4.燈の呟き
「おい、おっさん」
公園のベンチにぼんやりと座る男性に、口の悪い美少女が声をかけた。艶やかな黒髪をポニーテールに結んだ少女は、可愛らしい顔のイメージとは真逆の服装だった。スキニーのジーンズにグレーのパーカー、小さめのボディバッグを斜めにかけて、真っ白いスニーカー、と非常にスポーティーである。声をかけられた男性は、キョトンと少女を見上げている。
「聞こえてるか? あんたに言ってんだけど」
「あ、あぁ、聞こえている。君は……?」
「オレのことはどうでもいいんだけどさ」
「オレ……?」
今日日、僕っ娘がいるくらいだからオレっ娘もいるのだろう。一人称だなんて個人の自由なのだし。しかしそんな戸惑いは少女には良くあることのようだった。
「オレは男。めちゃくちゃ可愛いけど、男。おっけー?」
「! すまない、OKだ」
「んじゃ本題だ。あんた、自殺にしくっただろう?」
ギロリと睨む美少女、もとい美少年の猫のような目は、大型の猛獣のように力強かった。
風が吹き、木々が揺れる。
寒くなっても緑色の葉をつけたままの木々が、少年・燈李の言葉に同意するかのようにざわめいた。
「なんの……」
「とぼけようとしても無駄。見てたヤツがいるから」
「えっ!?」
男性は周囲をキョロキョロ見回すが、燈李以外に人はいない。しかし事実を言い当てられ、ガックリと肩を落とした。
「こんなまっ昼間に人気のない公園で、スーツ姿のくたびれたおっさんが、ベンチでしょんぼり。十中八九リストラってやつだろなー、とは思うんだけどさ」
「す、鋭いね。そのとおりだよ」
「今どきそれで自殺って、どうなわけ?」
「どう、と言われても……もう自分には、生きる理由がないんだよ」
「いや、知らんけど」
「君が聞いたんじゃないか」
「オレが言いたいのはそういう事じゃなくてさ」
燈李は男性の隣に腰掛けた。小柄で、見た目にはただの美少女がスーツ姿の男性と並んで座っているのも、傍から見たら奇妙な光景かもしれない。
「あんたが死のうとすることで、困るやつもいるって言ってんの」
「っ! ……妻や子供のことを言っているのかな。だとしたら困るどころか喜ばれるはずさ。住宅ローンは帳消しになるし、保険金だっておりる。生活に困ることは無い」
「ふーん」
男性はどこか自分に言い聞かせるように言い募る。
「妻はまだ若いし、自分が言うのもなんだが美人だ。次の相手だって見つかるさ。子供だって小さいから、父親が変わってもきっとすぐに順応する」
「それで?」
「部長だってきっと考えを改めてくれる。そしたら同僚たちだって助かる。あの横暴をどうにかできたら自分は英雄扱いされるかもしれない」
「へー」
「死ねば、客先で怒鳴られたり罵倒されたり、部下の前で使えないなんて言われることもない。僕も助かる」
熱に浮かされたように言葉を吐き出し続けた男性は、そこではたと気付いた。申し訳なさそうに燈李を見て、身体を縮こませる。
「まぁ、結局失敗したんだけどね……。ほんと、こんな時まで使えないよ」
気のない相槌でほとんどの話を聞き流していた燈李は、足元に転がるどんぐりを拾い上げた。コロコロと手のひらでもてあそび、ため息をつく。
「別にあんたがどうなろうが、オレはどうでもいいんだけどさ。なんでここで死のうとしたわけ?」
「……ここは、僕の逃げ場所でね」
男性が見上げた先には、まだ若い椎の木があった。枝が折れ、生木部分が痛々しく晒されている。
男性が自身の体に立てかけていたバッグから、ロープの端がのぞいていた。
「最期もここがいいかなって思ったのさ」
「迷惑」
一刀両断、いや、一言両断である。
「……そうだよね。首吊り死体があったら、いろんな人の迷惑に……」
「じゃなくて。枝折れてんの見えない? その椎の木、あんたの愚痴だの悩みだの散々聞かされてさ。挙句に枝折られてんだけど」
燈李の目には確実に怒りが滲んでいる。
「それでもそいつは、あんたに死んでほしくないんだと」
「え……?」
目を丸くして、男性が椎の木と燈李を交互に見た。「木の言葉がわかるの、か?」とつぶやき、ごくりと息を飲む。燈李は無言で男性を見据えていた。
「そうか……彼……、彼女かな? まぁどっちでもいいか。この子は僕に死んで欲しくない、か……」
力無く笑いながら、男性の目に徐々に光が戻っていく。「やる」と燈李が手渡したどんぐりを素直に受け取って、愛おしそうに撫でた。
「どなたか知りませんがありがとうございました。目が覚めたよ」
「あっそ」
「君も……ありがとう」
枝の折れた椎の木を見上げ、男性は深々と頭を下げる。そして、憑き物が落ちたように笑顔を浮かべ、男性は去っていった。
「一件落着ってやつ?」
燈李の呟きには誰からも返答はない。しかし、燈李は満足そうに口角をきゅっと上げた。
「誰だって、自殺の名所になんてされたくないよなぁ」
今度は風もないのに、枝の折れた椎の木がさわさわと鳴いた。




