21.燈の喪失
「嘘だろ……?」
蒼汰が刺され、緊急搬送されたと燈李が聞いたのは、アルバイト先の美容院の閉店間際だった。最後の客を送り出し店内の掃除をしている時に、紫苑から店に電話があったのである。
明に断り、タクシーをぶっ飛ばして、病院に着いた燈李が見たのは、集中治療室でたくさんのチューブを付けられた弟の姿だった。
「蒼汰は……大丈夫、なんだよな?」
「……わからない。今夜が山だって」
「なんだよ……それ……」
紫苑は唇を引き結んで俯いて、必死に泣くのを堪えているようだ。ずっと握りしめていたのだろう、スカートの太ももの辺りが皺になっている。
「やったヤツは……」
「捕まってる。女子中学生」
「なんで中学生が蒼汰を刺すんだよ!」
「私が知るわけないでしょ!? 私だって……」
紫苑の目からぼろぼろと大粒の涙が零れ、燈李は顔を歪めた。
「くそっ……!」
チラチラとこちらを窺う看護師は、声量を注意するべきか迷っているのだろう。燈李はパイプ椅子にドカッと腰をおろし、長い息を吐いた。
紫苑を責めたい訳じゃない。
「燈李、来てたんだね」
「兄貴……」
ふらりと現れた藍の声に顔を上げ、その姿を見た燈李の体がギクリと強ばる。藍は今にも倒れそうな程、生命力を感じなかった。ともすれば、ベッドに横たわる蒼汰よりも顔色が悪い。
「ひでぇ顔色」
「そうだね、ごめん……」
「…………」
藍を責めたい訳でもない。
「……お兄ちゃん、椅子」
「あぁ、ありがとう」
藍は蒼汰の顔をのぞき込み、頭を撫でた。辛そうに眉をしかめ、はくりと唇が動く。ごめん、と。
言葉は途切れ、モニターから規則的に聞こえる電子音と、酸素マスクのシューシューと鳴る音だけになる。
しばらくの間、燈李も紫苑も、藍に声をかける事が出来なかった。
「二人には今日、都築先生のところに泊まって欲しいんだ。話はついてるから」
ようやく椅子に腰かけ大きく息を吐いたあと、藍が口にした言葉に、双子は顔を見合わせた。
「都築先生って……都築医院の?」
「明さんの親父さん、だよな?」
「そう。母さんが入院してる部屋の隣が空いてるから、そこを今夜一晩貸してくれるって」
泊まって欲しいというのは、要望ではなく確定事項らしい。
「ま、待ってくれよ兄貴。何でそうなる?」
「今、家は危険かもしれない。僕は蒼汰が目を覚ますまでここを離れられないから」
「危険って……蒼汰を刺した子は捕まったでしょ?」
「…………」
通り魔的なものではなかったのか。紫苑の問いに藍は口を噤む。
誰でもよかったのではなく、蒼汰が狙われた。
そして紫苑や燈李も狙われる可能性がある。
藍の言葉と態度から察せられて、紫苑は青ざめ、燈李は声を荒らげた。
「兄貴、隠し事はやめてくれ。オレらにも関係することなら、ちゃんと話してくれよ!」
「燈李……、それは……」
「お兄ちゃん、私も……教えてほしい。なんで蒼汰がこんな目に合わなきゃいけないの? 蒼汰はバカだけど……バカだけど、誰かに恨まれるような人間じゃないよ」
「紫苑……」
双子の言葉と眼差しが、藍を捉えて離さなかった。
それでも、藍はまだ事情を話すのを躊躇い、かぶりを振る。
「わかった……もういい。兄貴には聞かねぇ」
「ちょっと、燈李?」
「自分で勝手に調べる。紫苑、都築医院には一人で行っとけ」
「バカ、何言って……」
「離せ」
紫苑が燈李の腕を掴んだけれど、燈李は腕を軽く振ってそれを払う。視線は紫苑ではなく、藍に固定したままだ。
「…………わかった。話すよ」
真っ直ぐにぶつけられた燈李の眼差しに、耐えきれなくなったのか。藍は深いため息と共に、口を開いた。
些か固くなった空気を察しているのだろう。看護師が気まずそうに面会時間の終了を告げに来た。本来は一人ずつの面会であるところを、蒼汰の状態を鑑みて融通してくれていたのだが、そろそろ限界らしい。
家族が使っていいと案内された小部屋へと移動する。小部屋には白いテーブルと椅子が四脚、簡易のパーテーションがあり、奥には簡易ベッドが置いてあった。
燈李と紫苑が並んで座り、向かい側に藍が座る。
テーブルの上で指を組んだ藍は、何かを考えるように目を閉じていたけれど、やがてゆっくりと話し始めた。
「蒼汰はたぶん……影に襲われたんだ。正確に言うと、影に操られた人間に、だけど」
「影って……あれは願いを叶えるものだって」
「蒼汰を刺した子の願いがなんだったかはわからない。殺したいほど憎い相手がいたのかもしれないし、殺人願望があったのかもしれない。ただ……ひとつだけ確かなのは、彼女も正常な状態では無かった事くらい、だよ」
「……だからって、許せる気はしないけど」
不貞腐れたように眉を顰める紫苑に、藍は「そうだね」と悲しげに同意した。
「なんで蒼汰が襲われたんだ? 兄貴がここを離れられないってことは、まだ狙われてるってことなのか?」
「その可能性がある」
「都築院長の所に泊まるっていうのは? 家に帰れないの?」
「……都築医院は、結界があるんだよ。悪意のあるものを弾いてくれる。生者死者問わず、ね。家の方には、明日都築先生が結界を張ってくれることになったから、明日には帰れるよ」
帰れると聞いて、紫苑はホッとしたようだ。しかし燈李はどんどん眉間の皺を深くしていた。
「明日帰れるのはわかった。都築医院に泊まるのもいい。でも兄貴は肝心なとこを話してない。はぐらかすなよ」
「…………」
「なんで蒼汰は襲われた? なんでオレらが狙われる?」
「…………それは、……」
口ごもる藍から、燈李は目をそらさなかった。藍の過保護は知っている。きっと自分たちを守るためとか、そんな理由なのだ。
だが、いつまでも守られるばかりでいるつもりは、更々なかった。紫苑にもそれは伝わっているのだろう。同じように、藍を見つめている。
「大きくなったなぁ……」
困ったように微笑んだ藍の肩から、ふっと力が抜けた。細められた濃藍色の目が、紫苑と燈李を見つめ返す。
「……二人とも、新って覚えてる?」
藍の口から発せられた思いがけない名前に、紫苑と燈李は目を見開いた。
紫苑は無意識だろうか、自身の手をぎゅっと握り合わせている。
「忘れるわけがねぇ」
新は、燈李が無力であると突きつけた張本人だった。
新は、紫苑が他人との関わりを避けるようになったきっかけだった。
双子の心に大きな傷を残した彼は、紫苑を攫った後に、父と兄によって退けられたはずである。
しかし――。
「新が出てきているんだ。もう父さんの封印は完全に破られてしまったんだよ」
「封印……?」
「影は消すことが出来ないからね」
「ちょっと待った。つまり……新は影なの、か……」
「黒い……霧……」
「親父の封印が破られたって、親父は? 親父は大丈夫なのか? いつ病院に行っても会わないし、おかしいと思ってたんだ」
「父さんは……母さんを守ってるよ。心配しなくていいけど、しばらく会えないと思う」
「どこにいるかくらい……」
「僕もどこにいるかは知らないんだよ。都築先生が保護してくれてるって聞いただけなんだ」
「また都築先生か。よく知らないけど、もしかしてすげぇ人?」
「うん。母さんも頭が上がらないくらいって言えば、なんとなくわかる?」
「マジか」
意外な事実に、燈李は目を丸くした。
燈李にとって陽子は、行動は読めないし、言動は突飛だし、能力は破格で、頭が上がらない人物がいるだなんて、思ったこともなかったのである。
片割れは知っていただろうか、と紫苑を見ると、紫苑も初耳のようである。
「新は……また私を攫いに来た……のかな」
「紫苑。紫苑が悪いことなんてひとつも無い。お前が気にすることじゃない」
「でも……蒼汰を襲ったのが新なら、それは私がいるせいでしょ?」
「紫苑、それは違うよ。襲ったのが新なら、悪いのは新だ。すり替える必要はないんだ」
「うん……」
紫苑だって、頭ではわかっているはずなのだ。
自分のせいだ、と悲劇のヒロインぶるような性格じゃない。でも今は、新の名前が出たことで感情が追いつかないのだろう。
燈李は紫苑の背中を強めに叩いた。叩かれた紫苑はぎゅっと眉根を寄せて、燈李を睨む。
「痛いんだけど」
「目ェ覚めただろ」
「…………」
フン、と鼻を鳴らした紫苑は、テーブルの下で燈李の足を蹴る。それは軽く小突く程度で、紫苑の言外の、わかりにくい感謝なのだった。
*
藍に蒼汰を託し、燈李と紫苑は都築医院へ移動した。もう夜も遅く、外来患者はいないし、病室の明かりも粗方消えている。
街灯の明かりで浮かび上がった病院は、レンガ造りという近年日本では滅多にない造りだからか、どこか異世界じみていた。
「先行ってろ」
「どこ行くの? コンビニ?」
「まぁそんなとこ」
「今日はやめときなよ」
「すぐ戻るって」
呆れたように半眼になった紫苑は、「気をつけて」と言って病院の裏手に向かう。正面入口は施錠されているので、裏手の職員入口を使うように、言われていた。
裏手に向かった紫苑の背中が見えなくなったところで、燈李は頭をかいた。
襲ってくるのが新なら、狙われるのは紫苑だろう。だが自分はどうだろうか、と考えた時、漠然とだが自分は狙われないという確信があった。
「あいつはオレに興味がない。オレは……家族の中で一番無能だから」
かつて、新が言った『キミには用はないんだ』という言葉を、燈李は覚えている。紫苑と一緒にいると、いつも鬱陶しそうにしていたことも。
それならば、どうして蒼汰は襲われたのだろう。
新について知らされた衝撃で飛んでいたけれど、【何故】の部分は答えをもらっていなかったのだ。
「……現場検証、だな」
蒼汰が刺される瞬間を目撃した人間は、見つかっていないらしい。きっといないのだろう、と思う。
「ま、人がいなくてもな」
燈李は辺りの植物たちを見回して、ニヤリと口端を上げた。
「お前たちは見てただろ? 教えてくれ、蒼汰に起きた事を」
蒼汰は背後から腰のあたりを刺されていた。
いくら蒼汰が能力のコントロールを覚え始めたばかりといっても、影が近くにいて気付かないわけが無い。
背後に迫る影に気付けなかった理由が知りたかった。
病院の植物たちに蒼汰が向かった方向を確認して、病院を出る。駅と反対の方向に向かったようだ。
「どこ行くつもりだったんだ?」
街路樹、植え込み、中央分離帯にまで植物はある。それらの声を聴きながら、蒼汰の足取りをトレースするが、ある一箇所で植物達の反応がおかしい場所があった。
「ここが現場、か?」
商店どころか、自動販売機のひとつすら無い場所だった。この先に向かったところで、しばらくそれは続くだろう。徒歩でどこかを目指すのに、あまり選ばないルートである。
「怯えてる……」
その辺りの植物達は、みんな怯えていた。彼らの感情は人よりも乱れにくく、ささやかな気配でしかないのに。明らかに怯えとわかる感情だった。
「怖がらせて悪い。ただ、何があったのか知りたいんだ。蒼汰はオレの……大事な弟なんだよ……」
燈李はじっと植物の反応を待つけれど、応えはなかった。
「聞こえてない……のか?」
首を傾げ、歩道脇のサツキに手を触れる。
途端に燈李の脳内に、映像が浮かび上がってきた。
「な、んだ……、これ……!?」
自身の視界に写るものと、同じようで違う映像が目の前に現れたようだった。
景色が二重に見えていた。夕暮れと夜の映像が重なり、夕暮れには人影もある。激しく切り替わる画面を見ているようで、堪らず燈李を両手で顔を覆った。
目を塞いだことで、見える映像が夕暮れだけになる。
夕暮れに見えていた人影は蒼汰だった。
「蒼汰の、前に……いる、のは……?」
蒼汰が誰かに掴みかかっている。相手は――
「……親父?」
透の姿をしているが、燈李の直感が否を告げる。その証拠を示すように、体から黒い霧が染み出し立ち込める。
『ボク……は、新…………だ』
「!」
黒い霧が辺りを覆い、夜のように光が遠のいた。
新と名乗った透の声が、周波数の合っていないラジオのように、ぶつぶつと途切れて聞こえる。
『強い願望もなく、……れるだけの……、脅威に…………けど……』
「くそっ……なんて言ってんだ。途切れてよく聞こえねぇ……」
透の姿をして、新を名乗った男の目がドロリと闇色に染まる。
『でも……しっ……ら学ん…………』
これはきっと、植物たちの恐怖の記憶。
そんなものが見えたのは初めてだったけれど。
「もっとよく……聞かせてくれ」
燈李は意識して能力の出力を上げた。もう少し、もう少しだけ、と新の声を追う。植物相手のコントロールは繊細だということを、燈李はすっかり失念していた。
新がちらりとこちらを見た気がする。
燈李の視界に、少女が立ち塞がった。
覚束無い足取りで、蒼汰に近づいて行く。頭部を黒い霧に覆われた少女の手には、ナイフが握られていた。
「逃げろ、蒼汰!」
過去の映像なのはわかっていても、叫ばずにはいいられなかった。
振り返った蒼汰の視線が、少女からナイフに吸い込まれていく。
『…………ヤバ……』
蒼汰の腰にナイフが突き刺さる瞬間、燈李の中で何かが弾けたような感覚があり、映像がブラックアウトした。
新が言っていたことがもっと聞き取れていれば、なにか分かったかもしれないのに。
蒼汰が倒れたあとも見えたら、自分にもできることが見つかるかもしれないのに。
「……くそっ!」
苛立ちと共に、顔を覆っていた手をおろす。
燈李の目の前では、サツキが枯れ果てていた。触れた葉だけではなく、周囲の数株が全て朽ち、死んでいる。
「は……? え、もしかしてオレが枯らしたのか……?」
慌てて周囲の植物たちの声に耳を傾けたけれど、どれだけ意識しても何も聞こえなかった。
無事だった近くのトウカエデの幹に触れてみても、何も聞こえない。
「嘘だろ……、聞こえなくなってる……」
燈李は、植物と意思疎通できる能力を、失ってしまったのだった。




