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2.蒼の憂鬱

 曇りの日はあまり良くない。

 雨の日はだいぶ良くない。


 蒼汰(そうた)は教室の窓から見える空をぼんやりと眺めて、ため息をついた。高身長ゆえに教室の窓側一番後ろの席をあてがわれていて、教室の居心地はよいのだが。


 青い空に白い雲、ギラギラの太陽が輝いて、気分も上々! っていう毎日だったらいいのに。


 蒼汰の思いとは裏腹に、窓の向こうの空には灰色が波打っている。夕方には雨になる予報だ。憂鬱な気分に押し上げられ、蒼汰の口からついうっかり声が漏れた。


「調子悪いなぁ……」

「そうか、具合悪いなら保健室に行ってこい」

「……嘘です。元気です。寝ぼけてすみませんでした」

「今日は居眠り常習の奴らが起きてるってのに。ちゃんと聞いとけよー。テスト範囲だぞ」

「うぃっす」


 いつの間にかすぐ隣に立っていた教師の言葉で、意識が曇り空から授業に引き戻された。クラスメイト達がくすくすと笑っているのが聞こえる。


 午後一番の授業が古文というのは、学校が昼寝を推奨しているに違いない、というのはクラスの共通認識であったけれど、今日に限ってはみんな睡魔に打ち勝っていたらしい。再開された授業に向き合うクラスメイトを見て、また憂鬱がせり上ってくる。


「……調子悪い、なぁ」


 今度は誰にも聞こえないように口の中で呟いて、蒼汰はシャープペンシルを指先でくるくると弄んだ。


 呪文のようで、それでいて意味がわからなくもない授業に耳を傾けていると、制服のズボンの尻が数回もぞついた。ポケットに収めたスマートフォンが何かを受信したようだ。


 視線を巡らせ、素早くポケットから取り出すと、黄緑色のアイコンに①と通知が表示されている。ぴと、とタップして画面の中に青空を呼び出す。


『帰りにちょっとつきあって』

「姉ちゃん?」


 端的な用件の向こうに、姉の淡々としたいつもの様子が浮かぶ。

 弟の目から見ても間違いなく美少女である姉・紫苑(しおん)は、物静かで一見深窓の令嬢のようにも見える。


 背中まであるストレートの黒髪は毛先まで隙なく手入れされていて、絹糸のように艶やかだ。地毛の色が少し薄くくせっ毛の蒼汰とは正反対である。


 肌もきめ細かく滑らかで、フォトショップは三次元にも対応してたのかと思うほどの陶器肌だ。実は作り物じゃないのかと思ったことも、一度や二度ではない。


 猫のようなちょっとつり上がった大きな目は、じっと見つめれたら誰だってドキドキするだろう。しかしその実、ズボラ……もといサバサバサバ、くらいの中身であるため、詐欺だよなぁ、と思う。


 ちなみに、そんな性格の紫苑の髪や肌の手入れをしているのは、紫苑の双子の弟・燈李(とうり)である。ついでに、蒼汰の髪も燈李が切っている。


 紫苑から一緒に帰ろう、と言われるのは滅多にない。姉は一人行動を大いに好み、身内であっても連れ立つということが少ないのだ。


「めずらし」

『おっけー』


 一言返答を送るとすぐさま既読がつき、次の吹き出しが現れる。


『そっちに行くから校門前にいて』

「はいはいっと」


 了承を意味するスタンプをぽこんと送ったが、しばらくしてもそれに既読がつくことはなかった。



 

「やっぱり調子悪そうね」


 言われたとおり校門前で待っていると、私立女子校のセーラー服を着た美少女が現れた。蒼汰の知り合いもそうでない生徒も、男女すら関係なく、紫苑を見てはっとしたような表情をする。


「別に体調は平気だよ。ちょっと気分が上がらないだけだって。あ、心配してくれた感じ?」

「心配?」

「いや、なんでもない」


 紫苑が「何それ美味しいの?」というような顔で首を傾げたから、蒼汰は笑って誤魔化すことにした。


「いつも通る道があるんだけど」

「帰り道?」

「そう。いくつかあるうちのお気に入り」

「へぇ。それがどしたの?」

「最近面倒なのに絡まれるの」

「ありゃ。またナンパ? それともスカウト?」

「知らない。聞いてないから」

「あー……、てことは、オレは護衛的な?」

「どっちかと言えば虫除け」

「はは。りょーかい」


 そういう用件なら、今日調子の悪い自分よりも、兄たちのどちらかの方がよくないだろうか。そう思ったところで、上の兄・(らん)はそろそろ店の支度だろうし、下の兄・燈李は紫苑と並ぶと美少女二人にしか見えないので、結局は自分の役目になるのである。


「さ、帰るわよ」

「へーい」


 好奇の視線を躱して帰途に着くと、ポツリと頬に冷たい物があたった。上を見上げると、雲の色が一段と濃い灰色になっていて、小さな粒がいくつも顔に飛び込んでくる。


「あーあ、降ってきた……」


 紫苑は何も言わずに鞄から折りたたみ傘を取り出して、すちゃっとさしている。無表情に淡々と、それでいてテキパキと傘を組み立てる様子は、さながら戦場で銃を構える兵士のようだ……、とは言い過ぎだろうか。とにかく、蒼汰と共用するつもりは微塵もないらしい。


「待ってよ、姉ちゃん」


 蒼汰も自身のリュックから折りたたみ傘を取り出すと、もたもたしつつもどうにか傘をさしたのだった。



 

 曇りの日はあまり良くない。

 雨の日はだいぶ良くない。

 だって、空が見えないと……



 紫苑の隣に並んで歩くと、家へ帰るにしてはだいぶ遠回りで、蒼汰は一度も通ったことの無い場所を通っていた。幅三メートル程度の遊歩道だ。

 近くに保育園でもあるのか、子供を乗せた自転車とすれ違う。遊歩道の右手には住宅が並び、左手には線路が伸びていた。


 建ち並ぶ家は古いが、よく見かける分譲住宅とはサイズもデザインもまるで違う。一軒一軒に庭もあり、蒼汰達が歩く遊歩道との間には背の高い生垣が整列していた。


「こんなとこあったんだ。知らなかったな」

「そう」


 しかし、こんな所でナンパする者がいるだろうか? いや、どこにいてもいいのだけれど。スカウトも……もっとこう、人の多いところを探す方が効率がいいだろう。素人でもわかる。


「なぁ、姉ちゃん。ほんとにこの辺で絡まれんの?」

「そう。しつこいの」

「待ち伏せされるとか?」

「そんなとこね」

「通る道変えたらいいのに」

「どうして? 私はここを通りたいのに」

「いやまぁ、そうかもしれないけどさ」

「だからあんたを連れてきたんじゃない」

「オレ別にケンカ強いわけじゃないよ? 今日は調子も悪いし」


 紫苑がじろりと横目で蒼汰を睨む。身長の高い蒼汰からはあまり見えなかったけれど。

 紫苑がぴたりと足を止めた。それに倣って蒼汰も立ち止まった。


「どしたん?」

「…………」


 無言のまま正面を見据える紫苑。徐々に眉間にシワがよっていき、猫がキシャー! という直前のように不機嫌が滲み出ている。ナンパ野郎か、と視線の先を追いかけてみたが、誰もいないし何も無い。


「姉ちゃん?」

「…………」


 二度目の呼びかけにも無言が返ってきて、蒼汰は首を傾げる。しかし、あることに思いいたり、「あ」と呟いた。


「もしかして、絡んでくるやつってユーレイ?」


 すると、険しい顔をしたまま紫苑が頷いた。

 蒼汰に幽霊は見えない。この世のものではないものが意外とそこかしこにいるらしい、と知ってはいるが、見たことは一度もない。しかし、姉は見えるらしいのだ。何がどう見えているのか、聞いても教えてもらえたことはないけれど。


 調子の悪い弟をわざわざ連れ出した理由に、ようやく合点がいった。


「どの辺?」

「あの電柱のあたり」

「おけ。じゃあ大丈夫になったら来て」

「うん」


 そして、蒼汰は幽霊がいるらしい電柱付近に向かって歩き出した。


 雨はしとしと振り続けている。

 少し風が出てきて、街路樹や生垣の葉がさわさわと囁くように鳴った。


 電柱の前に立ち止まってみるが、やはり蒼汰には何も見えない。しかし、少し離れた所でこちらを凝視する姉の様子から、この辺りにいるのは間違いないだろう。


「あんたがどこの誰で、何でここにいるのか知らないんだけどさ」


 虚空に向かって声をかける。

 制服のワイシャツの下で、蒼汰の皮膚を何かがするりと通り抜けていった。鳥肌が立ちそうで立たない、微妙な冷気だった。


「ちょっと落ち着いてくれると、姉ちゃんがここ通りやすいんだって。だから悪いけど、ってうわっ!?」


 蒼汰の言葉を遮るように、電柱の上で破裂音が響いた。街灯のカバーが割れたらしく、破片がぱらぱらと降ってきた。


「あー、そういう感じ? えっと……ごめんな?」


 頬を指でかきながらも、蒼汰はその場に留まり続けた。一分程そうしていると、次第に風が収まり、皮膚を撫でる冷気が消えていく。

 空中を見つめ突っ立っている蒼汰の背を、紫苑が軽くつついた。


「もういい。ありがと」

「あ、消えちゃった?」

「消えてはないけど、おとなしくなった」

「それだけでいいの?」

「あんたもそろそろ調子よくなったでしょ?」

「あぁ……、まぁね」

「だからいいの。帰るよ」


 指摘され、蒼汰は自身の不調が消えていることに気付いた。

 空が雲で隠れた時に起きる不調が。


「もう少し自力でコントロールしなさい」

「……ゼンショシマス」


 艶やかな髪をなびかせて、紫苑が先を歩いて行く。その後を追いかけようとして、立ち止まり振り返った。


「えっと……、ありがとうございました!」


 電柱に向かって深く頭を下げたあと、「待ってよ、姉ちゃん!」と小走りで追いかけるのだった。

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