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12.燈とプール

 桜と共に春まで散ってしまったかのような、暑い日だった。夏どころか梅雨だってまだ先のはずなのに。


 ホームセンターからの帰り道、コンビニで買ったアイスコーヒーはあっという間に飲みきってしまった。うっすらコーヒー風味の水を吸い上げながら、燈李は家のポストに詰め込まれたチラシの束をつかみ出した。


「要らねぇ……要らねぇ……ったく、ゴミばっかじゃねーか……」


 半年前近所にオープンしたフィットネスジムは、いつでも特別価格の会員を募集しているし、個別指導を売りにしている学習塾は、もう夏期講習の受付を始めている。閉店したスーパー跡地にできたマンションの入居者募集に、配達サービスのクーポン券、乳酸菌飲料の新商品案内。一枚一枚内容を確認していくと、ごく普通のコピー用紙に家庭用プリンターで印刷したようなチラシが一枚紛れていた。


「これは……」


 チラシには、小学校低学年くらいの少年の写真がプリントされている。写真上部に書かれているのは、【探しています】の文字。それは、十年ほど前に行方不明になった少年を探すものだった。


「…………」


 確か一学年下だったはずだ。

 同じ学校ではなかったけれど、ごく近い小学校の児童だった。

 当時のことは詳しく思い出せないが、頻繁にパトカーが通っていたことや、自分の通う小学校でも集団下校になったことくらいは覚えている。


 チラシの束の一番上に画質の荒い少年を重ねて、燈李はストローを吸った。ズズっと空気が上がってきただけで、コーヒーはもうすっかり無くなっていた。




「あれって神隠しって噂されてたよね」

「あ?」

「あのチラシの子。ちょっと覚えてる」

「そんなだったっけ? プールでいなくなった、とかじゃなかったか?」

「それが神隠しだって、誰かが言ってた気がするんだけど」

「覚えてねぇな……」


 リビングのテーブルに放置したチラシを見たのだろう。庭で菜園作りに勤しむ燈李に、紫苑が声をかけた。日陰で棒アイスを食べている。色からするとソーダ味だろう。


「何植えてるの?」

「ミニトマトとサンチュと何とかベリー……あー、ボイセンベリーだ」


 燈李は苗のカップに刺さっていた品種札を紫苑に放り投げた。うまい具合に足元まで飛んだ札を、紫苑がしぶしぶ指でつまみ上げる。


「食べ物ばっか」

「この前ほうれん草も植えたな。兄貴のリクエストで」 

「お兄ちゃんがリクエストって珍しいね」

「お前の貧血対策だと。ちなみにそのボイセンベリーも貧血対策な。生ったら食えよ」

「ふーん……」

「流すな、食え。あとサンチュはオレの焼肉用で、トマトは昔学校で育てたことあったから何となく、だな」


「何か花も植えようよ。可愛いの」

「……あいつらは騒がしいからめんどくせぇ。自分を貴族か何かだと思ってる節がある。海藻とか水草よりは理解できるだけマシだけど」


「向日葵は? 元気になるじゃん」

「聞けよ……。お前が育てりゃいいじゃねえか。場所なら空いてるぞ」

「私が育てられると思う?」

「こいつら強いからなー。雑でもいける。ただハーブやんならプランターにしろな」

「やらないよ」

「あっそ。あ、オレにもアイスくれ」

「これがラスイチ」

「なんだよ、くそ。あとで買ってくるかな」

「私の分もよろしく」

「お前はよ……」


 どこまでもマイペースな片割れに呆れつつ、燈李は畑の準備を続ける。額から汗が流れ落ち、そういえば今日は季節外れの暑さになる、と天気予報で言っていたな、と思い出した。

 アイス片手に畑作業を眺めていた紫苑は、いつの間にかリビングで本を読んでいた。




 日が落ちると、さすがに暑さも収まった。仕事に出かける兄を見送って、きょうだい三人が思い思いにくつろいでいる。庭の畑に植えられたばかりの苗たちは、水をたっぷり与えられ満腹の眠りについているようだ。


「燈李、アイスは?」

「涼しくなったし、もう別にいいかな」

「暑くなってから買いに行ったら溶けるじゃない」

「……買いに行ってこいってことか?」


 紫苑の言いたいことを察して、燈李はじろりと睨んだ。二卵生なのに顔の作りがそっくりだが、表情筋は自分の方が鍛えられているに違いない。睨まれても涼しい顔で「ストロベリーがいい」などと抜かす片割れに、悪びれた様子は一切ない。


「じゃあオレはガリガリ君ソーダ味で! とってあったのに無くなってたんだよね」

「それは昼間に紫苑が食ってた」

「ずっとあったから、要らないのかと思って」

「……ってことで、ガリガリ君おなしゃす」

「………………くそ」


 最寄りのコンビニまでは徒歩五分。母校とは別の小学校のすぐ側だが、住宅が並ぶ辺りで夜の人通りはとても少ない。街灯も少ない。蒼汰ならまだしも、紫苑に夜歩きさせるのは気が引ける。いくら今日は満月で月光が明るいとしても、だ。かといって「みんなで行くか」とはならない年頃である。


 燈李はわざとらしい大きなため息をついて、スマホ片手に玄関へと向かった。靴箱の上に、母からもらった石が置いてある。自分を使い走りにしようとする二人には何となく言いたくなくて、代わりにその石に「行ってきます」と呟いた。




「兄貴の分はなんにするかな。あんま食わねぇし、割るやつでいいか……」


 余ったところで紫苑の胃に処分されるだろうし、無駄にはなるまい。一人呟きながら夜道を歩く。不満が歩調にあらわれて、歩く様子はのったらしているが、あっという間にコンビニの明かりが見えてきた。歩いているのはコンビニの裏手に出る道で、その道を挟んだ反対側には小学校の裏門がある。道路沿いにはプールがあった。いつの頃からか覗き防止のための高い壁で囲われたので、プールの様子は全く見えないが、さすがにまだ水は張っていないだろう。


「今日くらい暑かったらプールも気持ちよかったかね」


 近所のジムにプールあったな、なんて考えながら学校側に背を向けた時。

 燈李の足首にヒヤリと何かが巻きついた。


「なん……」


 途端にせり上る怖気。

 巻きついたのが何かを認識するよりも早く、燈李の全身が危機から体を守るように強ばる。


 燈李の足首を掴んだのは、ロープのように伸びた草だった。水槽の中で見るような水草が、プールを囲う壁の隙間から伸びている。


「おい、離せって!」


 燈李の言葉を聞き入れる気はないらしい。無言でプール側に引っ張ろうとする力は強く、抵抗を試みてもあっという間に引きずられてしまった。


「くそっ!!」


 プールの周りには壁があるのだ。水草ならば隙間から抜けることも可能だろうが、燈李の身体はそうはいかない。


 壁にぶつかって止まったら、引きちぎってやる。


 壁を見ると、燈李を引き摺るものの他にも、まるで手招きするかのように何本もの水草が這い出ていた。


「どんだけいるんだよ……」


 辟易する燈李の目の前に、壁が迫る――。




 壁との接触に備えて体を緊張させたが、思っていたような衝撃は襲ってこなかった。それどころか。


「っ!?」


 燈李は冷たい水の中にいた。

 少なくとも学校のプールではありえない深さだった。3メートルほど頭上にある水面の向こう側に、ぼんやりとした光が見えている。あれは満月だろうか。


 体の周りをさわさわと沢山の水草が踊っている。

 燈李の身長と変わらないか、それ以上の丈の水草だった。


(なんだ……沼? どこだ、ここ?)


 燈李に絡み付く水草は、水底へと燈李を連れて行こうとしている。


(どうにかして外さねえと……)


 焦るな。落ち着け。

 自身にそう言い聞かせてみても、枷は外れず水面がじわじわと遠ざかる。


(息が……)


 ごぽっと空気の泡が漏れ出ていく。口の中にぬるりとした水が入り込み、さらに燈李の息を奪う。


 朦朧としてきた視界に、暗い水底にあってなお白い何かが映った。今の燈李と同じように、水草に全身を絡め取られた、白骨だった。

 燈李よりも小さいそれを見て、ああ、ここにいたのか、と思う。


『あれって神隠しって噂されてたよね』


 神が何かはわからないが、今の燈李と同じように水草に引きずり込まれたのだろう。それはつまり、彼は燈李の遠くない未来の姿ということだ。


(アイス買いに出て死ぬとか……)


 白骨はもう用済みなのか、水草たちが白骨を解放していく。吐き出されるように沈んでいく白骨の後ろに、人影があった。白骨と同じような大きさのそれは、確かに人の形をしていたけれど、どう見ても生きた人間では無いだろう。


 人影が燈李を見た、と思った。

 子供の姿をしたそれは、骨を抱え、虚ろに燈李を見つめている。その眼球は黒一色で、闇がはめ込まれているようだった。


 白骨は人の形を保ったまま、子供に手を引かれるようにして水面へと上がっていく。

 絡みつく水草たちが嬉しそうに歌うのを聞きながら、燈李の意識は薄れ、消えていった。




 苦しい。苦しい。空気を――。


 体内を犯した水は生臭く、出ていく時はさらに饐えたような臭いを置いていった。代わりに肺を満たした空気は、少しづつ命を取り戻してくれる。

 満月を背にしたずぶ濡れの兄の、深い藍色の目が辛そうに細められている。


「あ……に、き?」


 激しくむせこんだおかげで、声が上手く出てこない。それでも兄には聞こえたらしい。濡れて顔に張り付いた髪を指でよけてくれた。


「すぐに救急車が来るから、このまま、ね」

「なんで……兄貴が、ここに?」

「あぁ、これがね、教えてくれたみたい」


 そう言って兄がつまみ上げたのは、母の土産の呪いの人形だった。全く意味がわからない。


「開店準備してたら、鳴いたんだ」

「……嘘だろ?」

「こんなことで嘘なんて言わないよ。今日が満月でよかった……」


 異変を感じてすぐに家に戻ったのだという。紫苑と蒼汰がキョトンと迎え入れ、燈李が出かけたと聞いた。そこで燈李の気配を追って跳んだら、まさかの水中だったらしい。


 辺りをみると、見覚えのある場所だった。

 家から数キロの場所にある大きな沼である。沼を囲むように遊歩道が整備され、小さな公園もあり、冬には白鳥が飛来する。


「あの子を想う家族の気持ちと、代わりが欲しい水草の相互一致ってとこかな。ほんと、無節操だよね……」


 そう呟いた藍の視線の先には、白骨が横たわっていた。


「兄貴……?」


 満月の明かりに照らされた兄は、怒っているようにも悲しんでいるようにも見えて、燈李はそれ以上何も言えなかった。


 サイレンの音が、近づいてくる――


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