繋げる。二手先、三手先を読んでいる。
「では解散。月曜に空き教室の搬入を始める。壮介、机を運ぶ準備をしておけ」
「了解! 筋トレしておく!」
「筋トレより台本を書け」
「両方やる! 筋肉と知性の融合!」
「融合しなくていい」
*
帰り道。詩織さんと二人で歩いている。壮介は「筋トレして帰る! 力仕事に備える!」と走っていった。壮介が筋トレをするのは初めてだ。文化祭の準備がなければ一生しなかったかもしれない。凛先輩は部室に残って脱出ゲームの設計を続けている。「トリックが完成するまで帰らない」と言っていた。先生は職員室で予算の計算をしている。
「朝倉くん。朗読バトルで何を読みますか?」
「まだ決めてない。コンクールの作品をそのまま読むのは長すぎる。一万文字を朗読したら三十分かかる」
「制限時間は一人何分ですか」
「凛先輩が五分って言ってた。五分で読める量だと千五百文字くらいか」
「千五百文字。短いですね。でも短いからこそ、一文字の密度が上がる」
「新しく書くか、既存作から抜粋するか」
「私は新作を書きます。朗読用の文体で。耳で聞いて分かる文章。目で読む文章とは違う」
「声で届ける文章か」
「はい。短い文。リズムがある文。声に出した時に心地いい文。句読点の位置が変わります。目で読む時と耳で聞く時では、息継ぎの位置が違うから」
「句読点の位置まで変えるのか。そこまで考えたことなかった」
「朗読は"声の文芸"です。壮介くんが名づけた通り。声に出して初めて完成する文章」
「詩織さんの朗読、聞きたい」
「私も朝倉くんの朗読が聞きたいです。朝倉くんの文章は走る文章ですから。声に出したらもっと速く走ると思います」
「速い朗読って、聞いてて楽しいのか?」
「楽しいです。疾走感のある朗読は、聞いている人の心拍数を上げます。ライブの音楽と同じです」
「ライブか。コンクールは録音だとしたら、朗読バトルはライブだな」
「いい例えです。ライブは一回きり。その場にいる人だけが聴ける。だから特別になる」
「五分のライブ。千五百文字のライブ」
「最高のライブにしましょう。凛先輩にも負けないように」
詩織さんの目に火がある。コンクールの時に氷室に対して燃えた火が、今度は朗読バトルの仲間に向いている。味方がライバルになる。これが団体戦の中の個人戦だ。
「負けないよ。俺も新作を書く。朗読用の千五百文字。走る文章を。声で」
「勝負ですね」
「勝負だ。でも文化祭が終わったら一緒にかき氷食おう」
「十月にかき氷ですか? また季節外れの」
「季節外れが文芸部だろ」
「確かに。季節外れのかき氷と、教室でやる朗読バトルと、部室で作る密室。全部季節外れで、全部文芸部らしい」
「詩織さん、いいこと言うな」
「取材者の目線です」
「また取材か」
「文化祭の取材ノートを作ろうと思っています。準備から本番まで全部記録する。来場者の表情も。壮介くんのMCも。凛先輩の脱出ゲームの反応も。朝倉くんの朗読も。全部記録して、次の作品の素材にする」
「取材ノートに俺の朗読も載るのか」
「載ります。朝倉くんの朗読中の表情を書きたい。声を出している時の朝倉くんの顔は、たぶん走っている時の顔に似ていると思うんです」
「走っている時の顔?」
「はい。サッカーをしている時の朝倉くんの写真を見たことがあります。田中くんのスマホに。走っている時、すごくいい顔をしていた」
「田中のスマホに俺の写真が?」
「サッカー部の集合写真の中に。走っている時の朝倉くんが写っていました。あの顔を、朗読でも見たい」
詩織さんの「取材」がまた範囲を広げている。田中のスマホまで調査範囲に入っている。詩織さんの取材ノートは既に百ページを超えているらしい。そのうち何割が俺のことなのか。聞かないほうがいい。聞いたら心臓が持たない。
角を曲がった。見えなくなった。
一人になった。十日間。三企画。三十二タスク。五人。千五百文字の朗読原稿。やることが多い。でも楽しい。
月曜から走る。PMとして。出場者として。声で走る、千五百文字を書く一人の作家として。




