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14.藍の嘘

 月明かりのない夜。ぬるい風が道路脇に咲く立葵を揺らして抜けていく。

 綺麗に整備された道路は広く、路肩に車を停めても他の車の妨げにはならないだろう。通る車がいれば、であるが。


 昼間とは違い車も通らず、人も歩かず、間隔の広い街灯がぽつぽつと灯るだけのその道路は、深夜ゆえの静けさに満ちていた。


 車のエンジンを切り、かけていた眼鏡をはずす。藍の濃藍色の目が、じっと道路の奥を見つめていた。


「出ておいでよ。話をしよう」


 闇に向かって呟いた声に、反応するものはない。しかし車を降り数分待つと、静かだった闇がさわさわとざわめき出した。

 道路を薄ぼんやりと照らしていた街灯は闇色に塗りつぶされ、道路の奥が出口の見えないトンネルのようになる。


 吸う息が重くなったように感じるのは、闇が濃度を増したからだろうか。

 藍が見つめる闇の奥から、さらに濃厚な闇の霧がぞろりと這い出て、ゆっくりと人のような形をとっていく。


「やあ。はじめまして、かな。君とは」


 藍の前に現れたのは、陰鬱そうな闇を眼窩に湛えた子供だった。




 用がある、と藍が出かけて行ったあと、空野家のきょうだい達は難しい顔を突き合わせていた。

 始まりは、蒼汰に届いたメッセージである。


「うわ、これどーしよ……」


 テーブルに置かれていた蒼汰のスマートフォンがピンロンと鳴り、無造作にメッセージを開いた直後。蒼汰は頬を引き攣らせた。


「何かトラブル?」

「いや、トラブルっていうか何ていうか」

「じゃあチェーンメッセージ?」

「じゃない」

「じゃあ何よ」


 面倒そうに紫苑は眉根を寄せた。心配半分、興味半分といったところだろうか。読んでいた本から顔を上げ、蒼汰に視線を向ける。


「合コンの強要……」

「……なんだ、そんなこと。行きたきゃ行けばいいし、行きたくなければ断ればいいじゃない」

「そうなんだけどさ、ちょっと前に約束した……、させられた? んだよ」

「じゃあ行けば」


 経緯はどうあれ約束は約束だろう、と紫苑が突き放すと、蒼汰は頭を抱えて「オレだけの問題じゃない」と言い募った。


わたるを連れてかなきゃなんだって。相手の子達が航のファンでさ」

「なんだ、お前ダシにされてんの? ははっ」


 紫苑の髪で簡単なヘアセットの練習をしていた燈李が、鼻で笑った。


「笑い事じゃないよ。体育館の事故の前に話したことだから、ウヤムヤになったかと思ってたのに」

「体育館の事故って、照明が落ちたってやつか?」

「そうそう、言ってなかったっけ? なんか照明に黒い影がくっついててさ。そいつが照明落っことしたんだよ」

「黒い、影……?」


 興奮気味に話す蒼汰の一言に、紫苑がぽそりと反応した。


「下に航がいてさ。マジ危なかった」

「ねぇ、蒼汰。黒い影ってなに?」

「え、よくわかんない。けど、ユーレイとかそっち系? ちっちゃい子供くらいの人っぽかったけど」

「お前視えねーじゃん」

「ちっちっちっ。視えないものを見るんだって」


 末弟の得意げな様子に、双子が揃って目を据わらせた。


「お前が言うとなんかイラッとすんな……。まぁいいや。それより子供か……」

「黒い影……」

「あれ? 二人ともあれが何だか知ってんの? 藍兄は何か知ってそうだったんだけど、オレ聞けなくてさ。知ってんなら教えてよ」

「いや……、いや待て。たしかにこの前……。まさか、同じヤツか?」

「どゆこと?」

「ちょっと前沼に引きずり込まれた時にも、妙な子供がいた、んだ、たしか。黒目しかない……」

「え、なにそれ。アイス買いに行ったらずぶ濡れで帰ってきた時の話?」

「お兄ちゃんにおんぶされて」

「うるせー。言いたいのはそこじゃねぇ」

「……子供が、いたの?」

「気がする。死にかけの時だし幻覚かと思ってたんだけど」

「私も……見たかも。子供かどうかははっきりわからないけど、大きさは子供……小学校低学年くらい、かな」

「いつ?」

「この前、軽トラが小学校の校門に突っ込んだでしょ? あの時」


「…………」

「…………」

「…………」


 三人が顔を見合わせる。


「え、まさか、全部同じヤツ、とか?」

「オレの時も兄貴は何か知ってる風だったな」

「私のときは……ちょっとわからない。お兄ちゃんには後で話したけど……」


 きょうだい全員似たような何かを目撃していたことがわかり、三者三様に押し黙った。

 決して楽しい記憶ではない。燈李に至っては命さえ危うかった事件だ。


「私たちが何か……祟られるようなことをした、とか?」

「全然覚えがねぇな。毎日慎ましく生きてるだけだろ」


 憮然とする燈李の後に蒼汰が続いた。


「燈李兄が慎ましいかは置いといて……ぃてっ」

「るせー」

「もー……。えっと、オレは祟りとは違う気がする。たしか、人とは別の道理で動くモノって藍兄が言ってた……はず」

「別の道理、ねぇ……。ってことはだ。あれが何であれ、答えは兄貴が知ってるってことだな」

「あれこれ悩むくらいなら、聞くのが手っ取り早いね」


 あっさりと双子は結論付ける。「それはそうなんだけどさ」と蒼汰は僅かな不安を飲み込んだ。あの時、兄が困ったようにしていたのは、自分たちに詳細を言いたくないからじゃないだろうか。そうは思っても、この二人を止めるのは無理だなぁ、と早々に諦めたのだった。




「帰ってきた」


 深夜二時を過ぎた頃、自宅の駐車場に車が入ってきた音がした。ほどなくしてエンジン音が止まり、静かにドアが閉められたようだ。


「思ったより早かったな」

「オレ眠いー……」

「仕方ないでしょ。基本はお兄ちゃんと時間が逆転してるんだから」


 昼に寝て、夜に仕事に出かけてしまう藍とじっくり話しをするには、多少の睡眠を犠牲にする必要があった。それ自体を兄にたしなめられるだろうが、正体不明の何かが身近にいるかもしれない不快さよりは数倍マシだろう、と藍の帰りを待つことにしたのである。


「明かりがついてると思ったら……まだ起きてたの?」


 リビングで口々に「おかえり」と言う弟妹たちに「ただいま」を返して、藍は小さく首を傾げた。長い前髪の奥から、藍色の目が「どうかした?」と問いかけている。


「兄貴に聞きたいことがあってさ」

「そう……なんだろう? 僕が知ってることならいいんだけど」

「知ってるはず。黒目だけのガキのこと」


 驚いても滅多に顔に出ない藍が、目をみはった。


「…………急にどうして?」

「たまたまさ、紫苑も蒼汰も変なもの見たって話になって。話してたら、同じヤツじゃねぇかって」


 燈李が目配せすると、紫苑と蒼汰はこくりと頷く。


「うーん……こんなにすぐに気付かれるとは、ちょっと予想外」


 弟妹たちに見つめられ、藍は微かに息を吐いた。




 ソファに座り俯いたまま「何て言ったらいいかな」と呟いた藍は、やがてゆっくりと顔をあげて言った。


「あれはね、願いを叶えるもの、だよ」

「願いを叶える?」

「そう」


 願い事と言われて脳裏に浮かぶのはいくつかあるが、お賽銭を入れて柏手を打つあの場所は、わりとスタンダードだろう。蒼汰は中空をみやり、朱色の鳥居と緋袴の巫女をイメージした。


「……カミサマ的な?」

「うーん……そんなんじゃない、と思うけど。僕も神様には会ったことがないから、そのあたりはなんとも」

「漠然としててよくわかんねぇな。オレん時のあれは?」


 眠気もあるのだろう。苛立ちを隠すことなく、燈李は藍を問い詰めた。願いを叶える、なんて言われても、全くピンとくるものがない。なにせ、死にかけたのだから。


「あの時は、沼の底に沈んでいた子がいたでしょう? あの子の家族が願ったんだと思う。『うちの子を返して』って」

「あぁ、見つかった白骨の……」

「そう。でもその願いを叶えるには、あの子を離したがらなかった水草の願いも叶える必要があった」

「水草の願いって……」

「あの子の代わりを欲しがったんだと思う。僕は植物と会話出来ないから、想像だけどね」

「じゃあ、その水草のオトモダチに抜擢されたのが、オレってこと?」

「そう」

「マジかよ……」


 自身の足首に絡まり、プールを通して沼に引きずり込もうとした巨大な水草の感触は忘れられない。もしあの時、藍が助けに来てくれなければ、確実に沼底で事切れていただろう。思い出して、燈李の肌が粟立った。


 押し黙った燈李に代わり、質問の二番手は蒼汰だった。


「そしたらオレが見た時のあれは、誰かがわたるのケガ……もしかしたら死ぬのを願ったから、航に照明を落としたってこと?」

「そうだね」

「でもさ、航は怪我なんてしたくなかったと思うんだけど」

「たしかに、航君以外の人の願いを叶えるために、彼がとばっちりを受けた可能性はあるね。燈李みたいに。ただ、願いをどう受け止めるかが、あれの困ったところなんだよ」

「どゆこと?」


 蒼汰はきょとんと目を丸くした。子犬が目の前のオヤツを手品で消されたかのように、首を傾げ正解を探している。


「例えば、航くんが『絶対に失敗できない』と考えていたとする。そうすると、あれらは失敗するように動くんだ」

「なにそれ、逆じゃん! 願い叶えてないじゃん!」


 きゃんきゃんと不満を伝える弟に、藍は困ったような笑みを浮かべた。


「失敗を強く意識したために、願いは『失敗』だと判断する。そういうものなんだよ」

「えー……?」


 納得いかない、と首を捻る蒼汰に代わって、紫苑が口を開いた。


「ならこの間の軽トラは?」

「……あの人が過去にひき逃げで捕まってたっていうのは知ってる?」

「うん……律に聞いた」


 藍とて、幼い頃の事件である。男と面識があるわけでなし、事件のことを知った時期は紫苑とそう変わらないかもしれない。それを裏付けるように「これは想像だけど」と前置いて藍が続ける。


「おそらく、彼の願いは『忘れてほしい』だったんじゃないかな」

「過去の事件を?」

「うん。あの時頭を強く打って搬送されたらしいから、脳の……記憶に関わる部分に何か障害が残るかもしれない」

「それも、周りが忘れるんじゃなくて、本人が忘れる方に叶えられるんだ……。そしたらあの子の……、紅白帽の子の願いは?」

「……運動会に出たい。たぶん、それだけだよ」

「そっか……」


 本当の願いを知る由もない。しかし、紅白帽の少年の願いは復讐ではない、と言われたようで、紫苑は少しだけ救われたような気がしたのだった。


「じゃあじゃあ、オレと燈李兄に見えて、姉ちゃんに見えないのはなんで? いつもなら逆じゃん?」


 三人がそれぞれに答えをもらい一段落すると、蒼汰が思い出したように問いを重ねた。眠気はすっかり失せたらしく、昼の太陽のように目が爛々としている。しかし――


「それは……ごめん、僕もよくわからない」

「へ?」

「どちらかと言えば陰寄りなのは間違いないんだけどね。あれは色々と規格外なんだよ。願いの叶え方だって、ちょっと変わってるでしょ?」

「ちょっとっていうか、だいぶ……?」

「ね。だから、あまり関わって欲しくないんだ。思いがけない事態にならないように。そもそも姿が見えたところで、会話ができるような相手じゃないしね」


 藍の回答が肩透かしのようで、ぽかんとする蒼汰の後ろで、双子も顔を見合わせた。


「オレも燈李兄も姉ちゃんも、関わろうとした訳じゃないよ?」

「もし気付いたらでいいよ。なるべく関わらないでくれると、嬉しい。どうかな?」

「ん、わかった」

「OK。あいつが何もしてこなきゃ、こっちから関わるつもりはねぇ」

「私も」


 素直に頷く弟妹たちに安心したのか、藍はぽすりとソファに背を預けた。


「ありがとう。聞きたいことはこれで全部?」

「あ、あとひとついいか?」

「うん?」

「あの黒目のガキの、名前……呼び方? ってあんの?」

「…………影。僕は、影って呼んでるよ」


 僅かな沈黙の後、天井を見上げながらそう言った藍の声は、どこか疲れたような吐息混じりだった。



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