**二つの火山の伝説 ――イスタクシワトルとポポカテペトル――**
遥か昔、
まだ山々が人の言葉を理解し、
大地が人の感情に応えて形を変えていた時代。
メキシコ盆地には、幾つもの都市国家が栄え、
戦と祈りが日常と隣り合わせに存在していた。
その地に、
イスタクシワトルという名の王女がいた。
彼女はトラスカラの強大な皇帝の娘であり、
白く澄んだ肌と穏やかな眼差し、
そして何よりも静かな気品を持つことで知られていた。
彼女の美しさは谷を越え、山を越え、
多くの貴族や戦士たちが彼女の手を求めて宮殿を訪れた。
だが、イスタクシワトルの心は、
すでに一人の男に捧げられていた。
その名は――
ポポカテペトル。
彼は若くして名を馳せた戦士で、
剣よりも誓いを重んじ、
勝利よりも忠誠を尊ぶ男だった。
数多の戦場を生き抜いたその背中には、
恐れではなく、覚悟だけが宿っていた。
二人は密かに、
しかし確かに愛し合っていた。
やがて皇帝はその想いを知り、
ポポカテペトルの忠誠と勇気を認め、
二人の婚約を許した。
谷は祝福に満ち、
未来は穏やかに続くはずだった。
――その時までは。
アステカとの戦が始まったのだ。
国を守るため、
ポポカテペトルは戦場へ向かわねばならなかった。
別れの日、
イスタクシワトルは彼の胸に顔を埋め、
震える声で言った。
「必ず、戻ってきて。
私は、ここで待っています。」
ポポカテペトルは彼女の額に口づけ、
静かに誓った。
「勝利と共に帰る。
それまで、この命は君のものだ。」
戦は長く、苛烈を極めた。
月が幾度も満ち欠けする中、
ポポカテペトルは傷を負いながらも戦い続け、
ついに敵を退け、勝利を手にした。
だが――
敗北を悟った敵は、
最後の悪意を残していった。
彼らは虚偽の噂を宮殿へ流したのだ。
「ポポカテペトルは戦死した」と。
その言葉は、
刃よりも深く、
毒よりも速く、
イスタクシワトルの心を貫いた。
彼女は涙を流すことすらできなかった。
声も、祈りも、届かなかった。
深い悲しみの中で、
彼女は静かに眠りについた。
――二度と目覚めることのない眠りに。
勝利の凱旋と共に戻ったポポカテペトルは、
宮殿で横たわる彼女の姿を見た瞬間、
世界が崩れ落ちる音を聞いたという。
彼は彼女を抱き上げ、
誰にも言葉を残さず、
最も高い山へと歩き出した。
風が吹き、
空気は薄くなり、
夜は冷たく閉ざされていった。
彼は山頂に彼女を横たえ、
決して離れぬよう寄り添い、
炎のような想いで彼女を守り続けた。
やがて、
二人の身体は雪と氷に覆われ、
時は静かに流れていった。
そして長い年月の後、
その地に二つの巨大な山が現れた。
眠る女性の姿をした山――
イスタクシワトル。
白い雪に包まれ、
今もなお、
静かに眠り続けている。
そして、その傍らにそびえる山――
ポポカテペトル。
その頂から立ち上る煙は、
彼の胸に燃え続ける愛の証だと言われている。
人々は語り継ぐ。
イスタクシワトルの心臓は、
今も氷の下で微かに鼓動していると。
そしてポポカテペトルは、
その鼓動を感じるたびに、
再び煙を吐き、
彼女を目覚めさせようとしているのだと。
今日でも、
メキシコ盆地の地平線には、
二つの火山が寄り添うように佇んでいる。
それは、
死によっても引き裂かれなかった愛。
時によっても風化しない誓い。
人々はその姿を見上げ、
静かに思い出すのだ。
――真実の愛は、永遠であり、決して滅びない。




