①漆黒
人間界の遥か空の上に存在する天界に、鑑、宝剣、光珠は約一ヶ月ぶりに戻ってきた。
今、三人は彼らの上司が待つ“管理局”にいる。
管理局は天界、人間界を名の通り「管理する」場所だ。部署によって役割は異なるが、神の命令を受けてそれを遂行する、それだけはみんな共通している。
ここには多くの天使が勤めていて鑑達も管理局に属する局員だ。
「彼らを捕らえることは出来ませんでしたか……」
人間界でのことを報告する為に上司の部屋に入ってすぐ。鑑が口を開く前に鑑達の上司である第四課リーダーの天使──聖司はデスクでいつもしている眼鏡のレンズを拭いていたらしく、一度眼鏡を持ち上げて確認し、顔に戻しながら一言発した。
「っ……申し訳ありません……」
「仕方がないですよ。なんたって相手はあの十六夜癒既ですからね」
恐縮して頭を下げる鑑を特に責めず、聖司は柔らかく微笑する。
「すみません……」
「鑑が謝るなよ。悪かったのはオレ達だろ。……せっかく鑑が作ったチャンスを油断して逃したしな」
「その通りだ。悪かったのはオレ達だ」
再び謝罪を繰り返した鑑の後ろにいる宝剣がその背中に声をかけた。そして同意するように光珠も言う。鑑は顔を上げると困ったように眉尻を下げた。
そんな鑑達の様子を微笑んで見ていた聖司は「さて」と声を出して話を区切り、真剣な表情を作った。
「…………取り敢えず十六夜癒既達については後で」
その言葉と雰囲気に鑑達は何かが起きたのだと察する。
「緊急事態が起きました。とある捕えていた魔族が牢獄から逃げました」
「……露華達のこともあるし、そろそろ牢獄を新しくした方がいいんじゃね?」
「僕もそう思います」
聖司の話を聞いて、最初に眉を寄せてそう零したのは宝剣。聖司は溜息を吐きながら同意した。
「で、どんな魔族?」
「……“混沌の支配者”と聞けば分かりますか?」
「“混沌の支配者”……て、あの…………?」
「ええ。彼が抜け出したのはつい先日です」
そのまま続いた宝剣の問いの返答。鑑達はその聖司の話に驚きが隠せなかった。
混沌の支配者──それは強大な力を持つ、とある魔族の異名だ。
人を襲い、傷付け、時に喰らう──そんな魔族達の“王”のような存在だと聞いている。
数年前、多くの天使が犠牲となりながらもやっとのことで捕らえることに成功した。それなのに────。
「……主からの命です。ただちに混沌の支配者を捜し出し、再び捕らえよ。──場合によっては殺すことも許可する。……だそうです」
聖司の話を聞き終わり、神より与えられた新たな任務の為、鑑達は三人一斉に再び人間界へと向かった。
***
静まり返った夜の街を照らす月光の下。
人気の無い道を、覚束ない足取りで歩む者がいた。
腰辺りまで伸びた黒髪に、白く透き通るような肌。
身に纏うのは漆黒の装束。マントも、その下に着込んだ服も黒い。
そして、闇の中に浮かび上がるのは紅い瞳。
────人ならざる存在の男だった。
見た目からすると歳は十八歳程のようだが、実際はそれをはるかに上回る歳月を生きている。
男は身体に傷を負っていた。
整った顔の左頬には裂傷が見られ、額からは血が流れている。
右肩からも血は溢れていて、そこを押さえる男の左手は赤く濡れていた。
苦痛に顔を歪ませながら、彼はとある方向へと進んで行く。
その先にあるのは血濡れの天使の気配。
彼はその気配を追って、夜闇の中に溶け込んでいった。