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10.太陽と月と、

 空野家の庭には、立派な花壇と家庭菜園がある。どちらも四兄弟の母・陽子の趣味である。

 野菜を植えれば豊作、花を植えれば絢爛と、所謂グリーンハンドな陽子であったが、最近は夫・透と共に不在がちで、花壇と家庭菜園の世話は専ら燈李の担当になっていた。


「マジないわ……、なんで俺なんだよ。おふくろの畑じゃねーか」


 ぶつぶつと文句を言いながら、畑の土を作っていく燈李。植える予定の種はホウレンソウだ。

「何か植えるならほうれん草がいいかな。紫苑の貧血対策に」とは、兄・藍の言である。


 卒業式を明日に控えているのに、いったい何をやっているんだろう。春間近とはいえまだ冷たい空気が、ため息をついた燈李の額を撫でていく。


「飽きっぽいんだよ、まったく……」

「飽きたわけじゃないんだけどねー」

「放置してるんだから一緒…………は?」

「ただいま、燈李。いい子にしてた?」


 とめどなくまろび出る愚痴に返事をしたのは、満面の笑みを浮かべた母・陽子、その人であった。



 空野家のリビングに家族が勢揃いしたのは、いつ以来だったろうか。不仲では決してなく、どちらかと言えば仲の良い家族であるのだけれど。


 テーブルの上には、呪いの人形のようなキーホルダーや、なんの生き物か判然としない木彫りの置物、甘いのか辛いのかも想像し難いパッケージの食品に、その辺で拾っただけにしか見えない石、が置かれている。


「どこ行ってもいいけど、土産で嫌がらせはやめてくれ」

「嫌がらせじゃないよ! 一生懸命選んだんだから!」

「嫌がらせじゃないなら余計タチ悪いだろ! なんだよこれ、どうしろっての……」

「まぁまぁ燈李。陽子ちゃんは本当に悩んで選んだんだから、そんな風に言わないで」

「止めろよ、親父も!」

「陽子ちゃんがすることを僕が止めるわけないじゃないか」

「っハナシにならねぇ!」


 燈李は思わず頭を抱えた。ツッコミが少なすぎる。藍はにこにことコーヒーを淹れているし、紫苑は我関せずで文庫本を開いているし(ただしページは進んでいない)、蒼汰はテーブルの上に並べられた品々を手に取っては楽しそうにしている。


 父はいつも微笑んでいて、見た目は藍とそっくりである。父ではなく兄だと言っても疑われないかもしれない。黒髪に時折白いものは見え隠れするけれど、肌ツヤもよく若々しい。だが、陽子至上主義とでも言おうか、基本は母のすることを全肯定で、何を置いても陽子優先なのである。


 燈李も幼少時は「パパはママが大好き」だのと可愛らしい感想を抱いていたものだが、成長するにつれ多少疑問に思うようになった。もちろん個人の自由であるし、父に構われたい訳でもない。あくまでも同性としての感想である。ベタベタしすぎじゃねぇ? と。


 そんな父が――母の要望に従って家庭も仕事も放って旅行三昧の父が――子供相手の土産物ごときで、母を諌める可能性など、ゼロを通り越してむしろマイナスなのだ。燈李は自分のぬるい考えを、かぶりを振って追いやった。


 一人苦悩する燈李を見て、「燈李が元気で嬉しい」と陽子が頷いている。


「好きなのを選んでね。早い者勝ち」

「好きなのって……」

「じゃあオレはこれ。食い物っぽいし、味が気になる」

「お、やっぱり蒼汰は食べ物にいったね。そうだと思ってたんだー」

「私はこれにする。猫だと思えば可愛くなくもないし」

「でしょでしょ? 愛嬌あるよね、この子。お部屋に飾ってあげて」

「…………ってことは、石と呪いの人形の二択か」


 燈李の眉間に皺が寄る。残ったどちらを選んでも、選ばなくても、兄におかしなものを押し付けることになる。いや、押し付けているのは母なのだが。


「燈李、僕のことは気にしなくていいよ。僕のところに来たものは、父さんの店に置くから」

「え」

「よし。じゃあオレは石にしとく」

「うん、なら僕はこの人形だね。母さん、ありがとう」

「決まりね!」


 思いのほか早々と土産が行き渡り、陽子は満足気である。透は「あれを店にかぁ……」と呟いていたが、四兄弟の誰も、父へのコメントはなかった。繰り返しになるが、決して家族仲が悪い訳では無い。


「ところで二人とも、燈李と紫苑の卒業式だから戻って来たんだよね?」


 テーブルにそれぞれのコーヒーを置きながら、藍が言った。明日は双子が高校を卒業するハレの日である。ただし、問題が一つ。


「日程の件を連絡したのに返信がなかったから、どうするのかなって思ってたんだけど。その様子じゃ見てなさそうだね」

「どういうこと?」


 藍の問いかけに陽子は首を傾げ、双子は気まずそうに視線を泳がせた。困ったように微笑みを浮かべる藍の代わりに、蒼汰があっけらかんと答える。


「日程が丸かぶりなんだってさ。たしかどっちも明日の十時」

「えぇっ!? そんなの困る!」

「……困んなくていいって」

「うん、二人とも燈李の方に行ったらいいよ」

「は? 紫苑の方だろ」

「私はいい。何だったらお兄ちゃんが来てくれれば」

「僕? 行くのは構わないけど……」

「ずりぃ! それなら俺だって兄貴のがいいし」

「二人ともひどい! あたしだって二人の晴れ姿が見たいのに!」

「別々に行ったらいいんじゃないの? 母さんが姉ちゃんの方行って、父さんが燈李兄の方行くとかさ」

「だったら僕は紫苑の方がいいかな。紫苑の学校には行ったことないし」

「ダメ! 二人で行くの!」

「だから二人で紫苑の方行っていいって」

「ちょっと、燈李」

「あーあー、大騒ぎだ……、ぅわ、これあっま……」


 両親と兄姉達の喧騒をどこか他人事のように聞きながら、蒼汰はお土産のパッケージを開けた。出てきたのは一見なんの変哲もないクッキーだった。ぱくりと一つ口にすると、この世のありとあらゆる甘さを煮詰めて練りこんだような味がする。ねっとりと歯の裏と舌の上にこびり付いて、いつまでも口の中から凝縮された甘さが消えない。

 蒼汰は急いでコーヒーを口に含んだ。ミルクや砂糖を入れる前で良かった。ブラックコーヒーが口の中で砂糖たっぷりのコーヒーに変わる。


「藍兄がこれ食べたら倒れちゃうかもなー。くっそ甘い。ブラックコーヒー飲んで何とかって感じ」


 蒼汰はそう言いながら二個目のクッキーを口に運ぶ。「甘苦が意外とクセになるかも」と笑う蒼汰の頭を陽子が撫でた。


「みんなも食ってみてよ」

「変なもん兄貴に食わせようとすんな」

「変なものお兄ちゃんに食べさせようとしないで」


 双子に同時に責められたが、蒼汰はめげずにクッキーを押し付けていく。ただ、藍に渡そうとしたものは横から紫苑がかっさらっていった。


「はい、父さんも」

「僕もかい? 紫苑……」

「お兄ちゃんの分だけでいい。太るから」

「えー、じゃあ燈李……」

「いらん」

「うーん……陽子ちゃんは……」

「せっかく蒼汰がくれたんだもの、あなたも一緒に食べましょ」

「……わかったよ。僕も甘い物は苦手なんだけどなぁ」


 苦笑を浮かべた透がクッキーを口に入れると、喉奥で一瞬唸る。吐き出すのを堪えるように口を押さえて、ゴクリと飲み下した。ほぼ咀嚼なしだ。


「これは……目の覚めるような甘さだね……。うん、本当に目が覚める……」


 心做しか頬を引き攣らせながら手にしたコーヒーカップは、あっという間に空になった。燈李と紫苑もさすがに同情の色を浮かべるが、蒼汰はクッキーとコーヒーを交互に口に運んでいた。燈李が「味覚が母さんと一緒か」と呟いたけれど、陽子には聞こえなかったようだった。ちなみに紫苑も意外と平気そうである。


「おかわり淹れようか、父さん?」

「お願いするよ……。陽子さんの選んだお土産は、やっぱり面白いね」

「でしょう? 透くんは知ってるだろうけど、あたしの愛がたっぷり込められてるからね!」

「母さんが作ったわけじゃないのに?」

「選んだ時点で込めてるの」

「木彫りとか石とか人形にも?」

「もちろん!」

「ふーん」

「愛はともかくセンスがなぁ……」

「母さんらしいじゃない」


 わいわいと談笑を始める家族にコーヒーのおかわりを淹れるべく、藍は再びキッチンへと引っ込んでいった。




 空野家が全員揃っていたのは、双子の卒業式を終えてからほんの一週間程度だった。両親はまだ桜も咲かないうちに、「次もお土産期待しててね!」と旅行に出かけてしまったのである。


 嵐のような両親(主に母)の行動にはとっくに慣れているけれど、数日ぶりに静かになったリビングはいつもよりひんやりする気がした。燈李は一人ソファに身を沈め、窓の外を見やる。


「何植えっかなー……」


 どうせなら兄弟達の好きな物にしよう。収穫を喜ぶ兄弟達の顔を想像し、燈李はふっと笑みを浮かべたのだった。

やっと空野家全員集合です。

次話から不穏開始。

なお、今回のサブタイトルは入力間違いではございません。

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