怪異:わすれな
「もう無理……息ができない……」
カノジョは、親友の部屋の床で、子供のように泣きじゃくっていた
今日、3年付き合った彼氏に、酷い裏切られ方をして捨てられたのだ
同棲していた部屋も追い出され、行くあてもなく、親友の元へ逃げ込んだのだった
「大丈夫、私がいるよ。私がいるから……」
親友は、震えるカノジョの背中を、何度も何度も撫でていた
カノジョの悲しみは深すぎた
3年という月日が、全て無駄だったという絶望
(あんな男のことなんて、最初から出会わなければよかった。全部、全部なくなってしまえばいいのに――)
その時だった
閉め切ったはずの部屋の天井から、ひらり、ひらりと、青白い花びらが舞い降りてきたのは
それは、雪のように静かに、二人の肩に積もっていく
「……え? 綺麗……」
親友が呟く
花びらは、カノジョの涙に触れると、淡い光となって溶け込んでいった
カノジョの慟哭が、ふっと止まる
部屋を支配していた重苦しい絶望の空気が、嘘のように晴れていく
「……あれ? 私、なんで泣いてるんだろう?」
カノジョは、不思議そうに涙を拭った
「陽子、大丈夫?」
「うん……なんか、すごく怖い夢を見てた気がするんだけど……思い出せないや。ごめんね、いきなり押しかけて。私、どうしたんだっけ?」
カノジョの瞳からは、男に関する一切の記憶が消えていた
彼と過ごした3年間の喜びも、痛みも、そして彼の名前さえも
記憶の空白に、カノジョは少し戸惑っている
親友は、一瞬だけ驚いた顔をした
しかし、すぐに散らばっていた男とのツーショット写真を裏返すと、優しく微笑んで言った
「寝ぼけてるの? ずっと私と一緒だったじゃない」
「……え?」
「ここ数年、仕事が忙しくて疲れてたんだよ。ずっと二人で遊んでたでしょ? 私たちは、ずっと一緒だったよ」
親友の嘘は、あまりにも自然で、温かかった
「そっか……そうだよね。私には、美咲がいるもんね」
カノジョは、憑き物が落ちたような笑顔で、親友に抱きついた
怪異:わすれな
深すぎる悲しみに寄り添い、その原因となった記憶を「根こそぎ」食べてしまう怪異
その代償として、人間は長い時間の記憶を失うことになる
しかし、その空白を埋めてくれる優しい「共犯者」がいれば、それは悲劇ではなく、新しい幸せの始まりなのかもしれない
【怪異診療所よりお知らせ】
当診療所では、お疲れの皆様からのご相談をお待ちしております。
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(※ただし、副作用として予想外の事態が起こる場合がありますが、当院は一切責任を負いません)




