⑤父親
「アスト……?」
急に様子の変わった彼に声を掛けると、アストは複雑そうに笑んだ。
「………………お前の父親はな、とにかく優しい奴だった」
「え……?」
唐突に聞かされた言葉を、すぐに理解することは出来なかった。
「……すまない、黙っていて。……俺はお前の父親を知っている」
────何を……言って。
アストの表情は真剣そのもので、俺は混乱しながらも何とかその話が本当のようだと呑み込んだ。
「…………お前の父の名はキヨウ。キヨウ・フェザ・セレスチャル。──俺の友人だった男だ」
「……」
俺は黙ってアストの話に耳を傾けた。
「さっきも言ったが、キヨウは本当に優しい奴だった。誰かを殺すことを良しとしない。それが例え罪人であろうともな。……だからよく説教された」
その時を思い出したのか、アストは渋面を浮かべる。
「だけど、優しい奴で、思いやりのある奴で、共に居ると楽しかった……。あいつが居ると場が和むんだ」
「……どうして父さんは、天使であるはずの母さんと出会ったの?」
俺は一番知りたいことを訊いた。
二人が出会わなければ、俺は生まれていないのだから。
アストは静かに瞳を閉じ、口元を笑みの形に歪める。
「…………ある日、キヨウといつものように談話していたら突然女の悲鳴がしたんだ。俺とキヨウがその声の方に行くと、一人の天使が魔物に襲われていた」
俺は眉を寄せた。
獣のような姿をした邪悪なるもの──魔物。
理性を持たず、見境なく人や天使、とにかく種族を問わず襲ってくるので基本的にどの種族も魔物は敵と見なしている。
「キヨウは迷わず助けに行った。………キヨウも強い力を持つ魔族だったからな。殺気を放っただけで魔物は逃げていった」
「そう……なの?」
「ああ。俺の暴走を止められるのはあいつくらいしかいないしな。……こう言えばどれだけ強い魔族か分かるだろう?」
────つまり、俺の父さんはアストと同格……またはそれ以上の力を持っていた、ということだろうか。
「あいつは誰も殺そうとはしないし、しなかったから、天界に目をつけられはしていたものの俺のようにお尋ね者にはならなかった」
アストは寂しそうな微笑を浮かべる。
思い出を語るアストは相当俺の父と仲が良かったのだろうと推測できた。
「その時キヨウが助けた天使がお前の母──風菜だ。キヨウと風菜は似たような考え方を持っていた。だからすぐに打ち解けあい、よく一緒に過ごすようになり、そして二人はいつしか結ばれていた────」
アストは俺の頭を二、三度撫でる。
子供扱いされているようで少しむっとするが、別に嫌いではないので黙っておいた。
「キヨウと風菜は幸せそうに暮らしていた。やがて二人の間にお前が生まれて──それから二年後だ。お前の両親が死んだのは」
アストの声のトーンが落ちる。
沈痛な面持ちをしたまま、彼は話を続けた。
「…………あいつらを誰が殺したのかは分からない。俺が見付けた時にはキヨウは虫の息で──風菜はすでに息絶えていた。──俺に治癒術が使えさえすればキヨウは助けられたかもしれない。けれど、俺には誰かを癒す術なんてない。だから俺はあいつを──キヨウを救うことが出来なかった。……すまない」
「……………アストは悪くないよ。……悪くない」
俺はアストにそう言った。
アストのせいなんかじゃない。
きっと彼は治癒の術を持たないながらも、父さんを救おうと努力はしてくれたはずだから。
「……キヨウは最期に言ったんだ。……『天界に連れて行かれた息子を頼む』とな」
アストは泣き出しそうな表情でこっちを見る。
「だから……だから俺に関わるの?」
複雑な思いを抱きながら苦笑した。
おそらくそれは酷くぎこちないものだったにちがいない。
「……そうだ。初めてお前と出会った時、俺は信じられなかったよ。──お前はキヨウに顔がそっくりだからな」
「…………俺と父さんってそんなに似てるの?」
「見てみるか?」
アストは両手を胸の前に出した。
その天に向けた手のひらの上に、どこからか水が集まりだし、形のない塊が宙にふよふよと漂う。
そしてそれは一枚の鏡へと変わり、誰かの姿を映し出した。
「…………これが──父さん?」
映し出されたのは一人の青年。
柔らかく輝く金の髪は肩より少し短い程度。瞳は瑠璃の玉みたいな綺麗な藍。
浮かべている表情は優しく、これが本当に魔族なのか? と疑いたくなるような雰囲気が見えた気がした。
「……似てる、かな?」
「髪と瞳の色以外は似ていると思うぞ?
髪と瞳の色は風菜譲りだな。彼女の綺麗な漆黒の色を受け継いでいる」
母さんは黒髪と黒い目だったんだ……。
そう思いながら俺は鏡に映る父の顔をしっかりと頭に刻み込んだ。
アストは苦笑してまた俺の頭を撫でる。
撫でられて俺はまた子供扱いされているように感じて少しむっとした。……いや、本当に子供扱いしているのかもしれない。俺はアストにとって親友の遺した子供な訳だから。
──仕方ないな。
俺は本当に諦めて、恥ずかしいけれど素直に撫でられることを受け入れたのだった。