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13.紫と紅白帽

「賑やか……」


 バス停の向かい側にある小学校の校庭では、運動着の児童たちが走り回っていた。


「この曲が流れたら! 三番ゲートの前に集合して! 走る順に整列してください!」


 若い女性教師がメガホンに向かって叫んでいる。校庭には一から四の数字の書かれた立て札があったから、そのうちの三を指しているのだろう。指示された子供たちが、磁石に吸い寄せられる砂鉄のように三番の立て札周りに動き出した。


「なんであんなに元気なんだろう」


 紫苑は、運動会なんて出たくない、と思うような子供だったから、楽しそうな子供たちに共感は全く出来ないのだけれど。燈李も蒼汰も、そういえば張り切る方だったなぁ、と、ぼんやりと考えていた。


「うるせーな……」


 ぼそりと呟いたのは、通行人の男性だった。四十代位だろうか。よれよれのジャージにTシャツ、裸足に使い込まれたサンダル。ボサボサ頭の後ろ姿から察するに、きっと無精髭も生やしているに違いない。おそらく近所の住人なのだろう。わざとらしく自身の指で耳をふさぎながら、校庭から顔を背けるようにして歩いていった。


 そんな苦々しげに言わなくたって。


 たしかに、響き渡る音はきっと空野家にも届いているに違いないし、兄の安眠が妨害されていないかが気がかりであるけれど。

 運動会か子供か、もしくはその両方に何か良くない思い出でもあるのだろう、と思うことにする。


 乗りたいバスは少し遅れているようで、まだ来そうにない。


「これならもうちょっとお兄ちゃんと話せたのに」


 平日の午前は、特別なことでもなければ家にいることの無い時間だった。日が昇ってから帰ってくる兄と「おやすみ」と言葉を交わすことも、平日にはあまりない。しかし、この春から紫苑は大学生になった。もちろん学業優先、サボりなどするつもりは無いけれど。講義の具合によっては兄に「おかえり」と「おやすみ」を伝えてから家を出ることが出来る。今日がまさにその日だった。




「おかえり、お兄ちゃん」

「ただいま、紫苑。そうか、今日は水曜日だったね」


 仕事から帰ってきた兄・藍をリビングで出迎えると、藍は軽く目を瞬いてから頷いた。


「うん、一コマ目は空きだから。ご飯食べる? 私作ろうか?」

「ありがとう、じゃあトースト一枚焼いてもらえるかな」

「わかった。塗るのはバターでいい?」

「うん。少なめで」

「はーい」


 仕事帰りで疲れていても、兄はいつもと変わらず穏やかだった。甘いものは苦手で、なんなら味の濃いものも好まないし、お酒はたぶん強いけど、家で飲んでるところは滅多に見ない。そんな兄は紫苑には甘く、少々過保護だった。


 焦げ気味のトーストに、ちょっとお高いバターを少々塗って藍の前に置く。藍は読んでいた新聞をテーブルの端に寄せ、「いただきます」と手を合わせた。

 食事をする兄の向かい側に座り、紫苑はこの頃気になっていた話題を持ちかけた。


「お兄ちゃんのお店の近くに、夜しか開いてないパフェのお店ができたって」

「ああ、できてたね。開店から並んでるみたいだよ」

「開店から」

「たしか……六時頃、だったかな」

「六時」

「…………紫苑、あの辺は一人で歩いちゃダメだよ」


 紫苑の言いたいことなど、兄にはお見通しだった。苦笑しつつもしっかりと釘を指してくる。甘さと過保護では、過保護が優勢らしい。


「六時は遅くないと思う」

「時間っていうより、場所の問題」

「……燈李は行くのに?」

「燈李はあれで意外と強いからね。多少絡まれても自分でなんとかできるけど、紫苑は出来ないでしょ?」

「ズルい。私だってパフェ食べたい」


 思わず小さな子供のように頬を膨らませてしまう。双子の燈李にはまだしも、弟の蒼汰の前では絶対に見せない顔だ。藍は、紫苑がこの世で唯一甘えられる、と思っている相手なのである。


「別に燈李も食べてないと思うけど、そうだなぁ……。今日学校終わるのは何時? 駅前で待ち合わせしようか」

「もしかして、お兄ちゃん付き合ってくれるの?」

「うん。うちは開店から来るお客さんもほとんどいないし、紫苑を送ってからでも大丈夫。たまにはね」


 前言撤回。甘さと過保護はどちらも同等で、しかも際限がないようだ。


「帰りは一人でも大丈夫、だよ?」

「久しぶりに紫苑と歩くんだから、送るくらいさせてよ」

「わかった、ありがと。そしたら駅前に五時半、でもいい?」

「いいよ。着いたら連絡くれるかな」

「うん! お兄ちゃんと出かけるなんて久しぶり。……楽しみ」


 椅子から立ち上がった藍が、紫苑の頭をぽんぽんと撫でる。大学生になっても子供扱いだけれど、兄にされる分には嫌ではなかった。


「さ、まずは学校。時間は大丈夫?」

「あ、そろそろ出ないとバス来ちゃう」

「じゃあ気をつけて、行ってらっしゃい」

「行ってきます。おやすみなさいお兄ちゃん」


 ひらひら手を振る兄に大事な一言を伝え、トートバッグを肩に紫苑は家を後にした。




 楽しみが待っていると思うと、一日は無駄に長い気がする。まだかまだかと時計を見ても、大して進んでいないのだ。それでも時計はマイペースに針を進め、約束の時間は時間通りに訪れた。


 夜パフェ専門店は、紫苑と藍が到着した時には既に六組程の客が店前に並んでいた。狭い店内に数席のイートインスペースがあるようだけれど、当然のごとく満席だった。それならば、と二人はバーtsukuyomiへ向かった。


「本当は二十歳未満の子は入れられないんだけど」


 唇の前に人差し指をたて、「内緒ね」と藍が微笑む。ドアに営業時間を遅らせる旨の札をかけ、店内に。兄の職場……というか、父の店なのだが、初めて入った紫苑は、見慣れない店内のあちこちに兄の気配を感じて、家のキッチンにいるかのような気分になった。他に客がいないから、だろうけれど。母の土産の人形が、グラスの並べられたケースのすぐ脇という、意外と目立つ位置にぶら下げられているのを見たからかもしれない。


 ゆっくりしっかり、季節限定のメロン果肉ゴロゴロのパフェを堪能して再び外に出ると、あたりはだいぶ日が落ちていた。


「気に入ったのならまた行こう。今度は燈李と蒼汰も誘おうね」


 結局藍は、紫苑の差し出した一口分しか食べなかったけれど。季節限定品が変わる頃にまた行きたい、と、約束したのだった。


 家の近くまで帰って来る頃には、街灯も家々の明かりもついて、夜の色になっていた。空には星も月も見えないけれど、一箇所だけぼんやりと明るい雲があるから、その向こうに月が隠れているのだろう。

 紫苑が夜空の雲を見上げていると、グイッと腕を引かれた。引いたのは隣にいる藍である。


「えっ?」

「ごめんね、そこに用があるみたい」

「あ……」


 小学校低学年くらいの男の子がふわりと現れて、先程まで紫苑が立っていた所に座り込んだ。この辺りでは見かけない運動着に、紅白帽を被っている。下校時間など、とうに過ぎているだろうに。


 少年は嬉しそうに、地面に埋め込まれた赤い測量鋲を触っていた。ボタンを押すように何度か触れた後は、きょろきょろと周囲を見回すと、道路の反対側に次の目当ての測量鋲をみつけたらしい。立ち上がり、姿が消え、次の瞬間には向こうの測量鋲に触れている。


 声をかけようとする紫苑を、藍の腕が軽く制した。藍を見返すと、無言で首を横に振っている。


「たぶん、おまじないじゃないかな」

「おまじない?」

「天気占いみたいな、ね。赤いのを踏むと晴れるとか、そんなのだったと思うよ」


 昔あったんだ、と藍が言った。


「天気……そうか、運動会……」


 きっと運動会を楽しみにしていたのだろう。体を失ってもなお、青空を望むほどに。あるいは、そうして夢中になっている時に何かがあったのかもしれない。


「帰ろうか、紫苑」

「うん……」


 ふわりふわりと現れては消える男の子の背を見送って、紫苑は家路に着いたのだった。



 早朝の花火の音で目が覚めた。今日は土曜。小学校の運動会があるらしい。


「…………晴れてる」


 脳裏に浮かんだのは、赤い測量鋲に触れていた男の子だった。




 なんとなく、気になっただけ。


 特に用もないのにコンビニにむかうと、小学校の校庭からBGMと喧騒が響いてくる。コンビニは裏門側にあるので、ぐるりと正門側に回ってみた。


「あの子だ」


 先日見た紅白帽をかぶった少年が、整列する子供たちに紛れていた。一人だけ運動着が違うから、すぐに見つけられた。ぴょんぴょんと飛び跳ね、駆け出していく前方の子供たちを応援でもしているようだ。


 紫苑からほっと息がこぼれる。知らず知らず口元が緩み、微笑みが浮かんだ。どうやら自分はあの子を気にしていたらしい。

 ただの通りすがりの同情で、縁もゆかりも無い少年ではあるけれど。

 楽しみにしていた運動会に参加出来たのなら、よかった。


「何かおやつでも買って帰ろうかな」


 そう呟いて、くるりと踵を返すと――


 あちこちに錆の浮いた、白い軽トラックがいた。

 運転席にいるのは、よれよれのTシャツを着た男だった。ボサボサの髪とよれよれのTシャツ、ついでに無精髭。どこか虚ろげな顔に見覚えはないけれど、風体にはピンとくるものがあった。


「あの時の……?」


 ブオン。


 紫苑のつぶやきに返事をするように何度か空ぶかししたあと、軽トラックはのろのろと動き出す。進行方向にあるのは、運動会真っ最中の小学校の正門だった。

 普段はしっかり閉じられている柵が、半分ほど開いている。


「まさか……」


 その時、紫苑は見た。

 軽トラックの荷台にいる、何かを。


 それは、黒い霧に包まれた人のようだった。

 背丈は紅白帽の少年と同じくらいだろう。軽トラックの荷台から身を乗り出して、運転席に顔を寄せている。


「ダメ……っ!」


 紫苑の叫びに気付いたのか、影がこちらを振り返ったように見えた。

 そして――――。


 軽トラックは柵の間を通り抜けようとして幅が足りず、挟まれて止まっていた。運転していた男が降りてくる様子は無い。

 辺りに響いた衝突音と、クラクションと、悲鳴と。

 集まってきた野次馬らで騒然とする中、紫苑は一歩も動けずにいた。黒い霧のような人影は、軽トラックの周りにはもう見えない。


 紅白帽の少年が、ひしゃげた軽トラックに向かって、楽しそうに手を叩いて飛び跳ねている。まるでイタズラが成功したかのような、無邪気な悪意をさらけ出して。


「なん……で……?」


 足が地面に吸い付いたように動かなかった。

 紅白帽の少年の姿が徐々に薄くなり消えていくのを、紫苑は呆然と見つめていた。




『それで、紫苑はケガとかしてないんだよねぇ?』

「うん」

『ならよかったぁ。ママが言ってたんだけど、軽トラで突っ込んだ人って、昔子供を轢いてるらしいよ~』

「そうなの?」

『うん。飛び出した男の子? を轢いて、死なせちゃったみたい。ママに聞いて検索してみたら、出てきたもん』

「知らなかった……。近所なのに」

『あたし達が生まれるかどうか、くらい昔の話みたいだよ~。その亡くなった子のタタリ? だったりして~』


 軽トラックが小学校の門に突っ込んだ、というニュースはその日の昼には速報が流れ、夜には地域のニュースに取り上げられた。パトカーや救急車のあとに、報道陣が周辺を取材撮影し、夜まで非日常の喧騒が落ち着くことはなかった。その間に、こぼれた情報から過去の事件が特定されたのだろう。


 家の近所であることを気にして連絡してきた友人・律との通話を終えると、紫苑からため息が漏れた。


 祟り。

 あの紅白帽の男の子が被害者だったとして。

 軽トラックで突っ込んだ男が加害者だったとして。


 なぜ今?

 どうして小学校に?

 あの黒い霧に包まれた人影はなに?

 詰まった排水溝が逆流するように、気持ちの悪い疑問がごぽりごぽりと、溢れ出てくる。


 黒い霧の向こうで、感情の読めない黒い瞳が紫苑を見つめていたような気がして、背筋を這う悪寒がなかなか止まなかった。


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