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11.蒼に影

 土曜日の市営体育館には、ジャージに身を包んだ学生らしき若者が集まっていた。ジャージは二種類で片方は黒地にオレンジ色のライン、もう片方は青地に白のラインが入っている。どちらの背にも所属を表す文字がこれでもかと主張していた。英字だったり漢字だったりするそれは、つまりはバスケ部である、という主張である。


 高い天井に規則的にぶら下がる照明は、だいぶ古めかしい。どこかレトロな空間は、それはそれで人気があったのだけれど、世の中実用である。LED照明に変更するべきという議論が交わされているらしい。情緒よりも電気代やら照明効率やらの数値と、老朽化による安全性への不安に後押しされて、それは遠からず実現するだろう。


「おーい、わたるー! 応援に来てやったぞー!!」


 蒼汰が二階観客席から一階フロアに向かって声を上げた。するとウォーミングアップ中だった青ジャージの一人が振り返り、近付いてくる。観客席には蒼汰の他にも、同年代の者たちが多くいたけれど、その中の複数の女性達から黄色い声が上がった。彼女達の視線は航へと注がれているし、中には「航くん!」と呼びかける者もいるが、航自身はそちらに軽く手を振っただけだった。


 手すりから身を乗り出す蒼汰の足下まで来て、航が言った。


「蒼汰、来てくれたんか。さんきゅな」

「おー。にしても航、めっちゃ緊張してんじゃん。顔怖いって」

「マジで?」


 驚いたように頬をむにむにと指で揉むけれど、どこか強ばった顔に浮かんだ緊張の色はなかなか消えなかった。数度揉んで諦めたのか、ぺちんと頬を叩き「ところで」と航が話題を変える。


「蒼汰一人?」

「うん? 見てのとおりオレ一人だよ。なんで?」

「紫苑さんが応援来てくれてないかなって」

「姉ちゃんは今日猫に会いにいくって言ってたわ。それにお前、姉ちゃん来たら今よりもっと緊張するじゃん」

「緊張するけど……頑張れそうじゃん」

「あのなぁ……。あんなにファンがいっぱい応援来てんだから、姉ちゃん来てなくても頑張れって」

「それはありがたいんだけど……ちょっと意味が違うって言うか」

「オレも応援来てやってんだぞ?」

「蒼汰じゃ紫苑さんの足元にも及ばねーわ」

「なんだよくそー。せっかく来てやったのに。帰ろっかなー」

「悪い悪い、冗談。サンキュー蒼汰、愛してるって」

「愛はいらないから勝利をくれ」

「はは、まかせろ」


 航は蒼汰の幼馴染で、保育園から小中高とずっと同じ腐れ縁だ。自然と家族間の交流も少なからずあった。蒼汰と航が中学二年後半の頃、二人とも急にタケノコよろしく背を伸ばしたものだから、燈李が微妙な顔をしていたものだ。紫苑が「男の子ってズルい」とボヤく成長ぶりだった。


「うちも来週ここで練習試合なんだよね。だから下見も兼ねてんだ」

「あ、バレー部の試合来週だっけ? んじゃそん時はオレが応援してやっから、紫苑さんも呼んでくれな」

「だーかーらー、オレをダシに姉ちゃんに会おうとすんなって」

「何言ってんだ、お前の最大の価値じゃんか」

「…………よしわかった。燈李兄に言っとくわ」

「すまん、燈李さんは怖いからやめてくれ」

「姉ちゃんより燈李兄のが優しんだぞ」

「でも紫苑さんが絡むとこえーじゃん」

「あー……そうかも」


 雑談でいくらか緊張がほぐれたのか、航の表情が幾分和らいだ頃にチームメイトに呼ばれ、「んじゃな」とコートに戻っていく。航のファンと思しき女子達の視線を感じながら、蒼汰は観客席のベンチに腰掛けた。


「なんか……、今日ちょっと寒い?」


 袖を捲ったシャツから覗く腕に、軽く鳥肌が浮いている。今の時期って着るものに悩むよなー、なんて思いながら、蒼汰は腕をさすった。自身の高めの体温で腕はすぐに温まったけれど、そわそわと背筋をくすぐるような寒気は、一向に引かなかった。


 靴底が床を掴む甲高い音が、体育館中に響いている。人の頭程もある大きさのボールが手と床の間を往復し、天高く放られ、ネットをくぐる。そんな練習風景を眺めているだけなのに、試合直前の独特な空気によるものか、蒼汰の緊張感まで押し上げていた。


 なぜ自分が緊張するのだ、と苦笑いを浮かべ肩の力を抜くと、近くにいる女子達の会話が聞こえてくる。


「最近航くんのアンチって落ち着いた? あんまりみかけなくなった気がするんだけど」

「そうかも。飽きたんじゃない? ただの僻みだもんね、あんなの」


 アンチ? と蒼汰は首を傾げた。つまりは航を嫌ったり否定したりする者がいる、ということだろうか。深く考えるよりも先に、足が動いていた。


「ねー、航にアンチなんていんの?」

「え……あ、さっき航くんと話してた……」

「オレ航の幼馴染でさ、蒼汰っての。ごめんね、急に話に割り込んで」

「別にいいけど」


 その場にいたのは自分と同い年くらいの女子二人組だった。それなりに目立つ風体なのに学校で見かけたことはないから、おそらく他校生なのだろう。二人は蒼汰を見上げ目配せしあう。


「で、航にアンチなんているの? マジで?」


 蒼汰は少し間を空けて、彼女達の並びに腰掛けた。


「いるんだよ、航くんが一年の頃から試合に出てるのが気に入らないらしくて、何かっていうとSNSで誹謗中傷するの。毎回違う捨て垢でフォロワーほとんどいないから、炎上とかはないんだけど、絶対同じヤツだと思う」


 答えたのは二人のうち活発そうな方で、真帆まほと名乗った。肩につくくらいの髪は明るい茶色で、毛先が外側に跳ねている。


 彼女達の言う航のアンチだなんて蒼汰には全くの初耳だったし、そんなアカウントに彼女達がどうして気付いたのかが謎である。しかし、蒼汰には想像できないファン心理やら女心があるのだろうと、触れずにおくことにした。代わりに、練習試合ですら緊張でガチガチに強ばっていた幼馴染をちらりと見る。試合前練習は終わったようで、同じユニフォームの面々がベンチで顧問らしき男の話に耳を傾けているところだ。


 顧問はコーチも兼任している男だった。興奮気味に檄を飛ばしているが、「気合いを入れろ!」「結果を出せ!」と、指示と言うには少々具体性にかける言葉をぶつけている。「特に遠藤! 女に騒がれてるからって調子に乗るな」なんて、航へのただの個人攻撃まで聞こえて、蒼汰は耳を疑った。教員ではないはずだが、だからといって指導者の言葉としてはどうなのだ。


「あたし達はあいつが怪しいと思ってるんだけどね」


 二人の少女が苦々しげな視線を顧問に向ける。ただの僻みじゃないか、と思うのだが、航や部員たちは慣れているのか聞き流しているようだった。


「へぇ……それ、航は知ってる?」

「うーん、どうだろ。あたしは教えてないけど、他の子が言ってるかもしれない。凪沙なぎさは言ってないよね?」


 問われたおとなしそうな方も「言ってない」と首を横に振る。赤いベールを纏わせたような背中まである黒髪が、首の動きに合わせてさらさらと揺れた。

「そっかー。あいつ意外と気にするから、君らは言わないでやって欲しいなー、なんて」

「言わないよ、そんなの。本人に言う意味ないし」

「助かる――」

「きゃっ……!?」


 航ファンの二人のうち片方――凪沙と呼ばれた少女が突然小さく悲鳴を上げた。驚いてそちらを見ると、凪沙は目を丸くして天井を見上げている。突然の連れの悲鳴に、真帆がびくっと肩を竦めた。


「え……な、何?」

「い、今一瞬照明が……消えたと思ったんだけど……」


 照明は何事も無かったかのように耿々としているが、辺りを見回すと、同じように天井を見上げる者が数名いる。当惑のざわめきが、あちらこちらで波紋のように拡がっていた。


「なんだったんだろ、停電かな……」

「別に何ともなってないよ、ねぇ?」

「うん……」


 不審がって眉根を寄せる真帆に同意を求められ、蒼汰は曖昧に頷いた。照明はずっと点いていたと自信を持って言い切れるけれど、急激に体育館内の温度が下がっている気がする。足の裏から冷気がせり上がり、頭頂まで一気に走り抜けた。肌が粟立ち、胃がきゅっと縮む。吹き出た手汗で指先まで冷たくなり、思わず強く拳を握りこんだ。急激に襲い来るこの感覚は「よくないもの」だと、なんとなくわかる。しかし、ならばどうしたら良いかというのが蒼汰にはさっぱりわからなかった。


 かつて兄・藍に言われたことがある。「蒼汰は陽が強いから、紫苑とは別の意味で少し心配かな」と。


 陽が強い、というのはよくわからなかったけれど、蒼汰の周りの人間はやたらと元気になるとか、蒼汰が近付くとユーレイの力が弱くなるとか、実感としてあるアレコレのことをそう言うのだろう、と思う。ただ問題は、蒼汰が意図してそれらを行えない、ということだった。


 全ては勝手にそうなるのである。紫苑にはコントロールを覚えろ、と何度となく言われているが、ほとんど出来たことはない。


「あんな真っ暗になったのに。二人ともちょうど瞬きでもしたんじゃない?」

「えー……?」


 消えたと言う凪沙と消えていないと言う真帆は、何時までも平行線だった。きっとこの場の誰も答えを持っていない問題である。だが藍や紫苑なら「消えた」と言うだろう。蒼汰にはそんな確信があった。「これ」は「そういうもの」だ、という確信が。


 蒼汰の緊張をよそに、真帆は「まぁいっか」と追求を止め、首からポシェットのように下げたスマートフォンを持ち上げた。


「ところで君さ、蒼汰くんだっけ? 航くんに私たちのこと紹介してよ。仲良いんでしょ?」


 それを聞いて、凪沙もはたと何かに気づいたようである。期待に目を輝かせた二対の目が、蒼汰をロックした。


「えーと……紹介って言われてもオレ、君らのこと何も知らないんだけど」

「あたしは真帆、こっちが凪沙。他に何かいる?」

「いや、えーっと……、あー……とりあえず試合終わってからってことでいい?」

「もちろんOK。連絡先交換しとこ?」

「う、うん……」


 少女二人の勢いにのまれ、蒼汰はなし崩しに連絡先を交換した。


「ごめん、オレ急用思い出したから行くよ」

「わかった。後で連絡するから、よろしくね!」


 強めのよろしくを苦笑いで受け止めて、蒼汰はスマートフォンを手に体育館の外へ向かった。




 スマートフォンを操作して、藍の連絡先を呼び出す。今なら家にいるはずだ。寝ているかもしれないけれど、そこを気遣う余裕が今の蒼汰からは欠け落ちていた。


 コールすること六回。コール音が途切れ、『蒼汰?』と少しかすれ気味の兄の声が聞こえた。


「藍兄! どうしよう、オレ……どうしたらいい!?」

『何かあった? 航君の応援に行ってたんじゃなかった?』

「そうなんだけど……よくわかんないんだけど、絶対なんかよくないヤツがいるんだ。オレ、何も視えないけど、すごくやな感じがして」

『蒼汰、落ち着いて。一回息を吐けるだけ吐いてごらん』

「う、うん……」


 電話の向こうから聞こえる兄の落ち着いた声が、蒼汰の焦りを僅かに溶かした。言われたとおりに長く長く、肺の中が空になるまで息を吐く。空気が抜けた後に、ほんの少し、欠け落ちた余裕が戻ってきたような心地がする。


「――うん、大丈夫」

『何があったの?』

「何も……何も起きてはないんだ。ただ――すごいゾワゾワする。なんて言ったらいいのかわかんないけど、手汗も鳥肌も止まんなくて」

『……蒼汰が?』

「うん」

『……わかった。急いでそっちに行くけど、そうだな……十五分はかかると思う』


 電話の向こうで、ドアが閉まる音がした。きっと自室を出てこちらに来る準備を始めているのだろう。ようやく蒼汰は、兄が寝ていただろうことに気がついた。


「オレに……何かできるかな?」

『周りの声をよく聞くんだ。人が多くいれば何人かはいん寄りのはずだから』

「聞いて、そのあとは?」

『よく見て』

「そんな……、オレには視えないのに?」

『視えないから見えることもあるよ。大丈夫。蒼汰なら』

「視えないものを見る……そんなの」

『僕としては、蒼汰がそこを離れてくれる方がいいんだけどね』

「そ、……れは無理。航がいるし、他にもたくさん人がいるし、置いてオレだけ逃げるとか」

『なら、やるしかない。急いで行くから、いったん切るよ』

「わかった。寝てたのにごめん」

『頼ってくれて嬉しいよ。じゃあ蒼汰、気をつけて』

「うん、藍兄も」


 音の途切れたスマートフォンをポケットにしまい、体育館へと踵を返す。「視えないものを見る……」と口の中で呟いて、目の奥に力を込めた。




 体育館では既に試合が始まっていた。始まって間もないようだが、両校数回ずつ得点を入れているようだ。航はスタメンで試合に臨んでいた。


 見る限り、何も起きていない。

 少なくとも、今は。


 しかし、蒼汰の肌を滑る不快な悪寒は少しも収まっていなかった。


 体育館の中に反響する選手の声、弾むボール、スキール音、高らかに鳴るホイッスル、軋むゴールリング、ベンチと観客席からの声援、どこかで鳴る着信音――


 いたる所で交わされているはずの会話は、バスケと人々の奏でる音によってマスクされ、淡い囁きのようにしか聞こえない。内容なんて全くと言っていいほど聞き取れなかった。それならば。

「よく見る……よく見る……。昼だし照明もついてるから明るいけど、照らしてみよう」


 蒼汰は夜目がきく。どの程度かと言えば、真夜中の明かりのない室内でも、苦もなく読書ができる程度に見えるくらいだ。これは物心ついた時から自分にとっての当たり前であったため、どうやら人と違うらしいと気付いたのは中学に上がってからだった。


 母に相談すると、「じゃあどっかに明かりがあるんじゃない?」と言われた。そんなバカな、と思って自分の周りを見ると、確かにそこに明かりがあったのである。


 昼には見えないそれは、ガス灯のようにぼんやりと蒼汰のまわりに浮かんでいた。

 明るくなれ、と強く思えば、明かりの数は増えていく。コントロールのほとんど出来ない蒼汰が、唯一自分の意思で切れるカードだった。


「よし。明るくなれ……明るくなれ……」


 蒼汰の視界の明度が緩やかに上がっていく。明るくても眩しくないのは不思議であるが、光の中に周囲のものが飲み込まれてしまうため、見えていたものまで見えなくなってしまう。


「……違ったかな」


 だが他に何も思いつかないのも事実だ。やれるだけやるしかない。蒼汰が腹を括った時。


「あれなに……? 天井で何か動いたんだけど」


 二階から聞こえたそれは、先刻会話した凪沙の声のようだった。


「天井……?」


 声につられて蒼汰が天井に目をやると――


 天井から下がっている古い照明の上に、影があった。


 影。何かしらの物質が光を遮った時に、光源の反対側に現れる像のことである。しかし天井にある影はそれ自体が独立して動いていた。曖昧な輪郭をよく見ると、しゃがみこんだ人の形のようにみえる。まるで子供が蟻の行列を凝視しているような。


 影の真下には、フリースローの準備をしている航がいる。

 あの影は何を光源にしているのか。

 蒼汰の視界は今も明るい。光に飲まれかけた景色の中で、あの影だけはくっきりと、全ての光を吸収するような、平べったい黒だった。


「航っ!!」


 コートに乱入した蒼汰が航を突き飛ばした直後、樹から落ちるリンゴのように照明が落下した。

 咄嗟に照明のあった天井を見上げると、真っ黒に塗り潰された影が、冷たく蒼汰を見下ろしているように見えた。




 照明が落ちた体育館で試合が続行できるはずもなく、応援に来ていた人達がまばらに帰っていく。


 ザワつく体育館の入口に、見慣れた黒ずくめの兄・藍の姿があった。藍は体育館内をぐるりと見回し、天井を見上げ、落ちた照明が元あった位置を見て眉をひそめている。感情があまり顔に出ない兄にしては、珍しい表情だった。


 帰りの車の中、蒼汰はひと通りの出来事を藍に話した。運転する藍はもう穏やかで、いつも通りの藍兄である。運転する時だけのメガネ姿が、なんだか新鮮だった。


「――ってことがあってさ。誰もケガせずに済んだんだけど」

「それは何より。体育館に着いたら人がぞろぞろ出てくるし、試合とは違う騒がしさだし、驚いたよ」

「……あの影、航を狙ってわざと落としたのかな?」

「どうだろう。アレは人とは別の道理で動くものだから、航くんを狙ったのか、ただのイタズラなのか、ちょっと判断つかない……かな」

「藍兄はあれが何か知ってるの?」

「ん? そうだね……少しだけね」


 そう言って、藍が困ったような微笑みを浮かべたから、それ以上蒼汰は聞くことが出来なかった。


不穏回のスタートです。

14話まで。

よろしくどうぞ。

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