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19.紫を隠す

 病室内は、彼女がいるとは思えないほどに静かだった。

 ベッド脇に置いたパイプ椅子に腰掛け、膝の上で手を組んだまま、藍はじっと母の顔を見る。


 ただ眠っているだけ、というのが医師の所感だった。

 様々な検査をしてみたものの、異常と言えるほどのものは、何も見つからなかった、と。


 呼吸はゆっくりであるが自発的にしているし、顔色は悪くない。しかし、そこにはあるべきものがなかった。


「いくら母さんでも、無茶しすぎだよ」


 陽子の身体は抜け殻で、内側にあるはずの魂は見当たらない。有り余る陽の力の残滓だけで、生命活動を維持しているのだ。


「みんな僕が守るから、少し休んでて」


 死んだように眠る陽子の手にそっと触れ、藍は静かに病室を後にした。



 * * *



 母・陽子入院の連絡を受けてから、五日が経っていた。

 真夏の盛りだというのに、空野家の中は太陽を失ったような喪失感に包まれている。


 燈李はアルバイト、蒼汰は部活にそれぞれ出かけ、藍はまだ仕事から帰ってきていない。真っ直ぐ病院に向かっているのかも、と紫苑も出かける支度をしたのだが。


「母さんのところに行ってくるから、八雲お留守番お願いね」

「に?」


 首を傾げる八雲の頭をそっと撫で、紫苑は目を細めた。

 たった二ヶ月ほどで八雲は随分大きくなった。もちろん、顔立ちや行動はまだまだ子猫だけれど。


「子供が大きくなるのを見る親の気持ち……」


 とは、こんな感じだろうか、と思う。自分が親になることなどあるかはわからないけれど。八雲の成長を見守る気持ちは、近いものがありそうだな、なんて思ったりする。


「私が子どもの頃は、思い出したくないけど」


 自嘲気味に呟く紫苑。思い出したくないと思う程に、その記憶は引き出され、忘れられない記憶になっていく。

 記憶はそのまま傷になり、紫苑に消えない跡を刻みつけていた。



 *



 紫苑と燈李が小学二年生の頃の事だ。


 双子ながらに、視えているものが違うと知ってから、二人共に見えていないものには近付かない、というルールが父から課せられていた。

 まだ何が安全か、判断出来ないと思われていたのだろう。念入りにお守りまで持たされて、紫苑は少々不満だった。


「私ばっかり子供扱いされてる気がする」

「そんなことないよ、紫苑。燈李はお守りを嫌がったから、代わりに武道習ってるじゃない」

「幽霊に武道なんてきかないもん」

「怖いのは幽霊だけじゃないからね」

「……私も習いたい」

「そう言って、一日で辞めちゃったのは紫苑でしょう?」

「だって痛いんだもん」


 学生服を来た藍が、紫苑の頭を撫でる。

 お兄ちゃんも私を子供扱いして、という不満は口には出さなかった。おおいに顔に出てはいただろうけれど。



 幽霊が視えるというのが一般的では無いらしい、と気付いたのは小学校に上がる前だった。燈李と母は視えないけれど、兄と父は視えるのだ。蒼汰はわからないが、家庭内で言えば半分が視えている。

 だから、外でも見える人は沢山いるだろう、先生とか。と思っていたのに。


「せんせい、トイレの奥の個室に知らないおじさんがいます」


 幼稚園でこんな発言をした時は、警察まで呼ばれたし、


「川から出てる手が足を引っ張るから、危ないよ」


 友達と思っていた子に良かれと思って忠告をしたのに、無視したその子が川に落ちて、気味悪がられるようになった。


 世間は狭く、噂話は光の如くお母様方の間を駆け抜ける。


「空野さんとこの紫苑ちゃんは、ちょっと変わってるわよね」


 なんて言われた時には、既に粗方の同級生とその家族に、変な子認定がされた後だった。


「視えるって言っちゃダメなんだ」


 子供ながらに世間を知った紫苑は、積極的に友達を作ることも無く、一人でいることが増えていった。



 そうして、二年生も後半に差し掛かった頃、学校帰りに公園のベンチでぼんやりしていると、一人の少年に会った。


 年格好は紫苑と同じくらいだけれど、学校で見かけたことのない少年だった。転校生かな、と考えていると、彼は公園の隅の方に向かって行く。

 そこにはずっと前から女性の霊がいて、遊ぶ子供をじっと見ているのだけれど、少年はその女性の前で立ち止まり、女性の顔を見上げた。


「…………視えてる」


 少年はぱくぱくと口を開けて、何かを話しかけているようだ。同じくらいの年の子が、自分と同じように霊を視て、なおかつ話までしている。


「そんな子いるんだ」


 紫苑は俄然その少年に興味を持った。

 家に帰り、その事を燈李に伝えると、「オレも一緒に友達になってやるよ」と言う。自分から話しかけられるか心配だった紫苑は、それを喜んで受け入れた。


 翌日、同じ公園で燈李と待っていると、あの少年が現れた。自分たちより少しだけ背の高いその少年に、二人で話しかけ、自己紹介をし、友達になった。


「ボクはあらた

「オレは燈李、こっちは紫苑」

「同じ顔だ」

「双子だからね」


 そんな風に新と始まり、新は紫苑の数少ない友達になった。



「新は学校行かないの?」

「うん。必要ないから」

「家で勉強してるの? お父さんとかお母さんが先生?」

「そうだね。身内はたくさん……どこにでもいるから」

「……よくわかんない。私はお兄ちゃんがいるよ」

「燈李のこと?」

「燈李は弟なの。双子だけど」

「へぇー」


 新は自分より少し年上かもしれない、と紫苑は思った。口調や、知識や、行動の端々から、なんとなくではあるけれど。そんな新でも兄よりは子供だろう、とよく分からない対抗心で藍のことを話すと、「会ってみたい」と言う。


「お兄ちゃんに聞いておくね」


 新を兄に取られるような気がしたのか、兄を新に取られるような気がしたのか。

 この時、藍に新のことを伝えていたら、あんな事にはならなかったかもしれないのに、と紫苑は思い出す度に考えずにはいられなかった。



 その日の夜、紫苑が藍の部屋へ行くと、藍は机に向かっていた。机の上には教科書やプリントが広げられ、どうやら宿題中らしい。

 それでも紫苑に気づいた藍はペンを置き、笑顔で迎え入れた。


「どうしたの、紫苑?」

「お兄ちゃん……あのね、私……」

「うん?」

「公園に…………、お、女の人がいるでしょ? 女の人の幽霊」


 新のことを話そうと思ったのに。口をついて出たのは別のことだった。


「え? あぁ、そうだね。奥の方にいるね」

「あの人のこと、知ってる?」

「子供を病気で亡くして、あの人自身はその後事故で亡くなった……んだったかな。僕も直接話したことはなくて、父さんに聞いただけなんだけどね」


 おかしな質問だと思っただろうに、藍は嫌な顔ひとつせずに教えてくれたけれど。


「可哀想な人だから、面白半分で近付いたらダメだよ?」

「うん……」


 やんわりと釘をさされ、それ以上言い出すことが出来なかった。

 新が会いたいって言ってるよ。

 たったそれだけが、何故か言えなかった。



 新になんと言おうか。燈李に相談しようか。

 翌日、公園のブランコに座りゆらゆらと考えていると、ふと隣に気配を感じた。

 それは公園の奥にいたはずの女性の霊だった。


『面白半分で近付いたらダメだよ』


 兄の言葉が思い出されるけれど、向こうから近付いて来た時はどうしたらいいのだろう。


「紫苑」

「あ、新」


 紫苑が女性の霊から視線を外し新を見ると、ふっと頭上に影が落ちる。


「え……?」


 女性が紫苑に覆いかぶさろうとしていた。

 儚げだった女性の霊が、口から黒い霧のようなものを吐きながら、上からギョロリと紫苑を睨め付けている。


「や、やだっ!」


 紫苑は思わず頭を庇うように、腕を上げた。

 構わず近付く霊が紫苑の腕に触れた瞬間、紫苑の全身が粟立つ。

 触れたところから身体に侵入されていくようだった。吐き出された黒い霧が紫苑を包み、まだ日は沈んでいないのに辺りが夜のように暗くなる。


「あ、新……助けて……」


 黒い霧が口の中、喉の方にまで入り込んで苦しかったけれど、紫苑はやっとの思いで声を絞り出した。目の前には新がいる。自分と同じように霊を視ることの出来る新が。


「どうしたの紫苑、大丈夫? 具合悪い?」

「っ!?」


 それなのに新は、霊が視えていないようで首を傾げて紫苑を眺めていた。

 わけもわからないまま、紫苑は必死で体内に侵入してくる霧と怖気を拒絶した。このまま受け入れてしまえばどうなるか、だなんて考える余裕はなかった。


「いやぁっ!」


 紫苑は無我夢中で腕を振り回し、抵抗を続けるといつの間にか――


 霊はいなくなっていた。


 紫苑を包み隠そうとするような黒い霧も、きれいさっぱり見えなくなっている。

 ただ、身体中が怠く、高熱を出した時のような悪寒だけが残された。


「気持ち、悪い……」


 地面に座り込み荒い息を吐く紫苑を、新はただ静かに見おろしていた。



 その日以来、紫苑は霊に絡まれるようになった。

 公園の女性の霊と同じように、それまで無害に見えていた霊が、人が変わったかのような形相で黒い霧を吐きながら、紫苑に寄ってくるのだ。


「もうっ! しつこい!」


 初めこそ恐怖を感じていたけれど、何度も繰り返されることで紫苑は自身の能力を使えるようになっていた。

 霊魂に直接、物理的に干渉できるその能力は、霊に触れれば触れるだけ陰の気を吸収するものだった。


「ゆっくりやれば、具合悪くならない。あんた達なんて怖くないんだから」

「すごいね、紫苑。霊たちがあっという間に消えちゃった」


 興奮気味に頬を紅潮させた新が、紫苑の背後から現れた。いったいいつからそこにいたのだろう。紫苑はまったく気配を感じなかった。


「新、見てたの……。視えてた?」

「うん」


 新は嬉しそうに紫苑の手を握る。新の手は、氷水につけていたのかと思う程に冷たかった。

 紫苑はびくりと手を引こうとしたけれど、新の力が強くてふりほどけない。それどころか、新は紫苑の手を更に強く握った。


「痛いよ、新」

「すごいな……。まさかとは思ったけど本当に際限が無さそうだ」

「……新?」

「キミがいれば、ボクの願いが叶えられる」


 視えていたはずなのに、視えないと言ったり。かと思えば視えていると言ったり。紫苑は新に僅かな不審を抱く。


 離れないと。


 言いしれない焦りに押されて、新の指を引き剥がそうとしてみても、接着剤でピッタリくっついてしまったかのように離れない。

 恐怖がせり上ってきた時、向こうから公園に走ってくる燈李の姿が目に入った。


「おーい、紫苑! 兄貴が呼んで……」

「燈李! 助けて!」

「は……、あ、新? 何やって……」

「やぁ、燈李。君に用はないんだ。君たちのお兄さんには会ってみたいけど」

「何かよくわからないけど、紫苑が嫌がってる。離せよ、新」


 弾んだ息を整えながら、燈李が手を伸ばすと――

 とぷん、と音を立てて、紫苑が足が影に沈んだ。紫苑の手を離さない新と共に。


「と……」


 影の中に沈みきる直前、掴まれていない方の手を伸ばしたけれど、片割れの手を掴むことは出来なかった。




 *




 夜中に蒼汰が高熱を出し、救急病院へ。朝になったら入院、と、その日はずっとバタバタしていた。

 母・陽子は蒼汰に付きっきりで、父・透が病院と家を何度も行ったり来たりしていたのだが。

 三度目くらいに家に戻ってきたのは、透ではなく明だった。


「あいつは慌てすぎてて、ひとつ言えばひとつ忘れる。危なっかしいから代わりにオレが来た。藍、手伝ってくれ」

「明さん、えーと……お手数おかけします」


 呆れ顔の明が苦笑する藍を伴って、蒼汰の入院と陽子の泊まり込みの準備をしている。忙しない家の中で、燈李は紫苑がいないことに気がついた。


「家にいろって言われてたのに」


 きっとまた公園で、新に会っているのだろう。燈李は胸の奥がモヤつくのを止められなかった。


 霊の視える子がいた、と紫苑に言われた時は、半信半疑だった。学校で見かけない子だというのも、なんだか胡散臭い。

 自分の目で確かめてやろう、と燈李は考えた。

 紫苑を、片割れを、変な子呼ばわりするやつが周りに多くて、そんな奴らから片割れを守れるのは自分なのだと、燈李は真剣に思っていたのだ。


 しかし、会ってみたら新は普通の少年だった。

 紫苑を変な子とバカにすることも無く、本当に霊が見えているようだった。

 新は時々紫苑をじっと見つめていて、燈李のことを鬱陶しそうにしたけれど。きっとこいつは紫苑の事が好きなんだ、と思うようになった。


「燈李、紫苑を探してきくれないかな? 明さんが病院まで連れて行ってくれるって」

「わかった」


 面倒だけれど、蒼汰のことも心配だし、新には我慢してもらうとしよう。

 燈李は、本当は自分の方が兄なのではないか、と首をひねりながら公園へ向かった。



 公園が見えてくると、予想どおり紫苑はそこにいたし、新もいた。

 新が紫苑の手を握っているようだった。


「おーい、紫苑! 兄貴が呼んで……」

「燈李! 助けて!」

「は……、あ、新? 何やって……」

「やぁ、燈李。君に用はないんだ。君たちのお兄さんには会ってみたいけど」

「何かよくわからないけど、紫苑が嫌がってる。離せよ、新」


 二人に駆け寄って近くで見ると、新は紫苑の手をかなり強く握っていて、紫苑は顔を歪めてそれを引き剥がそうとしていた。

 走って来たばかりで乱れる息を整えながら、新を止めようと手を伸ばす。


 すると、突然紫苑が地面に吸い込まれていった。

 固い地面が水溜まりかなにかのように、足元にある紫苑と新の影の中に。新も一緒に。


「と……」


 燈李は慌てて手を伸ばしたけれど、影に沈んでいく片割れの手を掴むことは出来なかった。



「兄貴! 紫苑が!」


 めちゃくちゃに走って、家に戻る。

 荒い息をつきながら、燈李はあったことをそのまま伝えた。

 紫苑と新が影の中に吸い込まれてしまった、と。


「新?」

「友達……、に、なったんだ。霊が視える、友達だって、紫苑が」

「燈李も、その子のことは見えていた?」

「見えてた。だから、だいじょ、ぶだと、思って」


 それを聞いた藍は僅かに逡巡し、すぐに決断する。


「明さん、燈李をお願いします。それと、僕が紫苑を連れ戻しに行くので、そう父さんに伝えてください」

「それは構わないが……、連れ戻すってどうやって?」

「跳びます。紫苑のところに」

「まだ真昼間だぞ」

「紫苑は父さんのお守りを持ってますから」

「あ……」

「じゃあ、よろしくお願いしますね」

「あ、おいっ!」


 明の声が届かないうちに、藍は空を見上げ、姿を消した。


「兄貴……紫苑……」


 まだ落ち着かない呼吸を、肩でととのえながら、燈李は藍の消えた場所を見つめていた。




 * 




 ふわりと着地した場所は、暗く何も無い空間だった。夜のように暗いけれど、月も星もなく、なんの光もささない場所だ。


「紫苑……」


 足元に紫苑が横になっている。怪我をした様子はなく、ただ眠っているだけのようだ。

 膝をつき紫苑を抱き上げ、急いで帰ろうと藍は自宅の気配を探った。しかし、いつもならすぐに見つかる自宅の気配が、一向に感じられなかった。


「……おかしいな」


 月下でしか使えない藍の転移能力であるが、父が作ったお守りは一時的に月の役割を果たすものだった。その気配を探れば、転移する事ができる。いざと言う時のために、紫苑の持つお守りと対になる物を自宅に置いてあったのだが。


「ここはボク達の揺籃だから、人間は勝手に入れないし、出られないよ」


 背後からかけられた声に、ゆっくり振り向くと、そこには見知らぬ少年が薄く笑みを浮かべて立っていた。

 少年は白目のない、闇色の虚のような目をしている。


「……君は?」

「紫苑や燈李に聞いてないかな。ボクは新」

「そう……君が……。ここから出られないっていうのは?」

「ひどいな、お兄さんは名前を教えてくれないの?」

「…………藍、だよ」

「よろしくね、藍」


 新の三日月のように弧を描いた口から、黒い霧が意思があるように流れ出した。


「紫苑はね、ボクとひとつになるんだ。紫苑の力があれば、ボクの願いはきっと叶えられるから。だから……ここから出してはあげられないよ」

「随分勝手なことを言うね。君の願いが何かは知らないけど……知りたくもないけど、紫苑は返してもらう」

「うーん……そうだなぁ。紫苑も素敵だけど、キミも悪くないんだよ。ねぇ、キミもボクのものにならない?」

「……話にならないな。何を言っているかわからない」

「簡単なことさ。こう、だよ」

「!」


 紫苑を抱き抱えたままの藍は、新がさっと伸ばした手から逃れることが出来なかった。

 藍は背の高い方で、新は紫苑や燈李と同じくらいの身長で、そんな風に藍の額を掴むなんて、予想していなかったのもある。


 頭を包み込むように黒い霧がまとわりつき、掴まれた箇所から、ぞわりと何かが流れ込んでくる。

 これは、分け与える力だった。


「くっ……!」

「おっと」


 すぐに飛び退いて新と距離をとるが、視界が揺らぎ、足元がふらつく。紫苑を抱き抱えたまま、藍はその場に膝をついた。


「あーあ、途中だったのに。逃げちゃダメじゃないか」


 小さい子供を諭すように、眉根を寄せて叱るふりをしているけれど、新の口の端には嘲笑が浮かんでいた。


「さすがに力を持っていると、そこらの霊みたいにはいかないね。でも……もう素は入った。キミはいずれボクのものになる」

「…………」


 新の声と自身の視界が歪んで、吐きそうになるのを必死で堪えた。今ここで自分が折れたら、紫苑を連れ帰ることが出来ないのだ。藍は紫苑を新から庇うように抱きしめる。


「紫苑を、どうするつもり?」

「あれ? 聞きたくないんじゃなかったの? ふふふふ、いいよ、教えてあげる。ボクはボクになりたいのさ。紫苑の力と体があれば、それが叶う」

「……?」


 新の言葉の意味がわからず、藍は眉を顰めた。『ボクはボクになりたい』とは、何かの喩えなのだろうか。

 目の前がぐらぐらと揺れて、思考を上手くまとめられない。ひどい頭痛と目眩が藍を襲っていた。


「そう。キミにはわからないだろうね。生まれた時から、キミはキミだものね」


 闇色の目で紫苑と藍を見下ろす新は、泣き出しそうにも見えた。

 紫苑を守るためには、時間を稼がなければならない。きっと助けはくる。藍がさらに何か問おうと、口を開きかけた時、新はつまらなそうに肩を竦めた。


「残念、お迎えがきちゃったか」

「藍! 紫苑!」

「父さん……」


 藍と同じように転移をして現れたのは父・透だった。すぐさま藍と新の間に立ち、二人を庇う透の背を見て、藍の腕から力が抜ける。


 紫苑を抱える左腕はそのままに、藍は右手で額を押さえた。頭痛がどんどん酷くなっていく。割れてしまいそうな痛みが絶え間なく襲ってきて、額には脂汗が吹き出している。

 ほとんど目を開けていられない状態で、藍は透と新の会話を聞いた。淡々とした二人の会話は、聞こえてはいても理解出来なかったけれど。


「君は……随分と成長したものだね」

「まだ全然足りないよ」

「いや、ここらで頭打ちにしてもらいたいかな。可哀想だけど、封印させてもらうよ」

「……ボクは諦めないよ。またいつか、紫苑をもらいに行くからね」

「渡さないさ。誰もね」


 紫苑を強く抱いたまま、藍の意識が遠くなっていく――。



 気が付くと、藍は自室のベッドに寝かされていた。部屋はカーテンが閉められていたけれど、隙間から月明かりが射し込んでいて、仄明るい。

 恐る恐る体を起こしてみると、頭痛はきれいに収まっていた。身体は随分と重く感じるが、動くことは出来そうだ。


「紫苑……」


 父が助けに来てくれたのは覚えている。

 あれは夢ではありえないし、今自分が自室にいるということは、父が連れ帰ってくれたのだろう。紫苑を助けないなんてはずはない。


 それでも妹の様子が気になり、酷く気怠い身体を引きずって部屋を出た。廊下の壁に設置された姿見が、幽鬼のような藍を映している。


「これ……は……」


 鏡に映った自分の目が、夜空を写したような濃藍色に変わっていた。




 * * *




 あの時、自宅で目を覚ました紫苑は、良くないモノに気に入られ攫われたのだと聞かされた。

 新に手を掴まれた後のことは、よく覚えていなかった。


「お兄ちゃんの目の色は……、あの日から変わってた」


 何があったのか聞いても、誰も教えてくれないけれど。きっと自分が兄の足枷になったように思う。


 あの日以来、藍は自分のことよりも紫苑を優先するようになった。もちろん、燈李や蒼汰のことも大事にしているのだけれど。紫苑に関しては、父と同じくらい過保護になった。


 燈李はあまり一緒に遊ばなくなった。ケンカをしても、先に折れるようになった。それに、髪を伸ばすようになった。紫苑と同じくらいに。


 紫苑自身、それまで以上に他人との関わりを避けるようになった。自分の軽率な行動が、家族をたくさん傷つけたのだと思うと、行動するのが怖くなった。


「にぁー」

「……あまり遅くならずに帰ってくるからね。行ってきます」


 もう大学生なのだし、変わらなければと思うけれど。

 紫苑は消えることの無い傷跡に蓋をして、見えないふりを続けるのだった。


23話まで苦しい苦しい試練回。

書いてる方もしかめっ面して書いてました。

一緒にしかめっ面してくださいませ!

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