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7.紫の後悔

「トイレの山田くんが出たんだって~」

「……花子さんじゃなくて?」

「うん。山田くん」

「それは警察に通報した方がいいんじゃない? うちは女子校だと思ってたんだけど」

「幽霊って逮捕できるのかなぁ?」

「やれば出来ると思う」

「出来ないよ! んも~、そうじゃなくってぇ。見に行ってみようよぉ、山田くん」


 受験目前の今の時期。昼休みだろうが参考書や単語帳を開く者がいる中で、いろんな方向で時期外れな話題だった。怪談の季節には遠く、教室の空気からはもっと遠い。


 濃紺のセーラー服に深緑のスカーフという制服は、古臭いという意見もあるが、意外とファンも多い。そんなセーラー服に身を包んだ集団の中、紫苑は友人のりつと昼食を食べ終わったところだった。


 頭の高い位置にゆるくお団子を結んだ律は、学園指定のグレーのカーディガンの下に、さらにもう一枚指定とは異なるカーディガンを羽織っている。彼女が極度の寒がりであるのは知っているが、それが日替わりでカラフルなものだから、担任によく注意をされていた。


 そんな彼女の唐突な「トイレに出た幽霊を見たい!」という提案は、さっぱり理解できなかった。紫苑は呆れを一欠片も隠さずに顔に出す。「見てどうするの?」と言うと、律は「う~ん」と小さく唸りながら、曾祖母の形見分けで譲り受けたらしい、アンティークなヘアピンを撫でた。


「面白そうだし。話のネタに」

「行ってらっしゃい」

「紫苑も行くの! ほら、行こ~!」

「ちょっ……」


 グイグイと腕を引く友人を振り払うことは、そう難しくは無いけれど。楽しそうに歩く律の姿に毒気を抜かれ、大人しくついて行くことにした。


 件の『トイレの山田くん』は、北校舎三階、物理準備室前のトイレがその現場であるらしい。

 紫苑の通う女子校は、歴史のある、趣深い、有り体にいえば古い学校だった。とはいえ、校舎の半分ほどは建て替えられて、通常使う教室は新しく綺麗になっている。北校舎だけがまだ手付かずの古い校舎なのだ。


「旧校舎のトイレに幽霊とか、ベタすぎて……」

「それがいいんだってぇ」

「旧校舎はこっちより寒いよ?」

「それはそうなんだけどぉ」

「ほとんど使ってないトイレなのに」

「だ~か~ら~、山田くんが使ってたんじゃ~ん」

「ごめん、山田くんってほんとに知らないんだけど」

「マジでぇ? しょ~がないなぁ、りっちゃんが教えてあげよう」

「…………」


 別に、と言いたいところを紫苑はぐっと飲み込んだ。律はのんびりしてる割に頑固なのである。なんと言ったところで話すと言ったら話すのだ。曰く、トイレの山田くんとはこのような話であるらしい。



 ***



 かつて、新任の物理教師である山田氏が一人の女子生徒と恋に落ちた。女子生徒を仮にA子としよう。

 山田氏とA子は、二人の関係が世間的には許されないことをよくわかっていた。そこで放課後の物理準備室で、こっそり逢瀬を重ねていたのである。


 しかし、それは長くは続けられなかった。二人の関係に気付いた他の生徒達が、あちこちで噂を始めたのだ。真実もあれば真っ赤な嘘も含まれる噂の数々は、すぐに大人たちの耳に届いた。


 山田氏は解任されることになり、A子は泣き崩れた。物理準備室ですすり泣く、A子の声を聞いた生徒が数多くいたらしい。


 このまま別れを迎えれば、きっと二度と会えない。そう思い詰めた二人は、駆け落ちを計画する。そして山田氏の最後の出勤日、彼は物理準備室前のトイレで息を潜めてA子を待った。だが、いつまで経ってもA子は現れなかった。愛した女性に裏切られたと思った山田氏は、そのままトイレで首を吊ったのである。



 ***



「でもねぇ、実はA子はぁ、親に軟禁されて来れなかったんだって。山田くんかわいそ~」


 出てもいない涙を拭うようなふりをする律は、話しながらもぐいぐい紫苑の腕を引いて歩いている。「昼休みが~終わっちゃう~」というのんびりした口調と裏腹に、歩調は速い。


「それで、その人は何のために幽霊になってるの?」


 裏切られたと勘違いして自殺したなら、恨みであるのだろうけども。しかし、紫苑の予想していたものとは違う答えが返ってきた。


「んーとぉ、新しい彼女を探してるんだってぇ」

「……は?」

「ナンパしてくるらしいよぉ」

「……………………は?」


 開いた口が塞がらないとは、この事である。




 利用頻度が減っている旧校舎とはいえ、電気もつくし水も流れる。利用にまったく支障はないのだが、ほぼ使われていないトイレが、山田くんの出現場所である。いまいち恐ろしさに欠ける怪談でも、やはり『出る』となれば避けられるのかもしれない。


「何もいないねぇ」

「……そうだね」


 いる。

 姿は薄く弱々しいが、女子校のトイレにいるはずのない男性が。


「幽霊にナンパされてみたかったな~」

「馬鹿なこと言わないでよ」


 首にある青黒い線は首吊りの痕跡だろうか。死霊の割に陽気な顔で律の前に立つ男性は、馴れ馴れしく律の肩に手を置こうとしては、すり抜けている。

 目を合わせるまい。見えていることに気付かれては面倒だ。


「律、そろそろ戻らないと」

「あ~あ、残念。寒いだけだった~」


 肩を落とす律の隣で、山田くんも同じように肩を落としている。ちらりと紫苑に視線を向けたけれど、諦めたのかふっと姿が掻き消えた。「っくしゅっ!」と小さなくしゃみをした律は、寒い寒いと自身を抱くようにして腕をすり暖めていた。




 翌日、律が熱を出したらしく学校を休んだ。暖房のついていない旧校舎を、うろついたせいかもしれない。


「…………」


 しかし紫苑は昨日の出来事が引っかかっていた。急に消えた山田くんはどこに行ったのだろう。昨日の放課後、少し気になって見に行ってみたけれど、彼はどこにも見当たらなかったのだ。いくら薄くとも、紫苑が気配も感じとれないほどではなかったというのに。


「まさか……」


 嫌な予感が胸をよぎる。

 そういう時は感覚に従うべきだ、という父からの教えを思い出し、紫苑は早々に学校をサボる決断を下した。


 小学校の頃に転校してきた律は、友達がいなくてクラス内で浮いていた紫苑に積極的に話しかけてきた。以来ずっとの数少ない友人である。


「紫苑はぁ、めっちゃ可愛いのに雑でズボラで無愛想で、面白いよねぇ」

「なにそれ、ケンカ売ってる?」

「めっちゃ褒めてる~」

「そう……」


 無邪気に笑う友人を思い浮かべ、紫苑は駅へと向かった。

 考えすぎであれば、それに越したことはない。

 そう思い、胸騒ぎを追いやろうとしても、かえって焦りが募るばかりだった。



 鈴本すずもとの表札の脇にあるインターホンを、人差し指で押し込んだ。律の両親は共働きであるし、誰もいないのかもしれない。しばし待っても返答がなく、紫苑はため息をついた。


「しかたない……」


 何度か訪れたことのある友人宅で、やましい気持ちは一切無いとしても、当然ながら不法侵入は気が咎める。しかし、である。


「お邪魔します」


 紫苑は堂々と玄関ドアを開けた。鍵はかかっていなかった。

 律の部屋から覚えのある気配がする。つい昨日感じたのと同じ気配。死霊・山田くんである。


「やっぱり……」


 案の定と言うべきか、山田くんは律に憑いてしまったのだろう。律の発熱はその触りかもしれない。

 部屋の扉を開けると、ベッドで眠る律の傍らで、ぼうっと佇む死霊がいた。


 左手をぎゅっと握って、開く。もう一度握って、開く。手の動きを確認するように繰り返した紫苑は、死霊から視線を外さないまま近付いた。ドアを開け、霊を認識し、肉薄するまでほんの数秒。そして――


『――っ!?』


 こちらに気付き顔を向けた山田くんの右頬を、張り飛ばしたのである。




「それで、律ちゃんは大丈夫だったの?」


 リビングのソファで脚を組んだ藍が、くつくつと楽しげに笑っている。学校をサボったことは「先生が心配するからね」と諌められたけれど、ぽんぽんと頭を撫でられたから、怒ってはいないようだ。

 藍の向かい側に座り、紫苑はココアを一口飲んだ。


「熱は下がったし、憑かれてたことにも気付いてなかったよ」

「ならよかった。それにしても、その山田さん? は、どうして律ちゃんに憑いちゃったんだろう?」

「それが……この間亡くなった律のひいおばあちゃんが、A子さんだった、みたい」

「すごい偶然……では、ないのかな。遺言とか?」

「うん……」


 紫苑はこくりと頷いた。藍の予想どおり、律は曾祖母の頼みで動いたらしかった。嫁いでこの地を離れても、ずっと心残りだったそうだ。遺言と共に受け取ったヘアピンは、彼からの贈り物だったのだとか。


 ぼんやりと律が話してくれた内容を思い出し、紫苑は自身の左手を握りしめた。律に危害を加えるつもりはなかったようなのに、問答無用で殴り飛ばしてしまった。もちろん、紫苑にだって事情はあるのだけれど。


 考え込んでいると、藍がソファから立ち上がった。そろそろ仕事に出る時間である。あとを追うように紫苑が顔を上げると、藍色の瞳が優しく見下ろしていた。


「さて、紫苑……わかっていると思うけど」

「う……、危ないヤツもいるから下手に近づくな、でしょ?」

「そう。紫苑は僕らの中では特に、ね」

「……わかってる」


 苦い記憶をため息で追いやって、紫苑は仕事に出かける兄を見送るのだった。


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