8.
パキリと小枝を踏む音を耳にして、私は体を起こした。
青い目が私を睨みつけていた。
少しの間、沈黙が訪れた。
「何か、御用ですの?」
「リュシー……リュシエンヌ・ヴァルフォワ公爵令嬢、ですね?」
「ええ」
彼はズカズカと私のところまで来た。
「着いてきてください」
私は状況を飲み込めず何度か瞬きをした。彼は憔悴した顔だった。
「どこへ?」
「とにかく、着いてきてください」
彼は武力行使も辞さないというふうに剣の柄に手を当てた。私は素直に着いていくことにした。
学園を出て、彼は辻馬車を捕まえた。
馬車の中で彼はじっと窓の外を睨んでいた。
しばらくして、着いたのは質素な屋敷だった。私ははじめ、そこがどこなのか見当もつかなかったが。門に掘られていた紋章をみて、そこがグレンディーン子爵家のタウンハウスであることに気がついた。
彼は私を引き連れてズンズンと屋敷を進んでいった。
ずいぶん奥まで来たとき、彼は急に止まって一室の部屋の扉を開けた。
「……っ」
がらんとした部屋の隅で、縮こまっている人がいた。薄茶色に汚れた頭を上げると。
淀んだ湖のような緑が見えた。
私は彼女に駆け寄った。
「……リュシー、……リュシー、うう」
しゃがれた声で、そう呻いていた。
「っ、マリー!どうしたの?」
私は思わずそう口にしてしまった。
私は慌てて口を押さえた。今の私がそのように振る舞う資格など。
彼女は初めて焦点が合ったようにこちらをみた。彼女はばっと手を広げて抱きつこうとしたようだった。
私には彼女に抱きしめられる資格はない。思わず後ずさった。
彼女は、しゅんと手を下ろした。
彼女の目の絶望が一際濃くなった。
「彼女に何をしたのですか」
青髪の彼が私を問い詰めた。
「孤児院の前で泣いていたところを保護して、ずっとあの様子です。もう1週間も物を口にしていない」
彼は怒りを込めるように拳を握って、その拳を力なくおろした。
「彼女はあの頃、だんだん慣れてきて友達もできて、新しいことも学べて、毎日がとても楽しいと。ここに連れてこられた幸運に感謝していると言いました」
私は彼と顔を合わせるのが気まずくて、彼があの子に会いに来るときは意図的に席を外すようにしていた。
「失踪する一日前のことです。貴族生活に耐えきれないなんて信じられない」
彼は私を睨みつけた。
「あなたは彼女に何をしたのですか。彼女はあなたを一際好いていました。こんなに彼女に影響を与えられるのはあなたしかいない」
そうだったのだろうか。
「俺は彼女が好きでした。彼女は誰よりもまっすぐで、優しくて明るい人でした。王太子殿下は彼女を好いていらっしゃるようでしたし彼女もまんざらでもない様子だったので、私は身を引いてそれを応援していました」
……もし彼がヒロインを射止めていたら、公爵はあの試験を課しただろうか。いや、考えても詮無いことだ。結局は私のせいなのだから。
「あなたは彼女が去って、すぐに王太子殿下に近寄りましたね。もしかして最初からそれが目的だったのですか?あなたはそんな浅はかな目的で、マリーを利用して弄んで壊して捨てたというのですか!?」
「……ええ」
上手く嘘を付くには真実を混ぜるのがいいという。
「そうよ。察しがいいのね」
私は自分が彼女に何をしたのか、ほとんどそのまま教えてあげた。彼の顔がだんだんと険しくなっていった。
最後に私は笑って、こう吐き捨てた。
「邪魔だったの。私は公爵令嬢だから邪魔者は簡単に取り払えるのよ?」
彼は唸るような声で言った。
「王太子殿下にこのことを伝えれば。彼もマリーのことを大切に思っていましたから、真実を知ればあなたの事を放っておかないでしょう」
「へえ?」
「もし、黙っていて欲しかったのなら俺の言うことを聞いてください」
彼の声は少し震えていて、緊張しているようだった。
「脅しているつもり?」
「はい」
私は挑戦的に笑ってみた。
「密告される前に、あなたとそこの子を消すくらいわけないわ」
彼はとっくに覚悟を決めたような顔をしていた。
「そうされる前に、あなたの首に剣を当ててでも殿下の前に連れていきます」
「そう。何をしてほしいの?」
「マリーを助けてください。……たぶんあなたにしか出来ない」
私は渋々を装って頷いた。
◇
私は毎日彼に連れられて放課後にマリー所へ通った。
マリーはかなり衰弱していて、夢と現実を混同しているようだった。そしてこちらがわに、まともに反応できる時間はごく少なかった。
そして当然のことながら、それはなかなかすぐに良くなるようなものではなかった。
私は毎日、自分の罪と向き合わされていた。
王太子とは引き続き以前の関係を保っていた。
青髪の彼は、マリーのことがなければ今すぐにでも密告するのにというような苦い顔をしていた。
王太子に甘える私を、彼は心底軽蔑するような目で見た。
王太子との結婚の準備は着実に進んでいた。
「私のシェンヌ。誕生日おめでとう」
王太子が私に輝かしい笑顔を向ける。
「ありがとう。また一つ年をとってしまったわ」
「もう成人だね。おかげでもうすぐ結婚が出来るよ」
「待ちきれないわ」
彼は私の頬にキスをした。
「これをどうぞ」
細長いプレゼントボックスを私に握らせてくれる。
「まあ、開けていいかしら?」
彼が大きく頷いたので、そっとリボンに手をかける。ひとつ、深呼吸していつでも喜べる準備をしておく。
現れたのは白銀の剣に黒い文様が緻密に入った一振りの短剣だ。
「綺麗ね……」
「気に入ってくれた?」
「もちろんよ!しかも軽くて私にも持てるわ」
彼は嬉しそうに笑った。
「あれ、私の色にしてくれたのね?」
黒髪に、アイスグレーの瞳。悪役令嬢らしい冷たい配色。
「そうなんだ。本当は私の色にしようと思ったのだが、結婚式に作らせてる宝珠が全てその色だから。これまでそうだと飽きが来るんじゃないかって姉が口を出して来て」
それに剣となるとお前の色の方が一番格好良いねと王太子は笑った。
王太子はオレンジ色に輝く髪に、高貴な紫の瞳を持っていた。
「卒業ももうすぐだね」
◇
私はマリーへ向かって声をかけ続けていた。大体は聞こえないようだったが、たまにだけ、彼女は声に反応を示した。
他の人の声には少しも反応しないと彼は言っていた。
反応を示すと言っても対話は成立せず、五分後くらいには突然泣き出して全て振り出しに戻ってしまう。
そのような状況がずっと続いていた。
最初こそ大きな希望を抱いていたが、それは回を重ねるごとに、苦し紛れの願望へと変わっていった。
一度、私は私財をはたいて、精神の病に明るいと有名な医者を呼んで見てもらったが。医者は静かに頭を振った。
私は常に罪に苛まれた。
今度こそマリーが治るかもしれないという希望を持ち続けるのが苦しかった。
彼もそうだったのかもしれない。
ある日突然、彼は王太子に真実を告げるといった。
私は止めなかった。
彼は私を連れて王太子のところまで行った。王太子は混乱した目で私たちの事を見ていた。
彼は、私が教えてあげた陰謀をすべて王太子に告げた。彼は、私が王太子を射止めるためにマリーを利用し使い捨てたその経歴を順に王太子に説明した。
王太子も大きな衝撃を受けているようだった。しかし流石の貫禄で王太子は取り乱すことなく、しばし黙り込んだ。
私は静かに自分の断罪を待った。マリーから逃げてはいけないという思いと、ようやく楽になれるという思いが半分ずつあった。
再び王太子が口を開いたとき、私は目を見開いた。
「その男を捕らえよ。妄言を吐いて、我が妃となる女性を傷つけた」
近衛兵が王太子の命令を聞いてアレクシスを連れ去っていった。私は驚きと混乱の目を王太子に向けた。
王太子は私に微笑んだ。
「そんなに私が好きだったのだな。可愛いシェンヌ」
私は震える声で彼に聞く。
「私はマリーを壊したのですよ」
王太子はゆっくりまばたきをした。
「権力争いのつきまとう貴族社会ではよくあることだ。王家も都合の悪い家をいくつも取り潰したことがある。」
「殿下はマリーが好きだったのでは?」
「嫉妬かい?そうだね。一時期は確かに恋に浮かれていたが。今はお前だけを愛しているよ」
王太子は私の不安さをどう見たのだろうか。手を伸ばし、私の頭を何度も撫でて抱き寄せた。
「王妃になればいつかは後ろ暗い事も飲まなければいけない。ふふ、我が妃は王妃の適性がある強い女性だ」
王太子は私を安心させるように、唇の横にそっとキスを落とした。




