②混血
(side 雪吹)
昨日の戦闘の疲労が溜まっているのか、いつも早起きな癒既は午前八時を過ぎても起きてこなかった。
──今日は休日で学校が休みだから早起きする必要もないし別に問題はないんだけど。
露華は爆睡中。
普段から朝は誰かに起こされるまで起きないから休みの日は面倒だし、勝手に目が覚めるまで放置してる。
唯一起きていた俺は一人で朝食をとり、その片付けをしていた。
────その最中。
ピンポーン。
滅多に鳴らない家のチャイムが鳴った。耳にした瞬間、俺は警戒する。
「エツオヲ・ノムサナ・ダイネラ・ヲ───……」
玄関へ向かいながら、魔法の詠唱を始める。
チャイムを押したのは新聞勧誘や訪問販売の為に来た人間の可能性もあるし、俺達を捜す天界の奴かもしれない。ドアの前に天使がいたら、開けた瞬間に攻撃するつもりだ。途中まで詠唱しておけば敵がいた時に呪文の最後を締め括れば魔法がすぐに放てる。
ドアの前までやってきて、俺は向こう側にいるのが敵か否かを確かめる為に気配を感じようと集中した。
そして、その感じた気配に覚えがあるのに気付く。
────これは。
まさか、と思いながら俺は急いでドアを開けた。
その直後、俺の方へ倒れ掛かってくる身体──。
その身体を受け止めて誰なのかを確認した時、改めて驚愕する。
「アスト……?」
長い黒髪、白い肌、身に纏う漆黒の服……。
それは前に見た時の彼と変わらない。
ただ、彼の身体には色んな所に怪我が見られた。
慌てて外を見る。
────どうやら他には誰もいないようだ。
俺は彼を家の中に入れるとドアを閉めて鍵をかけ、さらに魔法で家全体に結界を張る。
「アスト、しっかりして………」
「っ……すまない」
声をかけると返事があった。いきなり倒れてきたから心配したけど気絶はしていないみたいだ。
ひとまず玄関にずっといるわけにもいかないから肩を貸してリビングに連れていき、ソファに座らせる。
「……雪吹」
「アスト……どうしてここに?」
確か彼は天界に囚われていたはずだ。
俺は治癒魔法を使ってアストの傷を治しながら訊く。
「………脱獄してきた」
「……………」
返ってきた答えはそうでもなければこんなところにいるわけがないから予想通りだったけれど、俺はやっぱり呆れてしまった。
「……それで、また捕まえようとする天使に襲われて怪我したのか」
「安心しろ。攻撃してきた相手は殺していない」
「…………罪のない相手を殺したりなんかしたら俺、怒るよ」
──いや、怒るだけでは済ませられないだろうけど。
眉を寄せて内心で思いながらアストの傷を治し終えて立ち上がる。
「で? 何でまた脱獄なんか…………」
「お前が天界から逃亡したと聞いたからな」
「……俺のせいですか」
アストの返事に俺はますます眉間に皺を寄せた。
「そう怖い顔をするな」
──誰がこんな顔をさせてると思ってるんだ。
笑いながら俺に言うアストを睨む。
だけど彼は気にした様子もなく、ソファにしっかりと座り直した。
「心配しなくともちゃんと気配は抑えているだろう? 本当に近くまで来ない限り、奴らは俺がここにいることに気付かないはずだ」
確かに俺も玄関まで行かないとアストの気配は感じなかった。
抑制しなければ彼の持つ強すぎる力は天界にまでその気配を届かせているはずだからそうして貰わないとこっちも困るからそれはいい。
「……しばらくここに居るつもりなのか?」
「当然だ」
「…………俺は別にいいけど──あの二人がどう思うか」
「雪吹……誰と話しているの?」
俺の一存で彼を置くことは出来ない。どうしたものかと考えているとナイスタイミングなのか分からないけれど丁度起きたばかりらしい癒既がリビング入り口のドアを開けた。
「あ、えっと………」
「………ああ、混沌の支配者か。………………………………………て、……えぇ!?」
俺が説明に詰まっているうちに寝惚けた様子で一度頷いた癒既は、しかし数秒の間を開けて素っ頓狂な声を上げる。
「何で混沌の支配者がここに!?」
────うん、やっぱりアストは有名だなぁー。
癒既がアストのことを知っていたのに対して改めて実感する。癒既はすっかり目が覚めたようで瞬きを繰り返していて、ソファに座っているアストが前屈みになっているのに気が付いた。
「……………っく、…………ふ、……ははははははっっ!」
いきなり吹き出し、大声で笑い始めたアストの様子に癒既はさらにびっくりして硬直したようだった。
「………アスト」
俺は困っている癒既の為に半眼でアストに声をかける。
「くっ……くくっっ……いや、だって……っ、はははははっっ!!」
「いくら何でも笑いすぎ」
「くくくっ……悪い。反応が予想外で思わず……」
アストはぜいぜい言いながら、ようやく笑いを収めた。
そして、収まったところで彼は癒既に紅い瞳を向ける。
「俺の名はアスト。アスト・カオス・シンセティック。知っているようだが“混沌の支配者”と呼ばれている者だ。……お前は?」
アストの問いかけに癒既は一瞬迷った素振りで俺の方を見て、その後アストに視線を戻し真剣な表情を浮かべる。
「………癒既。十六夜癒既です」
「…………ふむ。その名は聞いたことがある。……確か同族殺しをした罪人だな」
「………ええ。そうです」
癒既は表情を変えずに肯定した。
「………同族殺しをしたことがあるという点なら、雪吹も少し違うがそうだな」
「え……………?」
アストの話を癒既は信じられないとばかりに俺の方を見る。
「…………どういう…、こと?」
「…………いつか話そうとは思ってたんだけどね」
俺は微笑んで戸惑う癒既に言う。
いずれはこの事を話そうとしていた。
だから、それが今となっても良いだろう。
「俺は、天使と魔族との間に生まれた──混血の天使なんだ」
「…………そう、なの?」
微笑したまま秘密を明かす。
癒既は不思議そうな顔で首を傾げた。。
「うん。天使の母さんと魔族の父さんとの間に生まれたんだ。………て、言っても両親のことはよく分からないんだけど」
「………殺されたの?」
「うん」
表情を歪ませた癒既は率直に訊いてきて俺は頷く。
「他の種族同士の混血は分からないけど、俺の両親は天使と魔族だからね。……殺したのは魔族だって話だけど、よくは知らないんだ」
「……同族殺しをしたってアストさんは言ったけど、──雪吹、君はもしかして死刑執行人だった?」
「……うん」
混血だということを教えただけで色々言い当てる癒既に内心で舌を巻く。
「…………混血の──特に魔族の血を引く混血の天使は天界じゃ忌み嫌われているからね。……だいたいは同じ天使を殺すこともある死刑執行人にしかなれない。それを改善させようとしていた天使もいなかったわけじゃないけど──そういう天使はほとんど投獄されてたね」
「えと……癒既、それって─────」
差別されている混血の現状をどうにかしようとしていた天使がいるなんて、そんな話は聞いたことがない。
そう思って言いかけると癒既は困ったように笑う。
「ああ。これ、機密事項だから」
「………………何で知っているの?」
「その時は僕、管理局の第四課にいたからね。第四課は罪人とか神に反抗する勢力の捕縛とかが主な仕事だから」
癒既は昔を思い出したのか、曖昧な苦笑いを浮かべた。
「…………癒既は、混血についてどう思う?」
俺はふと気になって訊いた。
すると、癒既は曖昧だった苦笑をはっきりと浮かべる。
「……雪吹、忘れてない? ──僕は人間を好きになったから同族を殺したってこと。…………違う種族とか、混血とか、僕はあんまり関係ないと思ってるよ」
「あ……」
俺は思い出して、尋ねたことに罪悪感を覚えた。
だけど癒既は優しく微笑んで、俺と、そして何故か面白そうに笑みを浮かべているアストを順番に見た。
「………ねえ。教えてくれないかな? どうして雪吹とアストさんは仲が良いの?」
「仲が良いっていうか───」
俺は少し考えて、アストと出会った時の事を話すために口を開く。
「あれは……確か四年くらい前だったかな…………?」
俺は過去の記憶を手繰り寄せた。