パスクアリータ ――動かぬはずの花嫁――
どうして、ただのウェディングドレス店のマネキンが、
これほどまでに謎めき、恐ろしささえ漂わせるのだろうか。
パスクアリータ――それは現代に生きる都市伝説。
メキシコ・チワワにあるその場所を訪れれば、
誰でも今この瞬間に“伝説の真偽”を確かめることができる。
信じるかどうかはあなた次第。
しかし――
ガラス越しに佇むその姿が放つ不気味さだけは、
誰も否定することはできないだろう。
メキシコ・チワワの旧市街には、長い年月を経ても色褪せない秘密が残されている。
オカンポ通りとビクトリア通りが交わる角――そこに佇む古い店「ラ・ポプラル」は、今もなお時代ごとの最も美しいウェディングドレスを飾り続けている。
だが、人々の視線を惹きつけるのは、ドレスそのものではない。
ガラス越しに静かに立ち続ける、ひとりの花嫁姿のマネキン。
彼女こそが――
パスクアリータと呼ばれる存在である。
初めて目にした者は、誰もがただの精巧なマネキンだと思うだろう。
しかし二度目に視線を返すと、その確信は揺らぎ始める。
人間のように滑らかな頬、微かに潤むガラスの瞳、
そして今にも体温を感じそうなほど繊細に作られた手。
その“生気”に触れた瞬間、胸の奥に小さなざわめきが生まれる。
理屈では説明できない感覚が、そっと心を震わせるのだ。
通りすがりの人々は言う。
「微笑んでくれた気がした」
「さっきと姿勢が違うように見えた」
「確かに、こちらを見ていた」
語れば笑われるかもしれない――
そんな不安を抱えたまま誰かに話してみると、チワワの人々はむしろ穏やかに微笑む。
「それは良いことだよ。
パスクアリータが微笑むのは、選ばれた人だけだ。」
この不思議な伝説の始まりは、1930年まで遡る。
店の創業者である パスクアリータ・エスパルサ・ペラレス・デ・ペレスが、フランスから特別に取り寄せたマネキン――それが彼女だった。
蝋で丁寧に作られた肌、ガラスの瞳、一本一本手作業で植えられた本物の髪。
当時の技術では考えられないほどの精巧さを誇り、
やがて人々は彼女を「チョニータ」と呼び親しんだ。
しかし、その顔立ちが店主にどこか似ていたことから、
次第に街では **“パスクアリータ”**と呼ばれるようになり、
やがて「チワワで最も美しい花嫁」と称される存在となった。
奇妙な噂が広まり始めたのは、1960年代のことである。
別々の人々が、まったく同じことを語り出した。
「ほんのわずかに動いた気がする」
「目が合った」
「表情が変わった」
その証言は次第に数を増し、
ついには“夜になると店内を歩き回り、並んだドレスを眺めている”とまで囁かれるようになった。
やがて店主が亡くなると、噂はさらに広がる。
――店主の魂が、マネキンに宿ったのだ。
そう信じる人々は、彼女が時折いたずらをしていると語る。
姿勢を変え、視線を動かし、微笑を浮かべ、
小さな悪戯で人々を驚かせるのだ、と。
なかには、店主の娘が結婚式当日に亡くなり、
悲嘆のあまりその遺体をマネキンにした――という荒唐無稽な話すらある。
しかし実際には、店主には息子が一人いただけで、娘はいなかったという。
噂が大きくなりすぎたため、ある時当局が調査に乗り出したこともあった。
結果は「ただの蝋とプラスチックでできたマネキン」である、という至極当然のもの。
だが、誰ひとりとしてそれを完全には信じなかった。
今日もパスクアリータは、ガラスの向こうから通りを見つめ続けている。
その瞳の奥に潜む“何か”を、人々は確かに感じ取っているのだ。
ただひとつ言えるのは――
パスクアリータが纏っていたドレスで結婚した花嫁は、幸せになれる。
その噂は今も途切れることなく続き、
彼女の着るドレスはいつの時代も最もよく売れる。
それが偶然なのか、祝福なのか。
あるいは、動かぬ花嫁が静かに送り続けている“見えない微笑み”なのか――
それを知る者は、誰もいない。
この伝説を最後まで読んでくれて、ありがとうございます。
この連載の目的は、日本の皆さんにメキシコの文化を少しでも知ってもらうことです。
もしこの作品を楽しんでいただけたなら、
ぜひ私のライトノベル『Netherworld』も読んで応援していただけると嬉しいです。
こちらが私の代表作であり、きっと楽しんでいただけるはずです。




