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第19話 壮介、編集長になる(自称)

# 壮介、編集長になる(自称)


 七月に入った。梅雨の合間に晴れた日が増えてきて、空気が夏の匂いに変わりつつある。


 部誌の第二号の締切が近づいていた。創刊号から二ヶ月。各自の原稿は八割方仕上がっている。凛先輩のミステリ短編、詩織さんの恋愛短編、俺のスポーツエッセイ。壮介は新作ではなく、創刊号に載せたリレー小説の再録を出すことになっていた。新作を書く力がまだないからだ。


 月曜日の放課後。部室の引き戸が勢いよく開いた。


「俺、今日から編集長やる」


 壮介だった。鞄を畳の上に放り投げて、ちゃぶ台の前に仁王立ちしている。


 全員が一瞬固まった。


「何の」


 凛先輩がソファから聞いた。


「部誌の。俺は書けない。それはもうわかった」


「わかったのか」


「わかった。三ヶ月やって、俺の文章力は四十二文字のエッセイから大きく進歩していない。三百文字は書けるようになったけど、千文字は遠い。壮介のリレー小説も、最後は結局巨大カレーうどンで終わる。引き出しが一つしかない。それは自分でもわかってる」


 壮介がそこまで言ったとき、部室が少し静かになった。壮介が自分の弱点を正面から認めている。いつもの壮介は弱点を笑いに変える。でも今日は違う。認めた上で、次の一歩を踏み出そうとしている。


「でもさ」


 壮介が真剣な顔で言った。いつもの声量が少し落ちている。真面目な壮介だ。


「"作る"ならできる。書けなくても、部誌を"作る"ことはできるだろ。企画を考える。レイアウトを決める。表紙をデザインする。キャッチコピーを書く。全部俺がやる。書く才能がないなら、作る才能で勝負する」


「お前にデザインセンスがあるのか」


「ある」


 自信満々だった。根拠のない自信。壮介の最大の武器であり、最大の弱点。


「根拠は」


「美術の成績2」


「「「「低い!!」」」」


「2は0じゃない! 2があるんだ!」


「あるけど足りない」


「足りなくても情熱で補う!」


「情熱で美術の成績は上がらないんだが」


 詩織さんがフォローした。


「でも壮介さんの情熱は伝わります。何かを作りたいという気持ちは、技術より大事なこともあります」


「詩織ちゃん優しい!!」


「ただし技術がなさすぎると形にならないので、最低限の」


「優しさが途中で消えた!」


 凛先輩がため息をついた。でも悪い顔ではなかった。


「まあいい。やらせてみるか。最悪の場合は私が修正する」


「先輩! ありがとう!」


「まだ何もやってないぞ。成果を出してから感謝しろ」


「成果は出す! 編集長の名にかけて!」


「自称だけどな」


 霧島先生がソファで缶コーヒーを飲みながら呟いた。


「自称でも名乗った時点で責任が発生する。面白くなりそうだな」




    *




 翌日。壮介がA3の画用紙を三枚持って部室に来た。表紙デザイン案だ。一晩で三案を描いてきたらしい。やる気だけは認める。


「見てくれ! 案A!」


 一枚目を広げた。巨大な「文」の字が画用紙の中央にどかんと描かれている。その横に棒人間が一体。棒人間が「文」の字を指さしている。以上。背景は白。装飾はゼロ。潔い。潔すぎる。


「字しかないんだが」


「インパクトがある!」


「インパクトがあるのは認めるが、表紙としてのデザインがない。"文"の一字で何の部誌かわからない」


「文芸部だから"文"! 漢字一文字の表紙、かっこよくない?」


「漢字一文字の表紙がかっこいいのは書道の作品であって部誌ではない」


「書道と文芸は近いだろ! どっちも文字だ!」


「遠い。書道と文芸は別ジャンルだ」


「案B!」


 二枚目。炎に包まれた原稿用紙。赤とオレンジのクレヨンで激しく塗りたくられている。原稿用紙が燃えている。炎が画用紙の端まで広がっている。壮介的にはカッコいいらしい。目がキラキラしている。


「出版社が火事に見える」


「火事じゃない! 情熱の炎!」


「読者には火事にしか見えない。消防署に通報される」


「されない!」


「される可能性を否定できない。これを校内に掲示したら、生徒指導の先生が来るぞ」


「生徒指導!?」


「炎のイラストを校内に貼るのは防火上の問題がある」


「防火の話にまでなるの!?」


 霧島先生が定位置から口を出した。


「壮介、お前の情熱は伝わるが、炎はやめておけ。職員室で俺が怒られる」


「先生まで!」


「顧問の立場を守ってくれ」


「案C!」


 三枚目。五体の棒人間が手をつないでいる。棒人間の上に小さく「文芸部」と書かれている。背景には虹。雲。太陽。草原。壮介なりの仲間感が詰め込まれている。


「幼稚園の作品展か」


「厳しすぎない!?」


「三案とも厳しい」


「全滅!?」


 壮介ががっくりした。画用紙を三枚抱えて畳に座り込んでいる。編集長の威厳が早くも崩壊している。


 詩織さんが案Cを手に取った。じっと見ている。


「案Cの"手をつないでいる"コンセプトは素敵ですよ」


「でしょ!」


「五人の文芸部員が繋がっている、という意味が伝わります。温かみがあります」


「温かみ!」


「ただ画力の問題で、棒人間の性別が区別できないのが少し」


 壮介がしょんぼりした。棒人間に性別はない。全員同じ顔で同じ体格だ。個性がゼロだ。


「結局、案Cのコンセプトだけ活かして、イラストは描き直すことにしよう」


 凛先輩が提案した。


「描き直すって誰が」


「千歳。お前、絵も描けるだろ」


「多少は」


 詩織さんがペンを手に取った。壮介の案Cの横に、新しいイラストを描き始めた。


「すげえ!! 俺の案が進化した!」


「原型は残っていないが……まあいいか」


「残ってる! 手をつないでるところ! コンセプトは俺のだ!」


「コンセプトは認める。実行は千歳だが」


「コンセプト担当の編集長!」


「コンセプト担当って、つまりアイデアだけ出す人か」


「アイデアが一番大事だ!」




    *




 表紙が決まった後、原稿の並び順を決める作業に入った。


 原稿は四本。凛先輩のミステリ短編「二つの鍵」。


 四本の原稿を読み比べると、全員の文体が全然違うことがわかる。凛先輩はロジカルで乾いた文体。詩織さんは感覚的で湿度のある文体。俺はサッカーの比喩が混ざるスポーツ文体。壮介は……壮介だ。文体という概念がまだ存在していない。でもそれがいい。四つの声が違うから、部誌に幅が出る。


 壮介がちゃぶ台の上に四本の原稿を並べて、腕を組んでいる。真剣な顔だ。眉間にしわが寄っている。壮介が眉間にしわを寄せるのは珍しい。普段は全力の笑顔か全力の驚きしかない。中間がない男だ。でも今は中間の顔をしている。考えている顔。


「最初のページは読者が最初に読む。だから一番インパクトがあるやつを前に置きたい。でもインパクトだけじゃダメだ。流れが大事だ。一本目を読んだ後に二本目を読みたくなる流れ」


「壮介、お前いつからそんなこと考えられるようになった」


「昨日の夜、漫画を十冊くらい読み返して気づいた。漫画雑誌って、最初にバトル漫画が来て、次にスポーツが来て、最後にギャグが来るだろ。あれは偶然じゃない。読者の気持ちを考えて並べてる」


「漫画から学んだのか」


「漫画は俺の教科書だ」


「文芸部員の発言としてはどうかと思うが、間違ってはいない」


「まともなことを考えてるな」


「編集長だからな」


「で、並び順は」


「一番目は陽翔」


「俺?」


「二番目は詩織ちゃん」


「理由は」


「相性いいから」


 俺と詩織さんが同時に声を出した。


「は?」


「陽翔のスポーツエッセイの後に詩織ちゃんの恋愛短編が来ると、動と静のコントラストがいい感じになるんだよ。スポーツで盛り上がった後に、しっとりした恋愛が来る。緩急がつく」


 凛先輩が眉を上げた。


「お前、意外とまともなこと言ってる」


「編集長だからな!」


「壮介がまともなこと言うと逆に不安になるんだが」


「失礼だな! まともなこともたまには言う!」


「たまにしか言わないから不安なんだ」


 壮介が三番目と四番目を指さした。


「三番目は凛先輩のミステリ。しっとりした恋愛の後にミステリの緊張感が来る。読者の心拍数が上がる」


「心拍数」


「で、最後に俺のリレー小説でオチをつける」


「オチ?」


「最後に"巨大カレーうどん"が出てきたら、読者は笑って本を閉じるだろ。後味が良くなる。ミステリの緊張を笑いで溶かす。最後の印象が笑顔になる」


 部室が静かになった。壮介の説明が、妙に筋が通っている。


 霧島先生が定位置から身を乗り出した。


「編集的には間違ってないぞ。最後の作品が読後感を決める。笑いで終わるのは正解だ。雑誌でもアンソロジーでも、最後に軽い作品を置くのは定石だ」


「先生!! 認められた!!」


「先生が認めるとは思わなかった」


「壮介の直感は、たまに理論を超えてくるな」


「たまにの頻度が増えてきている気がする」


 凛先輩が原稿の順番を確定した。ホワイトボードに書く。


 一、朝倉陽翔「走れなくなった日から」

 二、千歳詩織「窓辺の午後」

 三、桐谷凛「二つの鍵」

 四、大和壮介「壮介の冒険(完全版)」


「この順番で行く。壮介の案を採用する」


「やった!! 編集長の仕事した!!」




    *




 並び順が決まった後、壮介はキャッチコピーの制作に取りかかった。


「部誌にはキャッチコピーが必要だ。表紙に載せる一言」


「創刊号にはなかったけど」


「二号からは載せる。進化だ」


 壮介がノートに案を書いていく。シャーペンの字が大きい。壮介の字はいつも大きい。ノートの一行に一文字しか入らないことがある。


 案一。「読め。」


「一文字」


「インパクトがある。読者の心に刺さる」


「刺さるんじゃなくて突き刺さってる。命令形すぎる。読者に喧嘩を売ってるように見える」


「喧嘩は売ってない。愛のムチだ」


「愛のムチもキャッチコピーとしては不適切だ」


 案二。「読まないと後悔する。」


「脅迫?」


「脅迫じゃない! 自信の表れ! この部誌はそれくらい面白いぞっていう」


「読者を脅して買わせる部誌は嫌だ」


「脅してない! 忠告だ!」


「忠告もキャッチコピーとしてはイマイチだ」


 壮介がしばらく考え込んだ。シャーペンの先でノートの端をトントンと叩いている。一分くらい黙った。壮介が一分黙るのは、入部以来の記録かもしれない。


 案三。壮介が少し考えてから書いた。


「五人の物語、あなたの手に。」


 沈黙。


「……お」


「……おお」


「どう?」


「案三……いいかも」


「素敵です!」


「壮介が普通にいいコピー書いてる……」


「だから編集長だって言ったろ!」


 凛先輩が案三に丸をつけた。


「これで行く。"五人の物語、あなたの手に"。悪くない。むしろ良い」


「先輩が"良い"って言った! 記念日だ!」


「調子に乗るな」


「乗る! 全力で乗る!」


 印刷は前回と同じ手順で進めた。霧島先生が印刷室の鍵を持ってきて、コピー機を動かす。


 キャッチコピーは表紙の下部に小さく印刷した。「五人の物語、あなたの手に。」。壮介が書いたコピーが、印刷物として形になっている。壮介がその文字を見て、少し黙った。


「印刷されると違うな」


「何が」


「自分の書いた言葉が紙に載ってるの。なんか……嬉しい」


「壮介、お前も"印刷されると嬉しい"派か」


「派って何だ」


「創刊号のとき、詩織さんも同じこと言ってた。印刷されると手書きと全然違うって」


「わかる。わかるよそれ。紙に刷られると"本物"って感じがする」


「壮介でもそう感じるんだな」


「俺だって感じるよ! 感受性はあるんだ!」


「感受性の方向がカレーうどンに偏ってるだけでな」


「偏ってない! 今日は偏ってない!」


「次は百部だ!」


 壮介が急に声量百パーセントに戻った。


「段階を踏め」


「百部は夢じゃない! 千部だって!」


「千部は学校の全生徒に配れる量だぞ」


「全生徒に配る!」


「まず十部が無事に配れるか確認してからだな」


「配る! 全部配る! 明日にでも!」


「明日は早い。来週にしろ」




    *




 帰り道。壮介と並んで歩いている。夕焼けの住宅街。七月の空は高くて広い。蝉はまだ鳴いていない。もうすぐだ。


 壮介がいつもより静かだった。声量が六十パーセントくらいまで落ちている。壮介基準では「ほぼ無音」に近い。


「俺さ、文芸部に入って良かったかもしんない」


「急にどうした」


「いや、今日の作業しててさ。表紙考えて、並び順考えて、コピー考えて。全部楽しかったんだよ。書くのは相変わらずダメだけど、"作る"のは楽しい」


「楽しかったのか」


「楽しかった。みんなの原稿を並べて、どの順番がいいか考えてるとき、なんか……読者の気持ちがわかるっていうか。こう来たらこうなって、次にこれが来ると気持ちいいだろうなって。そういうのが見えるんだ。漫画を読んでるときに感じてたことが、部誌を作るときにも使えた」


「漫画の経験が活きたのか」


「活きた! 十年分の漫画の積読が無駄じゃなかった! あの漫画タワー五十センチは、俺の編集力の土台だったんだ!」


「壮大な解釈だが、否定はできない」


「否定できないだろ! だから漫画は大事なんだ! 凛先輩に"漫画も積読だ"って言ったのは正しかった!」


「正しかったかどうかは微妙だが、漫画から編集を学んだのは事実だな」


「それは才能だよ」


「才能?」


「壮介は"読む才能"があるんだと思う。書くのは苦手でも、読者の気持ちがわかる。どの順番で読むと気持ちいいか、最後にどの作品が来ると笑顔で終われるか。それは編集者の目だ」


「編集者の目! かっこいい!」


「かっこいいかどうかは別として、大事な能力だよ。文芸部に書ける人間は俺と詩織さんと凛先輩がいる。でも"読める人間"は壮介しかいない」


「読める人間」


「そう。お前がいないと部誌の最後にオチがつかない」


「それ褒めてる?」


「褒めてる」


 壮介がにかっと笑った。いつもの百パーセントの笑顔。


「ありがとう。陽翔にそう言ってもらえると、なんかもう、それだけでいいっていうか」


「大げさだな」


「大げさじゃない。俺、書けないことがずっとちょっとだけ引っかかってたんだ。文芸部にいるのに書けないって、おかしいだろって。でも今日、"作る"ことで自分の居場所が見つかった感じがする」


 壮介がそう言って、空を見上げた。夕焼けの空が紫に変わりかけている。


「壮介の居場所は最初からあっただろ。お前が入部した日から、ちゃぶ台の前に」


「うん。でも今日やっと、そこに座ってる理由がわかった」


 壮介が走り出した。「じゃあな! 明日も部活な!」と叫びながら。いつもの壮介だ。声量が百パーセントに戻っている。さっきの静かな壮介は、もう消えている。


 でも俺は覚えている。壮介が「文芸部に入って良かった」と言ったこと。あの声のトーンは、壮介の中のどこか深いところから出てきた音だった。カレーうどンの話をするときとも、焼肉の話をするときとも違う。もっと静かで、もっと重い音。壮介にもそういう声があるんだな。


 

 創刊号は五冊だった。身内用だった。二号目は十冊。クラスメイトにも配る。体育祭の実況で名前を知ってくれた人もいる。「語彙が足りない」で笑ってくれた人もいる。十冊が全部誰かの手に渡れば、文芸部の言葉が十人に届く。少しずつだけど、広がっている。


 「五人の物語、あなたの手に」。壮介が考えたキャッチコピー。悪くない。悪くないどころか、いい。壮介にしかつけられないコピーだ。


 書く才能がなくても、作る才能がある。読む才能がある。場を回す才能がある。


 夏が来る。もうすぐ夏が来る。文芸部の二度目の季節が、もうすぐ始まる。十冊の部誌を鞄に入れて、夕暮れの道を歩いた。

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