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8.燈紫と木蓮

 空野家のリビングには、五十五インチのテレビが置いてある。欲しいと言い出したのは母・陽子で、チャンネル権はほぼ母が握っている。

 子供たちといえば、積極的にテレビを見る習慣もなく、母が主張するチャンネル権とやらにもさして興味が無いのだが。


 とはいえ、母不在の今でもテレビが仕事をしているのだから、母の影響は少なからずあるのだろう。ソファに座った紫苑は、ぼんやりとテレビをながめていた。


「燈李、これ……」

「あ? あぁ……」


 スマホを眺めていた燈李が顔を上げると、テレビでは地域のニュースが流れている。その時、燈李と紫苑の脳裏には、ある出来事が同時に思い出されていた。

 それは数ヶ月前、木枯らしが吹き始めた頃のことだ。



 ***



「あのなぁ……ちゃんとメシ食えって」

「食べてるじゃない」

「ああ、そうか。知らなかったかもだけど、お前が食ってんのはパフェって言ってな。実はメシじゃねぇんだよ」

「カロリー摂取って意味では食事でしょ」

「もうちょい栄養気にした食事をしてくれ。兄貴が心配する」

「……そういうことなら善処しなくもない」

「頼むわ」


 駅のすぐ近く、とあるビルの地下にあるファミレスでの美少女二人の会話だった。一人は淡々とチョコレートパフェを柄の長いスプーンでつつき、もう一人は切り分けたチキンステーキをひょいひょい口に放り込んでいる。


 艶やかな黒髪も、猫のようなアーモンド型の目も、よく似ているが、チキンステーキの方は男性だ。見た目に似合わない口調と声音に、たまたま通りがかった店員が目を見はる。


 チョコレートパフェの方は空野そらの紫苑しおん、チキンステーキの方は空野そらの燈李とうり。二人は男女の双子だった。


「で、兄貴の誕生日どうするかなんだけどさ」

「毎年の事だけど、難題よね。何あげても喜んではくれるけど」

「俺らが元気でいてくれればそれでいい、とか、真面目に言うからな」

「…………老成し過ぎ」


 双子が揃って出かけることなど、高校生になってからはそうそうあるものでは無かったけれど。兄の誕生日間近であるこの日は別だった。後で弟・蒼汰とも合流して、長兄の誕生日プレゼントを物色しに行く予定である。その前の腹ごしらえ兼作戦会議の最中だった。


「いらっしゃいませー。二名様ですか? あちらの空いてるお席どうぞー」


 新たな客が訪れたらしく、入口の方から店員の明るい声が聞こえてくる。そろそろ昼の混み始める時間帯だ。空席も少なく、燈李はちらりと隣を見る。燈李と紫苑がいるのは、テーブルを挟んで壁側にベンチ、通路側に椅子という作りの席が五つ並ぶ区画だ。双子の席は最奥で、ベンチに紫苑、椅子に燈李が陣取っているのだが、その隣が一席空いている。


「待ち時間なくてラッキー」

「腹減りすぎてやばかったわ」


 現れた二人は大学生だろうか、燈李達とさほど歳の変わらなそうな男性二人組だ。中身はどうだか知らないが、見た目はチャラい。


 燈李はテーブルの下で紫苑の脚を軽く蹴り、体を二人組と逆の方に向けた。無言でパフェをつつく紫苑もそれに倣う。二人組が見た目だけでなく中身もチャラかった場合、紫苑と燈李はだいたいセットでナンパされるのが確定未来であるため、その対策である。


 幸い、二人組はメニューを見るのに夢中で、燈李達を気にした様子はない。


「えー、何食おー」

「オレは明太パスタと唐揚げと、ほうれん草のソテーと……」

「と? 多くね?」

「ここ安くていいけど、俺にはちょっと足りねぇの」

「少ないかな……。まぁいいけど」


 そうこうしながら二人組は三・四人前の注文を済ませると、お互いにスマホを取り出し静かになった。


 画面に夢中なうちにさっさと出てしまおう。アイコンタクトで意思の疎通をはかった燈李と紫苑だったが、ふと足元にあるものに目がいった。二人組の足元に先程まではなかった物が落ちている。


 それは手のひらほどの大きさの、白い花びらだった。ところどころ茶色く変色し、枯れかけている。


 ぽとり。

 再び一枚、真っ白な花びらが床に落ちた。じわりと端から枯れ始め、あっという間に茶色い床と同化する。


 ぽとり。

 三度花びらが落ちた。真っ白で瑞々しくハリのある花びらは、みるみるうちに萎れくすみ朽ちていく。


「ハクモクレン、か? っつーかどこから……」


 燈李は唇を歪め、紫苑は眉間に溝を刻んだ。


「オレ飲み物取ってく……ぅわっ!?」


 席を立とうとした男が、足元の花びらを踏みつけて足を滑らせた。ズルリと床に圧し伸ばされた茶色が、血で描いた筋のようにも見える。


「なんだよこれ……、汚ねぇな。掃除してないんじゃないの? ちょっと、店員さーん!」


 辛うじて尻もちを回避した男は、苛立ち紛れに店員を呼んだ。気付いた店員が足早に近付いて来る間、もう一人の男が床を凝視している。慌てた店員が床を拭き終え立ち去るまで、無言で見つめ続けていた。




 店を出ると、紫苑が大きく深呼吸した。何度か繰り返し、最後にため息を一つ。そのまま地上に上がるエレベーターに乗った。


「蒼汰が来るまで待つつもりだったのに、ごめん」

「それは別にいいけど……何かいたか?」

「……急にすごく臭くなった。あの花びらの臭いなのかはわからないけど。燈李には何か聞こえた?」

「いーや、全然。さすがに花びらだけだと聞こえないな」

「なんなの、あれ」

「わかんね。まぁ、関わらないでおこうぜ。どうせろくなもんじゃねえ」

「そうだね」


 エレベーターを降りると、談笑しながら店に降りていく人達と入れ違う。再び地下へ下っていくエレベーターを見やり、二人は脇に据え付けられたベンチに腰掛けた。部活後に合流する末っ子が来るまで、あと少し。待ち合わせ場所を変えるのも面倒で、そのまま待つことにしたのだが――。


「あれ、君たちさっき隣の席にいた子達だよね?」


 数分後、食事を終えて上がってきた二人組に見つかったのである。




「可愛い子いるなーって思ってたんだよねー。このあとヒマ? ここで何してたん?」


 馴れ馴れしく話しかけてきたのは、足を滑らせた方の男だった。もう一方は多めの量を注文していた方だ。花びらを凝視していた方でもある。こちらは一歩後ろで笑顔を貼り付けているが、どこか心ここにあらずだ。


「ね、ちょうど二人ずつだし、一緒に遊ぼうよ」

「…………」

「…………何がどう二人ずつなのか知らねーけど、オレは男だバーカ」

「へ?」


 美少女から発せられた言葉が豆鉄砲だったらしい。きょとんと目を丸くした男は、「マジでっ!?」と声を上げた。


「あー、でも君なら男でもいいかも。遊ぼうよ」

「ざけんな、とっとと消えろ」

「えー、そっちの子は? 何か雰囲気似てるけど妹ちゃんとか?」

「失せろって」

「そんなこと言わずにさー。ね、妹ちゃんはオレらと遊ばない?」

「……妹じゃないし」

「応えなくていいって」

「あ、じゃあお姉ちゃん? どっちでもいいけど、遊ぼうよー」

「こいつに話しかけんな」


 燈李が頬をひきつらせて拳を握りしめた。それを見た紫苑は小さく肩をすくめる。燈李は意外と気が短いのである。


「あのさ! さっき……。その……あんたたちも、見たよな?」


 しかし、燈李が動くよりも前に、もう一人の男が一歩前に出た。何かに怯えるように視線を彷徨わせ、すがるように双子を見る。


 男が『何を』見た、と言っているのかは、すぐに察せられた。燈李と紫苑は顔を見合わせる。


「なんなんだよ、あれ。今の時期に花なんてどこにも咲いてないのに、なんで俺の周りにいつもいつも!!」

「お、おい……どうしちゃったの、お前?」

「そんなのオレが知りてぇよ! なんでオレが……」


 男はその場にしゃがみこんで、頭を抱えてしまった。ナンパ男もこれには困惑しているようで、声をかけあぐねている。


「あの白い花、いっつもオレの周りで散ってるんだ。はじめはどっかでくっつけてきたんだと思ってた。でも違った。朝起きたらベッドの周りに散ってるなんて普通じゃねぇ!」

「ちっ……お前、ハクモクレンに何かしたのか?」


 盛大に舌打ちをして、燈李が問いかける。男を見下ろす視線は木枯らしよりも冷たい。紫苑はバッグからハンカチを取り出し鼻と口を覆った。

 しゃがみ込んだ男の周りに、どこからともなく一枚の花びらが現れている。


「ハ……ハクモクレンって、あれでしょ? 木に咲くチューリップみたいなやつ。咲くのって桜と同じくらいじゃなかったっけ? T公園の花見の場所取りで負けた時に、そっちの木の下で飲んだような……」

「まぁそれだな」


 ナンパ男は、突如現れた花びらを気味悪そうにしつつも、目を逸らせないようだ。じわ、と茶色の染みが浮き上がり、波紋が広がるように白を侵食していく。まるで、命を食い尽くそうとしているようにも見える。


「そうだ……花見の時、木の上に変な気味わりぃガキがいて、こっちをガン見してた」

「そんなのいたっけ?」

「いたんだよ! そうか、やっぱりあいつが何かしてんだな!?」

「知るかよ。その前にお前が何かしたんじゃねぇの」


 燈李が突き放すように言うと、男は一瞬言葉につまり目を泳がせた。「何かしたな」と燈李は呆れたように鼻を鳴らす。


「……別に何もしてねぇよ!」

「あ、あー! あの時のこと言ってる? お前めっちゃ酔ってゲロ吐いてた時?」


 ナンパ男の言葉に、燈李と紫苑は揃って顔を顰める。花見会場でもない場所で、酒を飲んで騒いでいる連中が容易く想像出来てしまう。「この臭い……最低……」とハンカチの下で紫苑がうめいた。


「出たもんはしょうがねぇだろ!? 人間様の食ったもんだぞ。いい栄養だろうが、ありがたがれってんだよ! 花見の脇役のくせに、こんな……!」

「いやお前、そん時もそんなこと言ってたけどさぁ……」


 ナンパ男は困ったように友人と燈李達を見る。彼はただナンパして、美少女とお近付きになりたいだけだったのに。

 燈李は怒りを追いやるように息をついた。自身のスマホを取り出しいくつか操作すると、紫苑の腕を取りベンチから立ち上がる。


「オレらには関係ない。勝手にしてくれ」

「あ、ちょっと!」


 呼び止めようとするナンパ男の声を無視して、双子はビルを出た。駅近くはいつも人通りが多くてウンザリするが、追いすがられても面倒だ。こんな時はさっさと雑踏に紛れるに限る。


「ドン引き。最低。なにあいつ」

「ほっとけ。気になりゃお祓いでも何でも行くだろ」

「それでどうにかなるとは思えないけど」

「まぁな。でもオレらには関係ない。自業自得」

「そうね」

「さて……蒼汰には場所変更って連絡したけど、どこにすっかな」

「あ、なら和菓子買いに行こう。あそこならイートインもあるし」

「……さっきパフェ食っただろ?」

「燈李のデザートがまだだったでしょ」

「そりゃどうも」


 こうして双子はお気に入りの和菓子店へと足を向けた。残された男二人がどうしたかなんて、あっという間に気にもならなくなっていた――。



 ***



 地域のニュース番組では、時期よりも随分と早く花開いたハクモクレンの話題が取り上げられている。桜の名所T公園に静かに佇むハクモクレンが、二ヶ月も早く開花したらしい。さらに、いくつかは薔薇のように真紅の花をつけたのだとか。


『シモクレンよりもさらに濃い色の花をつけ、専門家も突然変異と――』


 興奮気味に伝える女性リポーターの周囲では、珍しい花を一目見ようと大勢の人が集まっていた。


「よっぽどいい養分でもあったんだろ」

「……そうね」


 燈李のスマホに表示されていたニュースアプリには、男子大学生餓死の見出しが踊っていた。


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