第16話 体育祭、文芸部は何をすればいい
# 体育祭、文芸部は何をすればいい
中間テストが終わった翌日、HRで体育祭のプログラムが配られた。
六月第三週の土曜日。あと十日後。A4の二つ折りで、表紙に「第四十二回 朝凪高校体育祭」と印刷されている。中を開くと競技の一覧が並んでいた。
百メートル走。二百メートルリレー。障害物競走。騎馬戦。綱引き。玉入れ。二人三脚。応援合戦。
どれも運動だ。当然だ。体育祭だから。運動部の名前がずらりと並んでいる。サッカー部はリレーのアンカーを担当。バスケ部は騎馬戦の主力。陸上部は短距離走の花形。
文化系部活の欄を探した。吹奏楽部は開会式の演奏。美術部はポスターと横断幕の制作。放送委員会は実況とアナウンス。写真部は記録撮影。
文芸部の名前はどこにもなかった。
プログラムを三回読み直した。裏面も確認した。注釈も見た。ない。文芸部の出番は一ミリもない。体育祭において、文芸部は存在していないのと同じだった。
まあ、そうだよな。体育祭で文芸部に何ができる。走れない。投げられない。応援歌も作れない(壮介が歌ったら騒音だし、凛先輩は歌わないし、詩織さんは音痴だと聞いたことがある)。文芸部は体育祭の外にいる。観客席に座って他の部活の活躍を眺めるだけだ。
去年までなら、それでよかったのかもしれない。
だが今年の文芸部には凛先輩がいる。
放課後。部室。
凛先輩がちゃぶ台の上にプログラムを広げて、睨みつけていた。ミステリの犯人を追い詰めるときの目だ。
「文芸部の出番がない」
「体育祭だからしょうがなくないですか」
壮介が畳に寝転がりながら言った。
「しょうがなくない。文芸部にも学校行事に参加する権利がある。吹奏楽部には演奏がある。美術部にはポスターがある。放送委員には実況がある。文芸部だけ何もないのは不公平だ」
「不公平って言われても、体育祭で文芸は」
「ある。絶対にある」
凛先輩の目が燃えている。何か思いついたらしい。先輩のこの目は、プリン消失事件のときと同じだ。企んでいる目だ。
「でも走ったり投げたりする祭りで、文芸部が何するんです」
「書く」
「体育祭で?」
「体育祭"を"書く。体育祭を小説にする。リアルタイムで」
全員が首を傾げた。凛先輩がホワイトボードの前に移動した。マーカーを手に取って、大きく書いた。
「実況小説企画」。
「実況って叫ぶやつ?」
「違う。競技をリアルタイムで観察して小説化し、校内放送で読み上げる。普通の実況は"一位は赤組の○○選手"だ。文芸部の実況は、それを物語にする。"スタートラインに立った少年の瞳には、百メートル先のゴールテープではなく、自分自身の限界が映っていた"。こういうやつだ」
「かっこいいけど体育祭にそれが必要ですか」
「必要だ。体育祭は物語だ。走る人間には物語がある。それを書くのが文芸部の仕事だ」
「先輩、営業トークがうまいですね」
「営業じゃない。本心だ」
壮介が目を輝かせた。
「それ面白い!! 俺もやりたい!」
「もちろんお前もやる。全員参加だ」
「放送委員に怒られないですかね」
「交渉する」
「交渉力!」
*
実況小説の役割分担会議。凛先輩がホワイトボードに競技名と担当者を書いていく。
「短距離走は千歳。描写力がある。走る人間の動きを文章で追うにはお前の筆力がいい」
「承知しました。走る人間の描写、やりがいがあります。スタートの瞬間の筋肉の緊張、加速していく身体の重心移動、ゴールテープを切る瞬間の表情。全部書きたいです」
「お前は取材ノートを持って観客席から見ろ。メモを取って、競技終了後五分以内に原稿を仕上げる」
「五分ですか。できます」
「五分でできるのか。普通の人間には無理だぞ」
「普通の人間ではないので」
「それは自覚があるんだな」
「あります。文章を書く速度には自信があります」
「そこだけは頼もしい」
「騎馬戦は壮介。熱量がある」
「テクニックじゃなくて熱量?」
「お前にテクニックがあるか?」
「ない!」
「だから熱量で勝負しろ。騎馬戦は勢いの競技だ。お前の文章は勢いだけはある」
「勢いだけ!」
「勢いだけでも武器になる場面がある。騎馬戦はそういう場面だ。お前の"うおおお"という文体は、騎馬戦にぴったりだ」
「俺の文体って"うおおお"なの!?」
「違うのか」
「違わないけど! でもそう言われると切ない!」
「切なくていい。武器だと思え」
「了解! 全力で叫ぶように書く!」
「叫ぶように書くな。書くように書け」
凛先輩自身は「全体構成と編集」を担当する。各メンバーが書いた原稿を放送用にまとめて、時間内に収まるよう調整する。一番地味だけど一番大事な仕事だ。ミステリ作家は構成が得意だ。バラバラのパーツを一つの物語にまとめる。それは凛先輩の専門分野だ。
「先生は校内放送の読み上げ担当です」
霧島先生がソファで缶コーヒーを飲みかけて止まった。
「俺がか」
「先生の声が一番聞きやすいので。低くて落ち着いていて、聞き取りやすい」
「俺は顧問であって声優ではないんだが」
「顧問の職務には放送業務も含まれます」
「含まれない」
「今日から含めます」
「横暴だ」
「教育的放送です」
「その論法はもう飽きた」
二人三脚の実況担当が議論になった。凛先輩がホワイトボードの二人三脚の欄を指さした。
「二人三脚はエモーショナルな競技だ。二人で足を揃えて走る。息を合わせる。そこには物語がある。担当は朝倉、お前が書け」
「え、俺ですか」
「お前自身が二人三脚に出るからだ。走りながら心理描写も書け」
「走りながらは無理ですよ!」
「終わった後でいい。走った直後の感覚を忘れないうちに書け。体温が残っている文章が一番いい」
「体温が残っている文章って」
「サッカーで言うなら、試合直後のインタビューみたいなものだ。感情が生きている」
「なるほど」
「で、お前のペアだが」
凛先輩がプリントを取り出した。クラスの二人三脚ペアリストだ。担任が決めたペアの一覧が載っている。
俺の名前を探した。
朝倉陽翔。ペア相手——千歳詩織。
「!?」
壮介がニヤニヤしている。詩織さんが目を丸くしている。凛先輩は涼しい顔だ。
「偶然だ」
「嘘だろ! 先輩が仕組んだんでしょ!?」
「証拠がなければ犯罪は成立しない。ミステリ的に」
「ミステリで逃げないでください!」
「担任が決めたペアだ。私は関与していない」
「先輩が担任に何か言ったんじゃ」
「証拠は?」
「ないですけど」
「なら無罪だ。以上」
凛先輩がマーカーのキャップを閉めた。有罪の顔をしている。絶対仕組んでいる。
*
翌日。凛先輩と俺で放送委員会のところへ交渉に行った。
放送室は本校舎の三階にある。小さな部屋にマイクとミキサーが並んでいて、壁にはスケジュール表が貼ってある。体育祭の放送スケジュールが細かく書き込まれている。
放送委員長は真面目そうな女子生徒だった。凛先輩が手書きの企画書を差し出した。几帳面な字でびっしり書かれている。図解入り。プリン消失事件のときのプリントと同じクオリティだ。この先輩は資料を作るのが好きらしい。
「文芸部からの提案です。競技の合間に、文芸部が書いた実況小説を読み上げる時間を一競技あたり三十秒いただきたいのですが」
「実況小説?」
「はい。競技を文芸的に描写した短文です。普通の実況アナウンスの後に、三十秒だけ文芸部バージョンの実況を挟みます」
放送委員長が企画書を読んでいる。眉を寄せている。
「前例がないですが」
「前例は今日作ります」
凛先輩の声にためらいがなかった。前例がないなら作る。この先輩の思考回路は常にそうだ。ないものは作る。壁があれば壊す。ミステリの探偵と同じだ。
「これは校内放送の新しい可能性です」
凛先輩がプレゼンを始めた。
「現在の体育祭放送は"次の競技は○○です"の繰り返しです。情報としては正確ですが、聞いていて退屈です。そこに文芸部の実況小説を挟むことで、放送に"物語"が加わります。聞いている生徒も楽しい。出場する生徒は自分がヒーローとして描かれるので嬉しい。放送委員会にとっても、新しい試みとして先生方にアピールできます」
放送委員長の表情が変わった。眉の力が抜けていく。
「面白そうですね」
「でしょう?」
「でも全競技は無理です。スケジュールがタイトなので」
「三競技で結構です。短距離走、騎馬戦、二人三脚。この三つに絞ります。各三十秒ですから、合計でも一分半。プログラム全体への影響は最小限です」
「一分半なら大丈夫そうですね」
「さらに、原稿は前日までにお見せします。内容に問題があれば修正しますし、当日の進行に支障が出そうなら即座に中止します」
「リスク管理もされてるんですね」
「もちろんです。提案する以上は責任を持ちます」
放送委員長がうなずいた。凛先輩の企画書を丁寧に読み直している。几帳面な性格らしく、赤ペンでチェックを入れている。霧島先生みたいだ。
「わかりました。試験導入ということで。ただし、読み上げの品質は文芸部の責任でお願いします」
「もちろんです。ありがとうございます」
凛先輩が軽く頭を下げた。先輩が人に頭を下げるのは珍しい。交渉の場では礼儀を重んじるらしい。普段の毒舌クールとは別の顔だ。
交渉成立。三競技の実況小説が正式に認められた。放送室を出た後、俺は先輩の横顔を見ていた。
「先輩、営業もできるんですね」
「営業じゃない。交渉だ。ミステリの探偵は交渉の場面が多い。容疑者から情報を引き出すのも交渉だ」
「全部ミステリに結びつけますね」
「ミステリは万能だ」
「万能かどうかはさておき、三競技の実況小説が認められたのはすごいです」
「当然だ。提案が合理的だったからな」
「先輩の自信、たまに眩しいです」
「眩しくていい。暗い部室より明るい方がいいだろう」
*
その日の放課後。グラウンドの隅で二人三脚の練習をした。
体育祭まであと一週間。クラスメイトたちもあちこちで練習をしている。応援の練習をしているクラスもある。校庭が賑やかだ。
詩織さんと並んで立った。足首を紐で結ぶ。俺の右足と、詩織さんの左足。紐を結ぶとき、詩織さんの足首が細いことに気づいた。運動部の人間の足首とは違う。でもしっかり立っている。
「あの、朝倉くん、膝は大丈夫ですか」
「大丈夫。二人三脚の速度なら問題ない」
「無理はしないでくださいね。膝に負担がかかるようなら、すぐに言ってください」
「ありがとう。でも大丈夫だ。走るだけなら平気だから」
「走るだけなら、って言い方が少し心配です」
「心配しすぎだよ。行くよ。いち、に、いち、に」
歩き始めた。最初は息が合わなかった。俺の歩幅が大きくて、詩織さんの歩幅が小さい。三歩目でバランスが崩れて、二人同時によろけた。
「すみません! 私が遅くて」
「違う。俺の歩幅が大きすぎた。合わせるよ。もう一回」
やり直した。歩幅を小さくする。詩織さんのペースに合わせる。いち、に、いち、に。今度は四歩目まで持った。五歩目でまたよろけた。
「もう一回」
「はい」
三回目。今度は最初から歩幅を揃えた。俺が合わせる。詩織さんの一歩は俺の一歩の七割くらいだ。サッカーでドリブルの歩幅を変えるのと同じ要領で、自分の足を小さく動かす。
いち、に、いち、に。
五歩。六歩。七歩。リズムが合ってきた。肩が触れる。腕が触れる。同じリズムで足を出す。テンポが合ってくると不思議と心地いい。サッカーのパス回しに似ている。相手の動きを感じて、自分の動きを合わせる。呼吸を読む。テンポを共有する。ボールはないけど、二人の間に何かが通っている感覚がある。
詩織さんは運動が得意ではない。走り方がぎこちないし、腕の振りも小さい。でも一生懸命だった。顔が真剣だ。取材モードの真剣さとは違う。身体を動かすことに全力で向き合っている真剣さ。額に薄く汗が浮いている。六月の陽射しが暑い。
「詩織さん、もう少し力抜いていいよ。肩に力入りすぎ」
「力を抜いたら転びそうで」
「転んでも大丈夫だよ。練習だから」
「でも朝倉くんの膝が」
「俺の膝は気にしなくていい。二人三脚は二人でやるものだ。一人が全部背負う必要はない」
「一人が全部背負う必要はない、って、素敵な言葉ですね」
「そうか? 普通のことだと思うけど」
「普通のことを普通に言える人は意外と少ないです」
詩織さんが少しだけ肩の力を抜いた。呼吸が一つ分楽になったのがわかった。
「もう一回行きましょう」
「行こう。いち、に、いち、に」
今度は十歩以上続いた。リズムが合っている。足が同じタイミングで地面を蹴る。二人分の足音が一つに重なる。グラウンドの砂を踏む音がザッ、ザッと規則正しく鳴る。
詩織さんが笑った。走りながら笑った。息が弾んでいる。頬が赤い。運動の赤だ。取材ノートがバレたときの赤とは違う。
「できますね」
「できてる。上手いよ」
「上手くないです。朝倉くんが合わせてくれてるだけです」
「合わせるのも技術だよ。サッカーでもそうだ。パスを出す側と受ける側、両方が上手くないとパスは通らない」
「サッカーの比喩ですね」
「癖だ。気にしないでくれ」
「気にしません。好きですよ、朝倉くんのサッカーの比喩」
不意打ちだった。好きですよ、の一言が。二人三脚の掛け声と一緒に耳に入ってきて、一瞬だけ足のリズムが乱れた。立て直した。乱れたのは足だけだと思いたい。心臓のほうは立て直せなかった。
「あ、今リズム乱れましたね」
「風のせいだ」
「風は吹いてませんけど」
「吹いてたよ。たぶん」
「たぶん、ですか」
詩織さんが小さく笑った。俺のごまかしが下手なことをわかっている目だ。取材ノートに書くような観察力で、俺の動揺を見抜いている。でも今は取材じゃない。ただ笑っているだけだ。
もう一往復走った。今度はリズムが最後まで崩れなかった。ゴールラインに見立てた位置まで走り切って、二人同時に足を止めた。息が上がっている。
*
練習を終えて部室に戻ると、壮介が一人で騎馬戦の実況小説を声に出して練習していた。
「第三騎馬、突撃!! 帽子を奪え!! 今だ!! うおおおお!!」
「うるさい!!」
凛先輩の声が飛んだ。
「臨場感の練習!」
「これ書く練習であって叫ぶ練習じゃないんだが」
「でも読み上げるんだろ? 声量も大事じゃん」
「一理あるけど音量は下げてくれ。部室の壁が薄いんだ」
「壁が薄いのは学校のせいだ!」
「学校のせいでも音量は下げろ」
壮介が渋々声を落とした。でもすぐに興奮して音量が戻る。「第五騎馬、奇襲!!」「うおおお!!」。凛先輩がため息をついた。諦めた顔だ。壮介の音量は管理不能だ。成績管理制度は導入できても音量管理制度は無理らしい。
「壮介、お前の実況、文字で読む分には悪くないぞ。口に出すと暴力的だが」
「暴力的!?」
「声量が暴力。中身は悪くない。"語彙が足りない"って自分で書いてるところとか、正直でいい」
「正直だけが取り柄だ!」
「取り柄を活かせ。本番ではもう少し声を抑えろ。原稿を先生が読むんだから、お前が叫ぶ必要はない」
「叫ばないの!? 残念!」
「叫ぐな。書け」
詩織さんがちゃぶ台の前に座って、短距離走の実況小説の下書きを始めていた。万年筆が紙の上を走る。「スタートラインに並ぶ八人の選手。彼らの視線の先にあるのは」と書いている。もう競技は見ていないのに、イメージだけで書けるらしい。天才は想像力でも走れる。
俺はノートを開いた。二人三脚の実況小説。練習でどんなことを感じたかをメモしておく。「いち、に、のリズム」。「肩が触れる」。「足音が重なる」。「パス回しに似ている」。
書きながら思った。
体育祭に文芸部として参加する。二ヶ月前の俺なら考えもしなかった。あの頃はサッカー部を辞めたばかりで、体育祭は「走れない人間にとって地獄」だと思っていた。走ることしか知らなかった。走れない体育祭には居場所がないと思っていた。
でも今は違う。走ることを書く側に回る。競技を見て、感じて、言葉にする。それも参加の形だ。走れなくても、書ける。
不思議だ。でも楽しみだ。
体育祭まであと一週間。凛先輩の実況小説企画がどうなるか、まだわからない。でも全員が本気で準備している。壮介は騎馬戦の実況を叫んでいるし、詩織さんは短距離走の描写を練っているし、凛先輩は全体の構成を組み立てている。霧島先生は放送室の機材を確認してきたらしい。
五人で体育祭に挑む。文芸部なりのやり方で。
走れない人間にも、体育祭での居場所がある。それを証明するために、凛先輩は実況小説を企画し、放送委員と交渉し、全員に役割を振った。先輩のリーダーシップがなければ、文芸部は体育祭のプログラムの外にいた。名前すら載らなかった。でも先輩が「前例は今日作る」と言った瞬間に、文芸部の居場所が生まれた。
俺は二人三脚を走る。詩織さんと一緒に。足を結んで、肩を寄せて、「いち、に」の掛け声で。練習で肩が触れたときの感覚がまだ残っている。シャンプーの匂いと、「好きですよ、朝倉くんのサッカーの比喩」という言葉が。
本番はうまくいくだろうか。練習ではリズムが合ってきた。でも本番は何が起こるかわからない。それもサッカーと同じだ。練習通りにいかないのが本番だ。
それでも、楽しみだ。楽しみだと思える自分が、少し前の自分とは違うことに気づいている。




