3.紫と猫
「ねえ燈李、あれ何?」
「あれってどれ?」
「あれだよ。お星様みたいにキラキラしてるやつ!」
「え~? そんなのないよ、どこにあるの?」
「あそこの木の周りだよ」
「そんなのないよ。ぼくには見えないもん」
「どうして嘘つくの? あんなにいっぱいあるじゃない!」
「嘘ついてるのは紫苑だよ! お星様なんて一個もないって!」
公園で広げられたレジャーシートの上で、幼児二人が言い合いの上泣き出してしまった。泣き出す二人のすぐ脇で、兄と思しき少年が狼狽えている。
「な、泣かないで、二人とも」
「燈李の嘘つきー!!」
「紫苑の方が嘘つきだー!!」
火のついたように泣く二人を気にするものは、そこにはいなかった。周囲には、双子と同年代であろう子供たちとその保護者たちが何組もいるというのに。
「どっちも嘘はついてないんだなー」
そこへ一人の女性が現れた。緩く癖のあるロングヘアは、色素が薄いのか陽に透けてキラキラと金色に輝いている。逆光で顔はよく見えなくても、その人物がにっこりと笑っていることを子供たちは知っていた。彼女はいつだって、太陽のように笑っているから。
「おかあさん!!」
紫苑と燈李が、五歳の時の事だった。
コンビニを出ると目の前に、開けた公園がある。買ったばかりのカフェラテを片手に、紫苑は公園の外れの方へと向かった。交番前を通り過ぎ、昔ながらの茶屋のような佇まいの飲食店を越えた向こうに、小さい神社がある。そこは紫苑の散歩コースのひとつだった。
その神社には、アイドル猫がいる。
元は付近をさまよっていた野良猫だったのが、猫好きの宮司に保護され、探している飼い主もいなかったことから、神社の猫というポジションを得た猫である。
猫の名は麦という。茶トラで懐っこく、参拝客に愛想を振りまくことが仕事だ。
仕事熱心な麦に、まんまと心を撃ち抜かれたのが、紫苑だった。
「麦、元気だった?」
「なーぅ」
「ふふ、日向ぼっこしてたんだね。ほかほか」
撫でた背中が太陽の恵を吸い込んで、ちょっと心配になるほどに温かい。目を細めて手触りを堪能する。麦のファンサービスも常連相手には慣れたもので、直ぐに腹を見せて体をくねらせた。
「かわいい……」
しかし、指先に伝わるゴロゴロ喉を鳴らす振動が、ピタリと止まった。麦がむくりと体を起こし、じっと神社の向こうの交番辺りを見つめる。
紫苑も振り返り麦の視線を追った。
そこには一人の警官が立って、こちらを見ていた。微笑みをたたえてはいるが、目はこちらを油断なく観察しているようだ。麦はこの視線に反応したのだろう。
「あ……」
麦は踵を返し、社務所の方へと行ってしまった。今日のファンサは終了らしい。名残惜しくその背中を見送るが、軽快に走り去る麦がこちらを振り向くことはなかった。
「またね……」
警官はまだこちらを見ている。そろそろ雪も降り始めるか、という時期なのに、警官の制服は水色のシャツに紺のベストという夏服だった。背中にあるはずのPOLICEの白文字が、顎のすぐ下にある。フクロウのように、首が真後ろを向いているようだ。
紫苑が五歳の頃、公園で星を見つけたのが始まりだった。この世の理から離れた者。死者の魂とか思念とか、そういったモノが、紫苑には見える。どうやら父と兄にも見えるらしいが、母と双子の弟・燈李と二歳下の弟・蒼汰には見えないらしい。燈李あたりは見えない代わりに余程変わった能力があるのだが、見えないものは見えないということだった。
初めて見た星のように、姿のないものもあれば、そこにいる警官のように生前の姿を残した者もいる。ただそこに在るだけのこともあれば、生者に干渉しようとする者もいる。厄介なのは後者であるが、生きていようが死んでいようが、厄介な者はどこにでもいるのである。
財布の小銭を確認し、紫苑は参道を進んだ。賽銭箱に小銭を数枚放り、ガラガラと鈴を鳴らす。二度頭を下げ、柏手を二回強めに打ち「麦が健やかでありますように」と心の中で願いを伝えた。最後にもう一度頭を下げ、踵を返す。
警官の姿はいつの間にか見えなくなっていた。
「麦好きの同志なのかも」
麦に危害を加えないか監視していたのかもしれない。消えてしまったので話を聞くことも出来ないが、勝手に「いいヤツ」認定しかけている自分がいる。紫苑はかぶりを振って、帰途についた。カップに三分の一程残っていたカフェラテはすっかり冷めてしまっていた。