④地獄
「そういえば、今更だがお前、仕事は?」
「今日はない。混血だからって毎日仕事してる訳じゃないよ。それに一般天使には俺が混血だってことは伏せられてるし」
「……そう、なのか?」
ふと思い出したように訊いてきたアストに答えると不思議そうに首を傾げられた。
「俺の母さんって天界の偉い天使の娘なんだってさ。だから神と一部の天使しか俺が混血だってこと知らないんだ。その偉いさんの保身の為にね。──まあ、一般には俺は罪人の子ってことになってるけど」
「……どちらの立場にしても、周囲からは嫌な目で見られるような気がするが?」
「うん……俺の立場は変わらない。考えられてるのは周りの都合だけだよ」
俺は嫌気の差す生活に深い溜息を溢す。アストは何とも言えない微妙な表情を浮かべた。
「嫌なものだな……。天使も、人間も、魔族も、己の欲に忠実な者が居るのは同じと言うことか」
「そうだね。……あんたはどうなの? 最近は誰かを襲ったって話を聞かないけど。今までさんざん人や天使を殺したくせに」
「──ああ。最近は俺が喰らう対象が先に天界によって始末されてしまっているからな。今は人間と同じような食生活をしている」
アストの言葉に俺は首を傾げた。
と、なるとアストは無差別に誰かを襲っていると言うわけではないのか。
「……お前、俺が誰彼構わずに喰っているとでも思ったのか?」
「うっ…………」
考えを言い当てられて、俺は言葉に詰まった。
アストはそんな俺に呆れたように溜息を吐いて、非難の眼差しで俺を見る。
「あのな。勘違いされるのは仕方がないとは思っている。俺は他の魔族より強い力を持っている上に“混沌の支配者”などと呼ばれているからな。それにいずれにしろ人や天使を喰ってきたのは事実だ。だが、俺は喰えるなら誰でもいいってわけじゃない。俺が喰うのは精神が狂っている奴らだけだ」
「狂っている……?」
どういうことかすぐに理解出来ずにいるとアストは頷いた。
「そうだ。いずれ災いの火種となるような狂った考えを持つ奴だけ。それ以外の者が俺に向かってきたら、取り敢えず俺は逃げている。傷付けることはあっても殺しはしていない」
「……そう、なの?」
俺はアストが思ったより悪人ではないと知って少し驚いた。
「……────いずれにしろ、俺が命を奪っているのは確かだ。嫌いたければ嫌えばいい」
自嘲の笑みを浮かべたアストに向かって、俺は首を横に振った。
「それは俺も同じだよ。仕事とはいえたくさんの命を俺は奪っているから」
そして俺も自分を嘲るように笑った。
「──────俺も、いつかは狂っちゃうんだろうね。きっと」
「…………何故、そう思う?」
アストの声音は何処か強張った。
俺は苦笑して彼の方を向く。
そして俺はそのまま、心の内の恐れを打ち明けることにした。
「…………俺以外の死刑執行人を見ていると思うんだ。……俺もいつか、誰かを殺しても何とも思わなくなっちゃうのかな、って」
相手が罪人とはいえ、多くの命を奪うのが死刑執行人だ。
誰かを処刑した日には必ず夢を見る。
思い出したくもない夢。酷い悪夢。
────だけど何度も命を奪うたび、嫌なのに慣れていってしまうんだ。
慣れる──いや、心が麻痺すると言うべきだろうか。
命を奪うたびに、少しずつ、少しずつ、諦めにも似た絶望が心を支配して何も感じなくなる。
────そして、それに耐えきれなくなった者の中には狂ってしまう者もいる。
俺はそんな天使を一度だけ見たことがあった。
色んな奴の血が幾度も流れた処刑場。
その中で不気味に笑いながら、その天使は自分の愛剣を愛しそうに抱きしめていた。
今か今かと待つ様子はまるで無邪気な子供のよう。
そして罪人が処刑場へ通された瞬間、表情が輝くのだ。
処刑場はまるで闘技場のような所だった。
────いや、闘技場と表した方がいい場所だった。
舞台の中には、罪人と狂った死刑執行人の二人しかいない。
彼らがいる場所を囲むように、そこには処刑の様子が見学可能な観客席が設けてある。
───処刑場の中で始まるのは地獄。
罪人は恐怖に泣き叫びながら処刑場を逃げ回る。
得物を手にした死刑執行人は楽しそうに笑いながら罪人を追いかけ回す。
その様子をこれからの仕事の参考に──と、無理矢理に観客席で見せられた俺は愕然とし、言葉を失った。
────何だ、これは。狂ってる──何もかも。
やがて罪人は狂った天使に追いつかれ、足を切り落とされた。
前のめりに倒れた罪人は狂った天使に服の襟を掴まれ、ズルズルと引き摺られて赤い線を地に描きながら処刑場の中央へ移動させられる。
────耳に突き刺さるような絶叫が響き渡る。
その音声源は見るも無惨な姿へと変えられていった。
まるで殴るように、狂った天使は手にした剣で躊躇いなく罪人を肉片へと砕いていく。
──胸が苦しく成る程、呼吸を繰り返した。
狂った天使は愉しそうに叫びながら罪人の命を狩る。
その場所で繰り返されるのはあまりにも残酷な光景。
────嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっっっ!!
俺はっ…………俺はっっ!!
「雪吹!」
名を叫ばれて我に返った。
気付くと目の前には心配そうなアストの顔。
「もういい」
アストは俺の頭を撫でた。
「……ありがとう。打ち明けてくれて」
アストは何処か悲しそうな表情で微笑む。
「ア、スト………?」
「我慢するな。……泣け」
アストの声音は優しかった。
だから言われた瞬間、我慢出来ずに俺は大声で泣き出した。
「嫌だっ……嫌だよっ…………。もう、あんなのっ……」
アストは泣き喚く俺に静かに頷き、背中を擦ってくれる。
「あんな風になんかなりたくないっ! 俺はっ……俺は普通に生きたいんだ!」
本音を叫ぶ。そして俺は彼に縋った。
彼を見上げ、黒いマントを掴んで────。
「アスト、お願い…………。俺は狂わないためにはどうするべきなの? 教えて……」
「……取り敢えず、辛い時はまず助けを求めろ。お前は一人でどうにかしようとする傾向があるからな」
アストは優しく微笑する。
「お前はまだ子供だ。俺はお前を見捨てたりしない。────だから少しは俺に甘えろ」
「でも…………」
「俺は魔族だからな。……信じろと言っても無理か?」
俺が言い淀むとアストが自嘲気味に呟いて、俺は慌てて首を振った。
「そんなことない!」
アストは少し驚いたように俺を見た。
俺はアストの右手を取って両手でそれを包み込む。
「そりゃ最初は怖かったけどさ……。あんたにも優しい所があるって分かったし……」
何を考えているのか分からない時もあるけれど、俺は今ではそんなにアストが嫌いじゃない。
「……お前は俺をどう思っているんだ?」
「……何て言うか──父親?」
父に育てられた記憶がないのでよく分からないが──例えるならそんな感じがする。
「……父親、ね」
呟いて、アストは哀しそうに表情を歪めた。
「キヨウ…………」
そしてアストは小さく呟いた。