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第50話 かき氷と二学期の約束

# かき氷と二学期の約束


 十月の最初の土曜日。


 コンクールの結果が出てから一週間が経った。詩織さんの佳作。氷室の銀賞。俺たち三人の落選。全部が出て、全部を受け止めて、一週間が経った。長い一週間だった。でも部室には毎日来た。先生が「ここからだ」と言ったから。凛先輩が「書く人間だ」と認めてくれたから。詩織さんの万年筆の音が隣にあったから。


 土曜日の午後。部室に全員が集まった。誰が呼んだわけでもない。LINEグループで壮介が「明日部室行く人?」とスタンプ付きで送って、全員が「行く」と返して、なんとなく集合した。壮介のLINEには「カレーうどンのスタンプ」が添えてあった。壮介がカレーうどンのスタンプを使うのは元気な証拠だ。


 部室のドアを開けた。畳の匂い。十月の光が窓から入っている。夏より低い角度の光だ。ちゃぶ台。ホワイトボード。ソファ。掟。全部がある。全部がここにある。


 凛先輩がソファに座って言った。


「今日は何もしない」


「何もしない?」


「書かない。読まない。批評しない。ただ、ここにいる」


「それ部活ですか?」


「部活だ。"何もしない"という活動だ。掟にはないが、たまには必要だ」


 壮介が「何もしないの!? 暇じゃない!?」と叫んだ。凛先輩が「暇でいいんだ。結果が出た後は暇でいい。頭を空にしろ。充電期間だ」と返した。


 先生が部室のドアを開けた。両手に何か持っている。段ボール箱。でかい。先生の身体の半分くらいある。


「先生、何ですかそれ」


「かき氷機」


「かき氷機!?」


「職員室の倉庫にあった。去年の夏祭りの残りだ。使えるかどうか分からんが」


 先生がちゃぶ台の上にかき氷機を設置した。手回し式の年季の入った機械だ。ハンドルが少し錆びている。先生がハンドルを回した。ガリガリ。動く。


「氷は?」


「買ってきた。コンビニの板氷。二つ」


「先生、有能!」


「珍しく仕事してますね」


「失礼な。たまには顧問らしいことをする」


 壮介が「俺がシロップ買ってくる!」と叫んで飛び出した。凛先輩が「全種類買うなよ!」と叫んだが、もう聞こえていない。壮介は玄関を出る速度がサッカー部並みだ。走れる足を持っている。あの足で走っていけば、コンビニまで三分だ。



    *



 壮介が七分で戻ってきた。ビニール袋の中にシロップが六本入っている。いちご、メロン、ブルーハワイ、レモン、マンゴー、練乳。


「全種類買ってきた!」


「だから全種類買うなと言った」


「全色ないと虹にならない!」


「虹を作る予定はない」


「かき氷の虹! 文芸部の虹!」


「黙れ。作るぞ」


 先生がハンドルを回した。ガリガリガリ。板氷が削れて、白い粉雪がカップに落ちる。ふわふわの氷。十月だが今日は暑い。夏の名残のような気温だ。かき氷を食べるには十分な暑さ。


 一杯目。凛先輩。レモン。黄色い氷。酸っぱい味。凛先輩が一口食べて「悪くない」と言った。凛先輩の「悪くない」は最高の褒め言葉だ。


 二杯目。詩織さん。いちご。赤い氷。詩織さんが小さなスプーンですくって食べた。「冷たい」。十月にかき氷を食べる文芸部。季節外れだ。でもいい。


 三杯目。俺。メロン。緑の氷。甘い。口の中が冷たい。十月にかき氷。季節外れだ。でも文芸部は季節外れが似合う。夏の終わりにかき氷。遅い夏の味だ。


「うまい」


「陽翔のメロン美味そう! 一口くれ!」


「やだ。自分のを先に作れ」


「先に食べさせてくれ! 壮介の味覚センサーで品質チェックする!」


「品質チェックという名の強奪だろ」


 詩織さんが俺とのやり取りを見て笑っている。万年筆を持っていない詩織さんの手が、かき氷のカップを握っている。いつもは万年筆を握る細い指が、プラスチックのカップを握っている。なんだか新鮮だ。


「朝倉くん、メロン好きなんですか?」


「特別好きってわけじゃないけど、なんとなく」


「なんとなくメロンを選ぶ人は、安定志向だそうです」


「どこの情報だよ」


「取材です」


「かき氷の味で性格分析するのは取材じゃなくて占いだろ」


「占いも取材の一種です」


 詩織さんが真顔で言った。嘘がつけないこの人が「占いも取材の一種」と言い切った。凛先輩が「千歳、それは無理がある」とツッコんだ。珍しい。凛先輩がツッコむのは珍しい。いつもはツッコまれる側だ。


 四杯目。先生。練乳のみ。白い氷に白い練乳。真っ白だ。「大人の味だ」と先生が言った。壮介が「白いだけじゃん!」とツッコんだ。先生が「白さの中に甘さがある。分からないなら十年後に食え」と返した。


 五杯目。壮介。


「俺はブルーハワイとメロンといちごを混ぜる!」


「やめろ」


「三色混合! 究極のかき氷!」


「色を混ぜたら何色になるか分かってるか」


「虹色!」


「茶色だ」


 壮介がシロップを三種類かけた。青と緑と赤が混ざった。結果は予想通り茶色だった。壮介のかき氷だけが茶色い。見た目が壊滅的だ。泥水に見える。


「見た目は悪いけど味は……」


 一口食べた。


「まずい」


「知ってた」


 全員が同時に言った。壮介が「知ってたの!?」と叫んだ。凛先輩が「全員知ってた。色を三色混ぜたら茶色になる。小学校で習う」と答えた。詩織さんが「色の三原色です」と解説した。先生が「科学の法則には逆らえない」と哲学的に呟いた。


「でも食う! 自分で作ったから! 責任は取る!」


 壮介が茶色いかき氷をスプーンで掬った。一口。二口。三口。顔が歪んでいる。でも食べている。壮介の責任感は食べ物に対してだけ鉄壁だ。


「壮介の作品も同じだな」


 凛先輩がぼそっと言った。


「え?」


「何でもかんでも混ぜると茶色になる。カレーうどンとメロスと"一人が怖い"を全部混ぜたのがお前の千二十文字だ。でも食える。まずくはない。むしろ味がある。混ぜ方が独特だからだ」


「先輩、それ褒めてるの?」


「褒めている。お前のかき氷と同じだ。見た目は壊滅的だが、食べると味がある。壮介にしか出せない味だ」


「俺のかき氷が褒められた!!」


「かき氷を褒めたのであって味を褒めたのではない」


「どっち!?」


 部室に笑いが広がった。壮介が茶色いかき氷を完食した。「完食!」と叫んだ。空のカップを掲げた。凛先輩が「偉い」と一言だけ言った。壮介が「偉い!? 先輩が俺を偉いって!!」と飛び上がった。


 壮介が俺のメロンを狙ってきた。スプーンを伸ばしてきた。ガードした。


「俺のを取るな!」


「一口だけ! 一口!」


「自分のを食え!」


「茶色いのは嫌だ!」


 壮介が詩織さんのいちごに矛先を変えた。


「詩織ちゃん、一口ちょうだい!」


「ダメです!」


 詩織さんが断った。珍しい。この人が壮介にはっきり「ダメ」と言ったのは初めてだ。


「詩織ちゃんに初めて断られた!」


「いちごは譲れません。私のかき氷は私のものです」


「詩織ちゃんが怖い!」


「怖くありません。かき氷に対して真剣なだけです」


 凛先輩が「自業自得だ」と一言で切った。壮介が茶色いかき氷を泣きながら食べた。「まずい! でも食べる! 自分で作ったから!」。壮介の責任感は食べ物に対してだけ発揮される。



    *



 かき氷を食べながら、凛先輩がホワイトボードに向かった。


 夏の初めに書いた目標がまだ残っている。インクが薄くなっているが読める。


「答え合わせをする」


 凛先輩がマーカーを持った。一つずつ読み上げた。


「千歳の目標。"コンクールで入賞する"。達成。佳作」


 拍手。壮介が「イエー!」と叫んだ。詩織さんが頭を下げた。


「凛の目標。"金賞を獲る"。未達成」


 凛先輩が自分の目標に「×」をつけた。淡々と。感情を込めずに。でも「×」を書くマーカーの音が、少しだけ強かった。


「朝倉の目標。"コンクールに出す作品を書き上げる"。達成。一万文字を書いた。出した。結果は落選だが、"書き上げて出す"は達成だ」


 俺の目標に「○」がついた。落選したけど「○」。書き上げた。出した。その事実は消えない。先生が「結果は通過点だ」と言った。通過点なら通過した。「○」は正しい。


「先輩、俺にも「×」のほうが正直じゃないですか。入賞できなかったんだから」


「お前の目標は"入賞"じゃなく"書き上げて出す"だ。目標は目標通りに採点する。採点基準を後から変えるな。それはミステリで言えばルール違反だ」


「ミステリの例えが出た」


「出た。アンフェアは許さない。お前は目標を達成した。「○」だ」


 凛先輩のルールは厳格だ。目標が「書き上げて出す」だったなら、落選しても「○」。ゴールポストを動かさない。凛先輩のミステリと同じだ。ルールは絶対。


「壮介の目標。"小説を一本完成させる"。達成。千二十文字」


「やった!! ○だ!!」


「壮介の目標が唯一、全員一致で達成認定される」


「目標はハードルを下げるのがコツだ!」


「コツが間違っている」


 ホワイトボードに「○」と「×」が並んだ。全部ではない。でもゼロでもない。四人中三人が「○」。


「去年はホワイトボードに何も書けなかった。目標すらなかった。今年は書いた。出した。結果も出た。上出来だ」


 凛先輩が静かに言った。上出来。凛先輩が「上出来」と認めた。完璧主義の凛先輩が、自分は「×」なのに全体を「上出来」と評価した。部長だ。



    *



 壮介が立ち上がった。


「来年! 来年はどうする!?」


「気が早い」


「気が早いくらいがちょうどいいんだよ!」


 壮介がホワイトボードの「夏の目標」を消した。消しゴムでゴシゴシ。「○」も「×」も消えた。白いホワイトボード。新しいページ。壮介がマーカーを握った。ガタガタの字で書き始めた。


「来年のコンクール、全員で入賞する!!」


 大きな字。ガタガタだけど力強い。壮介の字は上手くない。千二十文字の原稿もガタガタの字だった。でも力がある。声がでかいのと同じだ。字にも声量がある。


 凛先輩がペンを取った。壮介の字の横に、丁寧な字で書き加えた。


「来年は全員でコンクールに入賞する」


 詩織さんが万年筆を持った。その下に書いた。細くて美しい字。


「全員で、一緒に」


 俺もペンを持った。一語だけ加えた。


「必ず」


 四人の字がホワイトボードに並んだ。壮介のガタガタ。凛先輩の几帳面な字。詩織さんの万年筆の字。俺の少し右に傾いた字。四つの個性がそのまま文字になっている。先生が缶コーヒーを飲みながら見ている。何も書かない。でも笑っている。


「先生も書いてくださいよ」


「俺は顧問だ。目標は生徒が書くものだ」


「先生にも目標があるでしょう」


 先生が少し考えた。缶コーヒーを置いた。マーカーを受け取った。ホワイトボードの隅に、小さな字で書いた。


「全員を見届ける」


 短い。先生らしい。でもこの五文字に先生の全部が入っている。十五年前に新人賞に三回落ちた先生が、教え子の入賞を見届けたいと思っている。見届けるために顧問を続けている。缶コーヒーを飲みながら。赤ペンを持ちながら。部室のソファの端で。


「先生、見届けてくださいね。来年の入賞」


「見届ける。必ず。缶コーヒーを飲みながら」


「缶コーヒー込みなんですね」


「缶コーヒーなしの俺は俺じゃない」


 五人分の文字がホワイトボードに揃った。掟の隣に。この目標は来年の夏まで部室に残る。消さない。消させない。壮介のガタガタの字が一番大きい。声と同じだ。大きくて、力強くて、少し読みにくい。でもそれが壮介だ。



    *



 かき氷が溶けていた。色のついた水になっている。壮介のは茶色い水。「やっぱりまずそう」と全員が思った。窓の外がオレンジから紫に変わっている。十月の夕暮れ。九月より短い。秋が深まっている。


「明日から十月だ。文化祭の準備が始まる」


 凛先輩が言った。朝霧祭。朝凪高校の文化祭。十一月に開催される。まだ一ヶ月以上先だが、凛先輩はもう動き始めている。凛先輩が何か企んでいる顔をしている。ミステリのトリックを考える時と同じ目だ。口元が少しだけ上がっている。不穏な笑みだ。


「文化祭!!」


 壮介が叫んだ。


「文芸部で何やるんですか!? 焼肉!?」


「焼肉は模擬店だ。文芸部がやる理由がない」


「カレーうどン!?」


「それも模擬店だ」


「じゃあ何!?」


「考えてある。三つのプランがある。全部やる」


「三つ!? 部員四人で!?」


「四人と顧問一人で三つ。一人あたり〇・六個だ。やれる」


「〇・六個の小数点!?」


「計算上はやれる。詳細は明日の部会で発表する。楽しみにしていろ」


 凛先輩の目が光っている。文化祭に燃えている。コンクールでは落選した。でも文化祭は違う。文化祭は審査員がいない。来場者がいる。五十七人の来場者を目指す、と凛先輩が前に言っていた。五十七人。文芸部に五十七人が来る。信じられない数字だ。でも凛先輩が言うなら、やれるかもしれない。


「文化祭、楽しみだ!!」


「壮介、声がでかい」


「楽しみだから声がでかい!!」


「楽しみだからって声量を上げるな」


「無理! 楽しい時は声がでかくなる! 生理現象!」


「生理現象ではない」


 帰り支度を始めた。かき氷機を片付けた。シロップのボトルを袋に入れた。壮介の茶色いシロップは誰も触らなかった。先生が「かき氷機は職員室に返す。来年の夏も借りてやる」と段ボールを抱えた。来年の夏。先生も来年を見ている。全員が来年を見ている。壮介が「来年は俺がシロップ混ぜない! 単色で行く!」と宣言した。凛先輩が「宣言するほどのことではない」とツッコんだ。


 校門を出た。五人で。夕暮れの空。星が少しずつ見え始めている。


「また月曜」


 壮介が手を振った。凛先輩が「遅刻するなよ」。詩織さんが「おやすみなさい」。先生が「俺は職員室に段ボール返しに——まあいい、今日は帰る」。


 一人ずつ分かれていった。壮介が走っていった。「カレーうどン食べに行く!」と叫びながら。凛先輩が静かに歩いていった。振り返らない。凛先輩はいつも振り返らない。前だけを見て歩く。先生がかき氷機の段ボールを抱えて反対方向に歩いていった。缶コーヒーを持てないから、少し不便そうだった。


 俺と詩織さんが最後に残った。いつもの二人。いつもの帰り道。


「朝倉くん」


「ん?」


「夏が終わりましたね」


「終わったな。長かった」


「長い夏でした。合宿から始まって、原稿、投函、ポスト巡回、結果発表。壮介くんがポストを六軒巡回した夏でした」


「あれは壮介だけの夏だろ」


「いいえ。壮介くんのポスト巡回は、文芸部全員の夏です。壮介くんが走り回っている間、全員が結果を待っていた。壮介くんは全員の気持ちを代わりに走らせていたんです」


「詩織さん、壮介のポスト巡回をそんな風に解釈するのか」


「取材者の視点です」


 また「取材」だ。詩織さんの万能免罪符。でも今日は万年筆を持っていない。取材モードじゃない。ただの詩織さんだ。万年筆のない詩織さんは少しだけ柔らかい。いつもの「取材です」に鎧の硬さがない。


「来年の夏も楽しいですかね」


「楽しいよ。文芸部が続く限り」


「続きますよ。掟がある限り。ホワイトボードに文字が残っている限り」


「来年は全員で入賞するって書いた。あの文字、消さないでおこう」


「消しません。壮介くんのガタガタの字も、凛先輩の几帳面な字も、朝倉くんの少し右に傾いた字も。全部残します」


「俺の字、右に傾いてるのか」


「少しだけ。でもそれが朝倉くんらしいです。真っ直ぐじゃないけど、ちゃんと前に進んでいる字です」


「前に進んでいる字か」


「はい。好きです。あの字。朝倉くんの全部が字に出ています」


 詩織さんの声が柔らかい。秋の風が吹いた。髪が揺れた。夏の間に伸びた髪だ。肩を過ぎて背中に届きそうな長さ。三センチ伸びた。半年で三センチ。その間に俺たちは一万文字を書いた。三センチの髪と一万文字。どちらも時間の証拠だ。


「おやすみなさい、朝倉くん。月曜日に」


「おやすみ。月曜日に」


 手を振った。角を曲がった。見えなくなった。


 一人になった。空が暗くなっている。星が増えている。秋の空だ。夏の空とは違う。でも同じ空だ。同じ空の下で、俺たちは半年を過ごした。


 四月に文芸部に入った。霧島先生に腕を引っ張られて。五月にペンを握った。六月に壁にぶつかった。七月に図書館で詩織さんの隣に座って、万年筆の音を聞いた。八月に合宿で海と山とカレーうどンと花火と朗読を経験した。一万文字を書いた。九月にコンクールに出して、落選した。十月。かき氷を食べた。茶色いかき氷を壮介が完食するのを見た。ホワイトボードに「来年は全員で入賞する」と書いた。全部がある。半年分の全部が、俺の中にある。


 指がべたべたする。かき氷のシロップが残っている。メロンの緑。甘い匂い。夏の味がする。十月なのに。季節外れの甘さが指先に残っている。


 俺たちの最初の夏が終わった。結果は佳作一名、落選三名。数字だけ見れば大したことない。でも俺たちは知っている。あの一万文字に、千二十文字に、八千文字に、一万二千文字に、夏の全部を詰め込んだことを。ポストに入れた日の緊張も。結果を見た日の震えも。全部知っている。


 だから胸を張れる。俺たちの夏は、俺たちの勝ちだ。


 秋が来る。文化祭が来る。秋のコンクールが来る。新しい挑戦が待っている。凛先輩の三つのプラン。詩織さんの金賞への道。壮介の三千文字。俺の次の作品。全部がこれから始まる。


 かき氷の甘さが指先に消える前に、次の季節が始まる。秋が来る。俺たちの文芸部の秋が。

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